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カテゴリー: 社会

格差・秩序不安と教育

カテゴリー:社会

著者   広田 照幸 、 出版   世織書房
 教育にもっと光をあて、もっともっと教職員を大切にしないと、日本の将来は暗いばかりだと思います。なんでも競争させればいいなんて、まったくの間違いです。
ある次代に多数派を占めるビジョンがそのまま永続するわけではない。ましてや多数派の構想だから、それが「真」や「善」であるというわけでもない。野党勢力や少数派が別の社会構想に依拠しながら行う抵抗は、無意味ではない。
 教育は未来志向の営為である。教育という事象は、即時的な個人のニーズや利害を反映するだけでなく、未来の個人の人生や未来の社会のあり方に関する営みである。だから、「何が望ましい教育か」という問いには、常に未来の社会がどうなるかという点が関わらざるをえない。
 不況下でも成長している企業ほど、実は社内で能力開発に積極的に取り組んでいることが多い。必要なときに必要なだけの人材を外部から「即戦力」として調達する雇用戦略は、実は必ずしも有効な戦略とはいえないことを意味している。
 現在の日本では、家庭学習に時間をかける子どもと、家庭ではまったく勉強しない子どもとに二極分解しつつあり、それは社会階層と対応している。
 今では、親の行動によって子どもの進路に決定的な大差がついていく社会、「ペアレントクラシー」になっている。わが子にはほかの子よりも質の高い教育を受けさせたいという家族エゴイズムにもとづく教育要求が、近年ではなぜか、まかり通るようになっている。公教育を消費者へのサービスと見なす消費資本主義的な見方や、グローバルエリートの養成が日本社会で必要だという見方が、そうした要求を正当化している。これらの見方とどう向きあえばよいのかは、なかなか難しい問題である。
 ある子どもたちが制度的に優遇されることは、別の子どもたちが後の階段の選抜場面(進学や就職)で不利にされることを意味する。
公教育の社会的役割のなかには、「出自や学力が多様な集団だからこそ、学べることがある」という側面がある。
 日本では、階級ごとの集住が見られないため、学区制にもとづく義務教育が「さまざまな階級を混ぜあわせる特質」をもってきたと外国人学者から指摘されている。
 多様な出自や学力の生徒たちと一緒に学ぶという経験は、ある意味で「公共空間」をどの子どもにも擬似的に体験する、貴重な機会だと言える。
 早くから子どもたちを同質的な集団へと振り分ける仕組みが、もしも大規模に広がっていくならば、それは社会全体からみると、社会階層や学力・学歴で細かくスライスされた層状に分化した社会を作る出すことになってしまう。
 青少年がアイデンティティを模索する空間をすっかり脱政治化しておいて、「社会のことに関心をもたない今の若者」と大人が青少年を非難するのは、筋違いである。むしろ、現実の問題にふれる機会を青少年に準備してこなかった大人の側の責任である。
分権化論に無批判にのって、もしも教育委員会を廃止し、権限を首長にまるごと委譲したとしたら、おそらく局地的にもっとひどい事例が生まれる。
 教育の政治的中立性、安全性、専門性の確保が損なわれ、学校教育は知事や市長のオモチャになってしまう。教育の実際に詳しい知事や市長ばかりではない。にもかかわらず、教育をいじる政策は有権者にアピールしやすい。だから、選挙が近づくたびに、思いつきの「学校改革」が打ち出されるという事態が出てきてしまう。
 2009年7月に発汗された本ですが、まさしく大阪の橋下流「教育改革」の危険性を暴いていると思いました。もっと、教育について広い心をもって、ゆったりと討論したいものですよね。だって、日本の明日を語ろうというのですからね。だれかを「敵」にしただけでは何も解決しません。ましてや教職員が「叩くべき敵」なんかであろうはずがありません。
(2009年7月刊。3600円+税)

