法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 社会

ちひろの絵のひみつ

カテゴリー:社会

著者:ちひろ美術館、 発行:講談社
 私の大好きないわさきちひろの絵がどうやって描かれているのか、その謎を少しばかり解き明かしてくれる本です。ちひろ美術館で買い求め、売店の隣の喫茶コーナーで、昼食代わりのスープをいただきながら読み始めた本です。
 ちひろが主として用いたのは、透明水彩絵の具だ。透明水彩絵の具は、顔料の粒子が細かく、水を加えて薄く塗っても色が鮮やかで延びもよいのが特色。重ね塗りすると、下の色が透けて見えるという性質もあるので、一度塗ったら塗り直しが効きにくい。
 ちひろの絵には、ボカシの手法が効果的によく用いられていると私は思います。
 潤筆法とは、筆に水を多く含ませて、絵具をにじませる。絵の具が乾く前に別の色を置くと、色が混ざり合い、複雑な色調が得られる。たらし込みとは、たっぷりと水を含んだ筆で、たとえば茶色を薄く塗り、その色が乾かないうちに濃い茶色を置く。濃い色が薄い色に滲みこんで乾き、偶然的な色のたまりができる。
 ちひろは水彩絵の具の水に溶ける特性を生かし、やわらかで清楚な、独特の色調を生み出した。絵の具が乾かないうちに筆を走らせて流れを作ったり、水気を吸いとったり、ときには意図どおりに色が広がるように画用紙を傾けたり、広がりを止めるためにドライヤーで乾かしたり、絵の具のにじみをコントロールするために、さまざまな工夫をこらしている。
 ちひろは左利き(ギッチョ)なのですね。ちひろが絵を描いている写真を見て初めて知りました。ちひろは左利きだったから、右側から外光を取れるように画机を配置し、左側にはパレットや筆、筆法などの画材を並べ、中央の大きなスケッチブックの上に画用紙を広げて絵を描いた。東京のちひろ美術館には、ちひろのアトリエが一室そのまま再現されています。
 混色には、パレットで色を混ぜ合わせたり、乾いてから色を重ねたりする方法もあるが、ちひろは紙の上に水分がある状態で色を重ねて、互いの色を滲み合わせることが多かった。ちひろの絵の配色に着目してみると、補色を効果的に用いた作品が多く見られる。捕食とは、紫と黄、青と橙、緑と赤のように色相環で反対側の位置にある色を言う。同系色の色同士は調和しやすいが、画面に緊張感を欠きやすい。ワンポントとして補色を加えることで、画面の印象は大きく変わってくる。
 ちひろの絵は、視覚でとらえた色よりも、心で感じた色を表現することに、より重点が置かれている。とくに背景の色の選び方は大胆だ。たとえば、牧場にいる子どもたち。普通なら緑色の草原のはずなのに、ちひろは赤で描いた。そして、何ら違和感がない。
 黄色い背景の中に座る少女は、黄色い背景が夏の日差しを感じさせると解説されています。ムムム、なるほど、黄色は夏の太陽光線を感じさせます。
 ちひろの絵に登場してくる子どもたちの目もすごく印象的ですよね。
 ちひろが描く子どもたちのほとんどにまゆ毛や白眼が描かれていない。白眼を描くと、視線の方向が限定されてしまう。眉毛を省略し、あえて黒眼だけを強調して描くことで、夢見るような子どもの無垢な表情が引き出される。
 目を黒く平板に描くだけでは、マンガのキャラクターのようになってしまう。ちひろは子どもたちの心の動きに合わせて、それぞれに眼の色の濃さを変えたり、目のふちを示す線に強弱をつけ、生き生きとした表情を生み出している。
 ちひろの眼の描き方は、瞳に黒や茶、灰色などで色を入れる場合と、線だけで描く場合の大きく二つに分けられる。良く見ると、まぶたや目じりの線の強弱の付け方、瞳の形などが一つ一つ違う。ちひろは、子どもの性格や年齢、心の動きに合わせて描き分けた。
 ちひろは瞳を最後に描き入れることが多かった。絶筆になった赤ちゃんの絵も、最後に瞳を入れて達成させた。そのときの瞳の色は、淡いグレーだった。
 画家を志してから、ちひろはどこへ行くにもスケッチブックをたずさえて、鉛筆を走らせた。絶えず周囲を観察し、形を捉えようとする画家の情熱は、表現を支えるデッサン力として実を結ぶ。
 やっぱり、ちひろの絵っていいですよねー……。大好きです。
 正月休みに、一泊の人間ドッグに入りました。40歳になってから、年に2回うけています。日頃読めない分厚い本を6冊持ち込み、一心不乱に本を読みふけるのが楽しみです。泊まりは今はホテルです。山の中にポツンと建つリゾート・ホテルです。地元のホテルからハゲタカ・ファンドに買収され、今は韓国資本です。そのせいか、お客にも韓国人が多く、ホテル内にはハングル文字が目立ちます。夕食はバイキングです。私は、これが苦手です。ダイエットをしていますので、控え目に食べようと思うのですが、バイキングだと小皿にいくつも、何回も盛りつけて食べられるので、どれくらい食べたか分からなくなります。お風呂には露天風呂もあり、見上げる半月が皓皓と輝いていました。
(2008年8月刊。1600円+税)

