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カテゴリー: 社会

浜風受くる日々に

カテゴリー:社会

著者:風見 梢太郎、 発行:新日本出版社
 関西の中高一貫の名門高校を舞台として、そこに通う高校生の悩み多き青春の姿が組合活動にいそしむ教師群などを混じえて生き生きと描かれています。私と同世代、団塊世代の話なので、共感を覚えながら読みすすめました。といっても、私は、ここに登場してくる高校生たちほど社会的に目覚めてはいませんでした。
 実のところ、私は自分の卒業した県立高校に、残念ながら、あまり親近感を抱いていません。よほど大学の方に親近感を抱いています。高校の同窓会にも、地元にいながら出たことがありません。というのも、地元の保守系政財界をこの同窓会出身者が牛耳っているとしか思えないからです。また、教師陣もあからさまな右寄り教師が幅をきかせ(例の変な教科書をいち早く採用したり)、生徒指導も自由を奪ってガンジガラメ。その結果、地元の評価は今や見るも無残に低下してしまっています。本当に残念でなりません。
私は学区制を復活すべきだと考えています。また、教師集団がもっと伸び伸び自由に取り組めるように改められるべきだと思います。
私は高校生のとき、生徒会の副会長そして生徒会長も務めました。2年生のとき、昼休みにタスキをかけて全クラスを立候補の挨拶に回りました。派手な選挙活動が流行っていたのです。対立候補も同じことをしましたが、私の方が見事に当選することができました。生徒会役員の他校訪問というのがあって、四国や広島の高校まで見学に出かけたことがあります。生徒会指導の教諭が引率しての旅行でしたが、とても楽しい思い出となっています。こちらは、少し前、一度だけ生徒会役員だった人だけの同窓会を京都でしました。
ところが、生徒会活動に熱中していると成績が下がってしまい、英語の教師から「どうした。最近、ぱっとしないやないか」と苦言を言われ、はっとしました。
 もう一つ、高校生活の思い出といえば、『ぺるそな』と名付けた同人誌を3号まで発刊したことです。私も下手な小説を書いて発表しました。しかしながら、あとは灰色の受験勉強に追われていました。思い出したくもありません。といっても、当時使っていた参考書は今も記念に大切に保存しているのですが……。
 この本の主人公(哲郎)は、中高一貫の有名校に高校から入りました。当初は苦労したのですが、たちまち成績優秀者として頭角をあらわしました。理科系の得意な哲郎ですが、新聞部に入りました。文章もよくしたのです。
 先輩の大学生がセツルメント活動をしているという会話が登場します。
「なんや、そのセツルメントって」
「生活が苦しい人たちが集まっている地域に行って、子どもと遊んだり、勉強を教えたり、法学部の学生は法律相談とか、医学部の学生は健康相談とか、やるんだって」
「ふーん、そんなことする人たちがおるんか」
「どこの大学にもあるようだよ、そういうサークルは」
 この会話はだいたいあたっています。ただ、私はセツルメントに入って青年部に所属していました。若者サークルのなかで、レクリエーションを主体としながら週1回交流するのでした。なんということもない話しかしないのですが、よく考えてみたら、こんな関係がいつまで続くのか、続けられるものなのか、ときどき胸に手を当てて考えざるをえませんでした。
「Kさん、ほら、さっき言ったセツルメント活動なんかやってて、まあ透明無色じゃないんだよ。それで、そういう人がD通信公社みたいなところに就職したことに対して、皮肉っぽくKさんに言う人がいたんだよ」
「D通信公社の中で、思想を貫けるのか。ものすごい弾圧が待っているのに……」
 そうなんです。セツルメント活動のなかで良心を自覚したとき、それが官庁や会社に入ってからも変質しないでいられるのか、私はすごく心配でした。そして、その心配は現実のものでしたし、あたっていたのです。
大学でセツルメント活動をやっていて、就職してからも自分の生き方を貫くのだ、と書いた手紙を同級生から見せてもらった。企業で過酷な差別を受けたとき、果たして乗り切っていけるだろうか……。
 この本には哲郎の独特の勉強の仕方、記憶法も紹介されています。
 世界史や生物のノートの余白に小さなカットを描いた。すると、哲郎は、それぞれの絵がページのどこに位置するかを容易に思い出せた。その絵に照らし出されるように周りに書かれた文字もおぼろげに思い出せた。絵に工夫をこらすと、いっそう文字も思い出しやすくなった。哲郎はノートの1ページを丸々覚えることができるようになった。
 そうなんです。視覚的に、あそこにこんなことが書いてあったというように記憶していくのは、私も得意技の一つでした。
高校では字をきれいに書くことをやかましく言われた。答案の字が汚いと受験のときに損をするという趣旨のようだ。哲郎も、中学時代の癖のある乱暴な字から、きれいな素直な字に変わった。字をきれいに書くということが精神の緊張を要し、それが思考を助けることも経験した。
私の場合、字がきれいになったのは、大学に入ってセツルメントのなかでガリ切りをするようになってからです。大勢の人に読まれる字、読みやすい字を書かなければ何時間も苦労して書いてもムダになってしまいます。一生懸命にきれいに書く練習をしました。
名門高校の授業についていけず、反発してドロップアウトしていく生徒がいた。また、早くも立身出世のみを願う生徒がいた。
「オレはなあ、たった3年間、勉強に専念するだけで、一生莫大な利益が得られる道に進もうとしてるんだ。ほかのことをやってる時間なんかないよ」
「大蔵省やら通産省の役人になるとなあ、自分の娘を嫁にもらってくれって、大会社の社長どもが押し寄せてくる」
「なんでや」
「役人は絶大な権限を握ってるんや。それが娘婿だったら、会社経営に断然有利やないか。娘婿を通じて役人に人脈もつくれるやろ。政府の情報はいち早く入ってくる」
「それは政略結婚やないか」
「別にええやないか。お互いに得になることやし。美しい、性格のいい嫁さんをこっちから選んでやる」
ええーっ、高校生が当時こんな会話をするなんてありえたのでしょうか……。いくらなんでも、私には想像を絶します。
(2008年10月刊。2200円+税)

