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カテゴリー: ヨーロッパ

憎悪の世紀(上巻)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 ニーアル・ファーガン、 出版 早川書房
 1925年ころのドイツでは、人口はドイツの100に対してユダヤ人は1にも満たなかったが、医師の9人に1人、弁護士の6人に1人がユダヤ人だった。富裕層の31%もユダヤ人だ。ユダヤ人が少ないのは、軍の将校団のみ。
 ロシアの革命運動においてユダヤ人は存在感があった。ボルシェヴィキの11%、メンシェヴィキの23%をユダヤ人が占めていた。ロシアの総人口に占めるユダヤ人の割合は4%だったが、国会議員の29%がユダヤ人だった。そして、ロシア社会主義者のうち、9割近くはユダヤ人だった。ただし、ボルシェヴィキ指導者のうち、トロツキーとジェルジンスキーの2人だけがユダヤ人だった。
 1900年から1913年にかけて、ヨーロッパでは40人もの国家元首、政治家、外交官が殺された。国王4人、首相6人、大統領3人。うへーっ、そうだったんですか……。
 19世紀、ヨーロッパの王室は、みな互いに親戚関係にあった。ヨーロッパの王室は、すべて純粋のヨーロッパ人である。新しい血が時折入らなければ、一族の血統は、身体的にも道徳的にも変質してしまう。現に血友病が発生した。しかし、ナショナリズムに対抗するため、大陸の支配層は意図的に近親結婚を繰り返していた。
 王室外交は、まぎれもなく親族の集まりであり、拡散したメンバーは、互いに愛情をこめてニックネームで呼び合った。このシステムは、各王朝のメンバーが互いに結婚し続けることによってのみ存続できる。結婚は、同族である王室メンバーとのものであることが原則であり、その例外は非常に限られていた。
 スターリンの統治下で、あわせて1800万人もの老若男女が収容所に送り込まれた。流刑になった600~700万人のソ連市民をふくめると、労働の使役に駆り出された国民は全体の15%にも上った。この収容所の本来の目的は、囚人を始末することではなかった。ソ連の収容所は、囚人を労働力として利用するためのものであって、殺すことが目的ではなかった。その意味でナチスの収容所のような絶滅収容所ではなかった。
 1935年1月から1941年6月までに、2000万人が逮捕され、少なくとも700万人が処刑された。1936年1月の時点で、コミンテルンの執行委員は394人いた。うち223人が1938年4月までにスターリンの大粛清の犠牲になった。
 ヒトラーは、チャップリンが演じた人物より、ずっと複雑怪奇な人物だった。ヒトラーは憎しみのかたまりで、愛を知らなかった。
 ヒトラーは救世主の生まれ変わりであり、マレーネ・ディートリッヒと同類だとドイツの民衆に印象付けられた。
 ナチスはドイツのあらゆる地域で広範な支持を集めた。地方の共産党のなかには、資本主義と社会民主党を打倒するためと称して、公然とナチスと手を結ぶグループさえあった。
 ナチスは弁護士や医師などの知識人たちも入党した。ヒトラーはビスマルクの後継者にうつったからである。
 ヒトラーが首相になったころ、ドイツに600万人もの失業者がいた。ところが、1935年6月には失業者は200万人弱になり、1937年4月には100万人を割り、1939年8月にはわずか3万人ほどになってしまった。1935年から39年にかけては、強制収容所より休暇を楽しむ施設のほうがずっと多く、ドイツは好景気にわいていた。
 1939年の時点で16万4000人のユダヤ人がドイツにいたが、うち1万5000人は異民族の相手と結婚していた。ドイツ系ユダヤ人はドイツ社会に同化していたのである。
 世界史を理解するために知っておくべき基本的な知識が次々に語られています。
 上巻だけで500頁近い大作で、いかにも読み応えがありました。
 スイスのサンモリッツからポストバスに乗ってイタリアのルガーノまで行きました。バスで4時間の旅です。途中の休憩は1回だけです。急峻な山道を九十九折で降りて行くのは怖いほどでした。山の中の小さい村の中をいくつも通過します。狭い路地を走りました。湖が見えます。阿蘇の外輪山のように屹立した山々を横目で見ながら走ります。湖畔の狭い道を離合するときには、車体をこすり合うほどでした。4時間以上たっぷりバスに乗って、自信をつけることもできました。
 
