法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: アメリカ

原子力、その隠蔽された真実

カテゴリー:アメリカ

著者   ステファニー・クック 、 出版   飛鳥新社
 フクシマで起こったことは、すべて既にどこかで起こっていた。
 これは本のオビに書かれている言葉です。この本を読むと、本当にそのとおりです。原子力発電所は本当に未完成の危険な、人類の手に負えるものではないことがよく分かり、改めて背筋の凍る思いをさせられます。
 この本を読んで私が心底から震えあがったのは1961年にアメリカで起きた事故です。
1961年1月、アイダホフォールズにある海岸の小型原子炉で事故が起きた。救助隊員が原子炉内に飛び込み、まず床に倒れていた2人を発見した。そして、上を見ると飛び出した燃料棒が股間から肩を貫通して天井にはりついていた。クレーンを原子炉内に入れて遺体を回収したが、遺体は放射能汚染がひどい。そこで、頭部や手足など汚染のひどい部分を切断し、ほかの放射性廃棄物とともに埋めた。遺体の残り部分は、ビニール袋、木綿布で包み、さらに鉛容器に入れたあと、黒と黄色の「放射性注意」ステッカーと一緒に銅鉄の棺に納めて厳重に密閉された。アーリントン国立墓地にある墓の前には、「原発事故の犠牲者。遺体は半減期の長い放射性同位体で汚染されているため、原子力委員会の事前承認なしに、ここから遺体を移動させてはならない」という意書きが設置されている。このように、放射線で汚染されて人間は、人生最後の儀式さえ尊厳のある形で行えなかった。
 そして、この事故は、亡くなった3人の作業員が不倫事件のあげくの無理心中だったと推測されている。つまり、安全性の裏付けのない技術であるがうえに、予測不能な人間の行動が加わると、大惨事につながるということである。
 いやはや、これは本当に恐ろしいことです。自殺願望の人間が人類を道連れにして破滅させようと考えたとき、それが容易に実現できるなんて考えただけでもゾクゾク恐ろしさに震えてしまいます。
 放射性はごく少量なら安全だし、むしろ健康に良いと主張する研究者も一部いるものの、一般に放射線量は量に関係なく健康を害するというのが長年の定説だ。
 核エネルギーの二面性とリスクは切っても切れない関係にあって、核の「平和利用」と言っても、そこから兵器転用の可能性を完全に排除するのは簡単ではない。
 核エネルギーは、その誘惑にしても危険にしても、人間ごときが扱いきれるようなものではなかった。原子力エネルギーを平和目的で開発することと、爆弾のために開発することは多くの面で互換性があり、また相互に依存する部分も大きい。
 原子力発電には核燃料が必要だが、それに関わる工程は、そのまま核兵器製造に応用できる。それが唯一にして最大の危険だ。原子炉で燃やしたあとの核燃料にはプルトニウムが含まれていて、それを分離すれば爆弾に使えるのである。
 核エネルギーによる発電が普及すればするほど、核兵器の開発が容易になる。
 ドイツ、イギリス、アメリカ、ソ連、そして日本で建設された増殖炉は、原子力業界における最大の、そしてもっともぜいたくな愚行であったことを数十年かけて証明していった。増殖炉は、冷却剤のナトリウムが漏れて爆発する危険性がつきものだ。
 1976年には20世紀末までに世界に540基の増殖炉は稼働していると予言された。しかし、現実には21世紀を迎えた時点で1基も商用サイズの増殖炉は存在しなかった。
 原子力エネルギーは、次第に経済的に割があわないという事実が明らかになった。隠れコストと未知の負債があまりにも大きいためだ。さらに、原子力の「終末過程」の問題があった。廃棄物、再処理、廃炉とそれらの費用である。
 原子力産業とその関連する学者、科学者は自分たちの利益とその生活のために真実を隠蔽してきたことをすっかり暴露した本です。でも、面白がっているわけにはいきません。日本政府は、3.11から1年になろうというのに、早々と「収束宣言」を出して、原発の再稼働を企んでいるのですから・・・。
 こんな狭い日本の国土に原発なんて一つもいりません。電力不足なんて、まったくの口実ですし、電力不足がもし本当だったとしても、その不便のほうが生命と健康を奪われるよりは断然ましです。ご一読をおすすめします。
(2011年11月刊。2300円+税)

