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カテゴリー: ヨーロッパ

「フランスかぶれ」ニッポン

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 橘木 俊詔 、 出版 藤原書店
フランスをこよなく愛する日本人は少なくないと思いますが、私もその一人です。
毎日毎朝、フランス語を勉強しています。恥ずかしながら、もう50年になります。それだけの裁月をかけている割には、ちっともうまく話せないのが残念です。
著者はエクサンプロヴァンスに3ヶ月も滞在したことがあるそうです。私も40代の初めに1ヶ月近く大学寮で寝泊まりしました。ポール・セザンヌの描いたサンヴィクトワール山がよく見えました。今から10年前にもう一度行ってみました。落ち着いたいい町です。
フランスの小説が日本に与えた影響は大きいが、かなりの割合で不倫を扱っているので、日本ではおおっぴらに語ることのできるテーマではなかった。
マルクスやエンゲルスもバルザックの愛読者だったし、最近のピケティは、『ペール・ゴリオ』のなかから得られた統計情報を、庶民の生活水準にてらしあわせて、人々がいかに苦しい経済生活をしていたか数字で証明しようとしている。
文芸誌『スバル』(漢字は昴です)の主幹は森鴎外であり、編集者は石川啄木など。寄稿者は啄木24歳、北原白秋24歳、木下杢太郎23歳、高村光太郎26歳という若さだった。みんな若いですね…。
フランス映画もいいものがたくさんありますよね。戦前の映画『天井桟敷の人々』は傑作だと思いますが、間接的に戦争中のナチスへの抵抗の姿を示した映画でもあるんですね…。アラン・ドロンよりもフランスではジャン・ポール・ベルモンドのほうが演技も人気も上だということです。
フランスでは哲学がリセ(高校)の必須科目になっていて、バカロレア(高卒資格試験)の必修科目です。初日の午前中に3時間の自由記述の難問です。
関東大震災のときに憲兵隊(甘粕事件)から虐殺された大杉栄は、アナーキストとして活動していましたが、父親は軍人で、本人も陸軍幼年学校に入っていました。フランス語を勉強していて、フランス語はペラペラでした。ベルリンで開かれる国際アナキスト大会に参加要請されてパリに行き、メーデーの会場で話をしたら逮捕されて、有名なラ・サンテ監獄に収監されたのでした。そして、日本へ強制送還されて2ヶ月後に虐殺されてしまったのです。
ファッションそしてフランス料理の世界でも日本人が数多く活躍していることも紹介されています。この本を読んで、私の下手なフランス語も引き続き続けて、なんとかモノにしたいと改めて強く思ったことでした。
(2019年11月刊。2600円+税)