(2007年12月刊。2800円+税)

デンマークの高齢者が世界一幸せなわけ

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 澤渡夏代ブラント、 出版 大月書店
 日本の団塊世代は700万人。デンマークの総人口はそれより少なくて545万人。デンマークの面積は九州と同じくらい。
 デンマークは、65歳から公的年金を受け取れるが、その前の60~64歳を対象とした準給与制度があるため、早目に退職する人が少なくない。毎年、15万人もの人が65歳を待たずに60~62歳で退職している。
 デンマークでは同じ屋根の下に複数の世代が同居することはまずない。お互いに独立して生活するのが自然だという考えが定着している。
 デンマークには、退職金という制度はない。老後は、それまでの生活レベルを維持できるだけの年金が支払われる。医療費もタダ。
 デンマークの女性の就労率は72%と高い。女性も1983年に納税する義務と権利を得て、経済的自立意識がさらに強まった。
 小学校から大学まで、すべての教育費は公費でまかなわれている。18歳以上で教育を受けている者には、返済義務のない学生援助金という生活費が支給される。デンマークの若者は、自立できる条件がどの国よりも整備されている。
 デンマークの若者は、向学心と適応力さえあれば、親の収入に関係なく、教育を受けることができる。
 デンマークでは、医療は公的医療が支えてくれるので、国民は病気になったときのことを心配して貯蓄しておく必要がない。介護も、ヘルパーや訪問看護が無料で支えてくれる。
 収入源が国民年金だけの高齢者は、自治体に対して暖房費の援助、メガネ、補聴器、薬品への援助ないし無料支給を申し込むことができる。
 デンマークでは、大型老人ホームは禁止されている。1988年の高齢者住宅法は、施設主義を排除した。1人1室、賃貸契約で完全な個人の住居に住む。室内にはトイレ・シャワーが完備されており、共同リビングのドアを開ければ、ケアスタッフがいる。入居のための待機期間は、平均して2か月。デンマークの元首相が、86歳になってプライエム(介護付き住宅)に入ったことが、デンマークの新聞で報道された。それほど、定着している。
 デンマークでは、生活が豊かならばいい仕事につながり、経済もよくなる。日本は、経済が良くなれば人々の生活も豊かになる。
 どちらを選ぶべきでしょうか。政権交代で民主党が政権をとっても、やっぱり経済優先でしょうね。だって民主党も日本経団連にすり寄るばかりで、まともに文句の一つも言えない体質ですから。小選挙区制になった弊害は、日本でも深刻です。やはり、考え方の多様性は国会にも反映すべきです。比例代表制、せめて昔のような中選挙区制にすべきだと私は考えています。
 昨日(10日)午前中にパリから帰ってきました。スイス(サンモリッツ)とイタリア(コモ)で夏休みをとったのです。スイスの森や山は大変よく整備されていて、遊歩道を大勢の人が家族連れで歩いていました。サンモリッツは高地にあり、大きな湖に面した静かな町でとても涼しく気持ちよく過ごすことができました。
 
(2009年3月刊。1700円+税)

