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カテゴリー: 社会

小沢一郎、虚飾の支配者

カテゴリー:社会

著者 松田 賢弥、 出版 講談社
 ついに政権交代が実現しました。政権が変わることによって、すべてがたちまちバラ色に変わるなんて、まったく思いません。でも、長く続いた自民党政治を、一刻も早く終わらせたいとは、大学生のころから、つまり40年間、ずっと思い続けてきました。それがようやく実現して、感無量です。
 アメリカでは一足早く、チェンジつまり変革を叫んだオバマ政権が誕生しました。どうせ同じアメリカ帝国主義じゃないか、そんな冷めた見方もあります。だけど、オバマ大統領は核廃絶を真剣に呼びかけているじゃないですか。環境問題についても、前のブッシュとは比べものにならないほどの真面目な取り組みをすすめています。イラクから撤退するという方針も評価できます。ただし、なぜ今もってアフガニスタンにこだわるのか、その点はさっぱり理解できません……。
 いいものはいいと、高く、きちんと評価する。それは、オバマ政権であれ、今度の民主党政権であれ、必要なことだと思います。無用なダム建設をやめる。後期高齢者医療制度を見直す。子ども手当を支給する。いろいろ、いいことを打ち出しています。私は、大歓迎です。教育予算を増やして、高校だけではなく、大学まで授業料も無料とし、学生には生活費も補助するというように、日本は人材(人間)育成にもっとお金をかけるべきです。ダム建設よりも、よっぽど有効なお金の使い方だと思います。
 それにしても、気になるのが、「ダーティ小沢」です。この本は、次のように叫んでいます。
政権交代の前にはすべてが許されるのか。政権交代という看板を掲げていれば、ゼネコンから巨額なカネをもらい、その金も化けた政治資金で10億円にのぼる不動産を買い集めたことに一片の釈明もしなくていいのか。
 小沢は、「やましいことは一点もない」という。果たして、本当なのか……。
 小沢にとって、権力とはカネだ。小沢にとって、政治とは自身のあくなき権力欲を満たすためのものではないのか……。
 民主党の幹事長という要職を占める小沢一郎は、今こそ国民の前で自らの疑惑について語る必要があると思います。秘書に責任をなすりつけてはいけませんよ。
 西松建設の裏金の総額は、20億円をこえる。うち、国内分が10億円、海外分が10億円。国内分は、全国の支店が下請業者から工事費を還流させたり、架空経費を計上したりする手口を使っていた。
 ところが、小沢は次のように開き直っている。
 「ゼネコンから選挙の応援を受けたり、資金提供を受けてなぜ悪いのか。応援してもらうのは、あたりまえでしょう」
 小沢一郎の政治団体は、政治資金パーティを開いて、4年間で4億円近くも集めた。ところが、そのパーティ券は、どこの誰が買ったか明らかにされていない。これではまったくのザル法ですよね。
 小沢は、陸山会の政治資金によって、1994年から都内にマンションを買い始めた。今や、10億円を超える。すべて小沢一郎名義である。
 虚飾に覆われた小沢の支配者の仮面は、いつか剥がれおちる日が来るだろう。小沢一郎の仮面が剥がれたとき、民主党も政権を手放すことになるのか、それは今のところ予測がつきません。脱ダム、脱公共工事をすすめていったら、脱小沢一郎になってしまいます。それを小沢一郎が許すのかどうか。そのせめぎあいが当分つづくのではないでしょうか。
 民主党の暗黒面、自民党と同じ利権体質の政治家が生き延びるのか、ぜひとも注目していきましょう。
 連休中に、青空の下、モズの甲高い鳴き声を聞きながら、庭にチューリップの球根をせっせと植えつけていきました。畳1枚半ほどのスペースに、200個の球根を植え付けました。スコップで一個一個掘るので、ついに親指の付け根のところに豆ができて、つぶれてしまいました。
 いま、庭には黄色いリコリス、そして同じく黄色のエンゼルストランペットが咲いています。地面の足もとにはピンクかかった白いゼフィランサスの可憐な花もあちこちで咲いています。
 空を見上げるとピンクの芙蓉もまだまだ咲いていて、そのそばを赤とんぼが悠々と飛んでいました。稲刈りも間近です。秋も深まりました。
 
(2009年7月刊。1500円+税)

1968(上)

