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カテゴリー: アジア

サイゴン・ハートブレーク・ホテル

カテゴリー:アジア

著者   平敷  安常、 出版   講談社
 
 私の学生時代はアメリカによるベトナム侵略戦争反対を叫ぶ日々でもありました。同世代のアメリカの若者が、あのブッシュ(息子)もクリントンも徴兵の対象となりましたが、二人ともベトナムには行かずにすませました。しかし、ベトナムの人々は逃げようがなく、戦わざるをえませんでした。だから、大変な犠牲者を出しています。私は今でも、ベトナム戦争はアメリカの帝国主義という誤った政策のために起こされた無用な侵略戦争だったと考えています。このベトナム侵略戦争でトクしたのはアメリカの軍需産業と、それに結びついた支配層だけだったのではないでしょうか。
 ベトナム侵略戦争の実態を報道するため、たくさんの日本人記者がベトナムに渡り、果敢に取材活動をして、多くの有能な記者が生命を落としました。著者は、同僚として、それらの亡くなった記者をふくめて、当時を思い起こし、現在を記しています。
 PTSDの治療法は難しい。薬や手術ではなかなか治せない病で、家族や仲間と協力して精神治療を受ける。過去の思い出や忌まわしい記憶の世界に一人で閉じ籠もってはいけない。その悲しい、苦しい、心を痛めている記憶を皆で分けあうことも治療法の一つだ。自分が経験した戦争を克明に回想し、記録していくことで、ベトナム戦争症候群を治していく。なーるほど、そうなんですね。
 男は一生のうちで三つのことを成し遂げなければならない。一本の木を植え、一軒の家を建て、一冊の本を書け。たくさんの本を書いてきた私ですが、実は、まだ一冊の本を書いたという達成感はありません。でも、目下、それに挑戦中です。
 ベトナムにいる日本人記者の優れた報道姿勢やその能力は、アメリカやヨーロッパから来た記者たちから一目置かれていた。質の点で高いと言われていた。
1975年4月29日。サイゴン陥落の前日、サイゴンにあるビルの狭い屋上にアメリカ軍のヘリコプターが着き、非常階段を上り詰めた多くの人々が救助される有名な写真がある。これはアメリカ大使館の屋上から脱出するシーンという説明だったが、実は大使館ではなく、CIAのスタッフや家族の住む宿舎となっている建物だった。一度流れたクレジットの訂正は容易なことではない。
 ベトナム戦争がベトナム人民にとってアメリカによる侵略戦争であったからには、国を愛する人々がスパイになるのも当然のことです。アメリカ軍とその同盟軍としてのベトナム軍に多くのスパイが存在し、活動していました。解放区の村の賢い子どもが送り込まれて南ベトナム空軍のパイロットになり、ついには大統領官邸に爆弾を落としたという実話も紹介されています。そして、日本人記者に協力していた人のなかにもスパイが何人もいたようです。
ベトナム戦争の現実を知るため、私も、学生のころ必死で新聞を読み、本にあたりました。そのころ読んだベトナム関係の本は今も全部手元に残していますが、段ボール箱には収まらないほどです。
そのころ現役で活動した記者だったみなさんが引退しつつあるなかで、貴重な記録となっている本です。
(2010年12月刊。2600円+税)

