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カテゴリー: アメリカ

フィデル・カストロ(下)

カテゴリー:アメリカ

フィデル・カストロ(下)
著者    イグナシオ・ラモネ  、 出版   岩波新書
 キューバから27万人がアメリカに向けて脱出していった。1959年から62年にかけてのこと。これには医師、技術者などの知識人が数多くふくまれていた。その結果、キューバは専門職の欠乏に直面し、それに耐えた。彼らは、20倍も多い給料や物質的価値を求めてアメリカへ行った。キューバ政府は、教育面で甚大な努力を払うことによって専門職の欠乏に耐え、しのぐことが出来た。
 アメリカは、キューバからの不法移民を促進する法律をつくった。船や飛行機を乗っ取ってアメリカへ脱出しようとする者に、アメリカはあらゆる権利を認めている。これは犯罪を奨励しているようなものだ。逆に、アメリカ人がキューバを許可なく訪問したりすると、最高25万ドルの罰金が科せられる。それに企業がからむと、罰金は最高100万ドルにもなる。
 キューバ高官が汚職・腐敗で逮捕され、死刑に処せられた事件がありました(1989年)。そのことについて、カストロは次のように語っています。
 権力は権力だ。権力をもつものにとって、もっとも重要なたたかいはたぶん己とのたたかい、自分自身を統御するたたかいだろう。それは、恐らく、たたかいのもっとも難しい部類に属す。その高官たちは麻薬密輸業者と取引していた。コロンビアのエスコバルから海上で6トンもの麻薬を受けとってアメリカに運ぶという話だった。そして、彼らは、それがキューバに役立つと信じていた。
 この事件では高官たち4人が反逆罪で有罪となり、銃殺刑に処せられたのでした。
カーターは、カストロの知るもっとも良いアメリカ大統領だったと高く評価されています。そして、エドワード・ケネディについても、文句なしに才能のある人物だとされています。
 キューバには政党が一つしかなく、反体制派がいて、政治囚がいるという批判に対して、カストロは次のように弁明しています。
 我々は唯一の政党ではなく、世界で一党制を維持している唯一の国でもない。
チリのアジェンデとベネズエラのチャベスについて、クーデターに対する対処法のアドバイスが違っていたとカストロは語ります。
アジェンデには兵士が一人もいなかった。チャベスは陸軍の兵士と士官の大部分、とりわけ若い兵士をあてにすることが出来た。だから、カストロは、辞任するな、辞めてはならないと伝えた。
これに対して、アジェンデに対しては抵抗するよう伝えた。アジェンデは誓ったとおり、英雄的に死んでいった。
キューバには、現在、1959年当時に残っていた医師の15倍もの医師がいる。このほか、何万人もの医師が世界40ヶ国で無料で働いている。キューバ人医師は7万人いて、医学生は2万5000人いる。医学関係の学生総数は9万人にもなる。今、キューバは世界一の医療資本を築こうとしている。
 幼稚園から、9学年までの通学率は99%。生徒一人あたり教師の多さと一学級平均の生徒数の少なさは世界一だ。国が報酬を与えながら教育する制度が17歳から30歳まである。博士課程まで、誰でも一銭も払わずに教育を受けられる。革命前の30倍もの大学卒業者、知識人、職業芸術家がいる。芸術学校で2万人の若者が学んでいる。
キューバ人民の85%は住宅の所有者で、住宅に関連する税金はタダ。残り15%は、月給の10%の格安賃料を支払うだけでよい。
 キューバに行ったことはありませんが、アメリカのマイケル・ムーア監督の映画『シッコ』にも出てきましたが、キューバの医療水準は高くて無料だというのですから、日本人からすると夢のような話です。国家経済は大変ですし、決して豊かな生活を人々を過ごしているということでもないようですが、安定した生活が続いていることは間違いないところでしょう。
 キューバのカストロの話を一度聞いてみるのもいいことだと思い、紹介しました。
(2011年2月刊。3200円+税)

リンカン(上)

