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カテゴリー: 社会

自殺社会から生き心地の良い社会へ

カテゴリー:社会

 著者 清水 康之・上田 紀行、 講談社文庫 出版 
 
 日本では毎年3万人をこえる人が自殺で亡くなっています。私も前からこのことは知っていました。しかし、3万人という数が頭にあまり入ってきていませんでした。ところが、清水氏自身が東京マラソンの様子をビルの屋上から撮影した映像を見て、途中から身震いしてしまいました。東京マラソンの出場者も同じ3万人なのです。東京都心の広い道路をマラソン参加者が埋め尽くしています。もちろん、全員が異なったナンバーを表示するゼッケンをつけています。そのあふれるような人々の流れが延々と、なんと20分も続くというのです。すごい映像です。圧倒されました。ゼッケンをつけてひたむきに走っている一人ひとりに、それぞれのナンバーがついているように、自殺して亡くなった3万人一人ひとりにも、その人だけのかけがえのない人生があったはずです・・・・。
 清水氏の話を聞きながら東京マラソンで走るランナーを見ていると、なんだか泣けてきました。ああ、今の日本って、本当に生きている人を大切にしないんだなと思ってしまったことでした。
 日本に駐留するアメリカ軍への思いやり予算については、民主党政権は自民党と同じく、最優先であり、削減の対象とはしないというのです。そのくせ、中小企業対策費や福祉予算は減る一方です。とんでもない国です。それなのに、今、マスコミは、国も地方も議員を減らせ、公務員を減らせ、高すぎるから給料を引き下げろの大合唱の先頭に立っています。マスコミまで民主党と同じひどさです。もっとお互いに人間に優しくしましょうよ。
 日本の自殺者3万人は、交通事故による死者の6倍。日本の自殺率は、アメリカの2倍、イギリスやイタリアの3倍。働き盛りの40~60代の男性の自殺が全体の4割を占める。
20~30代の死因のトップが自殺であり、80歳以上も31.4と、前世代平均の25.3を大きく上回っている。
 男女比は7対3で、女性は少ないかと思うと、自殺率は男性で、世界第8位であるのに対して、日本の女性の自殺率は世界第3位と高い。いやはや、そうなんですか・・・・。
 現代日本社会において、自殺は「時代を象徴する死」であり、個人的な問題として看過できない「社会構造的な問題」なのである。自殺者3万人に対し、自死遺族は、死者の4~5倍はいる。つまり、毎年12~15万人が自殺によって家族を失い、自死遺族となっている。現在、日本全国の自死遺族は300万人もいる。
 札幌の地下鉄のホームに立つと、線路の向こう側に大きな姿鏡がある。電車への飛び込み自殺を防止するためのもの。鏡をつけておく必要がある。発作的に電車に飛び込もうとした人が、その鏡面にうつった自分の姿を見て、はっと我にかえって思いとどまることがある。うへーっ、そうなんですか。よく注意して見てみましょう。
日本の社会は、「負け組」の象徴として自殺を扱っている。日本社会の誤りは、3~40年もの永いあいだ、あまりにも勝ち続けてしまったことにある。
 今の若い人は、日本が豊かだった時代を知らずに青春時代を送ってきた。そして、ただひたすらおとなしい学生が増えている。
団塊世代についても世代論が語られていますが、こちらは納得できないと思いました。あまりにも一面的で皮相な見方なので、団塊世代の一人としてとても残念に思いました。世代間の対立をあおってほしくはありません。
それはともかくとして、いろいろ考えさせられる文庫本です。
 
(2010年3月刊。581円+税)
 冬を迎えて庭の手入れに精を出しています。芙蓉とエンゼルストランペットは根元から切り取りました(毎年のことです)。球根類が増えすぎていますので、植え替えてすっきりさせています。残っていたチューリップを植えていると、頭上にメジロの鳴き声がします。なんとハゼの実をメジロたちが群がって食べているのです。ひとしきり食べたあと、やがていなくなりました。ハゼの実をメジロが食べるなんて知りませんでした。このハゼの木は実生で自生したものです。夏前にハゼ負けで皮膚がかゆくなった、あのハゼの木です。根元から切り倒すかどうか少し迷っています。