スウェーデンの税金は本当に高いのか

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 竹﨑 孜、 出版 あけび書房
 スウェーデンに長く住んでいる日本の大学教授の本です。スウェーデンの実情を紹介する本をたくさん書いています。
 スウェーデンでは、社会保険料が企業によって全額支払われるので、家計は税金さえ支払えば、社会保険費と固定家計費はまったく不要である。そのため、日本の家計の方が、消費力や生活力では劣ってしまう。
 スウェーデンでは酒は高い。これは税金を搾り取るためというより、過度な飲酒による病気を減らすためのもの。酒は国営会社の独占専売方式である。
 小学校では、成績表も成績をあおるものだという理由から、廃止された。宿題もない。生徒20人という少人数学級に、教員が1.5人配置されている。もちろん、税金で全部まかなわれる。高校でも給食費を含めて、家計による負担はない。そして、大学への進学率は30%。大学進学率30%といっても、社会人の大学Uターンが普通であり、高校を出たら、まずは働きながらの社会勉強を優先させるのが習慣となっていることによる。大学の学費はまったく不要。生活費のほうは、国の用意する教育資金ローンを利用する。
 スウェーデンの消費税率は最高25%で、課税対象外、6%、12%、25%というような4段階になっている。医療関係はゼロ。6%は新聞や本、12%は食料品、25%はレストランでの食事。このように、課税が国民の痛みにならないように配慮されている。
 スウェーデンの人口900万人のうち、労働人口は380万人。うち、国・県・コミューンで働く公務員が3分の1を占める。公務員の職種のうち、最大グループはコミューンの介護職。女性によって占められており、給与が最も低い。
 スウェーデンの労働者が労働組合に加入する組織率は、きわめて高い。ブルーカラーで85%、ホワイトカラーでも75%。この10年間に、わずかではあるが労組への加入率は増えた。
 医師やその他の専門職も、独自の労働組合をつくっており、51万人の加入者があり、労働者のほとんどが加入している。
 失業しても、失業手当金は賃金の80%が支給される。
 スウェーデンでは、社会は誰のためにあるのか、最優先すべきは生活なのか、経済なのかが問われている。教育・医療・介護の3分野について、スウェーデンでは、必要ならば増税してでもこの3分野を守りぬくという国民の固い意思がある。
政治は国民の意欲のあらわれ。まことにそのとおりです。日本人も投票率80%を目ざして、医療・介護・教育の3つの分野を政治の最優先課題にしないといけませんよね。来る総選挙を、そのための一里塚にしたいものです。
 
(2005年8月刊。1700円+税)

スレブレニツァ

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 長 有紀枝、 出版 東信堂
 1995年7月、ボスニア東部の小都市スレブレニツァはセルビア軍に攻められて陥落し、その後の10日間にムスリム人男性6000人が処刑された。犠牲者は今なお埋設場所さえ分からず、その半数が行方不明のままである。第二次世界大戦以来のヨーロッパ最悪の虐殺とされている。
 著者は、この事件発生当時、日本のNGOの職員として現地に駐在していました。その時の痛苦の体験もふまえて、学術的な考察を加えて出来上がった貴重な本です。
 2007年、スレブレニツァは、国際司法裁判所(ICJ)において、史上はじめてジェノサイドと認定された。ジェノサイドには、2つの局面がある。被支配集団の国民的パターンの破壊と、支配集団の国民的パターンの強制の2つである。
 ジェノサイドの語源は、民族・部族を意味する古代ギリシャ語ジェノスと、殺害を言いするラテン語サイドを組み合わせたもの。
 ユーゴスラビアは、次のような子どもの数え唄に象徴される複合国家であった。
 ユーゴスラビアは、7つの国と国境を接し、6つの共和国(スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)に、5つの民族(スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人)が住み、4つの言語(スロヴェニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)を話し、3つの宗教(カトリック、ギリシャ正教、イスラム教)を信じ、2つの文字(キリル文字とローマ字)をつかう。だけど、一つの国なんだ。
 紛争前のボスニア・ヘルツェゴビナ共和国には、イスラム教のムスリム人(44%)、ギリシア正教のセルビア人(31%)、カトリックのクロアチア人(17%)が特定地域に偏在せず、あらゆる場所で混在しており、政治的にも物理的にも単純な3分割は不可能だった。
 ボスニア紛争時の国連軍の犠牲者117人のうち、フランス49人、イギリス25人となっている。
 メディアにおいては、ボスニア政府がアメリカの広告会社と契約を結んで、広報活動を旺盛にしたため、「セルビア悪玉説」が強い影響力をもち、そのことがセルビア人勢力を一層かたくなにさせていった。
 スレブレニツァにいた国連軍オランダ大隊430人は、3回にわたって航空支援を要請したが、いずれも却下され、セルビア軍の進攻を許してしまった。
 スレブレニツァにおけるジェノサイドの特徴は、国際社会の眼前での大量殺害の実行である。6000人にも及ぶムスリム人の殺害と遺体の埋設、時間をおいた発掘と大がかりな再埋設が組織的に実行されたことは、スレブレニツァの大きな特徴をなしている。
 犠牲者、行方不明者をかかえる遺族にとって、スレブレニツァは今もなお国際社会に見捨てられ、裏切られたという感情とともに慟哭の記憶が生々しい。
 セルビアの指導者(ムラディチ)は、スレブレニツァの陥落という予想外の事態を最大限に利用しつつ、スレブレニツァのムスリム人住民の追放を開始し、同時にムスリム兵の一掃を図ろうとした。その過程で発生した偶発的な事象の積み重ねが、ジェノサイドに発展したと推定される。スレブレニツァ・ジェノサイドは、事前の計画がなかった犯罪行為である。
 いったん発生したジェノサイドを、軍事力を行使して停止させる事には大変な困難がつきまとう。だから、ジェノサイドが発生する前の予防措置や早期の警戒が最重要の課題なのである。
 人道の敵は、利己心、無関心、認識不足、想像力の欠如にある。無関心は、長期的には弾丸と同じく、確実に人を殺すものである。
 この最後の指摘を、私たちは重く受け止めるべきですね。400頁ほどもあって、形も内容もずっしり重たい本でした。
 