民間療法のウソとホント

カテゴリー:社会

著者   蒲谷 茂 、 出版   文春新書
 著者は私と同じ団塊世代の人であり、健康雑誌の編集長をつとめていました。ですから、民間療法の表だけでなく、裏も知り尽くしています。いま、いろんな民間療法がもてはやされていますが、この本を読むと、民間療法の大半が根拠のないものに見えてきます。
 紅茶キノコ、酢大豆、尿療法、ヨーグルトきのこ、ダイエットテープ、美肌水、にがり、爪もみ、トイレ掃除、魔法の言葉、腰回し、手相書き、朝バナナ・・・・
 これは、みな『状快』という雑誌が天まで高くもてはやしたものです。すごいですね。たしかに一時はすごいブームになりましたよね。そして、今ではすっかりみんな忘れ去っています。私は、幸いにして、どれも利用していません。
 私が10年来、愛用しているのは青汁です。このおかげで、境界型糖尿病と診断されたこともある私ですが、とんと無縁になりました。ありがたいことです。効能を信じて飲み続けています。
 健康雑誌が自作自演するほど罪つくりなことはない。ブームをつくり、自社で販売するわけなので、自浄作用がない。そして、健康食品、民間療法を批判できなくなった。
 健康食品の広告の中心は、なんといっても体験談である。体験談はつくりものの可能性もあり、信用するのはむずかしい。
たとえ学会に発表されたものと書かれていても、電子版だと査読されずに掲載されていることがあるので、うかつに信用はできない。
 健康雑誌は、お年寄りの『少年ジャンプ』だね。子どもたちの夢と希望をのせるマンガ雑誌と同じで、健康雑誌はお年寄りの夢と希望を実現しようとしている。
 アガリクス、ウコン、コラーゲン、グルコサミン、セサミン、黒酢、みんないわれるほどの効能はないようです。それどころか、下手すると副作用があるといいます。
 実は、私は毎晩、健康酒を飲んでいます。梅酒から始まって、しいたけ酒、ニンニク酒、プラム酒などです。私の一番のお気に入りは、姫リンゴ酒です。上品な香りで舌ざわりもよく、最高の果実酒です。ほんのちょっぴり甘いのがいいのです。今も、ちびりちびり飲みながら書いています。おやすみなさい。
(2011年9月刊。730円+税)

マンガのあなた、SFのわたし

カテゴリー:社会

著者   萩尾 望都 、 出版   河出書房新社
 同世代で、同郷の出身者としてなじみのある著者ですので、つい手にとって読んでみました。
 著者は、こんど目出たく叙勲されました。お互い、それだけ年齢(とし)をくってしまったというわけです。うれしいような、悲しいような、でもそれが現実です。
 幼いころからマンガを描き続け、親とりわけ母親とは相当の葛藤があったようです。前にも書きましたが、著者はますます、私もよく知る母親そっくりです。その似ていることは、びっくりするほどです。
 でも、手塚治虫と対談しているときの著者の顔写真はまだあどけない少女の面影がたっぷり残っています。そう言えば、わが家にも彼女が少女時代に来たときの写真があったような気がします。と思って探してみましたが、ありませんでした。私の勘違いのようです。
『11人いる』という作品は何回か読み返しましたが、その発想の斬新さには驚かされます。まさしくSF超大作です。
 パリに行ったことがなくてもパリの下町の雰囲気を出した絵が描けるというのは、さすがはプロのマンガ家です。『百億の昼と千年の夜』の想像力のすごさにも圧倒されました。
 そして『残酷な神が支配する』なんて、どうしてこんな物語を発想できるのか、不思議でなりませんでした。
この本に出てくる著者の言葉で次のフレーズが強烈な印象を残しました。
 手塚治虫の『新撰組』を読んですごいショックを受けて、ガーンと頭を殴られたみたいになって、一週間ボーッとしていた。それで、自分もマンガを描いて誰かを一週間ぐらいボーッとさせたいと思った。
 すごいですね。それほど書かれている内容が胸に迫ってくるものがあったということです。私も、いつかは、そんな物語を書いてみたいものだと思ったことでした。
(2012年3月刊。1400円+税)