誰かボクに、食べものちょうだい

カテゴリー:社会

 著者:赤旗社会部、 出版:新日本出版社 
 
 このタイトル、信じられませんよね。これが飽食日本の現実だというのですから・・・・。
 10月に盛岡で開かれた日弁連の人権擁護大会のテーマのひとつが「子どもの貧困」でした。その会場で売られていた本です。
 日本の子どもの貧困率は14.2%。子どもの虐待の根っこには貧困がある。4人家族で年間所得が254万円以下が貧困ライン。貧困ライン以下の所得で暮らす子どもが
14.2%を占める。子ども7人に1人、30人の学級なら4.5人の子どもが貧困のなかに生活している。
 この本は、困難な状態にある人たちに、あなたが大変な状況にあるのは、あなたのせいではない。どうしたら、この状況を変えられるのか、ゆっくりでもいいから一緒に考えようと呼びかけています。助け合いのできる社会をつくっていこうという呼びかけです。
 乳児保育のための国からの補助金は、10年前と比べて年間630万円も減っている。
 保育料を滞納する家庭が増え、行政の取り立てが厳しくなっている。広島市では、2007年度から滞納している家庭は、市役所の窓口で滞納解消計画を立てないと通園が設けられなくなった。
2008年の夏休み、都内で小学校の男児が買い物袋をさげた通りすがりの人に「食べ物をちょうだい」とねだっていた。この男児の母親は障害をかかえ、自分ひとりの生活もままならない。同居していた祖母が前年春に亡くなってから、男児は給食を食べに学校に来ているような状況だった。夏休みに入って給食がなくなった。プールのために登校してきたときには教職員などがおにぎりをやっていた。カップラーメンを持たせると、「お母さんに持って帰っていい?」と訊く男児。しかし、お盆はプールも休み。ついに通りで食べ物をねだるしかなかった・・・・。
 なんということでしょう。これが、今の日本の現実なんですね・・・・。2学期の始まる前、男児は自分から教師に「ぼく、児童相談所に行く」と言い、そのまま施設に入ることになった。    
ご飯が食べられない。風呂に入っていない。水道やガスが止められている。夏は臭いがするので、教師が生徒の頭をシャワーで洗ってやることもある。その母親は朝8時から深夜まで働いていて、ローンの支払いに追われ、まったく生活に余裕はない。
 まじめな貧困は共感されるが、ふまじめな貧困は共感されず、むしろ攻撃される。 
 そうなんですよね。生活保護を受けているひとがパチンコしていると、目の仇にされ、廃止しろと市民が文句をつけるという現実があります。お互い心の余裕を喪っているのです。女子の若年出産と性産業とのかかわりの背景に、貧困の問題がある。
OECDの30カ国のうち、高校の授業料が無償化されていないのは、日本のほかは3カ国のみ(イタリア、ポルトガル、韓国)。保育園も、1、2歳児は多くの国で無償としている。
フランスは、所得の再分配によって子どもの貧困率を24%から7%に減らした。日本は逆に増やしている。学校で、1クラスの人数は20人でも多いというのが世界の流れである。ええーっ、日本って、そう考えると、本当に子どもを大切にしない国なんですね・・・・。
 子どもが自分に見切りをつける時期が早くなっている。うちは貧乏だから勉強なんかできないよと子どもがいう。貧困と格差の広がりが、今、確実に子どもたちの健やかな成長を脅かしている。
未来は青年のもの。これは、私がまだ青年のころに聞いたなかで一番気に入っていたキャッチフレーズです。子どもは、その青年の卵。まさに国の宝です。その子どもたちを大切にせずして、日本の未来はありません。子どもを飢えさせる政治なんて根本的に間違ってますよ・・・・。プンプンプン、怒りのうちに、この本をおすすめします。
(2010年11月刊。1500円+税)

