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カテゴリー: 社会

リヤカーマン

カテゴリー:社会

著者 長瀬 忠志、 出版 学研
 すごい人がいるものです。リヤカーを引っ張って日本縦断。これなら、まだ私にもできるかもしれません。しかし、南アメリカ、中国、そしてアフリカとなると、もう私の想像を飛んで、とんで、飛び越えてしまいます。よくぞ生命を失わなかったものです。それでも、リヤカーを盗られて中断したことが一度あり、インドネシアでは2人組の強盗につけ狙われて断念したといいます。だけど、それ以外はみんなやりとおしたというのです。すごい、すごすぎます。
 日本人女性はすごいと思っていましたが、日本人男性にもすごい人がいたものです。
 なんのためにこんな苦難な道を歩いたのか、歩いているのか、絶えず自問自答していたといいます。しかし、それはやりきったときにその答えが出たことになるのでしょうね、きっと。人生一度だけ。世界をテクテクテクテク、4万キロ歩いた日本人男性がいたことは、日本人の記憶に永く留めておくに値することではないでしょうか。
 リヤカーを引きながら、1時間に歩ける距離は5キロ。1日に8時間歩くと40キロ進む。余裕を持って1日30キロ進む計画を立てる。
 南米のアタカマ砂漠は、なんと52度の暑さ。いや、これは熱さというしかない。1日に6リットルの水を飲む。朝から9時間歩いて、すすんだ距離が6キロ。サハラ砂漠のなかでも1日12キロ歩いたというのに……。しかし、その次の日は、1日10時間40分かけて3キロしか進めなかった。しかし、さらに進んで高山病にかかると、1日わずか1キロしかすすめなかった……。
 リヤカーに積んである荷物の重さは140キロ。リヤカー自体の重さを含めると、200キロになる。これを引きながら。高度4000メートルの峠を登る。うへーっ、そ、そんな、よくも登れましたね。それも頼りは自分の足だけなんですからね……。
 日本縦断リヤカーマンの初旅は、1975年のこと。6月26日に北海道猿払村を出発し。70日目の9月3日に鹿児島県の佐多岬にゴールインした。これが19歳のとき。うむむ。すごいですね。やっぱり、若さですよね。
 ところが、最後のプロフィールを見ると、すごい、すごい。なんと言ったって、世界中をよくも歩いています。
 オーストラリア100日間、アフリカ216日間、韓国11日間、スリランカ9日間、台湾140日間、アフリカ376日間、マレーシア11日間、南インド18日間、フィリピン11日間、モンゴル25日間、タイ15日間、中国・タクラマカン砂漠11日間、アフリカ・カラハリ砂漠14日間、南アメリカ266日間、アマゾン41日間、南米・アタカマ砂漠35日間。
 いったい、この人の職業は何なのでしょう。そして、家族はいるのでしょうか……。
 高校教師であり、奥さんがいて、子どもも2人いるというのです。奥さんもきっと偉い人ですよね。読むと、きっと元気の湧き出る本です。
 庭に秋の虫たちが朝から賑やかに鳴いています。芙蓉の花が心を浮き立たせるピンクの花を咲かせました。酔芙蓉も咲いています。朝は純白の花が、午後になると酔ったように赤みを帯び、ついに濃い赤色の花に変わるのは、いつ見ても面白いものです。
 朝がおもついに終わりかけました。最近、フランス語でびっしりの絵ハガキが届きます。パリで語学留学中の娘からです。手書きでさっと書いているため、読めない字もありますが、元気に毎日勉強居ている様子が伝わってきます。私も、またフランスに語学留学したくなりました。40代初めに40日間、南仏のエクサンプロヴァンスに行ったことを懐かしく思い出します。
 
(2008年1月刊。1200円+税)

