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カテゴリー: ヨーロッパ

電撃戦という幻(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 カール・ハインツ・フリーザー 、 出版  中央公論社新社
連合軍の精鋭をダンケルクに追いつめながら、ドイツ軍は停止した。完勝を目前にして、ヒトラーはなぜ最後の一撃を加えなかったのか・・・。
ダンケルクから撤退する「ダイナモ」作戦が開始される前、イギリス軍はせいぜい4万5千人を救出できればよいと考えていた。3万人が関の山という見方もあった。ところが、1940年5月26日から6月4日までに37万人(イギリス兵24万7000人とフランス兵12万3000人)が救出された。ドイツ軍の捕虜となったフランス兵は8万人だった。
ドイツ軍が激戦のすえダンケルク港を制圧したのは、6月4日午前9時40分だった。
政治家が軍事作戦に口出しするのはドイツでは異例のこと。エリート軍人の知的選民、冷静沈着なプロフェッショナル集団として一時代を築いたドイツ参謀本部に、気まぐれで、何をしでかすか分からない、爆弾をかかえたような男(ヒトラー)が闖入(ちんにゅう)した。
問題は、ヒトラーの軍事知識が本物であったかどうかにあるのではなく、この指導者が異常なほど感情に左右されやすい人間だった点にある。ドイツ総統(ヒトラー)は、自己の可能性を際限もなく過大評価するかと思えば、事態を絶望視し、しばしば救いようのない悲観論に沈潜してしまうのだった。
5月24日、グデーリアン装甲軍団は、ダンケルクまであと15キロメートルに迫っていた。ヒトラーは作戦指導に介入し、ルントシュテットをとおして装甲部隊に進撃を停止するよう命じた。しかし、実際には、この時点で、すでに装甲部隊は停止していた。このとき国防軍の上層部内で抗争があっていて、ヒトラーは「停止命令」というかたちで、これに干渉した。
ヒトラーの「停止命令」の本当の理由は、軍事指導者としてのヒトラー自身の権威を守ることにあった。つまり、ヒトラーがダンケルクで止まれと命じたとき、それは装甲部隊に向かってではなく、陸軍総司令部の将官たちに対してなされたのだ。
戦争が歴史上比類のない完璧な勝利のうちに終わりそうになると、偉大な勝利者としての栄光はヒトラーの上にではなく、軍人たちの上に輝いてしまうかに見えた。陸軍総司令部か主役になり、ヒトラーは端役の地位に追いやられてしまっている。これはいかにもまずい。放ってはおけない…。
ヒトラーがこれほど不機嫌なのを見たことがない、とヨードルは語った。
ヒトラーは決意した。理由など、どうでもいい。とにかく復讐あるのみだ。見せしめが必要だ。奴ら(国防軍上層部)を懲らしめ、折檻し、軍の最高司令官は誰かということを思い知らせてやる。
「停止命令」は、ヒトラーにとって、客観的な軍事情勢から導き出されたものではない。権力を維持しようとするヒトラーの防衛本能から生まれたのだ。
ヒトラーのあらゆる決断、あらゆる政策決定は、客観的な情勢判断とは無縁だ。軍を指導するのは自分であって、他の誰でもないということを国防軍上層部に示す必要があったというだけのこと。
なーるほど、よくよく分かる説です。
軍事的天才を自認したヒトラーは、参謀本部から魂を抜きさり、みずからを舞台の中心にすえ、軍人たちを背景の書き割りの地位に退かせた。
こうやってダンケルクの悲劇はヒトラーの悲劇の始まりだったわけです。
1940年の西方戦役と1941年の対ソ侵攻の違いは次のように総括できる。
西方戦役は、「電撃戦」としては計画されなかったが、結果的にそのようになってドイツ軍は大勝した。対ソ侵攻は「電撃戦」として計画されながら、思いどおりにいかず、最終的に挫折した。
下巻だけでも300頁近い大作ですが、ヒトラーの軍事才能(が、実は、なかったこと)とドイツ国防軍の電撃戦なるものの実体がよく認識できました。軍事史に関心ある人には強く一読をおすすめします。
(2012年2月刊。3800円+税)