東ドイツ史、1945-1990

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ウルリヒ・メーラート 、 出版 白水社
メルケル首相は東ドイツの出身です。コロナ・ウィルスについてのドイツ政府の取り組みをテレビで語っているのをみました。もちろん、私は日本語訳です。
いやあ、日本のアベ首相とは比べものになりませんでした。コロナの脅威を自分がどう受けとめているか、首相として国民に何を訴えたいのか、よく伝わってきました。アベ首相は危機にある国のリーダーとして、まったく失格です。だって、自分の言葉で国民に訴えようという姿勢がありません。そして、メルケル首相は専門家の意見をよく聴いています。アベ首相は専門家に相談することなく、政治的に決断したと言うばかりです。これでは困ります。
その東ドイツが1945年から1990年まで、どんな国だったのか素描が提供されている本です。
東ドイツの書記長ウルブリヒトが政治的に生き残ることができたのは、ひとえにソ連の政治警察の責任者で、スターリン死後のモスクワの政治局内における有力者であったベリヤが解任され、東ドイツで蜂起が起きたから。
1954年に逃亡者は18万4000人だった。ところが翌1955年には25万2000人が東ドイツを脱出した。ただし、1953年には33万1000人ではあった。
1958年2月、ウルブリヒトは、党指導部内のライバルたちの解任に成功した。
1958年から59年にかけて、東ドイツ市民が実感できる経済の安定化が進んだ。
1961年8月、ベルリンの壁がつくられた。このころ、5万人の東ベルリン市民が西側で、1万2000人の東ベルリン市民が東側で働いていた。壁が出来たあと、700人の東ドイツ市民がここで命を落とした。
1965年、ウルブリヒトの「皇太子」と呼ばれていたホーネッカーの周囲には、若者文化にまるで理解のない党員ばかりだった。このころ、テレビや冷蔵庫、洗濯機は、もはや手に届かない家財ではなくなっていた。車(トラバント)も、手に入れて休暇を過ごせるようになっていた。
1971年6月、ホーネッカー時代が始まった。ドイツ社会主義統一党(SED)の大会で、人民の経済的水準と文化的生活水準をさらに向上させることが主たる使命だと宣言された。
ホーネッカーの時代、広範囲に張りめぐらされたシュタージの網が、SEDの指導要求に対する、いかなる異議申立の芽も摘みとった。シュタージの専従職員は9万1000人。それまでの2倍となった。そのうえ、非公式な協力者は、10万人から18万人にまで増えた。教会の職員も、その5%はシュタージの非公式協力者として登録されていた。
1975年には、350万人が東ベルリンと東ドイツに旅行に訪れた。4万人もの東ドイツ市民が「家族面会」の口実で西に行っている。
東ドイツでは、内政でも外交でも、あらゆることが現状維持だった。
東ドイツにある、いろんな組織に属していることは、多くの人々にとって、わずらわしい人生を送らなくてすむための年貢のようなものだった。ピオニール団があり、労働組合があり、独ソ友好協会がそうだった。
1986年、SEDの党員数は230万人、最高の水準だった。しかし、1988年、SEDはソ連の情報誌「スプートニク」を発禁処分とした。
1989年、東ドイツ内の非公式グループが今や公共の場にあらわれるようになった。
1989年、「私たちを出せ」というスローガンが、突如として、「私たちは、ここに留まる」に変わった。このころには、東ドイツは東側陣営のなかで、すっかり孤立していた。
1989年10月、SEDの政治局会議が開かれ、突然ホーネッカー書記長の解任が議題となった。参加者はわが身だけでも助かりたいという期待をもって、ホーネッカーを激しく攻撃した。翌11月、国境が解放された。これはSEDの権力が瓦解したことの表れだった。
1990年8月、東ドイツの人民会議は、圧倒的多数で、連邦共和国に加盟することを決議した。
東ドイツという国は、何が支えていたのか、どうやって、崩壊していったのかが分かる本です。
(2019年10月刊。1600円+税)