弁護士が書いた究極の読書術

カテゴリー:社会

著者:木山 泰嗣、 発行:法学書院
 かつて本を読まなかった著者は、今では年間400冊の単行本を読んでいるそうです。子どもの頃から本が好きで、小学校以来、図書館に入り浸っていた私は、今では年間
500冊は読みます。最高記録は700冊をこえます。弁護士会の役員として全国を飛びまわっていたときのことです。私にとって移動時間は、すべて読書タイムです。片時も本を離しません。車中は睡眠時間、という人が世の中には多いと思いますが、私は車中は胸をワクワクさせながら本を読みふける楽しいひとときです。そのためには、夜、布団のなかできちんと寝ておくことが絶対に不可欠です。寝不足のまま電車や飛行機に乗ったら、本は絶対に読めません。読んでも、速読はできません。速読するには、精神の集中力が必要なのです。
 本を楽しく読むためには、義務感、速度、効率というものを全部、忘れてしまう。そんなものを意識する必要はない。そうなんです。私も、楽しいから本を読むのです。その世界に浸りきります。
 本には「無限の宝」が眠っている。読む人の意識と好奇心によって、得られるものに雲泥の差が出る。ホンモノの本に出会うと、エネルギーを感じる。しかし、そのエネルギーを感じるためには素直な心が必要である。ふむふむ、そうです、そうなんです。
 過去は過去でしかない。毎日懐かしむものではない。けれど、生まれた瞬間から亡くなるまで、常に変化を続けるのが人間だ。ふっとした瞬間にノスタルジーを感じておくことも大切だと思う。心の奥底で眠っている懐かしい思い出や気持ちを大切にすること。本にはノスタルジーという宝も眠っている。いやあ、そうですよね。
 同時並行で大量に読むことは、好奇心にガソリンを注ぎ続ける行為だ。
 私はいつもカバンのなかにハードカバーを2冊、新書版を2冊は入れて持ち歩いています。片道1時間の車中で1冊読むというペースです。これが何よりのストレス解消法です。
 ちなみに、昨年読んだ本は509冊でした。読書ノートに一口コメントをつけて記録しています。読書ノートは大学生のころからつけています。
(2008年12月刊。1600円+税)