オバマも救えないアメリカ

カテゴリー:アメリカ

著者   林 壮一 、 出版   新潮新書
 鳴り物入りで登場した変革のヒーロー、オバマ大統領も、人気は今ひとつですね。
 それにしても、アメリカの保守層がオバマ大統領を批判(非難)するとき、オバマは社会主義を目ざしているというのだそうですから驚き、かつ呆れてしまいます。
 国民皆保険がその典型です。アメリカで病気になったら、金持ちは世界最高水準の医療を受けられます。しかし、中間層より下は下手すると自己破産に追い込まれるという苛酷な社会です。ヨーロッパや日本のように国民皆保険を目ざすと、それだけでアカのレッテルを貼られて、社会的に葬り去られてしまうというのですから、とんでもない国です。なんでも自由競争にしてしまえ、なんていう国には絶対に住みたくありません。だから、私はTPPにも反対なのです。
テレビは中身のない薄っぺらな番組が圧倒的だ。哀しいかな、大衆はテレビの映像を容易に信じる傾向にある。だから、大統領選挙においては、いかにテレビの映像で己を演出して票を獲得するかがカギとなる。
 アメリカの内部デトロイトでは卒業証書を手にするのは4分の1にすぎない。全米50州のすべてが高校卒業までを義務教育としているのに・・・。
 デトロイトのホームレスは、住民50人に1人の割合に及ぶ。少なく見積もっても、
1万9000人が雨露を防ぐために廃屋を回って寝場所を探している。貧しさは犯罪を生む。デトロイトの殺人事件は全米平均の5.16倍。放火にいたっては、6.34倍。2007年のデータによると、米国全土のホームレスは74万4000人。ラスベガスでは1万2000人が街をさまよっている。
 貧富の差が拡大する一方のアメリカでは、多くの人々が貧困にあえいでいます。アメリカン・ドリームなんて、夢のまた夢。日本人は、こんなアメリカを手本にしてはいけませんよね。
(2011年6月刊。700円+税)

アフガン諜報戦争(下)

カテゴリー:アメリカ

著者  スティーブ・コール 、 出版  白水社
 アメリカがウサマ・ビンラディンを拘束・殺害する計画というのは、昔から、あの9.11より前からあったのですね。CIAの公式計画になっていたのです。それは、遅くとも1996年から始まっています。
 CIAは、1997年にはビンラディンがときおり滞在する住居を知っていた。それはオマル氏が用意したカンダハル市内外の屋敷だった。
 ワシントンは1998年、ビンラディンを捕獲する計画の構想を承認した。ビンラディンを捕まえたら、アフガン南部の洞窟内に3日間拘束する計画だった。カンダハル空港の近くにあるビンラディンの農場を襲撃する計画をCIAは立案した。ところが、実施直前、ぎりぎりのところで、クリントン政権はこの計画を放棄した。
 1998年8月、アフリカのケニア(ナイロビ)とタンザニア(グルエスラサーム)で自爆攻撃があり、アメリカ人を含めて数千人の死傷者を出した。この事件の背後にビンラディンがいる可能性は高いとCIAは分析した。
 CIAの任務はアメリカへの奇襲攻撃を防ぐことだった。そのために何千人もの分析官などが仕事をしていた。
 諜報の泥沼のなかに不気味なパターンが見えた。その一つは、ビンラディンの工作員たちが航空機に関心をもっていることだった。また、ビンラディンがアメリカ本土での攻撃を計画していることが次第に明らかになっていた。CIAが世界規模で活動を強化したにもかかわらず、盗聴からも取り調べからもハンブルクを拠点とする4人のアラブ人が密かにアフガニスタンを出入りしていたことはつかめなかった。
 数年間にわたる努力にもかかわらず、CIAはアルカイダの中核指導部に一人もスパイを獲得できなかった。
 ビンラディンは徹底的で実践的な安全対策をしていた。電話の使い方も用心深かった。身の回りの護衛にはアフガン人を入れず、旧知の信頼できるアラブ人だけを使っていた。絶えず移動ルートを変え、同じ場所に長く滞在せず、行動計画はないリンのアラブ人以外には誰にも明かさなかった。
 CIAの情報源とスパイは主にアフガン人で、ビンラディンの中核指導部にいる護衛と指導グループによって隅に追いやられていた。
 CIA工作員は、ビンラディンの保安上の弱点は、数人の妻たちにあると考えていた。
 ホワイトハウスが国防総省にビンラディンを攻撃し拘束する作戦立案を初めて依頼したのは1998年秋のこと。
 2001年春、CIAのビンラディンに関する脅威報告は、テロ対策センターがめったに見たことがないレベルにまで格上げされた。ビンラディンのチームがアメリカにカナダから爆発物の密輸を試みているという報告を得た。
 8月6日。「ビンラディン、アメリカ攻撃を決意」、これがブッシュ大統領に対する朝の報告の見出しだった。
「我々はもうすぐ攻撃されるだろう」国防総省のテロ対策会議での発言である。
 ハイジャック犯たちの資金は、アラブ首長国連邦に住むアルカイダ関係者から送金されていた。
 CIA最大の凡ミスは、テロ対策センターが2000年の前半にアメリカのビザを所持するアルカイダ支持者2人の存在を知りながら、監視対象者リストに乗せそこなったこと。
 9月9日、アフガニスタンでカメラマンに化けた暗殺者の自爆テロによってCIAと連絡していたマスードは殺された。
 この部厚い本を読むと、アメリカ(CIA)はビンラディンの住所を追い、その動きを一貫して警戒していながら、9.11を防ぐことが出来なかったというわけです。なんだかむなしくなります。テロ防止には武力(軍事力)だけではダメだということを改めて思い知ったような気がします。
(2011年9月刊。3200円+税)