英国貴族、領地を野生に戻す

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 イザベラ・トゥリー 、 出版  築地書館
1558年、自分が王位を継承したことをエリザベス一世が知ったのは、大きなオークの木の下に座っていたときだった。このオークの古樹が枯れたとき、現在のエリザベス女王は、そこにオークの若木を植えた。
庶民にとって、オークは生計の手段であり暮らしを支えるものだった。ドングリはブタの餌になり、パンをつくるのにも使われた。樹皮は皮をなめすのに使えたし、刈った枝は、冬は家畜の飼料になり、薪にもなった。おが屑は肉や魚をくん製にするのに使い、没食子からはインキをつくった。そして、木材で炭をつくり、それを使って鉄を精錬した。
オークは、イギリスのどんな郷土樹種よりも多様の生物を支えており、その中には亜種をふくめて300種をこえる地衣類や膨大な種類の無脊椎生物が含まれている。また、キバシリ、ゴジュウカラなど、シジュウカラ科の野鳥に巣と食べ物を提供する。
成熟したオークは毎年70万種の葉をつけるが、秋には簡単に分解されて、地面に栄養たっぷりの小山をつくる。その地面には、色とりどりのさまざまなキノコが生える。
オークが生態系としての本領を発揮するのは、樹齢が高くなり、盛りをすぎて幹に空洞ができはじめてからだ。心材が腐るにつれて栄養分がゆっくりと放出され、幹に新しい生命を吹き込む。木の空洞に巣をつくるコウモリや鳥の糞も養分となる。そして、落ちた枝がさらに根に養分を提供する。この循環プロセスに重要なのはキノコ類だ。
樹齢900年以上のオークがイギリスには118本あり、その大半は貴族の所有する庭園にある。オークという木が、こんなに大切な役割を果たしていることを初めて知りました。
著者は農業経営に見切りをつけ、農場を農業から解放した。すると、農地が生き物であふれかえるようになった。
14世紀の初め、イギリスにはダマジカのいる鹿狩り庭園が1300ヶ所以上あった。現在、イギリスには野生のダマジカが12万8000頭いる。賢いメスのシカはオークの木の下で冬に備えてカロリーをため込む。オスのシカは、冬が来るころには、疲れ果てて、餓死しかけていて、一番弱いものから死んでいく。自然は、こうやって不必要な個体を排除する。餓死というのは、自然界の重要な要素で、基本的な自然のプロセスなのである。
南ヨーロッパの乾燥した地方にある乾いたマツの森とは違って、イギリスには唯一の例外であるヨーロッパアカマツを除いては、火のつきやすい樹種はないし、稲妻が発生しても消防車が発動することはない。
乳牛の生涯は過酷である。3~4回も出産し、1日平均22リットルの牛乳を1日365日分泌し続けたあと、5歳から6歳のころ廃牛処理加工場行きとなり、その肉はドッグフードかミートパイにするくらいの価値しかない。
ところが、農場で放任して育てたウシは、最長なんと21歳という高齢まで生きた。母ウシは次の子ウシが生まれたあとでさえ、家族の絆は強い。
ウマにぜいたくな餌を与えすぎると病気になってしまう。ウマは胃が一つしかないので、感染しやすい。
フンコロガシが糞の中に含まれる寄生虫を食べ、糞そのものを速やかに処理することで寄生虫による伝染を防ぎ、その結果、化学合成された駆虫剤を家畜に与える必要も減る。フンコロガシが健康的な牧草の成長を促進することによって、家畜産業は年に3億6700万ポンドの節約になっている。
世界で生産される食料は、すでに100億人に食べさせるに十分なのだ。ところが、13億トンに及ぶ食べ物が毎年廃棄されている。先進工業国は、年に6億7000万トンもの食べ物をムダにしている。
ヨーロッパの倍の面積をもつアメリカにいるグリズリーが1800頭しかいないのに対して、ヨーロッパには1万7000頭のヒグマがいる。
オオカミは1万2000頭で、アメリカの2倍近い。ヨーロッパ23ヶ国にはあわせて9000頭のオオカミヤマネコがすんでいる。
一匹のチョウの羽ばたきは聞こえない。だが、チョウも何万匹も集まると、まるで滝しぶきか、迫りくる気象前線のようなざわめきが生まれる。アフリカの乾いた大地から1万5000キロにも及ぶ距離をチョウが渡ってやってくる。触角の先端にある太陽コンパスを使っているらしい。
ナイチンゲールが鳴き、ビーバーが川をせき止める。環境復元によってさまざまな大自然の営みがすすんでいく。見事なものです。
自然環境をできる限り保存するというのは、いま大切な取り組みだと思いました。アマゾンの大森林も、ぜひ残したいものです。
(2020年1月刊。2700円+税)