黒の狩人

カテゴリー:社会

著者:大沢 在昌、 発行:幻冬舎
新宿警察署の刑事が特命で事件を担当することになります。そうです。舞台は、いつもの新宿。新宿の闇にうごめく黒社会の連中と、それにまつわる警察官たちが登場します。ヤクザの用心棒のような存在の刑事も登場してきて、大沢ワールドは、いつものように底知れぬ闇の深さを感じさせます。救いようのないほど深い闇が、この東京の一部に厳として存在するわけなのです。知らぬが仏とは、よく言ったものです。
私の事務所の若い女性事務員は、大学生の頃、上京したついでにみんなで歌舞伎町ツアーを敢行したと話していました。夜の歌舞伎町には昔、私も何回か行ったことがありますが、なんだかとても落ち着かない気分になりました。はっきり言って、怖い町です。
この本は、中国から出稼ぎでやってきた中国人たちの活動状況を底流としています。そこに中国政府の意向を代弁する中国の国家安全部の役人が関わってくるのです。もちろん、小説ですから、現実をどの程度反映しているのか、私には分かりません。
日本に来る中国人が一番ほしいのはお金だ。ところが、うまく金儲けできる人と、そうでない人がいる。うまく金儲けできる人の最初の条件は、日本語がうまいこと。お金儲けのうまくない人は、たいてい日本語が下手だ。それは、つまり、それだけ努力をしていないということを意味している。
台湾マフィアと中国マフィアは違いがある。台湾マフィアは、日本に来る前から本職だったところが、中国マフィアは、カタギが日本に来てマフィア化する連中が少なくとも当初は大半だった。もとが学生だから、頭もいい。パチンコの裏ロムや偽のクレジットカードも簡単に作れる。そのうえ、中国本土での犯歴がないので、指紋などのデータがない。
中国にいるときはカタギ、日本に来たらマフィア。これでは、捕らえようがない。ふーん、なるほど、そういうことなんですか。
かつて、簡単に稼いだお金を「あぶく銭」と呼んで、人は軽蔑した。しかし、今は「あぶく銭」をつかむ者が尊敬される。手段ではなく、目的優先の時代である。「成金」という、一代で財を成した者へつかわれる侮蔑的な呼び方もなくなった。かわりに広く使われている言葉は「セレブ」だ。このわけの分からない呼び方が広がっているのは恐ろしい。お金さえ持っていれば「セレブ」。それを見せびらかすことで憧れられる存在になるのが人生の目的と自負する人が増えた。そんな日本に対して、出稼ぎにやってくる中国人が好意を持つはずはない。いやあ、まったくその通りです。
ヤクザによる警官の買収には、実は限界がある。それは、ヤクザの側に、買収される警察官への侮蔑があるからだ。それを感じてもなお、たかり続けられるほど誇りのない警察官は、そういない。
中国は、日本と比べものにならないほど公務員の腐敗が深刻だ。買収に関しては、する側もされる側も、それに慣れていて、侮蔑や後悔の感情がなく、行為が成立する。
腐った警察官は、泥棒、強盗、詐欺師、あらゆる犯罪者よりもたちの悪い、職業犯罪者と化す。刑事殺しまで発生します。さあ、この続きはどうなるのだろうかと、ワクワクする思いで読み進めていきました。
夜の新宿をめぐる大沢在昌ワールドの真骨頂が描かれ、そのなかで主人公が活躍します。
(2008年9月刊。1700円+税)

さらば!同和中毒都市

カテゴリー:社会

著者:中村和雄・寺園敦史、 発行:かもがわ出版
 京都の弁護士が京都市のひどい実態を鋭く告発した本です。いやあ、これはひどい。こんなにひどいのか、と改めて怒りがわいてきます。この本を読んでいてただひとつの救いは、このひどい現状を改革しようとする中村弁護士がいることです。といっても、残念なことに、中村弁護士は京都市長選に立候補したものの、惜しくも当選できませんでした。
 桝本・京都市長が1996年に誕生してから12年間に、逮捕された京都市職員は94人。2006年には1年間に15人も逮捕された。逮捕された京都市職員の犯罪で多いのは覚せい剤の使用と譲渡容疑である。
 その原因について、桝本市長は次のように述べた。
「採用に当たり、社会正義の実現のために同和地区の出身者の優先雇用をするという現業の問題が構造的な問題と言える」
「採用時に、部落解放同盟や当時の全解連に優先雇用枠を与えた。その結果、任命権まで京都市から運動体の一部の人物に行ってしまった。そこにもっとも大きな問題があると考えている」
 そうですよね。市職員の採用が「一部の人間」の恣意によってしまったら、何が起きるか分かりません。犯罪者多発と公金横領の温床です。
 京都市で明るみになった同和補助金搾取事件は総額8000万円。大勢の市職員が関わって日常的に実行されていた。ところが、2003年7月に発表された処分は、対象となった57人のうち誰一人として免職にならず、せいぜい減給・戒告どまりだった。それどころか、当時の市教委総務部長は教育長に、人権文化推進部長は副市長に、もっとも多額の公金搾取を繰り返していた2支部に協力していた担当課長は局長へ昇進した。
 京都市政に巨額の損害を与えても、運動団体とのあつれきを避け、同和行政を「円滑」に進めたことが評価されたわけである。
 いやあ、これでは真面目に同和問題に取り組み、部落解放を目ざしてがんばってきた人は浮かばれませんよね。
(2008年9月刊。933円+税)