自民党政治の終わり

カテゴリー:社会

著者:野中 尚人、 発行:ちくま新書
 小沢一郎は、1980年代の終わり、自民党システムが完成した時期にその頂点に立った。しかも、自民党の支配体制が本格的に動揺し始めた1990年代の初期にも主導権を握って、その舵取りを行った。このように、小沢一郎は、かなり長い期間にわたって、自民党システムの中枢にいた。
 その小沢一郎が、小選挙区制の導入を柱とする政治改革を強引に推し進めた。なぜか?
 小沢一郎は、国会議員になってから、佐藤派に入りつつ、実質的には田中角栄に師事した。小沢一郎と田中角栄の関係は極めて緊密だった。小沢一郎の結婚式で、田中角栄は父親がわりをつとめた。田中角栄のロッキード裁判は、6年9ヶ月間、191回あったが、小沢一郎のみ全部を傍聴した。
 金丸信が小沢一郎を重用したため、小沢一郎は1989年8月から1991年4月まで、自民党幹事長として、まさに君臨した。
 その小沢一郎が今や自民党と対立する民主党の党首というのですから、なんだか信じられないのも当然です。2人だけでコソコソ隠れて対話するのではなく、堂々と国会で大いに論争すべきですよね。
 小泉純一郎が「派閥を壊す」というのは、経世会を標的とした攻撃であり、「自民党をぶっこわす」というのは、経世会の支配する自民党は解党的な出直しが必要だということ。
 小泉純一郎は、清和会という自分の派閥を最大限に利用した。つまり、小泉純一郎は、派閥というものを原理的に否定していたとは、とうてい言えない。
 小泉純一郎は、単純小選挙区制には必ずしも反対ではなかったが、少なくとも小選挙区比例代表並立制には強硬に反対していた。
 しかしながら、小泉純一郎によって、結果的に自民党は、全体として、派閥システムが後戻りがきかないほどに崩れた。人材を育成し、難し意思決定を支えるという派閥の役割がなくなった。これまで、当然のように自民党を支持してきた人々が、初めて、そのことに疑いをもつようになった。自民党は、もっともコアな支持層の離反に直面するようになった。決して野党に流れるはずのなかった固い支持層の流動化、これこそが自民党の圧倒的優位が崩壊したことを物語っている。
 自民党の最大の特徴の一つは、巨大な党本部機構である。その巨大な組織が、政策面での役割分担のために、きわめて細かく分化している。自民党内部は、政策を所管する省庁への対応と、外部の利益団体への対応がクロスする形をとりながら、きめ細かい組織を組み上げていた。
 自民党組織のもう一つの大きな特徴は、党自体の地方組織がきわめて脆弱で、事実上ほとんど存在していないこと。
 派閥は、全体として非常に分離的な自民党が最後に統制力を発揮するためのみちでもあった。人事権を握る派閥会長が、自民党システムのなかで、重要な権力核だった。
 自民党は崩壊寸前だと言われながら生き延びている。その理由は2つ。一つは、自民党システムが社会の隅々まで根を張って、きわめて強靭なこと。もう一つは、自民党システムの存続期間が長かったので、そこからの移行プロセスも長くかかるということ。
 国会解散・総選挙という政治日程が、どんどん先送りされています。しかし、ともかく生活再建・景気回復とあわせて、「人間らしい生活を取り戻せ!」ということが主要なスローガンでなければならないと私は思います。 
(2008年10月刊。760円+税)