プレニテュード

カテゴリー:アメリカ

著者  ジュリエット・B・ショア 、 出版  岩波書店
この本を読んで一番おどろいたのは、次の一節です。
衣料品は、今や一着いくらではなく、一ポンド(450グラム)の山が1ドルといった低価格で購入される。ええーっ、そうなんですか・・・。そう言えば、私の町にもアメリカの古着を安く、大量に売っている倉庫のような大型店舗があります。
西洋では、衣料品は生産が高くつき、何世紀にもわたって高価で基調な商品だった。いったん作られると、衣服はさまざまに用途を変えながら、長期間つかわれてきた。
 今のアメリカでは、事実上無価値な衣料品を文字どおり山積みにしている。消費システムは、作られた製品をほとんど瞬間時に不要にする。衣料品の山ができたのは価格の急速な下落があったから。頻繁に買うことは、衣料品全体のあり方を変えることになった。数年単位で比較的ゆっくりと変化するデザインから、刻々と変化する流行を特徴とするファッションへの転換があった。
今や、おしゃれではなくなっているという理由だけでモノを捨てることが出来る。そういう浪費する余裕があることを顕示するために、私たちはファッションを喜んで受け入れている。ファッションは、ある程度は軽率さへの受であり、少なくとも必要からの逃走である。
 私自身は衣料品を店で買うことがほとんどありませんが、衣料品を一山いくらで買うという発想にはショックを受けました。現代の浪費はここまで来ているのですね・・・。
 衣料品の廃棄物が劇的に増加している。古着産業は10億ドルをこえる。
 コンピューターはペーパーレス社会を実現すると考えられていたが、現実には、アメリカの1人あたりの紙の消費量は1980年から増加し、2005年には300キロ近くになって世界最大となった。世界人口の4.5%を占めるアメリカが紙消費の3分の1を占めている。
 私たちは、ただならぬ時代に生きている。現代の消費ブームは歴史的に異常である。減少すると予測されていたモノの移動は、加速された。これほど多くの人が、これほど短期間に、これだけたくさん買ったことはなかった。しかし、どんなドンチャン騒ぎにも終わりがある。
アメリカの平均的な労働者は2006年には1979年より180時間も多く働いている。働き過ぎている労働者は、ストレスレベルがとても高く、身体的な健康状態も悪く、うつ病にかかる割合も高く、身の回りのことを自分でできる能力も低い。
 アメリカの、あまりにも営利を追求する民間会社主導の健康保険制度は崩壊しつつある。アメリカ企業は、めまいがしそうな勢いで労働者を削減している。2009年10月までに800万人の雇用が失われ、勤労者の6人に1人が失業者か半失業者と化した。私たちは生産性の伸びを利用し、各仕事にともなう労働時間を削減する必要がある。こうすることで、企業は人員をレイオフすることなしに革新を行い、売り上げ減を緩和し、需要が拡大したときには仕事を増やすことが出来る。
 時短は富を生み出し、富を共有する解決策なのである。時短の前進に再び取り組まなければ、少なすぎる仕事に労働者が押し寄せて、失業が増えるだろう。
 いったい何が幸福度を高めるのか。より多くの時間を家族や友人たちとともに過ごすこと、より多くの時間を親しい人との関係のために使うこと、食事やエクササイズにもっと時間をかけること。自然そのものも幸福の源泉である。
 この本のタイトルであるプレニテュードとは聞き慣れない言葉ですが、豊かさのことです。
 豊かさには4つの原理がある。第一は、新たな時間の配分。第二は、自分のために何かを作ったり、育たり、行ったりすること。第三は、消費について環境を意識したアプローチをすること。第四は、お互い同士と私たちのコミュニティの投資を回復させる必要性。
 豊かさに関する個人の原理は、労働と消費を減らし、創造と絆を増やすことである。これは、エコロジー的利益と、楽しみと健康を増やすと言う人間的利益を生み出すものでもある。
 この本のあとがきに、本のタイトルをどうするか悩んだと書いてあります。たしかにプレニテュードなんて書かれても何の本だか、まるで見当もつきません。内容がとてもいい本なので、やっぱりタイトルは変えてほしいものだと思いました。むしろ、サブタイトルである「新しい〈豊かさ〉の経済学」というほうが、私をふくめて一般にピンとくるし、読んでみようかなと思わせると思います。やっぱり本は読まれなくてはどうにも仕方ありません。本のタイトルは大切です。
この本も訳者の一人である川人博弁護士より贈呈を受けました。いい本をありがとうございました。
(2011年11月刊。2000円+税)