希望を持もって生きる

カテゴリー:社会

 著者 釧路市生活福祉事務所、 筒井書房 出版 
 
 驚きの本です。サブ・タイトルに「生活保護の常識を覆すチャレンジ」とあります。ええっどういうことなの・・・・?
 釧路市の人口は19万人弱。水産、石炭、そして紙パルプの町として栄えてきた。水産は水揚げ日本一を誇っていたのが、いまや最盛時130万トンのわずか1割10数万トンでしかない。石炭は最後まで残った太平洋炭鉱が閉山してしまった。紙パルプ産業も縮小し、失業と人口減に悩む町になった。
 生活保護世帯は5581世帯。保護率は46.1パミール。平成20年度の保護申請は
888件、保護開始が777件、廃止が485件。母子世帯が16.3%いて、これは全国平均8%の2倍。受給世帯の子どもの割は母子世帯の子ども。
 これまではよくある話です。ここからが違います。釧路市の生活福祉事務所はコペルニクス的転回を遂げるのです。
第一に、福祉事務所になじみのある「就労阻害要因」は何かという切り口から受給者の「自立」をとらえるのではなく、「社会資源・社会参加」という切り口から受給する母子世帯の問題を見る。
 第二に、「点検管理」という伝統的なアプローチではなく、「自尊意識の回復と醸減」という当事者のエンパワメントを意図してアプローチする。
 第三に、「就労一筋」に対して、「中間的就労」という造語表現をつかって、ステップをもうけることに意識付けをする。
 第四に子ども支援に取り組む。具体的には、母子受給世帯のなかの子どもたちに呼びかけて「高校行こう会」をスタートさせた。教える側の一員として保護受給中の人にも参加してもらう。
 このほか、病院ボランティア、公園管理ボランティア、廃材分別作業ボランティアなど、いろいろあります。
 受給者には、確かに認められ大切にされていると感じる経験、人に感謝され誰かの役に立っているとい感じる経験が必要だ。そのことから、人間に備わっている自己回復力のようなものが働き、ゆっくりでも着実に、行動するための活力が湧いてきて、自分から「社会に出てみるのも悪くない」「もう一度社会とのかかわりをもってみよう」と徐々に思えるようになっていく。
 参加を迷っている人に対しては、「ためしに参加してみてはどうですか。参加してみて、良かったらずっと参加していくし、合わなかったら、ほかも紹介できますし・・・・」と話す。すると、たいてい「ためしなら・・・・」と言って参加してくれる。「絶対」という言葉で萎縮して一歩踏み出せないよりは、心も軽く外に出てみることのほうが大切なのだ。
無償のボランティアが受け取る対価は「人の役に立っている」という意識と「ありがとう」という言葉だ。「ボランティアができるなら、すぐに働けるだろう」という声があがることもあるが、結果をあせらず、十分な助走が大切である。
 受給者のなかには、人と話す機会もすくなく、ひきこもりがちになっていた人も少なくない。人は決まった時間に出かける場所や仕事、楽しいイベントなどがあると、前もって準備し、身づくろいもする。誰かに「生活をきちんとしなさい」と言われても気乗りしないが、自分の内側から出る意思で行動するぶん、生活リズムが整い、それが習慣となって身についていく。働くということは、「生活のためにお金を稼ぐ」ことだけでなく、自分を生かし、あてにされ、しゃかいとのつながりを通して自分自身を確認することでもある。
 このように釧路市では、いわば市役所が地域に出て行っているのです。驚きましたね、この発想と行動力には・・・・。
 その中心にあるのは、受給者の自尊感情の回復。就職に必要な資格取得であれ、就労体験的なボランティア活動であれ、受給者の自尊感情の回復を抜きにしては前に進むことはできないのだ。
 まさしく、そのとおりですね。「毎日つらかったけれど、今は人間に戻った気がする」というボランティア体験者の声は本当にすばらしいです。
人を支える生活保護。これが地域に生きる福祉事務所の役割なんだ。なんと素晴らしい言葉でしょうか。
今は世迷言と言われそうなフレーズを口にしながら、そのような釧路をつくる道程にこそ私たちの希望が宿るという信念を貫いていきたい。
 これがこの本の結びの言葉です。心から大きな拍手を送ります。多くの人にこの本が読まれることを願います。岐阜で開かれた第30回全国クレサラ被害者交流集会の相談員分科会の会場で、釧路はまなす会の方の紹介で知って、すぐに買い求めた本です。本当に買って良かったと思いました。ご紹介、ありがとうございました。
(2009年10月刊。1600円+税)

