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カテゴリー: 司法

日本の殺人

カテゴリー:司法

著者 河合 幹雄、 出版 ちくま新書
 こんな本を読むと、学者ってホント偉大な存在だ、とつくづくそう思います。だって、目をそむけたくなるような凄惨ないし残虐な殺人現場の写真を自分は見て、それを読者には示さず、殺人犯の処遇を読者に考えてもらうわけなんです。その大変な仕事に対して、ご苦労さまと心より労をねぎらいたくなります。
 殺人犯が社会復帰することについて、著者は次のようなたとえをあげています。
 毒蛇も熊も蜂も、毎年、何人もの人間の生命を奪う恐ろしい存在である。しかし、これらの生きものは同じ世界に人間と共存している。
 悪者だからといって、人間をせん滅できないからオリに入れておくという考えから、アメリカでは200万人もの人が刑務所に閉じ込められている。日本では、せいぜい10万人である。
 死刑に犯罪を抑止する効果のないことは実証されている。そうなんですよね。でも、案外このことは知られていません。
 日本では、犯罪への対処として、一部の人々ががんばる一方、残りの一般市民は何も知らずに安心してきた。その仕組みが、もはや維持できなくなっている。少し真剣に考えたら、犯罪者には厳罰でいいという単純な発想だけでは、いずれ刑務所を出てきて、一般市民と共存していくしかないことを考えていないことに気づくはずだ……。
 他人におまかせしてしまうと、楽ではある。しかし、裁判員になったとき、多くの人々がしっかり社会を支えていることを法廷で確認でき、実感できたら、それだけでも大きな意味がある。そして、悩み迷うことが人生を生きることであり、社会参加そのものなのだ……。
 いやあ、実に見事な指摘です。感心します。
 日本には、強盗殺人で無期懲役になったが、仮釈放されている人々が数百人おり、その人々が事件を起こしていないという奇跡的な現象がある。うむむ、そうだったんですね。
 日本で実質的な殺人は、年間800件くらい。そして、日本の殺人事件の典型は心中である。そして殺人事件のうち、半分近くが親族による犯行である。そういえば、福岡の裁判員裁判の第2号となった久留米の殺人事件も、父親が息子を殺した事件でした。
 年間200人も被害者のいる配偶者殺しのなかでは、病気が原因で自殺を企図したものが大半。男女の心中で片方が生き残ったケースでは、心中の失敗というより、もともと片方は死ぬ気はなく、相手の心中物語に引きずられたが、最後の瞬間になってようやく逃れたと理解できる。
 うへーっ、そういうことなんですね……。
 殺人事件をお酒のせいにするのは無理であり、もともと凶暴な人間が犯人である。
 銃の保持率でいうと、国民皆兵のスイスは高いが、銃による殺人事件はアメリカと比べて大幅に少ない。つまり、アメリカの殺人事件の多さを銃のせいにするのは、基本的な誤りである。
 日本の夜道が安全であることは、強姦の統計で分かる。事件が少ないし、その発生場所は住宅内が半分を占め、路上は14%に過ぎない。もちろん、届け出のない事件もあるが、それにしても日本が年2000件の届け出であるのに対して、アメリカでは20万件、つまり100倍にもなっている。
 1980年代以降の15年間に、夫に殺された妻は15人、妻に殺された夫は26人、それまでと逆転している。妻が加害者の30件のうち、25件について共犯者がいる。
 統合失調症の人のうち、9割以上は犯罪と無縁の人々である。精神病を犯罪の原因とすることは、科学的には否定されている。
 日本では殺人事件の大半は家族が犯人である。
 捜査本部が設置される事件は、全国に年間100~150件。そのうち数十件で死体が隠ぺいされている。そして、平均して6ヶ月で8割が解決している。
 刑務所は、犯罪の学校の機能を果たしている結果がある。
 刑務所で殺人犯は、もっとも手のかからない、問題の少ない人たちだと刑務官は体験を通して語る。
 大多数の国で死刑は実施されていない。死刑を執行しているのは、中国、アメリカ、そして日本くらいのもの。EUでも世論は死刑廃止に反対しているが、死刑は執行されていないし、死刑制度の廃止がEU加盟の条件となっている。
 本当に悪い奴は死刑にならない。
 わずか260頁ほどの薄っぺらな新書版ですが、ずしりと重たく感じる本でした。一読を強くおすすめします。
 
(2009年6月刊。780円+税)