必生・闘う仏教

カテゴリー:アジア

 著者 佐々井秀嶺、 集英社新書 出版 
 
 すごい本です。日本人の僧がインドに渡り、今やインド国籍も得てインドで仏教復興運動のリーダーになっているというのですから・・・・。
著者は3回も自殺を試みています。もちろん、みな未遂に終わったので、今日があるわけです・・・・。1回目は、1953年ですからまだ18歳です。太宰治を愛読し、女性問題で悩んだあげく、青函連絡線に乗って海に飛び込もうとしたのです。そして、大菩薩峠でも自殺を試みました。さらに、乗鞍岳に登って、自殺を図ったのですが、寒さのなかで助けてくれーと叫んだのでした。いやはや、この本は、今や大変な高僧となった著者の人間像がかなり赤裸々に描かれています。
不惜身命(ふしゃくしんみょう)とは、他者の幸福のため、みずからの命を惜しまず、力を尽くすこと。
柔和忍辱(にゅうわにんにく)とは、他者の笑顔を守るため、みずから笑顔を絶やさず、屈辱にも耐えること。
著者は、アンベートカル博士を心から慕っています。
 アンベートカル博士こそ、13世紀にムガール帝国による大虐殺によってインド史の表舞台から姿を消したインドの仏教を現代に復活させた正法弘宣の大導師である。
 このアンベートカル博士は、1891年に不可触民階級のマハール(雑役)カーストに生まれた。ガンディーは、不可触民は神の子であると主張したが、アンベートカル博士は、これに強く反対した。人間は皆ひとしく平等であるというのなら分かるが、不可触民だけを神の子と呼ぶのはおかしい。ましてや、その神がカースト差別をするヒンズー教の神の子、総称「ハリ」というのは支離滅裂もはなはだしい。このように主張して、1956年10月、アンベートカル博士は、30万人の不可触民と共にヒンズー教から仏教への集団大改宗を挙行した。
仏教は不殺生が基本なので、その闘いは非暴主義に立つ。しかし、不当な暴力を前にして、それをただ受け入れるだけでは、相手の殺生罪を容認したことになる。そうならないためには、あらゆる手段、たとえば言論活動をはじめ、署名運動、抗議デモ、座り込みなど非暴力の闘争を展開する。それが不殺生(ふせっしょう)の闘いなのだ。非暴力を貫くためには、自己犠牲をふくむ必要最小限の力の行使をみずから選択しなければいけないこともある。
それにしても、日本人がまさしく生命をかけてインドの広大な大地を仏教再興を願って日夜かけずりまわっているのです。たいした仏教家です。驚嘆しました。 
(2010年11月刊。700円+税)

ハーフ・ザ・スカイ

カテゴリー:アジア

 著者 ニコラス・D・クリストフ、 英治出版 
 
 世界のなかで女性の実情と展望を語った本です。そこで明らかにされる実情はあまりに暗く、悲惨です。読みすすめるのが辛くなる本でした。それでも勇気をふるって最後まで読み通したのですが、最後に元気の出る話があって少しは救われた気になりました。
逆説的なことだが、強制売春の数が飛び抜けて多いのは、インド、パキスタン、イランといった、もっとも束縛が強く社会の性規範が保守的な国々である。こうした社会では、若者はめったに恋人と寝ることはなく、売春婦で性的欲求を満たすことが容認されている。上流階級の少女は純潔を守り、若者は売春宿で満足を得るというのが社会の暗黙の了解になっている。
売春宿には、ネパールやバングラディシュ、インドの貧しい村から人身売買された奴隷の少女が送られてくる。19世紀の奴隷制との最大の違いは、現代の多くが20代後半までにエイズで死亡すること。
オランダは、2000年に、それまでずっと黙認されてきた売春を公式に合法化した。売春婦に健診と労働チェックを実施することによって未成年者と人身売買犠牲者の売春業への流入を阻止しやすくなると考えたからだ。
 スウェーデンは、1999年に逆のアプローチをとった。性サービスを買うことを処罰の対象とした。売春婦が身体を売ることは処罰の対象とはしなかった。これは、売春婦を犯罪者というより、被害者だと見ることにもとづく。その結果、スウェーデンでは、売春婦は5年間で41%も減り、セックス料金も下落した。
 オランダでは、非合法の売春婦は増え、性感染症やHIVも減ってはいない。
 難しいのは少女を売春宿から救い出すことではなく、売春宿に戻らせないこと。売春宿の多くの少女は、メアンフェタミン依存症になっている。
多くの売春婦は、自由に行動しているわけでなく、奴隷にされているわけでもない。その両極端のあいだのどこか、どちらともつかない世界の中に生きている。
人が神の名の下に行うことで、初夜に出血しなかったという理由で少女を殺すほど残酷なことはない。国連人口基金は、毎年5000件の名誉殺人があると推定する。名誉殺人の逆説は、もっとも厳格な道徳的掟をもつ社会が殺人という最大の反倫理的ふるまいを許容するところにある。
WHOは、2005年に、53万6000人の女性が妊娠中または出産で命を落としたと推計している。妊産婦の死亡の生涯リスクは、貧困国では欧米より1000倍も高い。ところが貧困国でも妊産婦死亡率の高さは不可避というわけでもない。スリランカでは女性の89%が読み書きできることが妊婦による死亡率を低めている。スリランカを見れば、妊産婦の死亡率を低下させるためには、家族計画、結婚を遅らせること、また蚊帳も役に立つことが分かる。
就学率を高めるうえで費用対効果の高い方法の一つは、寄生虫の駆除だ。寄生虫は年に13万人を死亡させる。貧血や腸閉塞が主因であり、貧血は月経(生理)のある少女に影響を与える。高校に通う少女を増やすためには生理(月経)の管理を手助けすること。
ルワンダは、コスタリカやモザンビークと同じように、国会の全議席の3分の1を女性が占める。アフリカでもっとも腐敗が少なく、成長がもっとも速く、最良のガバナンスをもつ国である。
 ルワンダで起きた大虐殺の結果、人口の7割を女性が占めた。国は女性の動因を余儀なくされた。男性は虐殺で信用を失った。女性のほうが虐殺への関与が少なく、殺人罪で投獄された加害者のうち2.3%しか女性はいなかった。女性のほうが責任感があり、虐殺行為に傾きにくいという認識が虐殺後に広く確立し、女性にいっそう大きな役割をまかせる用意が国全体に出来上がっていた。
 日本の株式市場で、女性社員の割合ももっとも高い企業は、もっとも低い企業と比べて50%近くも業績がいい。それは、女性を昇進させるほど革新的な企業はビジネスチャンスへの反応でも一歩先んじている。経済を活性化させたいなら、人材の金脈を埋もれさせ開発せずに放っておく手はない。
アメリカでは、今、ハーバード大学、プリンストン大学、マサチューセッツ工科大学などの学長が女性である。このほか、フォード財団とロックフェアー財団の会長も女性だ。
全世界の人口の半分を占める女性を活用してこそ地球は救えるという呼びかけがなされています。私も賛成します。いろいろと考えさせられることの多い本でした。
(2010年10月刊。1900円+税)