カテゴリー:アメリカ

著者    ドリス・カーンズ・グッドウィン  、 出版   中央公論新社
 人民の、人民による、人民のための政治。
 忘れることの出来ない、きわめて簡潔な民主主義政治を言いあらわした言葉(フレーズ)です。アメリカを二分して何十万人もの戦死者を出した南北戦争。それを引っぱっていったアメリカの大統領として、リンカン大統領ほど有名なアメリカの大統領はいません。そのリンカンは、実は貧乏な家に生まれ無名の弁護士としてスタートしたのでした。そして、意外にも大統領選挙に勝ち抜くや、それまでの政敵たちを自らの内閣の有力メンバーに取り込み、しかも相互に深い信頼関係を築き上げたというのです。オバマ大統領がヒラリー・クリントンを国務長官にしたのと似ていますね。ただ、リンカンも、軍隊の指導部の人選には苦労したようです。さまざまな派閥均衡人事が軍事作戦にプラスするとは限らないのでした。ただ、リンカンには時の運がありました。
 リンカンの容貌は、とても美男子に属するものではなかった。漆黒のもじゃもじゃ頭、しわの深く刻まれた褐色の顔、深く窪んだ両眼は、実際の年齢よりも老けこませていた。しかし、リンカンがいったん口を切ると、悲哀にみちた表情はたちまち霧散した。愛嬌のある笑顔を輝かせ、一瞬前まで悲しみで凍てついていたところに、鋭敏な知性を、心底からの本物の優しさを、そして真の友情の絆を認めることができた。なーるほど、すごいですよね。
リンカンは、人生を肯定するのに十分なユーモアのセンスと失敗からはいあがる絶大な回復力を有していた。若いリンカンに強い自信をもたせたのは立派な体格と腕力だった。明るく冴えた、好奇心の強い、そして極端に辛抱強い心根は、リンカンの持つ生来の資質だった。
 子どものころ、父親のにっちもさっちもいかない田畑で長時間はたらかされた経験のあるリンカンは、土を耕すことがロマンチックだとも気晴らしになるとも一向に思えなかった。
 当時のアメリカは、若者たちの国だった。28歳のリンカンも文化講演会で熱っぽく語った。リンカンの父親は、読み書きを一度も学んだことがなく、文字を書くといっても、自分の名前をへたくそに署名するだけだった。
 リンカンの育つ過程で最初の自信を植えつけたのが実母の愛情と支援のなせる業であったとしたら、それを後々支払えたのは、リンカンを実子のように愛した継母だった。
 1850年ころのアメリカは、人口2300万人。その大部分は田園地帯の広がる国で、人々の最大の関心事は政治と公共の問題だった。政治の闘士の第一の武器は弁舌力だ。雄弁の才能は政治の世界で成功を手にするカギだった。リンカンも幼いころから、その切り株の上に立って遊び仲間に演説しては腕を磨いていた。
 1852年に発刊された『アンクル・トムの小屋』は、1年のうちに30万部を売り上げた。リンカンは奴隷所有者を手酷く叱りつけるよりは、むしろ彼らの立場に立って共感することで理解しようと努めた。
リンカンは、努力、技量、幸運の組み合わせによって着実に地歩を固めていった。リンカンは確実に知っていること以外はみだりに口にしなかった。言葉に対する生来の細心な感受性と精確さ。また、さまざまな聴衆を前にして滅多に迎合しなかった。
奴隷制度問題だけに争点をしぼって選挙を戦っていたら、リンカンは敗北していたかもしれない。
 南北戦争が始まったとき、北部の熱狂的な連帯意識は、南部の勢力と覚悟を見くびっていた。戦争を60日以内に終結するものと予測していた。しかし、ブルラン戦での目をむくばかりのどんでん返しと壊滅的な敗走を経て、北部人たちの抱いていた勝利への容易な錯覚は霧散した。
 上巻はリンカンが大統領になるまでの苦労、そして南北戦争がついに勃発したところで終わっています。リンカンを知るって、アメリカを理解するためには不可欠なんだと改めて思いました。上巻だけで630頁をこす大作であり、読みごたえ十分です。
(2011年2月刊。3800円+税)