地球を活かす

カテゴリー:社会

著者   伊藤  千尋  、 出版   シネ・フロント社
 市民が創る自然エネルギーというサブ・タイトルのついた、楽しくて、明るい展望の開ける本です。
 原発をなんとか再稼動させようという財界と民主・自民両党は、原発なくすのは、「自殺行為」だなどと国民を脅しています。決してそんなことはありません。
 世界60カ国を新聞記者として見分してきた著者は、たとえば地熱発電所を例にとって次のように紹介しています。
 アイスランドやコスタリカでは地熱発電がやられている。ところが、その技術は日本のもの。そして、実は日本でも大分に地熱発電所がある。このように、日本には技術があり、条件もある。あとは政府の方針だけ。ななのに、日本政府は原発にあくまで固執し、地熱発電所に目を向けようとしない。
 アイスランドに世界最大の露天風呂がある。なんとサッカー場より広い5000平方メートルもの広大さ。地熱発電所の余熱利用でつくられたもの。
 日本だって、このアイデアは活用できるはず。本当に、そのとおりだと思いました。なにしろ、地熱発電所ってまったく無公害発電そのものなのですから・・・・。
 日本できちんと地熱発電を開発したら2000万キロワット、つまり原発20基分の発電がまかなえる。
ドイツは3.11のあと早々に脱原発を決めた。そして、自然エネルギーを活用している。この自然エネルギーの分野で新たに生み出された雇用は37万人にのぼった。
 むひょう、だったら、日本でも早速とり入れたらいいですよね。財界と大企業のもうけは原発とちがって少なくなるかもしれませんが、そんなことはどうでもいいことですよね。
 オーストリアは1999年、憲法に原発をつくらない、つくっても使わないという条文を新しく盛り込んだ。原発をつくってしまったけれど、国民投票して原発可動に反対する人が50.5%出たからだ。すごいですよね。日本だったら、恐らく、せっかくつくった原発だからひとまず使ってみよう。そして具合が悪ければ止めようということになったことでしょう。ところが、スイスでは、つくったけれど、ここはキッパリ使うのをやめたというのです。
 イタリアでも、国民投票をやって原発再開反対が95%となって、脱原発が決まった。
 著者とは面識ありませんが、大学では私の一学年下だったようです。先日、講演会で話を聞きましたが、2時間にわたって、立ったまま立て板に水のたとえのとおり爽やかな弁舌で圧倒されました。思わず若いね、あなたは・・・とうなってしまいました。私も負けずにがんばろうと思います。
(2011年12月刊。1000円+税)

フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか!

カテゴリー:社会

著者  佐藤 隆、 出版  かもがわブックレット
 フィンランドは「学力世界一」として評判になっています。この本では、「学力」とは何なのか、それ自体を問い直してみる必要があると強調しています。
 教育の目的が、「学力向上」の一点に焦点化されるという事態は、果たして正しいことなのか?
メディアはこういう。「今の日本の子どもの学力は落ちている。だから『たたき直して』昔のように学力を高めるのだ。そうしないと日本は心配だ」
全国一斉学力テストは、学校を今以上に文部省の思いどおりに動くものに変えるためのもの。学校同士が競い合うような構造をつくりたいという狙いである。
 日本の子どもは、ふだんの授業では扱われないような問題やあまり考えたことのない問題には戸惑ってしまう。あるいは、分かっていても自信がもてない。まちがったら恥ずかしいという感覚をもっている。
 今の日本社会は、政治や企業の世界で嘘やごまかしがまかり通る社会になっている。
 ところが、フィンランドでは、汚職や公約違反が少なくない。大人が慎ましく誠実に生きることを大切なことだと考え、それを実行している社会で育つ子どもは、いつのまにか同じ価値観を身につけていくだろう。反対に、日本のように自分の利益のためであれば何をしてもよいのだという政治を見せつけられている子どもは、安心して育つことができない。
 本当にそうですよね。マニフェストだとか言って当選したら、そんなものは知らんと放り出す政権与党と政治家を見せつけられたら、誰だって大人というか人間を信じられなくなります。まさに、教育問題とは大人の問題ですね。
 フィンランドでは、どの教室も静かで落ち着いている。教師も子どもも、ゆったり話をする。手をあげた子どもは自分の順番が来るまで、静かに待つ。クラスのサイズは小さく、多くても20名ほど。待っていたら、ちゃんと自分の話を聞いてもらえる。
フィンランドでは、どんな教科書をつかって、そんな方法で授業するのか、すべて個々の教師にまかされている。
 信頼されるということは、何にもましてやる気にさせてくれること。ところが、フィンランドでも、学校の独自色や暖かな励ましの雰囲気が薄れようとしている。それでもフィンランドの教師には、たっぷりの休養と権利としての研修、そして安定的な身分の保障が十分になされている。だからこそ教師は教育の自由と責任の自覚のもとで子どもや保護者と対話しながら、誰もが納得できる教育的な判断を下すことができる。
日本がフィンランドに学ぶべきものが見えてきた思いがしました。私たち日本人の大人の責任が大きいことを痛感します。教師を叩いて日本の国がよくなるはずはありません。わずか60頁の薄いブックレットですが、しっかり考える材料がきちんと盛り込まれています。価値ある600円でした。
(2009年11月刊。600円+税)

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