たのしい川べ

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ケネス・グレーアム 、 出版  岩波少年文庫
イギリス人の著者が息子のために書いた童話です。
著者の父親は弁護士でしたが、意思も性格も弱く、一つの職業にとどまっていることができない人だったので、家族の生活はかなり不安定だった。
感受性の強い子どもだった著者は、母たちと一緒に暮らして笑いあえる生活を過ごしていたが、5歳のとき、母は病死してしまった。祖母の家に引きとられて、豊かな自然のなかで、川や小動物たちとたのしく語りあって育っていた。
しばらく別れていた父親が著者の前に戻ってきたとき、なつかしい、美しい人として心にえがいていた父親は、実は、不幸に負け、酒におぼれた人としてあらわれた。
そんななか、4歳から7歳まで、全感覚をあげて外の世界の美しさを吸収したと著者は語っている。この本にそれは十分に反映されているように思います。
中学で抜群の成績をあげても、周囲は誰も評価しない。仕方なく、17歳から銀行で働くようになった。そして、文章を書きはじめた。孤独な生活を過ごした少年は、かえって、そのころの因襲にとらわれず、批判的に大人をながめ、本来の子どものもっている感覚で、しっかり周囲の出来事を見ていた。そして、それを文章にあらわした。
著者は、4歳の一人息子が夜に泣いて泣いて困ったので、何かお話をしてやろうと言った。息子は、モグラとキリンとネズミの出てくる話を注文した。そこで、著者は、ヒキガエルが自動車を盗むところから始まる話を始めた。これが3年間も続いた。
キリンは、いつのまにかいなくなり、アナグマが出てきて、ヒキガエルが出てきた。
ヒキガエルは息子の性格に似ていたので、父子のあいだでは、ヒキガエルが出てくると、大笑いしていた。
知人の女性のすすめで、息子に語った話が、この本につながったのです。
それでも、出版社は、こんな本が売れるのか心配で断るところばかりだった。ようやく出版社がみつかり、1908年に世の中に出ると、10月に初版が出て、12月には第二版。翌年もずっと増刷されていった。
この本は、アメリカに渡り、シオドア・ローズベルト大統領に贈られ、本人が放っているあいだに、夫人と子どもたちが読んでた。
この話の主人公は、モグラとネズミ。それにアナグマとヒキガエルなどが組みあわされ、自然のなかに生きるささやかなものへの愛情を子どもに伝えたいという気持ちにあふれている。
心のほっこりするひとときが得られる楽しい童話でした。
(2018年2月刊。760円+税)

ある一生

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ローベルト・ゼーターラー 、 出版  新潮社
オーストリア、アルプスの山中に生きた、名もなき男の一生が淡々と描かれています。
第二次世界大戦が始まる前のアルプスの山中にロープウェーが建設され、著者もその作業員の一人になります。
やがて戦争が始まり、軍隊に志願して一度は不具の身体と年齢からはねられたのに、あとでは徴兵され、ロシア戦線に追いやられてソ連軍の捕虜生活も経験します。復員して故郷に帰ってくると仕事はなく、やむなく勝手知ったる山岳ガイドの仕事をしますが、寄る年波には勝てず、一人で山小屋で生活しているうちに「氷の女」に出会い、ついに天に召されるという一生です。
食堂の給仕係の女性にプロポーズして幸せな結婚生活も送るのですが、それもつかの間のこと。大雪崩に襲われ、妻は亡くなり、その後はずっと孤独に暮らすのでした。
一見すると救いようのない寂しい人生なのですが、いやいや人生は誰だって同じようなものではないのか、そう思わせるほどの筆力で、ぐいぐいと引きずりこまれてしまう、不思議な小説でした。
人生とは瞬間の積み重ねだ。本書を読み終えたとき、ひとりの男の一生をともに生きたという、ずっしりした手ごたえが残るという訳者(浅井晶子)のコメントは、まさしく同感でした。
(2019年6月刊。1700円+税)

