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カテゴリー: 社会

団塊世代の2万2千日

カテゴリー:社会

著者:江波戸哲夫、出版社:リベラルタイム出版社
 団塊世代の私にとっては、なつかしい話のオンパレードです。
 紙芝居なんて言っても、いまの若い人には何のことか分からないでしょうね。もっとも、最近、私の知人でもある政治家(まだ候補者でしかありませんが・・・)は、パワーポイントの映像を電気紙芝居だなんて言っています。
 近くの空き地に紙芝居のおっちゃんが来たとき、親の考えから小づかいをもたされなかった私は、買い食いを許されず、はるか遠くで眺めて指をくわえていたのでした。もちろん、紙芝居のおっちゃんはアメなどを買ってくれる子どもだけを対象にして紙芝居を演じたのです。「黄金バット」など、ハラハラドキドキの冒険物語が語られ、佳境に来たところ、ハイ、このあと次回のお楽しみ、となってしまうのです。よく出来ていました。
 わが家にテレビが登場した日もよく覚えています。それまでは、内風呂があるのに、近くの銭湯に出かけました。銭湯に入らないとテレビを見れないのですから、仕方ありません。大勢の子どもたちで満員盛況でした。「怪傑ハリマオ」とか「月光仮面」に胸おどらせました。
 高校に入り、そして大学では学園紛争の洗礼を受けました。『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)が、1968年の東大闘争を刻明に再現しています。なーるほど、そういうことだったのか、と思う状況の日々が詳細に語られているのですが、そんなことは思い出したくもないという人が意外に多いようで、さっぱり売れていないとのことです。
 でも、自分たちの通り過ぎてきたことを一度はふり返ってもいいんじゃないかしらん、と私は思います。もう、あれから40年たちました。既に現代史のなかに入った出来事なのです。
 この本を手がかりに、団塊世代が自分たちの生きてきた時代を大いに語ってもいいように思います。『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)について、先日、西日本新聞の書評ページに小さく紹介されていましたが、ぜひ、買って読んでみてください。
 庭のチューリップが1本だけ黄色い花を咲かせています。第1号です。これから続々と咲いてくれると思います。
 デパ地下でアスパラガスを買いました。珍しいことに佐賀産のホワイトアスパラガスもありました。アスパラガスを食べると春を実感します。わが家の庭のアスパラガスはまだ芽を出してくれません。
 登山用品店で登山靴を買いました。親切な店員さんから、靴のはき方、歩き方を教えてもらいました。かかとを地面につけてヒモを結ぶ。歩くときは地面に足を押しつけるように歩くということです。春ののやまを歩くのも楽しいですよね。
(2008年2月刊。1800円+税)

貸し込み

カテゴリー:社会

著者:黒木 亮、出版社:角川書店
 オビには、モラルなき銀行の実体を暴く超一級の経済ミステリ、と書かれています。脳梗塞患者への過剰融資、書類偽造、元上司の偽証・・・。濡れ衣を着せられた元行員が、組織悪に敢然と立ち向かう。
 いやあ、銀行マンって、ホント、大変な職業なんですね。バンカー、とも呼ばれますが、この本を読むと、なんだか気の毒になるほどダーティー・ワークをさせられるようですね。とりわけ、アンダーワールド(要するに暴力団、ヤクザ)とのつきあいは、大変だろうと思います。
 岩淵頭取は、周囲との調和を図るあまり、実行力に欠けた。個々の案件の問題点を指摘されると、妙に物わかりが良くなって、引き下がってしまうことが多かった。しかし、多少の波風を立ててでもリーダーシップを発揮してほしかった。頭取として成功しなかった理由の一つは、そこにあった。
 アメリカにはディスカバリー(証拠開示)という制度があり、訴訟を提起したら、原告は被告側の文書を広範囲に閲覧し、被告側の役員や従業員に対して質問する権利が認められている。ディスカバリーの対象は、企業の文書にとどまらず、従業員が別に保管している文書、Eメールや会議の非公式メモなど関連するすべての文書に及ぶ。
 しかし、日本には、このような制度はない。そのうえ、裁判官が、文書提出命令の適否が争われるのを避けようとして、提出命令をなかなか出さない。
 銀行がまともに対応してこないため、主人公は週刊誌や月刊誌にとりあげてもらって銀行の非を社会的に明らかにしようと決意します。しかし、銀行側も、お金の力もふまえて機敏に対応し、編集部に圧力をかけます。
 果たして、このあとどうなるのか、ハラハラドキドキの展開です。さすがプロですよね。読ませる本です。
 貸し込め。あらゆる理由を見つけて、貸し込むんだ。
 これは、実際にバブル前までの日本の銀行のモットーだったのでしょうね。恐ろしいことです。
(2007年9月刊。1400円+税)