フィンランド公共図書館

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 吉田 右子、小泉 公乃ほか 、 出版 新評論
フィンランドは教育の点で世界から注目されている国ですが、その躍進の秘密は公共図書館の充実にもあるようです。
私の住む町は、恐らく財政悪化による支出削減のあおりを受けたのだと思いますが、前にあった移動図書館、要するに自動車で地域を定期的に巡回するものです、がなくなってしまいました。そして、図書館は駅から少し離れたところにあり、交通至便とはいかないうえ、駐車場も少ないので、市民や子どもがどれだけ利用しているか、心配です。
この点、フィンランドでは、学校のカリキュラムとして公共図書館に行くことが組み込まれているとのこと、うらやましい限りです。子どものころから図書館に行く癖がついていることは大変良いことだと思います。
フィンランドでは、学校図書館をもたない学校も多い。そのかわりに、公共図書館の利用が授業時間に組み込まれているし、公共図書館も子どもたちを対象とした図書館サービスに徹底的に取り組み、学校と連携している。保育園や小・中学校では、クラス単位で図書館を頻繁に訪問している。こうやって、図書館が人々の日常生活に織り込まれている。
ヘルシンキ市には博物館、美術館が6館あるが、公共図書館は、なんと37館もある。ええっ、ウソでしょと思わず叫んでしまいました…。
フィンランドの公共図書館は、基本的におしゃべり、飲食も自由。図書館イコール静寂という感覚はない。そして、図書館を仕事場にしている人も多い。
図書館は、すべての利用者を歓迎することが基本姿勢。そのため、ホームレスやドラッグ中毒者も利用者としてやって来る。そこで、ときに警察に来てもらうこともある。それでも、図書館が精神を落ち着ける場になっていることを願って職員は仕事をしている。
たいしたものです。写真をみると、どこも広々としたオープン・スペースとなっていて、気持ちよく利用できそうな雰囲気です。
私は日比谷公園内にある図書館で仕事(モノカキ)をしたことがありますが、静粛が絶対条件でしたし、みんな一心不乱に「勉強」している雰囲気でした。
館内には1年以上借り出されていない資料は並んでいない。
フィンランドの公共図書館にはコンピューターゲームも備えつけてある。高額なゲームを購入できない家庭の子どものためだ。
盗難防止装置なしで本を貸し出している。これには著者たちも驚いています。
公共図書館は、生涯学習を約束する(保障する)場所だ。
いやはや、フィンランドが「読解力スキル」で世界一になっている理由をよくよく理解できました。日本でもぜひ、そうしてほしいものです。いい本です。あなたも、ぜひご一読ください。
(2019年11月刊。2500円+税)

「戦争は女の顔をしていない」

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 小梅 けいと 、 出版 KADOKAWA
独ソ戦を舞台とする原作(岩波書店)は、このコーナーで前に紹介したと思いますが、女性と戦争との関わりが深く掘りさげられていて刮目すべき衝撃作でした。そんな深みのある労作がマンガ本になって、視覚的イメージでつかめるなんてすごいことです。作画者に心より敬意を表します。
独ソ戦で、ナチス・ドイツと戦ったのは男性だけではなかったのです。大勢の女性兵士が参加していました。狙撃兵として名をあげた若い女性が何人もいますし、飛行機パイロットにも勇敢な女性飛行士たちがいました。ドイツ軍に捕まれば、もちろん男性兵士以上に性的虐待がひどいうえに殺されてしまいます。それでも、彼女らは最後まで戦ったのです。
もちろん、後方支援というか、傷病者を手当てする看護兵もいましたし、洗濯部隊までいたのです。洗濯機なんかありませんので、すべて手で洗います。石けんは真っ黒で、手が荒れてしまいました。
狙撃兵は2人1組で、朝も暗いうちから夕方暗くなるまで、木の上や納屋の上に登って気づかれないようカムフラージュしてじっと動かないで敵のドイツ軍を見張る。
食糧がなくなり、戦場にでた子馬を殺したときには可哀想ですぐには馬肉シチューが食べられなかった。
女性兵士には男物のパンツをはかされていた。生理用品もなかった。若い女性兵士にとって恥ずかしいという気持ちは、死ぬことより強かった。
戦後、かつての女性兵士が取材にこたえてこう言った。
戦争で一番恐ろしかったのは、死ではなく、男物のパンツをはいていることだった。
『独ソ戦』(岩波新書)も大変すぐれた本ですが、このマンガ本や原作を読むと、もっと独ソ大戦争の悲惨な実相がつかめると思います。一読を強くおすすめします。
(2020年2月刊。1000円+税)

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