カテゴリー:社会

著者 小熊 英二、 出版 新曜社
 1968年というのは、私が初めて東京で過ごすようになって大学生活の2年目でした。安田講堂を突然占拠した学生を排除するために、起動隊が導入されたのが6月のこと。それから長いストライキ闘争が始まりました。翌69年3月まで授業はなくこの年4月に東大は新入生を迎えることができませんでした。
 この68年4月から69年3月までの1年間の学生たちの動きを、体験をもとにして丹念に追って小説としたのが『清冽の炎』1~5巻(花伝社)です。残念ながら反響がなく、ほとんど売れませんでした。この本は、その『清冽の炎』も何回となく引用しながら、東大闘争とはなんだったのかを論じています。
 しかし、いやはや、さすがは学者です。上巻だけで1090頁もあります。東大闘争の部分だけでも300頁もあります。そして、引用できるあらゆる活字資料にあたったようです。とくにすごいのは、当時の週刊誌にまであたって、引用していることです。
 東大全共闘とセクトの関係について、私はセクトの影響力というか支配力は、著者の指摘よりは強かったように見ています。
 各セクトの勢力は拮抗状態で、一つのセクトが東大全共闘を支配することはできなかった。東大では支配的セクトがなく、ノンセクト活動家も発言力を持つ柔軟な運動が可能となった。
 ここでいう柔軟な運動というのは何なのでしょうか。私には思いつきません。全共闘は全学バリケードストライキを一貫して狙っていました。そして、東大解体をスローガンとして叫んでいたのです。
 ノンセクト活動家が中核に位置したことは、セクト嫌いの学生を、東大全共闘に引きつける効果をもたらした。
 たしかに、こう言える面はあったかと思います。東大解体、帝国主義大学解体、自己否定しろという叫びを聞いて、胸に手をあてて考えた東大生がいたことはたしかです。でも、東大をやめて行った人は、ほとんどありませんでした。私の知る限り、たった一人だけです。彼は、中退して工場労働者として働きはじめ、組合活動をしていました。やがてバレて経歴詐称として解雇されたので、裁判闘争に持ち込みました。彼はタカ派の自民党代議士の息子でした。いま、彼は一体どうしているのでしょうか……。
 東大闘争では、運動の副産物であった「主体性の確立」が目的化したのと似て、「自己の生き方を問う」ことが主題として浮上してくるという特異な展開をとげていった。
 「自己否定」とは、エリートによる、エリートのためのスローガンであった。東大全共闘が占拠した安田講堂は、大学側が電気・水道・ガスを供給し、東大の代表電話にかけたら、安田講堂内の全共闘メンバーを呼び出せた。大学当局の保護下での占拠なのは明白だった。
 東大全共闘の闘争は、彼らが避難した日本の「大学の自治」の通念に守られていたからこそ可能だった。
 日大闘争が終わったとき、日大への絶望感から、1万人の中退者が出たのに対して、東大闘争で東大を中退した学生は少数だった。
 宮崎学の『突破者』は、私も面白く読みましたが、図書館前で激突したのが宮崎学の指揮する「あかつき戦闘隊」、著者のいう「共産党の行動隊」というのは、いささか事実に反しています。そこには駒場から駆けつけた大勢の学生が主力だったのです。もちろん民青ばかりではありません。全共闘による占拠に反対する声はかなり強く、身体を張ってでも阻止しようという学生は少なくありませんでした。これは、よく考えてみれば当たり前のことではないでしょうか。
 何の手続きも踏まずに一方的に暴力的に図書館などの建物を占拠して、出入りを禁止しようという動きがあるのに怒って、それを阻止しようと考える学生は多かったのです。もちろん、あとで聞いて知りましたが、宮崎学の「あかつき戦闘隊」も背後に控え、ときに前面に出てきていたのかもしれません。しかし、東大全共闘対「共産党の行動隊」という図式で描かれてしまうと、その場に居合わせた多くの駒場の学生は、ええっと驚き、のけぞってしまうと思います。
 ただ、東大全共闘が一般学生から指示を失いつつも、3割台で一貫していたという点は、たしかにそうだというのが私の実感でもあります。というのは、69年3月になって、ようやく授業再開しようというときに、まったく新手の全共闘のデモ隊が来るのに驚き、かつ、呆れた覚えがあるからです。でも、本格的に授業が始まると、直ちに平静になり、民青やクラ連だけでなく、全共闘の学生までみんな授業に出て、半年間の遅れを取り戻そうとしていました。もちろん私も、ご多分にもれません。
 ともあれ、1968年に何があったのか、そこでは何が問われていたのかを知るためには、必須、不可欠の本だと言わなければなりません。私も大いに勉強になりました。
 