日本人の階層意識

カテゴリー:社会

 著者 数土 直紀、 講談社選書メチエ 出版 
 
 2000年代になると、男女をふくめて四年制大学への進学率は40%に達し、2009年には50.2%になった。
 高校への進学率は、数十年も前に90%を超えていて、もはや高校への進学は特別なことではなく、まったく普通のことになっている。1985年にもっとも大学への進学率が高かったのは広島県(40.8%)、奈良県(40.5%)、兵庫県(39.6%)と続く。逆に、もっとも低かったのは、青森県(17.8%)、新潟県(19.0%)、岩手県(19.7%)となっている。
 1970年代には学歴には、それほど象徴的価値が見出されていなかった。時代が現代に近づくにつれ、学歴は象徴的価値をますます獲得し、現在は過去数十年間のなかで、もっとも学歴に象徴的な価値が付与されている時代である。
実証的な研究によると、日本人がアメリカ人と比較して、とくに集団主義的であるという証拠が見出されなかったばかりでなく、日本人のほうが個人主義であるとみなしうる研究成果も少なくなかった。つまり、なんとなく、アメリカ人は個人主義的であり、日本人は集団主義的であるというイメージを持っているが、実際には、必ずしもそうとは言いきれない。そして、国民の多くが自分のことを中だと思っていた「総中流」は、なにもとりわけ日本的な現象ではなかった。それは、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンといった先進国にも共通してみられる現象だった・・・・。
 1970年代、1980年代の一億総中流は、人々によって所属階層を判断する基準がバラバラであったことによってもたらされていた現象なのである。
一億総中流と呼ばれた時代の日本人の階層意識が特徴的だったのは、「中」と感じている人々の間に共通する社会的、経済的地位を見出すことが難しく、そのために「中」について明確な階層的輪郭を描き出すことができなかった点にある。
 人は、時間の流れの中にのみ存在する歴史的存在であったように、ある場所の上にのみ存在する空間的存在なのである。だからこそ、人々の参照する情報が空間的に偏って存在しているために、人々の意識も空間的な偏りを持つことになる。
 かつての日本人があたりまえのように考えていた一億総中流論は、今では、はるか昔のことであり、現在は格差社会、富める者はますます富と権力を持ち、貧しき者は家を失い、餓死してしまう存在になっている。
このようなことを少し違った角度で考えさせてくれる本でした。
(2010年7月刊。1600円+税)
 金華山に登ってきました。稲葉山城ともいいます。そうです、岐阜に行ってきたのでした。ロープウェーで頂上近くまで一気に上って、そこから10分ほど石段と急勾配の坂道を登っていくと、コンクリートで再現された岐阜城に辿りつきます。お城からは360度のパノラマ展望です、秋晴れの快晴の日でしたから、遥か遠く名古屋のツインタワーまで眺めることができました。眼下の岐阜市内そしてゆったりと流れている長良川を見おろすと、信長の天下布武の気持ちもちょっぴり実感できます。ふもとの岐阜公園では信長居館の発掘作業がすすんでいました。当時の建物が再建されたら、ぜひ見たいものです。
 見事な紅葉あふれる公園内の喫茶店に腰掛けて、おでん、五平餅、そして甘酒を頂きました。甘いみそだれのおでん、米粒の残る五平餅、昔ながらの素朴な甘酒をいただきながら、秋の柔らかな日差しを浴び、幸せなひとときでした。ただ、左ひざの痛みを覗けば…。
 泊まった都ホテルは、長良川に面していて、部屋からは全山紅葉で映える金華山に屹立する岐阜城の雄姿を眺めることができました。