ネットカフェ難民と貧困ニッポン

カテゴリー:社会

著者:水島宏明、出版社:日テレノンフィクション
 現代日本の青年を取り巻く状況を一語であらわす言葉、それがネットカフェ難民です。フリーターとかハケンとか言っているうちはまだ良かったのです。ネットカフェも、単なる流行語でしかありませんでした。ホームレスも中高年の話だと思っていました。ところが、青年たちがネットカフェで寝泊まりしている。社会のなかに定着できない青年が大量に存在する。そのことを、たったひとつの言葉であらわしたのです。衝撃的な言葉でした。私は、福岡・天神にあるネットカフェを、恐る恐るのぞいてみました。いえ、もちろん暴力団事務所をのぞくような怖さがあったわけではありません。夜10時ころでしたが、たしかに、若い男性も女性も次々に入ってきます。背広姿のサラリーマンもやって来るのです。ええーっ、まさか、帰るところがないはずはないだろうに、なんで、こんな夜遅くに、ネットカフェなんかにやって来るのだろう、不思議に思いました。なんとか全身を伸ばせるようなブースがいくつもあります。でも、こんなところで寝ても、安眠できないでしょうし、身体の節々がきっと痛くなることでしょう・・・。
 著者は、このネットカフェ難民という言葉をつくったジャーナリストです。テレビの世界で報道ドキュメンタリーの制作と、ロンドンとベルリンに9年あまり海外特派員をしていました。日本の東京で、1晩1000円で過ごせるネットカフェで暮らす人たちがじわじわと増えている現象は、なんだかおかしいぞという問題意識をもったのです。なーるほど、ですね。私も、日テレの特集番組はビデオでみましたので、この本に紹介されている写真は記憶があります。
 ネットカフェは、韓国に3万店ある。日本には、まだ4000店ほどしかない。東京・蒲田にある格安ネットカフェは、1時間100円。安くしたところ、店の回転率は上がり、客の入りは倍近くになった。200席ある店内の一日の延べ利用客は300人。ネットカフェを利用する人の食費は、1日1000円。チェーン店の牛丼380円。格安外食レストランのハンバーグ定食380円。ハンバーガー1個100円。赤飯弁当180円。弁当屋の豚汁120円。これを一度でなく、2回に分けて食べる。
 ネットカフェ生活は、アパート暮らしよりも効率が悪い。外食代、コインロッカー代、コインランドリー代、シャワー代など、アパート生活ではかからない費用がかさむ。
 さらに、新品の下着を使い捨てにしたり、意外に高くつくのがネットカフェ生活だ。ほとんど、その日暮らしの自転車操業状態になっている。
 徹底して、自尊感情がない。必死さがなく、無気力で、可愛げがない。できれば放っておきたいタイプ。怠情けとも目に映る。自分はダメな奴・・・、と思っている。
 いま、日本に起きているのは、一般社会の寄せ場化である。かつての山谷などで見られた光景が、いまや日本全国津々浦々に広がっている。それも、日雇い派遣という形をつかって、合法的に。しかも、ケータイ、メールをつかって現代的に・・・。
 専門的なスキルのないハケンが急増している。派遣の対象業種が拡大し、単純労働にまで派遣が恒常化している。日雇い派遣のように細切れで低賃金の労働では、何年やってもスキルの向上や経験の蓄積につながらない。
 1985年に労働者派遣法ができて、派遣は解禁された。1999年の労働者派遣法の改正によって、派遣は原則自由化された。2003年には、製造業への派遣も解禁された。
 そして、日本の大企業は空前の利益を得ている。4年連続で過去最高となった。景気回復にともなう企業業績は好調だ。人材派遣業は、2006年度は4兆351億円で、前年比41%増。01年度の2倍だ。
 働く者が、部品みたいに兵器で使い捨てされる社会。正社員も安心できないし、非正規だともっと人間扱いされない。一度落ちると、トコトン落ちてしまって、はいあがれない。ネットカフェ難民は、そんな社会の象徴だ。とくに若い人たちがボロボロにされている。こんな状態に無関心でいてよいわけはない。社会全体が意識して取りくんでいくべきだ。
 私もまったく同感です。お互い、できるところから、やっていきましょうよ。それにしても、日テレも、たまには、いい番組をつくるものですね。心から拍手を送ります。
 とりたての竹の子が届きました。シャキシャキとした歯ざわりで、美味しくいただきました。食べながら春を実感したことです。
 隣の家のハクモクレンの白い花が咲いています。朝、庭に出ると、ウグイスがあちこちで澄んだ声でホーホケキョと鳴くのが聞こえます。メジロの姿は見えますが、ウグイスのほうは、声はすれど姿は見えず、です。
 鼻づまり解消のため、鼻うがいを始めました。塩を入れると、そんなに苦しくはないのですね。昼間のポカポカ陽気はいいのですが、花粉症には悩まされます。
(2007年12月刊。952円+税)