JRのドン葛西の野望を警戒せよ

カテゴリー:社会

著者:樋口 篤三、 発行:同時代社
 葛西敬之(かさいよしゆき)は、JR東海の社長そして会長になり、国家公安委員をつとめる大物財界人です。
 葛西は1980年代の国鉄分割民営化にあたって「改革三人組」の一人と言われた。国鉄職員局次長として「労組とのつばぜりあいの前線指揮官だった」と本人が自らを振り返っている。
 そして、この20年間、松崎明打倒、JR総連解体を執拗に追求してきた。葛西は、その直系のJR連合に、国労をふくめてJRの全労働者を吸収することを目標としている。
 私には、この本に書かれていることが真実なのかよく判断できません。しかし、国鉄を分割して民営化して本当に良かったのかについて、私は根本的な疑問を抱いています。サービスが良くなったとも思いませんし、何より、日本の労働組合全体が決定的に弱体化させられてしまいました。ストライキが死語になって、日本の民主主義を支える基盤の一つがなくなったも同然です。企業・財界が異常に強くなりすぎました。いま、問題になっている非正規雇用の問題についても、労働組合の弱体化と裏腹の関係にあります。なんでも資本の思う通りというのでは、日本の若者から職を奪い、それでは健全な日本の将来がないことは、今の事態が見事に証明しています。
 JR総連を指導してきた松崎明については、本人も革マル派だったことを認めています。しかし、今は革マル派とは関係ないとしています。著者もそれを認めています。
私は何年か前、憲法改正手続法が成立する前の福岡での公聴会のとき、久しぶりに革マル派という大きな旗とヘルメット集団を見て、あれっ、まだいたの、と思ってしまいました。学生時代はよく見かけましたが、その後、内ゲバで他党派との殺し合いをして、ほとんど捕まらないうちに姿を消したとばかり思っていました。
 革マル派には三大拠点があった。早大、沖縄、そして動労。JR内の革マル派は、1992年から93年にかけて全員が脱退した。沖縄の革マル派は、2000年ころに脱退した。そのころ、人間関係を含めてJR内の人間は革マル派と完全に切れた。今あるのは、動労を率いてきた松崎明の周囲に集まった松崎組のようなもの。
 ところが、警察はその実体をよく知りながら依然として、JR総連内に松崎の率いる革マル派が相当数いると国会などで公式答弁を繰り返している。
「週刊現代」は2006年7月から24回にわたって、松崎・JR総連たたきの記事を連載した。テロリスト、労組の革マル派による暴力支配、公金横領など……。
 しかし、公金横領について、2007年12月27日、検察は不起訴とした。
 これは一体、どうなっているのでしょうか。国鉄(いまのJR)には、なんだかドロドロしたものが昔も今もたくさんあるようで不気味です。これでは安心してJRを利用できません。
 私の身近な人に国労争議団のメンバーがいます。とても気のいい方です。資本が労働者をモノとして使い捨てしていいという風潮だけは絶対に改めるべきだと思います。国鉄時代の労使紛争が今も解決していないなんて、日本社会の恥ではないでしょうか。
(2008年12月刊。510円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.