貧困の現場

カテゴリー:社会

著者:東海林 智、 発行:毎日新聞社
 ホームレスは、3年を超える野宿生活が身体をむしばみ、内臓がボロボロの状態になる。
 いったん住居を失うと、再び住居を借りるのは至難の技だ。不安定な仕事では、驚くほど簡単に住居を失う。
 児童養護施設出身者のすべてが人生に失敗するわけではない。だが、貧困に陥っていく確率はかなり高い。
 店長になって、月収が8万円も下がった。残業時間は過労死の危険が指摘される80時間を超え、86時間にもなった。そして、店長として、1年間のうちに6回も店を変わった。配置転換が多すぎる。
 派遣労働者は名前を呼ばれない。「そこの派遣さん」とか「お兄さん」「お姉さん」。まるで機械の部品のよう。個を奪われてしまった。
 職場のいじめが増え始めたのは、成果主義が導入されたのと同じ。職場の雰囲気がギスギスしてしまった。成果主義の導入は、労働者同士の人間関係を押しつぶす方向での成果を上げている。職場の連帯感は希薄になった。成果を競い合い、その結果が正確にかは別として賃金に跳ね返るのだから、人にかまっている余裕はない。ギスギスした職場の人間関係は、小学校のようないじめさえ引き起こす。個性の尊重や労働者の意欲の発揮を狙うという旗のもとに導入された成果主義は、人件費削減の目的の方が最終的に強くなってしまった。
 今の日本社会は本当にギスギスしていますよね。政治の世界で嘘がまかり通り、なんでも自由競争を必要かつ善とするなかでは、強い者、お金持ちばかりが優遇される世の中だからです。やはり、弱者、貧乏人にもっと社会全体があたたかい目をもってきちんと人間らしく生きられるように処遇されるべきだと思います。
 庭のあちこちから水仙の仲間がぐんぐん伸びています。冬に咲く花たちです。急に寒くなって風邪をひいている人が目立ちます。新型インフルエンザが猛威をふるうと最大6万人の死者が出ると予想されているそうです。お互いに気をつけましょうね。といっても、結局のところ、その人の持つ自然免疫力ですよね。そのために私も、早寝早起きの健康的な生活を心がけています。
(2008年8月刊。1500円+税)