世界終末戦争

カテゴリー:アメリカ

著者    マリオ・バルガス・リョサ  、 出版   新潮社
 ノーベル文学賞を受賞した作家の本です。1981年に書かれていて、2段組で700頁もある大長編です。登場人物も多いし、いくつもの異なった場面が断章として次々に登場してくるので、とてもわかりにくい本です。そして、その並べ方が物語の時間とは必ずしも一致しいていないため、読者は頭のなかで行ったり来たりさせられ、まごついてしまいます。私にとっては、とてもわかりにくい本でしたが、最後に訳者は、「とても分かりやすい小説」だとしています。本当でしょうか・・・。
 それはともかく、19世紀のブラジルで実際に起きた事件を顕在とした小説なのです。
 ブラジルには人類ないし肌の色をさし示す単語が300もある。1822年にポルトガルから独立して、ブラジル帝国となり、1888年の奴隷解放をへて、ブラジル共和国となった。
 ブラジルは植民地時代から一貫して海岸部だけで成り立つ国家だった。取り残された内陸部がセルタンウ(閑地)だった。そこに、原住民と白人そしてインディオとの混血者が大多数を占め、カプクロと呼ばれる。セルタンゥ人は、最近でも1958年そして1970年に異動を起こしている。この本は、それよりもずっと以前、1897年に起きたカヌードス反乱を取りあげている。
 民衆の代弁者としてたてまつられるコンセリェイロは1876年ころにはブラジルでよく知られる存在になっていた。ブラジルは、共和制になった1893年に迫害されるようになった。
 コンセリェイロとその信者は、ジャグンソ(反徒・盗人)と呼ばれるようになった。カヌードスという町に集まり、やがて住民は3万人にもなった。そこへ、新生ブラジル共和国が軍隊を派遣して鎮圧しようとした。1896年11月、鎮圧に向かった軍隊が、信者たちに敗北して逃げた。翌年2月のモレイラ・セザル隊は勇猛の名をほしいままにした精鋭の軍隊だったが、一日で壊滅してしまった。
 このようにして一年も続いた鎮圧戦によって信者たちは敗北した。しかし、この1年間にブラジル共和国政府は、7500人もの兵員を送り込んで、そのうち2600人もの死傷者を出した。これは近代軍としては敗北に近い結果だ。
 信者軍は、現地に無能な共和国の正規軍を、あらゆる手段を駆使して徹底的に悩ませ、やっつけた。つまり、ゲリラ戦に勝った。結論はともかくとしてまるで、アメリカによるベトナム戦争を想起させる展開です。
 決して読みやすい本ではありませんが、ブラジル史に興味のある人には必読だと思いました。
(2010年12月刊。3800円+税)

「フィデル・カストロ」 (上)

カテゴリー:アメリカ

著者   イグナシオ・ラモネ   、 出版  岩波書店 
キューバのカストロが自分の一生をジャーナリストとの対話のなかで振り返っています。存命中に歴史と伝説のなかに迎えられる光栄に浴することのできる人物は、きわめて少ない。カストロはその一人であり、国際政治の舞台に残る最後の「聖なる怪物」である。
カストロは、世界でもっとも長く政権を担った国家元首だ。32歳だったカストロが当時のバチスタ政府軍を打ち破って1959年1月にハバナに入城したまさに同じ日に、フランスでドゴール将軍が第五共和制の最初の大統領に就任した。カストロは、それから、アメリカの10人もの歴代大統領と対峙した。
 アメリカは、キューバ体制の転覆を目ざして活動している組織に一貫して財政援助をしてきた。その総額は6500万ドルにもなる。2004年に8000万ドルの基金をつくり、また、2005年には240万ドルを支出した。フロリダ州内には、カストロ政権転覆を目ざすテロ組織の訓練基地があり、そこが対人テロなどをキューバに定期的に送り込まれている。アメリカ当局は、受動的ながら、これらのテロ組織と共犯関係にある。
 しかし、キューバ人の全員でなくとも大多数が革命に忠誠をちかっている。これが政治的現実である。それは愛国主義を基盤とする忠誠であり、アメリカの併合主義の野心に対して抵抗してきた歴史に根差している。
 カストロは、キューバ人を飢餓から解放しただけでなく、読み書きできないことからも、物乞い根性からも、犯罪からも、帝国主義への屈従からも開放した。
カストロが、私服を肥やすために地位を利用することのない数少ない国家元首の一人だということは、政敵の多くも認めている。
 一日の睡眠時間は4時間で、週7日間働いている。好奇心は無限で、思考し沈思し、常に警戒し、行動し、新たな闘争を開始する、永遠の反逆者である。カストロの文学上のお気に入りの英雄はドン・キホーテである。
カストロは、孤立した農村で、富豪だが保守的で教育のない両親から生まれ、選良の子弟専用のカトリック上流社会にあったフランコ派の学校でイエズス会士による教育を受け、大学の法学部でブルジョア階級の弟子と対等に付きあっていた。大学予科生のときにはスポーツマンで、最優秀スポーツマンとして表彰された。大学生になったころは政治的に無知だった。反逆精神と基本的な正義の観念をいくばくか抱いてハバナ大学に進学し、革命家になり、マルクス・レーニン主義者になった。それはいくつかの書物のおかげでもある。授業にはまったく出なかった。そして法学部の学生代表に賛成181票、反対33票で当選した。しかし、大学内では学生同士のケンカに見せかけて殺される危険が迫った。なるほど、若いときからたいした人物だったのですね。
 モンカダ兵営の襲撃要員として訓練したのは1200人で、そこで募集を打ち切った。みな若く、20~24才だった。襲撃当日はカーニバルの日だった。それを選び、夜明けと同時に制圧する計画だったので、成功するはずだった。しかし、現場で手違いが起き、結局、失敗した。
 カストロが革命戦争に勝ったのは、軍事戦術と政治戦略の両方のおかげだ。敵は相手が捕虜を殴らず、辱めず、ののしらず、とりわけ殺害しないが故に相手を尊敬する。カストロの革命軍は捕虜を拷問しないことも原則としていた。その手法は潜入して証拠をつかむというもの。肉体的暴力は有効に機能しない。敵の大物暗殺は問題を解決しないどころか、反動勢力は殺された人物を殉教者に仕立て、別の人物を後釜に据えてしまう。
大物の暗殺をせず、市民に犠牲者を出すことなく、テロの手段を行使しない。アフリカのアンゴラにキューバは5万5千人もの軍隊を送った。そして、南アフリカの侵略を食い止め、南アフリカのアパルトヘイトの崩壊にも貢献した。
カストロの語りに詳細な解説がついていて、とても分かりやすい本になっています。
(2011年2月刊。3200円+税)