日米同盟の正体

カテゴリー:社会

著者 孫崎 享、 出版 講談社現代新書
 外務省の国際情報局長、イラン大使そして、防衛大学校教授。こんな肩書きの人物が日本とアメリカの同盟関係について何を言いたいのかしばし耳を傾けてみましょう。ただし、いつものように断片的に引用しますから、著者の真意を正しく汲み取っているか、いささかの不安もあります。ぜひ本を手にとって読んでみて下さい。
 日本が軍事的役割を果たす「普通の国」にならなければ国際的評価は得られないと説く人がいる。しかし、国際的世論調査を見れば、その議論は正しくない。
 日本が軍事力を行使する国にならなければ国連の安全保障理事会の常任理事国として歓迎されないという議論は、必ずしも広い国際世論を反映したものではない。なるほど、そうですよね…。
自分たちと敵対する国を、できるだけ国際経済の一員にし、日本がその中で尊敬される位置を占めること。実は、これが極めて有効な日本を守る手段なのである。たとえば、北朝鮮を早期に国際社会の一員とするとともに、彼らが軍事的行動によって失うものを作っていくことが安全保障につながる。私も、この指摘にまったく同感です。
 抑止力は軍事に限らない。近隣諸国からの核攻撃に対する抑止は非軍事の分野にある。実のところ、近隣の核保有国が日本に核攻撃をしようとしたとき、確実な軍事的対抗措置はない。それより、日本を攻撃したら、生活ができなくなるという経済関係を築き、相手国の企業や労働者がこのことを自覚していると、日本を攻撃しようとする国家指導部を揺さぶり、抑止力を発揮するのである。これはアメリカの国防部も、実は、同じ見解である。
 いやあ、ホント、本当にそうですよね。
田母神発言の前にも、自衛隊幹部は敵基地攻撃を高言していたのですね。2007年2月15日付けの「隊友」紙に空爆長の論文が掲載されているそうです。
 しかし、著者は日本には敵基地攻撃能力はないと断言しています。日本の国防は日本だけで一本立ちできないシステムになっている。敵基地攻撃論は先制攻撃論であるが、先制攻撃によって相手国の9割程度の攻撃能力を破壊する必要がある。しかし、それは日本には実行不可能である。しかも、先制攻撃したあとの展開についてもまったく能力を持っていない日本が先制攻撃能力だけを持とうとするのは極めて危険なことである。要するに、ミサイル防衛なるものは、実のところ、有効に機能することを期待することはできない。日本は実質的に無力であることを自覚すべきである。
 アメリカはイラク戦争で泥沼に入っている。アメリカ兵の死者は2009年2月時点で、4245人となった。しかも、このほか4万5000人の除隊者を出している。また、帰国したアメリカ兵の20%が戦場でのストレスで精神障害を起こしている。
 イラク戦争にかけているアメリカの戦争負担は毎月120億ドル、死傷兵に対する補償金などを含めると、合計して3兆ドルもアメリカは負担している。とてつもない巨額の負担である。これがアメリカ経済を直撃している。
 日本とアメリカの関係を見直し、今こそ対等な立場にものにすべきだと確信しました。いえ、アメリカとケンカしろと言うんじゃありません。日本もヨーロッパなみに、アメリカと対等な独立国としての地位を確立するよう、交渉すべきだというだけです。これって過激な主張でしょうか…?
(2009年3月刊。760円+税)

医療崩壊を超えて

カテゴリー:社会

著者 田川 大介、 出版 ミネルヴァ書房
 西日本新聞が医療現場の状況をルポしていた記事をまとめた本です。日本もヨーロッパ並みに国民の医療費負担をゼロに早くするべきです。ところが、保険会社の強い圧力に負けて、なかなか国民皆保険が実現できないアメリカでは、金持ちは十分な医療を受けられるけれど、貧乏人は満足に医療を受けられないまま放置されている事態が進行しています。ひどいものです。そして日本がそれを後追いしています。高速道路の料金をタダにするとか1000円にするとか言う前に、やるべきことがあるでしょう。国民を大切にしない政治。保険会社、つまり営利のことしか考えない企業と政治家がのさばっているのが日本の実態でもあります。
 お金があって、力のある人にとって、政治なんて必要ないのですよね。政治は、お金のない、弱者の生活と権利のためにこそ必要なのです。今度の選挙で、医療や福祉が正面から争点とならなかったこと、マスコミがきちんと取り上げなかったことに、私は悲しみと怒りを覚えます。
 日本の医師は28万人足らず。弁護士は、その1割、2万7千人ほどでしょうか。日本の医師は、人口1000人あたり2人しかいない。OECD加盟国の平均は3人。先進国では最低レベル。日本の医師は足りないのですね
 医師国家試験の合格者の3分の1は女性である。
 政府は、全国に25万床ある医療療養病床を15万床に減らし、介護療養病床の13万床は全廃する方針を打ち出した。医療・介護を合わせると、2013年3月までに36万床から15万床へ激減する。うひょう。なんと冷たい、むごい政策でしょうか。老人は早く死ねと言わんばかりの政府の方針です。黙ってなんかいられません。
 医師不足は医局レベルではなく、大学病院自体が直面している。うむむ、なんだか信じられない事態ですよね。それで、日本医師会はよく黙っていますね。自民党政府の応援団として、発言力をなくしてしまったのでしょうか……悲しいことです。
 産科医は、2008年までの10年間で1割以上も減って、出産を休止した医療機関は全国で1000ヶ所以上。
 がん末期の患者の入るホスピス(緩和ケア病棟)に入ると、入院料が103万7800円。保険を使っても自己負担が101万1340円。うへーっ、これっておかしくありませんか。医療を保障するのが国の負担でしょう。やっぱり医療費はタダにすべきです。
 総選挙のとき、民主党は高速道路の利用料をタダにすると公約しました。しかし、それって1兆3千億円もかかることだそうです。そんなお金があるのなら、共産党の言うように老人と子どもの医療費こそ無料にすべきですよ。医療と福祉を粗末に扱う政治は、つまりは国民の生命と健康、そして権利を大切にしないということでもあります。
 月曜日(14日)日比谷公園のなかを歩きました。彼岸花の群生があり、燃え立つような紅い花を咲かせつつありました。曼珠沙華とも言いますが、地上から天に向かって打ち上げた花火のような勢いを感じさせる花です。秋の訪れを実感しました。
 公園では、ツクツク法師が最後の鳴き声を響かせていました。こちらは夏の終わりを感じさせます。
 タクシーに乗ると、中年の運転手さんから、ぜひ景気回復してほしいものですねと、しきりに話しかけられました。民主党への政権交代への期待と不安の混じった天の声と受け止めました。
 