バンコク燃ゆ

カテゴリー:アジア

 著者 柴田 直治、 めこん 出版 
 
 タックシンと「タイ式」民主主義というサブタイトルがついています。著者は朝日新聞社の前アジア総局長で、タイにも駐在していました。私もタイのバンコクには一度だけ行ったことがあります。微笑みの国、仏教徒の多い寛容な国というイメージをもっていましたが、実はなかなか政争の激しい国なんですね・・・・。
 バンコクには3万2000人の日本人が住んでいる。これは外国の首都の中では一番である。タイに進出している日系企業は7000社。小中学生2500人の通う日本人学校は世界最大級の規模だ。タイを訪れる日本人旅行者は毎年120万人ほど。私の依頼者の一人が長期出張で今バンコクにいて、裁判手続を目下のところ見合わせています。先日、インターネット電話で話しましたが、声は鮮明ですし、料金もかからないというので驚きます。
 タックシンは、タイの憲政史上、最強の政治家であり、歴代宰相のなかできわめて特異な存在である。タックシンは1949年生まれですので、私と同じ団塊世代。
タックシンは警察士官学校に進んで、キャリア警察官になった。そして、警察官のかたわらケータイ電話を扱う企業を起こして成功し、警察を退職。途上国では給料が安いから公務員の副業はあたりまえのこと。
 タックシンが本気で貧富の格差是正を考えていたとは思われない。持てる層から税を取るということはしなかった。タックシン自身が「持て」側の代表だったから。貧困層や農村部への施策は、より少ないコストでより多くの票を集める手段と考えていたのではないか。タックシンは、直接的な収賄をする必要がないほど金を持っていた。そして、タックシンの経済政策の相当部分が自分自身の利益に直結していた。
 都市中間層や教育のある人々のなかにタックシンを生理的に嫌う雰囲気がある。それは、敵とみると逃げ道を残さずに痛めつける攻撃性、資金の豊かさや権力の強大さを隠そうともしない傲慢さがタックシンにはある。都市中間層からすれば、タックシン政権の貧困削減策は、単に人気とりのばらまき政策であり、都市部のインフラ整備などに回すべき政府資金=自分たちの納めた税金が浪費されているという認識である。逆に、貧困層や地方の農民にとっては、タックシン政権は初めて彼らに目を向けてくれ面倒をみてくれた政府だった。
 タックシンは軍事費を削り、将軍クラスが握る闇の利権にも手をつけた。それで、軍の中に大きな不満を生んだ。クーデターの大きな要因は、「軍の都合」である。クーデターの後、軍事費は2倍以上となった。膨張した予算をもとに、将軍たちは兵器リストをつくってショッピングに励んだ。タイの軍は、戦闘集団というより、官僚組織や利益擁護集団の色彩が強い。
 日本政府はタックシンには冷たく、クーデターを起こした軍には温かった。これも、いつものように日本は利権を優先させるわけなのですね。タイの表玄関のスワンナプーム国際空港の総工費1550億バーツのうち730億バーツを円借款でまかなった。日本の援助としても最大規模。ターミナルビルも、日本企業中心の共同体が受注した。
 タイのメディアは裏を取って確認する習慣がない。うへーっ、これって怖いですよね。日本のマスコミがそんなにすぐれているとは思えませんが、少なくとも裏を取ろうとはしていますよね・・・・。
 タックシン政権は、いろいろのグループから構成された。そのなかの有力な集団の一つは、1970年代に学生運動に没頭した活動家たちだった。だから、反対派は、その点をっとらえて、「反主制」というレッテルを貼りたがる。
 タイ騒動の内情をつぶさに知ることの出来る本でした。
 