検証・チリ鉱山の69日、33人の生還

カテゴリー:アメリカ

著者  名波 正晴 、 出版   平凡社
 2010年8月5日、チリ鉱山の落盤事故によって坑底に閉じ込められた33人の鉱夫が
17日後、その全員の生還が確認され、69日後の10月13日に全員が地中から救出された。
 この感動的な出来事は忘れることができません。この事故の関係で読んだ本の3冊目になります。
 世界一の生産量を誇る銅鉱山分野で、政府とコデルコは一糸乱れぬタッグを組んだ。劇場さながらの舞台で涙の再開を実現し、これを全世界に生中継するという巨額を投じた演出が仕組まれた。
 鉱山では何が起きるか分からない。ヤマは生き物だ。
 33人で飛び込んだ地下700メートルの避難所の周辺は不衛生なサウナのようだった。しかし、空気は循環し、坑道には空気が流れていた。避難所周辺では2,6キロほど自由に身動きがとれた。ただし、ケータイ電話の電波は圏外だった。
意思決定は33人の総意で決める。33人は誰もが対等な発言力をもった。絶対的なリーダーはいなかった。
幸いにも33人の多くが太っていた。体脂肪を分解させることで、3週間程度の生存は可能とみられていた。
誰も独りにさせてはいけない。坑道に独りで向かう者がいたら、数人が同行した。自ら命を絶つことがないように。自殺者を出すことは、「生き抜く」という共通の目的をもった共同体の帰属意識を揺るがし、組織が互解する。共同体が崩壊し、後に続く者も出るだろう。一人だけの死ですむはずがない。
 このころ、チリのビニエラ大統領は政治的な行き詰まりを打開する策を手探りしていた。ビニエラ大統領は、政治的な得点を上げられないなかで、サンホセ鉱山の落盤事故への対応を迫られた。ビニエラ大統領は勝負に出た。鉱山の所有企業から管理権を剥奪し、政府の支配下に置いて国が矢面に立つことを選択した。なによりビニエラ大統領をサンホセ鉱山に向かわせたのは、大統領の有権者との連帯感の薄さ、自身の政治資産の乏しさだった。33人の生存が確認された8月22日以降は、チリ政府が表舞台に立ち、鉱山国家の威信をかけた救出作戦の準備と助走が始まった。
 要点は、救出計画の立案と技術的な調整、それに33人の心身の健康管理だ。失敗は許されない。昼夜の区別をつけるよう、発光ダイオード(LED)の照明装置が地下に送り届けられた。間違った希望を与えるな。救出時期についての楽観的な見通しは禁句となった。救出時期は一度たりとも先延ばしされることなく、常に前倒しされていった。
33人を3つのグループに分けて、8時間ごとの労働を割りふった。ビニエラ大統領は、異なった技術を用いて、複数の救出戦略を立案するよう注文した。常にバックアップを用意せよということ、最終的に3つの縦穴を掘ることが決まった。完成まで3~4ヶ月かかる。
 政府は当初から相当なサバを読んでいた。水増しして日程に余裕を持たせていた。これは救出日程が遅れた場合に備えた保険だった。
救出用カプセルは引き上げる過程で左右に揺れて10回以上は回転する。めまいや血圧上昇を防ぐため、救出の6時間前から食事は流動食に切り替え、ビタミン剤が投与された。33人は連日20分以上のエアロビクスで体調を整えるよう指示された。
 カプセルで救出された作業員がテレビの前で体調不良を訴え吐しゃ物にまみれてしまうのではないかと当局は本気で心配していた。それでは生中継のショーが台なしになるからなのです。
 結局、救出費用は総額16億円(2000万ドル)作業員一人あたり60万ドルかかった。
 政府、とりわけビニエラ大統領の大きな政治宣伝につかわれたというわけです。それでも、33人が無事に救出されて本当に良かったと思います。地上に出てから、今も大変な思いをしている人が少なくないようですね。元気に過ごしてほしいものです。
(2011年8月刊。1900円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.