(2009年7月刊。6800円+税)

ラブホテル経営戦略

カテゴリー:社会

著者 山内 和美、 出版 週刊住宅新報社
 ラブホテルは不況に強い投資物件だ。そうかなあ、いや、そうだろうな・・・。ラブホテルのプロデューサーが若い女性だというのにも驚きました。そして今や、ラブホテルには、美味しい料理があり、リピーターで持っているのだというのです。世の中、変わりましたよね。
 ラブホテルとは法律上、風俗営業法の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)の届け出をして営業しているホテルのこと。
 ラブホテルには昼間からたくさん客が来る。宿泊より昼の休憩の利用客が多い。昼は不倫が多い。不倫の客はラブホテルにとって大切なお客様である。
 もう一つの大切なお客様はデリヘルなどの玄人。1部屋が3回転、1回転あたりの客単価は平均7000円。1日あたりの1部屋の売り上げが2万1000円。月にして63万円。つまり、1部屋あたりの平均売り上げは50~60万円。これが20室で、月1000~1200万円。これが並より少し上のランク。
 一般的にラブホテルとしてもっとも効率が良いのは、20~30室。
 20室で月1200万円の売り上げだと、経費は半分なので利益は月600万円。3億6000万円でホテルを買収して、2~3年で投資金額は回収できる。
 仕入れも在庫もない。そして現金商売である。これが儲かる仕組みだ。
ラブホテルのお客のメインは、20歳代~30歳、40歳代。若い世代。安い部屋を多く利用する若い層をどれだけ固定客にするかでホテル経営の成否を分ける。
 ラブホテルのお客様はリピーターが7~8割。ラブホテルは、リピーターがつきやすい商売である。ラブホテル代を割り勘にするカップルや、女性が支払うケースは普通にみられる。ラブホテルは野立看板で誘導する。
 全国のラブホテルで稼働しているのは2万軒。そのうち、コンピュータシステムは半分。残り半分はまだアナログ系。ラブホテルの備え付けのアメニティとして化粧品やシャンプーを置いているが、不倫が勘づかれないよう匂いのあるものは置いていない。
 なーるほど、そうでしょうね…。
コンピュータシステムを入れていないホテルでは、従業員の不正に頭を悩ませることになる。不正を防止するため、オーナーは、24時間、365日営業のラブホテルでいつも監視していなければならなくなる。疲れて病気になってしまう。
 実際、私も同じ話を聞いたことがあります。
ラブホテルのことが少し分かりました。それにしても、ラブホテルを経営して儲かるためには大変な苦労が必要のようです。
北九州へ行ってきました。スペースワールドのすぐ前のホテルに泊まったのですが、土曜日の昼というのに、スペースワールド駅から降りる人はほとんどいません。そして、日曜日も快晴でしたが、駅に人はパラパラとしかいません。大きな観覧車に乗っている人もごく少なく、これでは動力代のほうが高くつくでしょう。
北九州市が鳴り物入りで始めたスペースワールドがこんな悲惨な状況にあるのを実感しました。
 そもそも、地方自治体がテーマパークに大金を投入すること自体が間違いだと思います。大牟田のネイブルランドは30億円も大牟田市が借金返済していますが、当時の市長も誰も、責任をとっていません。こんな税金のムダづかいは許せません。
(2009年8月刊。1700円+税)