パリ警視庁迷宮捜査班

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ソフィー・エナフ 、 出版  早川書房
いかにもフランスらしいエスプリのきいた警察小説です。フランスで15万部も売れた人気ミステリというのですが、なるほど、と思いました。
もう50年以上もフランス語を勉強している割には、ちっともうまく話せませんが、ともかく毎日、フランス語の勉強だけは続けています。毎朝のNHKラジオ講座と週1回の日仏学館通い、そして年に2回の仏検受験です。このところフランスに行っていませんが、フランスに行っていませんが、フランスには何回も行きました。駅やホテルそしてレストランで通用するくらいのフランス語は心配ありません。先日、東京でフランスの弁護士会との交流会があったようですが、そこで会話できる自信はまったくないのが残念です。
カぺスタン警視正は過剰発砲で停職6ヶ月となり、復職したばかりの女性。その下にとんでもない札付きの警察官が集められた。大酒飲み、ギャンブル狂、スピード狂、そして脚本家など・・・。その任務は長く迷宮入りとなっていた事件の再捜査。
部下たちは警察官といっても警部や警部補が多い。癖あるベテラン刑事たち。一見すると、無能であり、やる気のなさそうな、そして人づきあいの悪そうな警察官たちが、なんと、すこしずつ重要な手がかりを得て、一歩一歩、疑惑を解明して、真相へ迫っていきます。
フランスの警察署の雰囲気って、こんなものなのかな、きっと日本とは違うんだろうな・・・、そう思いながら、フランス式捜査の歩みを堪能できる警察小説でした。
(2019年5月刊。1800円+税)

三つ編み

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(霧山昴)
著者 レティシア・コロンバニ 、 出版  早川書房
すごい本です。圧倒されました。電車のなかで頁をめくっていきながら、この本に登場してくる女性たちは、いったい、このあとどうなるんだろう・・・と、もどかしい思いでした。
 フランス人の女性作家の本ですが、舞台は、なんと、インド、イタリアそしてカナダなのです。そして、主人公の女性は、いずれも深刻な悩み・問題を抱えて苦悩しています。でも、少しずつ行動に移していきます。それが、三つの大陸の全然別の世界で生きているにもかかわらず、たった一つだけ結びつくものがあるのです。それが何なのかは、この本を読んでのお楽しみにします。
インドの女性スミタはダリット、不可触民です。仕事は他人の便所の汲みとり。裸足で歩き、素手で便を扱う。ダリット以外の人とは話もしないし、触っても、見てもいけない。ところが、触っていけないはずなのに、強姦はされるのです。まったくいい加減な差別です。でも笑えません。強姦されたあと、殺されてしまう可能性も強いのです。被害者が被害を申告するなど考えられもしません。
ただ、この本にも触れられていますが、そんなダリットのなかから突出した経営者や政治家がたまに出てきます。これまた不思議です。
イタリアの女性ジュリアの一家は毛髪を生業(家業)としている。でも、ジュリアは図書館で本を静かに読むのが好き。そして、シク教徒の男性に心が惹かれるようになった。
サラは、カナダのローファームで働く女性弁護士。アソシエイトにのぼりつめた初めての女性だ。裁判所は闘争の場、縄張り、闘技場だ。そこにいるとサラは、女戦士、情け容赦のない女闘士となる。口頭弁論のときには、ふだんの声と微妙に異なる、低い厳かな声をつかう。表現は簡潔で鋭く、切れ味抜群のアッパーカットのよう。敵の論点のわずかな隙や弱みをすかさず、突いて、ノックアウトする。担当案件はすべて頭に入っていて、嘘をつかれたり、恥をかかされることはない。
ええっ、ウ、ウソでしょ・・・。つい、そう私は叫びたくなりました。
そんなサラが乳ガンだと宣告されるのです。それで抗ガン剤なんか投与されたら、せっかくのアソシエイトの地位が一瞬のうちにフイになってしまう・・・。
ダリットのスミタは、村を出る、娘を連れて村を出て都会に行くことにした。夫は懸命にとめようとするが、スミタの決意は揺るがない。娘にまで、こんな生活をさせたくない。学校に行かせて、ちゃんと勉強して、この境遇から抜け出せるようにするのが親のつとめだ。スミタは、来世まで待つ気なんかない。大事なのは、今のこの人生。自分と娘ラリータの人生なのだ。
サラは抗ガン剤をつかいはじめた。しかし、弁護士は、いつだって颯爽とし、有能で積極的でなければならない。弁護士は頼もしく、説得力があり、好意を味方につけなければならない。
難しいけれど、これは本当のこと、大切なことです。
3人とも不運や試練に見舞われながら、それを乗りこえようと奮闘します。本書は、たたかう女性を描くフェミニズム小説だと訳者は解説しています。
いやあ、すごい本でした。ぜひ、あなたも読んでみてください。
(2019年4月刊。1600円+税)

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