ホモセクシャルの世界史

カテゴリー:社会

著者:海野 弘、出版社:文藝春秋
 ヒンズー教は同性愛を一般的に受け入れている。イスラム教徒キリスト教には同性愛の項目がない。ユダヤ教は、ゲイは一般に認めないが、このごろは認めようとする派もある。
 アメリカに渡った宣教師は、ネイティブアメリカンの部族の中に、女装して女の仕事をしている男がいるのを見て驚いた。女装した男たちは、部族の最高会議で助言者の役をつとめ、重大な決定は彼の意見を聞く。占い師、預言者、語り部、ヒーラーでもある。
 ギリシアのスパルタが軍隊組織を発達させたといっても、必ずしも男性社会だったわけではない。アテネよりも、むしろスパルタの方が女性の社会的地位は高かった。
 18世紀、ヨーロッパではホモセクシャル(ソドミー)を処罰する法律が次々に廃止された。とくに啓蒙君主のいた国で早かった。フリードリヒ大王のプロシア、レオポルト2世のオーストリア、エカテリーナ2世のロシアである。先進国のはずのフランスとイギリスは遅れた。フランスでは1791年に犯罪でなくなり、1810年のナポレオン法典で、それが確認された。しかし、ソドミーは犯罪ではなくなったが、差別意識は残り、警察はひそかに監視を続けた。
 イギリスでは男色による死刑は1861年まで残った。この年、それは無期懲役となった。エリザベス女王がつくった男色処罰法は、1967年まで残った。
 アメリカでは、2003年、ホモセクシャルを罰するテキサス州法を連邦最高裁が違憲とし、州刑法が廃止された。
 イギリスのオスカー・ワイルド(1854〜1900)は世界一有名なホモセクシャルであり、その典型だ。
 フランスのランボーとヴェルレーヌもホモセクシャルの関係にあった。ヴェルレーヌのそれは少年時代からだった。ヴェルレーヌもランボーも、圧倒的な母の庇護下にあったことが共通している。2人は、しばしばそこから逃れたが、また引き戻された。母から、女から逃れるため、2人はひかれあった。ヴェルレーヌは言葉を取り戻し、詩を書けるようになった。
 アンドレ・ジッド、プルースト、コクトーはいずれもホモセクシャルの作家である。ジッドは、そのことをもっとも明確に告白した。プルーストとコクトーは、内部では公然の秘密だったが、告白はせず、あいまいにし、言い訳もしなかった。
 ジャン・コクトーは隠れなきホモ・セクシャルであるが、多くの女性を愛し、一緒に暮らしたりもした。だが、結婚はせず、子どもはつくらなかった。人を愛することにおいて、男とか女とかの区別はしなかった。しかし、芸術的な美しさの点で男にひかれた。
 うむむ、なんということでしょう。私には、よく分かりません。
 アメリカ。ハリウッドでは、ホモセクシャルの人々をトワイライト・メン(薄明の人々)、ラヴェンダー・バディ(紫の兄弟)などと呼んだ。彼らは目立たないように暮らしていた。
 サマーセット・モームもキューカーもホモだった。ロック・ハドソンは、1959年から1964年まで、アメリカの人気ナンバーワンの男優だった。多くの女性は、結婚するなら、彼のような男と思った。しかし、ハドソンはホモセクシャルだった。
 YMCA!という歌は、アメリカのゲイ賛歌である。
 ニューヨークのゲイの領土はハーレムである。黒人街ハーレムが、白人たちのもっとも自由にふるまえる場所だった。
 FBI長官のフーヴァー、副長官のクライド・トルソンの2人とも独身であり、ホモセクシャルだと疑われていた。そのウワサを振り払うため、この2人はホモへの厳しい態度を示した。アカ狩りで名高いマッカーシーも、ホモセクシャル問題には深入りしなかった。というのも、彼自身、その疑いがあったから。
 この本を読むと、いかにホモセクシャルに生きる人々(ゲイの人々)に文化人が多いか、驚くべきほどです。いったい、これはどういうことなんでしょうか・・・。
(2005年4月刊。3200円+税)