脱・「子どもの貧困」への処方箋

カテゴリー:社会

著者:浅井春夫、出版社:新日本出版社
 10月に盛岡で開かれた日弁連の人権擁護大会で素晴らしい劇をみました。東京の若手弁護士たちが関わっていることは分かっていましたが、その迫真の演技に、まさか弁護士が演じているとは思えません。ところが、あとでパンフレットを見てみると、ほとんど弁護士が演じていたのです。すごい、すごいと一人で興奮してしまいました。
 といってもストーリーの内容は悲惨です。離婚した母親。職場や地域でいじめにあって、うつ病。住まいはゴミ屋敷と化します。二人の子どもたちは満足に食事をとらせてもらえなくて心身ともに発育不良。社会に出ても、なかなか落ち着けない。そんな苦労話のなかで、弁護士との接点が少しだけ明るい話として登場してきます。いやあ、本当に、世間の風は冷たいよね。思わず、涙ぐんでしまいました。この劇の骨子を提供しているのが、この本です。日本の悲惨な現実を改めて認識させられました。
 子どもの貧困は、現代日本の政策によって緩和されるどころか、つくり出され深刻化している。子どもを養育する大人が複数から一人親になることで、生活の貧困化が急激にすすむ現実がある。「子どもの貧困」は、個人・家族の責任だけに帰する問題ではなく、社会が生み出す問題として考えなければならない。
 今の日本の現実の一例。
○ 給食がないので、夏休み明けに10キロも痩せてくる中学生がいる。
○ ほとんど給食だけで暮らしている子どもがいる。
○ コンビニ弁当、カップラーメン、冷凍食品、お菓子など、まったく手づくりの食事をとったことのない子どもがいる。
○ カッパや傘がなく、雨が降ったら無断欠席する子どもがいる。
 うへーっ、これが金持ちニッポンで子どもたちの置かれている現実なのですね・・・。
 子どもを虐待する親の特徴。
 第一に、自己評価の低下サイクルに陥っている。 
 第二に、親は自らの行為を虐待であると思わないか、認めようとしない。
 第三に、社会的に孤立している。
 第四に、ストレス解消法を知らない。
 第五に、子育ての間違いに気がついておらず、「体罰」を「しつけ」と考えている。
 そうなんですか・・・。
 1990年から2008年までの18年間で、高校三年生の性交経験率は、5分の1から半数へ急増した。性被害・加害経験の多さも、「生徒の性」を考えるうえで避けて通れない。
 民主党政権の子育て支援政策は、現金給付に力点を置くという特徴がある。しかし、現金給付は、子どものために、そのお金が使われるという保障はない。親の生活費の補填に回る可能性は高い。
 いまの日本の現実に対して、政府は、「子どもの貧困」との戦争について「宣戦布告」する決意が問われている。
 子どもの貧困率14.2%を半分に削減する目標と、達成年度を明確にして提示すべきである。
 食生活の貧困は、食事内容の貧しさとなって現れる。それは子どもに必要な栄養価を満たすことなく、身体的な発達への影響や病気へとつながりやすい。
 食生活の貧困は、家庭だんらんを奪うことと同じである。子ども期には、食べたいものが食べられる権利の保障がなくては、安心・安全の生活とはいえない。
 すべての子どもがおなかを空かして悲しんでいることのない社会を今の日本で実現できないはずはない。すべての子どもたちが腹一杯に食べることができ、きちんと学校で勉強ができて、いじめにもあわない。そんな社会になったら、安全な社会を維持する経費が、今よりもずっとずっと安くなる。
 物事は、すべて視点を変えてみる必要がありますよね。日本の現実を知るうえで、いい本でした。ぜひ、あなたも、ご一読ください。
(2010年8月刊。1700円+税)

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