北の反戦地主、川瀬氾二の生涯

カテゴリー:社会

著者 布施 祐仁、 出版 高文研
 矢臼別演習場のど真ん中で生ききった反戦地主の等身大の実像を素直なタッチで紹介しています。
 矢臼別演習場の広さはなにしろJR環状線内の大阪市街と同じほど。1万7千ヘクタールもある。155ミリ榴弾砲をフル射程で撃てる。陸上自衛隊だけでなく、最近では、沖縄に駐留するアメリカ海兵隊も訓練している。これはイラクのファルージャ掃討戦をやった部隊です。白リン弾を使ったとして国際的に非難されましたが、その白リン弾の射撃訓練も矢臼別でやったようです。
アメリカ海兵隊の輸送は行きは自衛隊機、帰りはチャーターした民間機が使われた。武器、弾薬の輸送は日通が請け負った。警備を担当した北海道警察は900人の警官を動員した。町の公民館や体育館が、その宿舎に使われ、その間、住民は利用できなかった。
 射撃情報警告塔は電光掲示板付きで17億6000万円。食費6億4500万円。宿舎3億6500万円。野外トイレ6200万円。次々に豪華なアメリカ軍事用施設が作られていった。すべて日本政府の負担。つまりは、日本国民の税金によって建てられたもの。ここでも思いやり予算は生きている。
 馬を飼っていた。その馬は演習場の中を自由に駆け回り生きる。馬舎というのはないのです。馬は塩を与えると寄ってくるのだそうです。
 川瀬さんは農民組合の書記長もしたが、実は食えなくて出稼ぎにも行ったし、ストレスから自律神経失調症となった。奥さんとも離婚する寸前までいった。
 そんな川瀬さんが自分のことをこう語った。みんな、俺のことを強い信念を持った立派な人だから、ここまで頑張っていると思って来る。しかし、そういう人間だったら、多分、ここにおれなかった。ここに残ったのは、ここを出て行く勇気がなかったからとしか言いようがない。馬を演習場の中に野放しにするなんていうずぼらなやり方は、いい加減な人間にしか出来ない技だべな。だから、ここにおれたのは、グズで、ぐうたらで、どうしようもない人間だったからだと本当に思っている。オレの意思でここにいたわけではなくて、ここにおらされたんじゃないか。そのときどきいるようにいるようになってたんだ。こうゆうのを運命っていうのかな。
 とても素朴な述懐です。なるほど、そうだったのかもしれないなと思いました。まったく気負いというもののない率直な人柄のにじみ出てくる言葉です。
 でも、それが世の中を少しずつ動かしていったのですね。いい本でした。ありがとうございます。
(2009年6月刊。1600円+税)

壊れても仏像

カテゴリー:社会

著者 飯泉 太子宗、 出版 白水社
 仏像の修復作業に携わっている著者による本です。仏像について、いろいろ教えられました。美術院国宝修理所というのがあることも初めて知りました。
 本物の仏像の前に立つと、何かしら時間とは何かということと同時に考えさせられるものがありますよね。
 アフロ仏と呼ばれる、頭がアフロヘアーになった阿弥陀如来(あみだにょらい)像がある。人々をどうやって救おうかとあまりに長く考えていて、髪の毛が伸びてしまったのだそうです。五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏というそうです。一度見てみたいものです。
 平安時代の仏像は一木作りの仏像が多い。単純な一木作りのほうが、江戸時代の寄木作りよりも遙かに耐久性に優れている。寄木作りは、小さい木材でも大きな仏像を作ることが出来る利点がある。しかし、木材と木材とを接合するために一手間かかり、時間が経つと接合面の接着部が弱まって外れてしまう欠点も持っている。
 一木作り(いちぼくづくり)は、頭の先から足底までを一本の木から彫りだした像のことで、ほとんどの場合、両腕や足先については別材を剥ぎつけている。この一木作りは、干割れやねじれが出やすいという問題点がある。そこで、内側を取り除いて中空にしてしまう。
 仏像を修理するときには、そこにあるホコリも粗末に扱えない。その中に仏像の破片が埋もれているかもしれないから。そして、修理が終わったら、ホコリも元あったお寺に残しておく。ホコリも粗末に扱えないのですね…。
 仏像を博物館や美術館に並べる前にはもちろん、修復するときも「魂抜き(たましいぬき)」とか「御霊抜き(みたまぬき)」ということをする。修復が終わり、展示が終わると、魂入れをする。これは、一般の法事と考えていい。
 なるほど、ですね。一般人だって家を建てるときには地鎮祭という儀式をするのが通例ですから、当然でしょうね。手書きイラストもあって分かりやすい、親しみやすくもあり、仏像の修復のことを少しばかり知ることが出来ました。
 まだ35歳と若い著者ですが、5年ほど前に、夫婦で1年半ものあいだ世界中の文化遺産を見てまわったということです。すごいことです。たいしたものですね。還暦を迎えてしまった私なんか、とてもそんな元気はありませんが、あこがれてしまいます。
(2009年7月刊。1700円+税)

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