(2009年1月刊。3800円+税)

ミレニアム2 火と戯れる女(上・下)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 スティーグ・ラーソン、 出版 早川書房
 スウェーデンの暗部をえぐり取る画期的なミステリー小説です。すでにスウェーデンでは第1部が映画化されているそうですので、一日も早く日本でも上映してほしいものです。上下巻の2巻を3日間、片時も離さず読みふけった、と言いたいところですが、そうもいきませんでした。それでも、3日間、片道1時間の電車がいつもよりずい分と早く目的地に着いてしまったと思わせるほど、本の世界にのめりこんでいて、時のたつのを忘れていました。目的地に着いて、なお読み終わっていないのです。そのまま喫茶店に入って、好きなカフェラテでも味わいながら、じっくり読みふけりたかったのですが、そうもいきません。何しろ、メシの種である裁判を放っぽらかすわけにもいきませんでしたし、主宰すべき会議もあったのです。それで、泣く泣くカバンの底に本を沈めて、真心を入れ替えて正業に就いたのでした。トホホ・・・男はやっぱりつらい。
 開巻有得(かいかんゆうとく)
 本を読めば、得るところがある。確かに、この本を読んで小説とはかくあるべしと思いました。いたるところに張られている伏線が、次々に生きて動きだし、話に膨らみを持たせるのです。
 容貌魁偉(ようぼうかいい)
 顔つきが大きく、立派なさま。この本でも、金髪の巨人、という男性が登場します。
 勇猛果敢(ゆうもうかかん)
 猛猛しく、大胆に事を行うさま。主人公の一人として名探偵カッレくんが登場し、大胆に犯人捜しにふみこみ、危険にさらされます。
 駑馬十駕(どばじゅうが)
 才能の乏しいものも、努力を怠らなければ、才能あるものと同じ実績をあげることができる。惜しくも若くして死んでしまった著者の才能は、まさしく天才的なものがあります。複雑に入り組んだ謎をひとつひとつ、無理なく、しかもスピード感たっぷりに解明していくのです。次の頁をめくるのがもどかしくなったほどです。私には、とてもこんな才能はありませんが、それでも、目下挑戦中の小説については、この様式を取り入れるべく、必死に挑戦しているところです。
 嚝日弥久(こうじつびきゅう)
 無駄に日をすごすこと。私も還暦を迎えた身ですので、これからは一日一日を大切にして、無駄に日をすごすことのないようにしたいと考えています。もちろん、たまに息抜きするのは当然のことです。それって、決してムダな時間の使い方ではありませんからね。
 スリラーものの性格上、この本のアラスジを書くわけにもいきませんでしたので、手元にあって日頃あまり使っていない『四字熟語辞典』をパラパラとめくり、目についたものを引用してみました。今年最大の収穫となりそうな本に出会った気がします。
 火曜日午後、一泊の人間ドッグを終えて雨の中を帰宅していると、あちこちで田植えそして田のすき起こし作業がすすんでいました。今年は雨が少なくてカラ梅雨になるのかなと心配していましたが、久しぶりに雨らしい雨が降ってくれました。
 雨に打たれて一段と美しく映えるのがアガパンサスの青い花火のような花です。紫陽花の花とは少し趣が違って、うっとうしい梅雨を心軽やかにしてくれる大好きな花です。
 
(2009年5月刊。1619円+税)

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