雪解け道

カテゴリー:社会

著者:青木陽子、出版社:新日本出版社
 団塊世代の青春を描く大河小説。あの「大学紛争」とは何だったのか。「政治の季節」を駆け抜けた情熱が、今よみがえる。これは、オビに書かれている言葉です。
 団塊世代は、いま、私をふくめて還暦を迎えつつあります。私には、残念ながらまだ孫はいませんが、この本の主人公のように孫をもつ人もたくさんいます。
 多くの団塊世代が大学生のころに直面した「大学紛争」とは、いったい何だったのか。革命を議論していた、あの熱気、そして情熱は、いったいどこに消え去ったのか。不思議なほどにおとなしいのが、今の団塊世代の大きな特徴です。ええーっ、おいおい・・・。
ぼくら、20歳(はたち)前後のころは野放図に語り、行動して、世間の顰蹙を買うほどの存在だったんじゃないの?今、どうして、そんなに分別臭い顔をして、横丁の楽隠居みたいに引っこんでいるの・・・。たしかに、私はそう叫びかけたくなります。
 著者は私とまったく同年の生まれのようです。1967年に大学に入学し、私の入ったセツルメント・サークルに似た児文研に入部します。
 児文研は100人近い部員をかかえた大所帯のサークルで、戦前からのセツルメント活動に端を発しているという。
 私の所属していた川崎セツルメントは、20ほどの大学から学生が150人ほども参加していました。もちろん、いろんなパート(部)に分かれていました。子ども会、青年部(若者会)、定時制高校パート、労働文化部、法律相談部、栄養部、保健部といったパートです。子ども会は、いくつもの地域で、そして、青年部はいくつもの若者サークルに入って活動していました。
 実に多くの出会いがあり、発見がありました。私なんか、大学でよりも、このサークルで学んだことのほうが大きいと、今でも思っています。というか、2年生のときに無期限ストライキに突入して、まともな授業を受けていないことも原因のひとつです。でも、授業があっていたとしても、果たして、どれほど真面目に授業に出ていたかは疑問です。
 寮生活をしていましたが、昼と夜とが逆転したような学生は、いくらでもいました。まあ、それはそれでいいような気がします。
 「ぼくは大学に革命をやりに来ました。・・・いろいろ考えた結果、日本には革命が必要だと考えています。学生運動をやりながら、そこから革命の道筋を考えたいと思っています」
 この本に出てくる学生のセリフと同じような言葉を下級生(43年入学)から聞いて驚いたことを覚えています。彼は、寮内にあるセクト全部をまわって論争したというのでした。ええーっ、そんなことをする学生がいるのか・・・、と驚きました。
 デモの中にいて、機動隊とぶつかると、身体も気持ちも、くしゃくしゃになって、すごく昂揚してくる。自分自身がなくなるくらいに周囲に溶け込んでいく。それで、生きているという実感が強く湧いていくる。
 自分たちを今の状況に追いつめている元凶が国家権力なら、権力の暴力装置とじかにぶつかるというのは、すごく納得できる。でも、怖い。自分が自分でなくなるような、あの状況が・・・。あれだけのことで、あんなに充実感を感じてしまうなんて・・・。
 『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)とまったく同じ時期の大学内の様子が描かれています。団塊世代はもっともっと力を発揮すべきではありませんか。そのためにも、これらの本を読んで、若さを取り戻してほしいものです。
(2008年1月刊。2400円+税)

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