近代日本の右翼思想

カテゴリー:社会

著者:片山 杜秀、 発行:講談社選書メチエ
 私は右翼とか左翼とかいう言葉が好きではありません。ですから、自分が右翼だということはありませんが、自分が左翼だという意識もあまりありません。では何か、と問われると、革新派だというのが私の自称です。それに対する言葉は、もちろん保守です。保守というのは守旧派です。それには頑迷固陋というイメージがまとわりつきます。革新は変革。オバマ次期大統領ではありませんが、change、変えようということです。今の世の中の悪いところは大胆に変えていきたい。私は本気でそう思っています。昔のままの自民党政治でいいなんて、私はまっぴら御免です。汚職、腐敗、土建政治、財界本位、弱者切り捨てではありませんか。
 この本は、少し私にとって難し過ぎました。でも、安岡正篤(まさひろ)についてだけは、私の関心をひきつけました。
 歴代首相の指南番と呼ばれ、財界の大物にとっても指導者だということで高名だった人物です。晩年に、あの細木数子と浮き名を流していたなんて、まったく知りませんでした。それほど私にとってはどうでもいい人物なのでした。ところが、財界人に大モテだった安岡は、右翼から嫌われ、馬鹿にされていたというのです。いやあ、そうだったの……と、私は驚いてしまいました。
 竹内好は安岡正篤を口舌の徒と評している。口先のみ発達し、言葉をもてあそび、さももっともらしいことを言いながら、実際には革命家らしいことは何もしない者の典型だ。
 松本健一も、安岡のことを大川周明と同レベルにまで価値が下がっているとして、安岡をバカにしている。
 その大川周明は安岡のことを日記で次のように書いている。
 ひさしぶりで安岡君の話を聞いたが、言うことが万事そらぞらしく響いて、まことに不快だ。安岡君と藤田君と相並んでいると、嘘と真の標本を並べ見る気がする。
 安岡は過激な変革を叫ばない。体制側に安心と思わせる思想傾向は、政官界に安岡の名声を一段と高からしめた。
 安岡にとって、天皇が革命の唯一の主体であった。だから、日本の具体的な変革を目ざす右翼からは、安岡は微温的と非難された。下からの革命を企む者にとって、安岡は最悪の思想家だった。安岡は革命を説いた。しかし、その革命論は下々は絶対に革命を起こしてはならないという革命論だった。
 安岡が教え導き、言いなりにしたいと熱望していた要人とは、首相ではなく、天皇だった。安岡は国家の「最高我」(天皇)の師となることで、倫理国家実現のための、あらゆる具体的施策をたちまち断行できるような種類の革命を起こしたかったのだろう。
 世の中に不満がある。変革を考える。けれど、うまくいかないから、保留する。決定的なことは天皇に預けて考えないようにする。もう、ありのままに任せて、考えるのをやめる。考えなくなれば、頭がいらなくなる。正しく考える力は天皇にある。それなら、変えようなどと余計なことは考えない方がいい。
 今、日本の右翼はいまの天皇を苦々しく思っているようです。そうでなければ、雅子妃バッシングが相変わらず続いているのを黙って見過ごすはずはありません。昭和天皇の過ちを一身に受け止めて、世界に向かって謝罪しつづけている今の天皇に不快に思っているのです。ということは、右翼にとっても天皇は絶対至高の存在ではないということでしょう。自分の都合のいいように支配できるときだけ天皇には利用価値があるわけです。私はむしろ、父である昭和天皇の犯した過ちを繰り返し謝罪し続ける今の天皇には人間味を感じています。
(2008年2月刊。1500円+税)

自衛隊員が死んでいく

カテゴリー:社会

著者:三宅 勝久、 発行:花伝社
 自衛隊員の自殺者は年間100人を超える。その自殺率39.3人(人口10万人あたりに換算した数字)は、アメリカ軍の2倍を超える。
 自衛隊員のかかえるストレスは高い。ギャンブルや酒、女遊びに興じた末の借金苦、いじめ、うつ病。自殺した自衛隊員の多くが孤独やストレス、精神的な飢餓感を抱いていた。
 イラクなどに派遣された自衛隊員はのべ2万人。日本に帰国したあと在職中に死亡した隊員は35人で、このうち自殺した人が16人もいる。この35人のなかには退職したあとの死亡者は含まれていない。
 2006年度の1年間に懲戒処分を受けた自衛隊員は自衛官1234人、事務官106人の合計1340人。うち、免職130人、停職582人。懲戒免職130人のうち、もっとも多いのが窃盗・詐欺・恐喝・横領の74人。そして、無断欠勤33人。
 先日、例の田母神元航空幕僚長が自衛隊員の不祥事の公表は士気に関わるからするなと指示していたことが明るみに出ました。これでは旧日本軍の綱紀は良好だったと高言する資格なんてないですよね。臭いものにフタをしておいて規律良し、なんて笑っちゃいます。
 自衛隊内のいじめ自殺やセクハラ事件が次々に明るみになって、裁判が起こされています。健全な常識の通じない自衛隊では、市民に向かっても非常識なことしかしない(できない)存在だと恐れます。
 田母神氏のような、まったく現実を無視した人間をトップにすえた政府の責任は極めて大きいと思います。自衛隊内部の教育システムと内容に国会がきちんとメスを入れることによって、シビリアンコントロールは機能していると言えると思います。政府見解を真っ向から反した田母神氏を懲戒免職としなかった間違いは直ちに是正されるべきです。
(2008年5月刊。1500円+税)

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