(2010年9月刊。2500円+税)

西太平洋の遠洋航海者

カテゴリー:アジア

 著者 B・マリノフスキ、講談社学術文庫 出版 
 
 戦前の1922年に出版された本です。ニューギニア諸島の風習がよく観察されています。呪術の本質は、人の善意に仕えるものでもなければ、また悪意に仕えるものでもない。ただ単に、自然の諸力を制御するための想像上の力である。
著者はニューギニアに住み込んで観察しました。そして、次のように述べています。
 村を歩きまわって、いくつかの小さな出来事、食事のとり方、会話、仕事の仕方などの特徴ある形式が繰り返し目にうつったら、すぐにそれを書きとめるべきだ。印象を書き集め整理するという仕事は、早いうちに始めるべきだ。なぜなら、ある種の微妙な特色ある出来事も、新鮮なうちは印象が深いけれど、慣れてしまうと気づかなくなってしまうから。他方、その地方の実態を知らないと気がつかないこともある。
 海外に出かけたとき、初めての印象を記録しておくのはとても大切なことだというのは、私の実感でもあります。二度目には、目が慣れてしまっているため、かえって見落とすことが多いものなのです。
 ニューギニアでは、信じがたいほど幼いうちに性生活の手ほどきを受ける。成長するにしたがって、乱婚的な自由恋愛の生活にはいり、それが次第に恒久的な愛情に発展し、その一つが結婚に終わる。こうなるまで、未婚の少女は、かなり好きなことをする自由をもつと一般に考えられている。
 集落の少女たちは、群れをなしてほかの場所に出かけていき、そこでずらりと並んで、その土地の少年たちの検査を受け、自分を選んだ少年と一夜を共にする。また、訪問団が他の地区からやって来ると、未婚の少女たちが食物を持ってくる。彼女たちは、訪問客の性的欲求を満足させることも期待される。
 これって、日本でも昔、同じことがあっていたようですよ・・・・。
普通の生活でも、不義密通は絶えず行われている。とくに畑仕事や当易のための遠征のように、ことが目立たないとき、または部族のエネルギーと注意が作物の取入れに集中しているときに、ひどい。
 結婚は、私的にまた公的な礼儀をほとんどともなわない。女は夫の家に出かけていき、一緒になるだけ。あとで一連の贈物交換があるが、これも妻を買うお金と解釈することは出来ない。
 妻の家族の側が贈与しなくてはならないこと、それも家庭の経済にひびくほどにすること、さらに、妻の家族は夫のためにあらゆる奉仕をすることが重要な特徴になっている。
結婚生活では、女性は夫に忠実であることを期待されるが、この規則はそれほど厳密に守られもしないし、強要もされない。あらゆる点で妻は大きな独立を保有していて、夫は妻を尊敬の念をもって手厚く遇さなければならない。もし、そうしなければ、妻は夫をおいて実家に帰るだけのことである。夫は、贈物や説得によって妻を取り戻そうとする。しかし、もし妻がその気なら、永久に夫を捨てることが出来るし、結婚する相手は、いつでも見つかる。
 部族生活のなかでの女の地位は非常に高い。畑仕事は女たちの受け持ち(義務)であると同時に特権でもある。
クラとは、部族間で広範に行われる交換の一形式である。一つの品物は、常に時計の針の方向に回っている。クラの品物の移動、取引の細部は、すべて一定の伝統的な規則と習慣によって定められ、規制されている。クラの行事は、念の入った呪術儀礼と公的な儀式をともなう。腕輪と首飾りという二種のヴァイグァを交換するのがクラのおもな行為である。どの財宝も、一方向にのみ動き、逆に戻ることなく、また、とどまることなく、一周するのに原則として2年から10年くらいかかる。
 有力者のしるしは富めることであり、富のしるしは気前のよいことである。気前の良さは善の本質であり、けちは最大の悪である。
 過去将来を通じて、食物の量の多いことが、一番の重大事である。おれたちは食うだろう。吐くまで食うだろうというのが、ごちそうのときの喜びをあらわす決まり文句である。
20世紀はじめのニューギニアの風習がよく分かる本です。ところ変われば品変わる、ですが、女性の地位など、現代と共通するところもあるように思いました。
 
(2009年2月刊。1600円+税)

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