フェイスブック

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著者    デビット・カークパトリック 、 出版   日経BP社
 
 エジプトをはじめとするアフリカ北部の民衆の立ち上がりはフェイスブックを手段としていると報じられています。実名で交流するソーシャルネットワークが民衆をつなぐ武器となっていることに驚かされます。
 この本は、そのフェイスブックを立ち上げ、今や26歳の若さで世界的大富豪となったマーク・ザッカーバーグを主人公としています。天才のようです。ザッカーバーグは、高校で数学、天文学、物理、古典で優等をとっていた。フェンシングチームのキャプテンでもあった。語学はフランス語、フブライ語、ラテン語、古典ギリシャ語が流暢に読み書きできる。父親は歯科医、母親は精神科医。ユダヤ人である。うひゃあ、すごいですね。信じられません。
 フェイスブックは実在する個人のアイデンティティにもとづいたネットワークである。フェイスブックのユーザーには1人あたり平均130人の友だちがいる。友だち数の上限は5000人となっている。
 フェイスブックは、グーグルに次いで世界で2番目に訪問者の多いサイトだ。5億人のアクティブ・ユーザーがいる。これは全世界のインターネット・ユーザー17億人の20%をこえる。アメリカのフェイスブックのユーザーは1億8千万人、全人口の3割以上。
カリフォルニア州に本拠を置くフェイスブックは、1400人の社員を擁し、2010年の売上高は10億ドルを超えた。
 20歳のザッカーバーグはCEOとして、断固たる決意と優れた戦略的見通し、そして少なからず幸運に助けられて、フェイスブック社の財政的支配権を完璧に握っている。ザッカーバーグは、何度となく巨額の買収申出を拒絶したのでした。
フェイスブックには毎月200億ものコンテンツが投稿される。フェイスブックはインターネット最大の写真共有サイトであり、他を大きく引き離す。ここには、毎月30枚の写真が投稿される。
ザッカーバーグは、同級生、同僚、友だちといった現実世界での知りあいとの交流を深め、スムーズにするためのツールになることを意図した。
 現実の世界で既に知りあいであるメンバー同士の情報共有のツールとして使われたとき、情緒的にも非常に強力な喚起力がある。だから、楽しみを支えることもあれば、苦痛を与えることもある。
 世界を見渡しても、これはもっともアメリカ製であることを感じさせないアメリカ製のサービスだ。
フェイスブックは75の言語で動作し、世界の人口の98%をカバーしている。フェイスブックは、市民と職員とのコミュニケーションを効果的にするツールとして規模の大小を問わず、多くの官庁に支持されてきた。
フェイスブックの社員の中核は20代である。平均年齢は31歳。会社の時価は3兆円とも4兆円とも言われ、ザッカーバーグの個人資産も6000億円を下らない。大変なIT長者です。
世の中が大きく動いていることを実感させられる本です。ちなみに私はフェイスブックを利用していませんし、今のところ利用するつもりはありません。しかし、いずれは私も利用せざるをえなくなるのでしょうか・・・?
(2011年2月刊。1800円+税)

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