(2009年6月刊。2000円+税)

正社員が没落する

カテゴリー:社会

著者 堤 未果、湯浅 誠、 出版 角川oneテーマ21
 わずか20年前、公務員はぱっとしない職業の代表格だった。今は特権階級の代表格のように言われ、急速に非正規化が進んでいる。地方公務員の3割は非正規の「官製ワーキング・プア」だ。周囲が地盤沈下することによって、相対的な地位が上がってしまい、それが「もらいすぎ」だと攻撃の対象となって「自分はそれに値する」という立証責任を負わされ、結果的には掘り崩されていく。
 65歳以上のアメリカ人の4分の3が一人暮らしで、次にいつ食事がとれるか分からない「飢餓人口」に属している。
 アメリカでは高校生の卒業率が低下し、平均51.8%、半数を割る都市が出ている。競争の導入が原因である。落ちこぼれゼロ法は、裏口徴兵策とも呼ばれている。助成金と引き替えに高校生の個人情報を軍に提供することが義務づけられている。
 チャータースクールは、自由で効率的という美名の下に容赦ない選別が進んでいき、教育格差を広げている。そして、チャータースクールは、教師の労働組合つぶしでもある。民営化は、既存の労働組合を解体してしまう。
 アメリカは日本よりも過酷な学歴社会である。
 アメリカの医療保険の掛け金は年々上昇している。平均して1万1500ドル。そのため、従業員に健康保険を提供する企業が減り続け、今では全企業の63%のみ。
貧困層と呼ばれるアメリカ国民は3650万人、医療保険を持たない国民は
4700万人(15.8%)。これは前年比で220万人(5%)増。新たに加わった無保険者のうち、半数以上が年収7万5000ドル(900万円)の人々。
 ところが、アメリカ国内上位500名のCEOの平均年収は1000万ドル(12億円)。一般の労働者の年収は364倍。ヘッジファンドマネージャーの平均年収は6億5000万ドル(750億円)。これはスーパーで働く労働者のもらう2万8000ドルの2万倍になる。
 アメリカで毎年100万人出る失業者のうち、長期失業者の44%はホワイトカラーだ。そこには教師も医者も含まれている。
 アメリカの医師が転落していった一番大きな原因は9.11以降に高騰した訴訟保険料である。医師の平均年収は年20万ドルに満たない。ところが18万ドルを訴訟保険に支払っていた医師もいた。医師をやめてなったのが保険の外交員。年収1万ドルの保険外交員が1300万人もいる。
 ところで、国民皆保険と言われる日本でも、それが崩れてきている。国民健康保険料の滞納率は21%。1年以上も滞納したときに発行される資格証は33万世帯がもらっている。この資格証では、窓口負担が10割になってしまうので、実質的に病院にはかかれなくなってしまう。日本でも国民皆保険制度が崩れつつある。
 アメリカの若い世代がワーキング・プアに転落するきっかけは、高い学費と学資ローンである。日本でも、衣食住と仲間を得られる最後の場所が若者にとっては自衛隊、高齢者にとっては刑務所になりつつある。
 日本とアメリカを比較しながら対談形式で書かれていますので、とても分かりやすく、考えさせられました。軽く読めて、読後感はずっしりと重たい本です。
(2009年5月刊。724円+税)

社宅街

カテゴリー:社会

著者 社宅研究会、 出版 学芸出版社
 私自身は社宅に住んだという記憶はありません。でも、生まれたのは少し高台にある鳥塚社宅というところでした。そこが、三井の下級職員社宅だったのです。三井の社宅は階級による格差があって、それは見かけで分かります。炭鉱長屋は一目瞭然。下級職員社宅と幹部職員社宅では、塀から違います。
 徴兵されて中国大陸に渡り、終戦後しばらく中国で八路軍とともに行動していた叔父に、故郷の無事を知らせる手紙に社宅で撮った幼い私を含めた一家全員の写真が同封されていました。なつかしい写真です。
 小学校にあがる前後からは、炭鉱社宅に出入りしていました。父が脱サラして小売酒屋を始めたので、私も酒やビールを配達し、また集金していたのです。
 社宅に入ると、まさに子どもがうじゃうじゃといました。広場ではメンコ(パチ)が流行っていました。子どもたちは、ここ、あそこで異年齢を含めて群れをなして行動していましたから、かえっていじめは少なかったように思います。
 この本は、そんななつかしい社宅の実情を、日本全国駆け巡って明らかにしています。
 新居浜の山田社宅が登場します。ここには、兄一家が生活していましたので、私も、弁護士になりたての頃ですが、出かけたことがあります。今も、かなり残っているということです。福岡県内にたくさんあった炭鉱社宅も残しておけばよかったと思います。
 社宅は、日本の文化の一つだったと、たしかに思います。悲惨なことばかりではなく、相互助け合いの場でもありました。
社宅街とは、企業が所有する福利施設により構成された地域とする。たしかに、劇場もあったりしたのです。共同便所はともかく、大きな共同風呂がありました。今の生協のような売店がありました。炭鉱では売勘場(ばいかんば)と言います。そこでは、給料引きになる金券(きんけん)が通用していました。
 社宅には監視員がいて、閉鎖社会でもありましたが、労働運動の拠点、その単位にもなったのです。人々の交流は密でした。
 職員社宅と炭鉱長屋とは、画然とした区別がありました。差別と言ってよいでしょう。だから、鉱員も教育には熱心でした。教育にお金をかけて大学に行かせたら、よい社宅に住めるわけです。
 近代化日本を底辺で支えたのは、この社宅群だったのではないでしょうか。
 いい本です。画期的な労作だと思いました。
 コモはイタリア北部にある小さな都市です。コモ湖に面していますが、市内の中心部には、狭い路地が縦横に走っており、そこにブティックがあり、観光客がアイスクリームをなめなめ、そぞろ歩きしています。ですから、コモの街を楽しむためには、バスの走る大通りから、一歩、路地へはいりこむ必要があります。
 大勢の老若男女、そして子ども連れが路地をぞろぞろ歩いていますので、ちっとも危ないこともありません。もっとも、私のすぐ前を、若い警察官2人が歩いていきました。彼らは、やがてブティックのなかへ入っていきました。
 翌日は、早朝に出発する予定でしたから、6時に夕食をスタートさせようと思って適当なレストランを物色するのですが、時間が早すぎます。ようやくテーブルクロスをかけたりして、セッティングをはじめる状況です。仕方ありません。路地をふたまわりして、なんとか先客のいるレストランに入り込みました。広場に面した、というより、広場の一角にテーブルをならべたレストランです。大きな陽覆いがあります。そうなんです。夕方6時なんて、まだ日本では午後4時ごろの感覚です。広場を眺めながら、注文を取りに来てくれるのを待ちますが、おじさん一人でやっているため、なかなか注文取りに来てくれません。テーブルは次第に埋まってきました。メニュー表の前に立ち止まった人を見かけると、おじさんがにこやかに声をかけるのです。客の呼び込みが先決なのでした。
 ようやく注文しても、料理が運ばれるまで時間がたっぷりかかりました。私の方も急ぐ用事はありませんので、赤ワインを飲みながら広場を行きかう人々を眺めます。中高生のような思春期の青年の姿はなぜか見かけません。家族連れの子どもは小学生くらいまでです。思春期の若者たちが集う場所は、おそらく別なのでしょう。ですから、広場は静かな大人の雰囲気です。
 隣にすわった老夫婦は、注文を取りに来るのがあまりに遅いと思ったのか、途中で席を立って別のレストランへ移っていきました。
 犬を連れた人も多く、小さな犬を胸に抱きかかえた若い女性が、連れの女性と一緒にテーブルに座りました。犬がうるさく鳴いたり吠えたりすることもありません。
 ようやく料理が運ばれてきました。
(2009年5月刊。3000円+税)

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