最高裁判所は変わったか

カテゴリー:司法

著者 滝井 繁男、 出版 岩波書店
 2002年から2006年までの4年間、最高裁判所の判事だった著者が体験をふまえて最高裁の現状を報告しています。弁護士界の中に「過払いバブル」というべき現象が起きていますが、著者は貸金業者の超高金利は支払った債務者へ返すべきだという最高裁判決をリードしました。
 体験記なので語り尽くすというわけにはいかないのでしょうが、それなりに最高裁の内情が伝わってきて一気に面白く読めました。
 最高裁判事になるには、4人の弁護士枠の場合、弁護士会内の推薦手続を経なければなりません。今のところ、一人の例外を除いて東京と大阪で独占しているという問題点があります。
 アメリカみたいに50代で斬新な考えを持った人が最高裁判事になっても良さそうですが、みんな60歳すぎの人ばかりです。それでも、弁護士枠はそれなりに内部手続がありますが、行政や学者の枠となると、まさに当局側による一本釣りでしかありません。
 いま、行政出身の最高裁判事の一人(女性)は大牟田出身です。少しは庶民感覚を持っていることに期待したいものですが…。
 最高裁が国会の定めた法令を違憲としたのは、過去に8件のみ。ただそのうち3件までは2001年以降に出ている。
 最高裁に持ち込まれる民事・上告事件は、年間7000件近い。そのため、一つの小法廷で扱うのも2000件をこえる。このほかに抗告事件もある。
 最高裁には調査官がいて、報告書が作られる。最高裁判事はまず調査官報告書を読む。そのうえで上告理由書を読み検討し必要なときには記録にあたる。
 最高裁の判事が審議するのは、週に1回か2回。小法廷ごとに異なる定例日に開かれる。調査官も同席するが、求められたときのみ発言する。
 主任裁判官は事件ごとに機械的に決まっている。審議室で取り扱うのは、1回3~5件。
 最高裁の法廷で弁論があるのは原判決が変更されるときだという慣例が確立しています。しかし、それは昭和40年代まではなかったということです。
 私も、一般民事事件で2度、最高裁の法廷に立ちました。通行権と交通事故でした。この2件ともなぜ負かされるのか納得できませんでしたので、当日、口頭弁論してみました。書いたものを読み上げるだけの弁護士が多いそうですが、そんなことはしませんでした。とはいっても、話した内容に自信があったわけでもありません。私は法廷で話しながら判事たちの反応をうかがいましたが、悲しいかな何の手応えもありませんでした。ああ、単なるセレモニーなんだなと実感して、悲しくなりました。そのとき大学生として東京にいた息子と娘を傍聴させていましたので、親としては良かったのですが……。
 著者は何回か印象に残る弁論を耳にしたそうです。ともかく、法廷で書いたものを読み上げるだけなんて、最低です。やっぱり聞かせる工夫は必要だと思います。
 刑事事件について、下級審の記録を読んで次のような印象を持ったそうです。
 裁判所には、罪を犯した者は逃してはならないという気持ちが根底に強いのではないか。果たして疑わしきは被告人の利益にという鉄則を考慮していたのか疑わせるものがある…。うむむ、なるほど、これは私の日頃の実感でもあります。
 裁判員裁判に反対する意見の多くは市民を入れることに反対するというものです。しかし、先ほどのような意識の裁判官に全部任せていいものでしょうか。それよりよほど裁判とは無縁だったフツーの市民を交えて議論した方がいいと私は思います。
 このところ、最高裁は利息制限法に絡むものばかりでなく、いろいろ画期的な判決を出して世間の耳目を集めています。かえって、下級審の方が旧態依然の判決を出して失望させることも多いのです。
 司法改革論議に個々の最高裁判事はまったく関与していないというのは、気になりました。
 4年間お疲れ様でした。ぜひ今後ともお元気にご活躍下さい。
(2009年7月刊。2800円+税

やつらはどこから

カテゴリー:司法

著者 髙木 國雄、 出版 作品社
 うむむ、これはよくできた小説だ。思わず、唸ってしまいました。情景描写といい、筋の運びといい、とにかく冴えわたっています。感心、感嘆。私もこんな小説を書きたいと思いました。オビの文句を紹介します。まったく異存ありません。
 中学生の息子を襲う恐喝といじめ。税理士の父親への無法な強請り、たかり。現代日本に生起する荒廃の日常を活写する、現職弁護士による異色の小説集。
 6つの独立した短編集から成る本です。私より6歳年長の東京の弁護士です。
 あとがきによると、文芸同人誌に発表した11篇のうちの6篇に、少しだけ加筆・修正したものだということです。
 慌ただしく動き回ることと、その目的を精一杯果たしたいと焦燥に駆られる日常に、突然訪れたものであったからこそ、予期しない感動が鮮明だったのかもしれない。
 感動の本体は、人の言動であったり、ある物事自体であったりしたが、いったん確かに見聞し体験して触れたと思ったその中身は、時の経過とともに薄らいで、いつの間にか消えていった。それでも、書き進むという作業を繰り返す中でのほんのたまに、心の裡に感動の一部がよみがえったと思える瞬間があった。そのわずかな一時だけは、書くという手の作業が感動を確かに言葉に結びつけている、といった思いになれた。
 しかし、そんな充実した思いも長くは続かない。振り返ってみると、相変わらず馴れになってしまった、とりとめのない物事に埋没して動き回る日々を過ごしてきた。
 銀行の支店長に騙されて企業が倒産。DV夫から逃れようとする妻。頼まれて借金とり退治に精を出す坊さん。交通事故の真相を究明しようとするけれど、警察はそんなことにかまってくれない。
 他者をいじめる本性を持つのは、大人、子どもを問わず、狙う相手を探している。誰でもいわけではない、犠牲者は選別している。その選別のとっかかりとして、小出しに相手をつつき、叩いて、様子をうかがう。不条理な暴力や要求に断固として反発し抗議する相手方であれば踏み込めないのであって、反撃が弱く、態度があいまいな場合に限って、暴力はエスカレートする。つまり、いじめが本格化する。
 子ども社会で不条理な虐待を避けるには、その始期にはっきり反撃する態度、つまり仕掛けられたケンカへ正面からかみつき払い落す姿勢を身に着けているかどうかがポイント。いじめにあった子どもに共通するものは、最初の、いじめが始まるときに断固とした反発・反撃がまったくない、ということ。うむむ、なるほど、そういうことなんですね。
 ただ弁護士を長くやっていれば、立派な小説をかけるということではありません。やはり日常不断の研ぎ澄まされた感性が必要のようです。
 サンモリッツの3日目の夕食は、町の中心部にある広場に面した「ステファニィ」というレストランでとりました。店の外のテラス席です。メニューを眺めていると、日本語のもありますよと声がかかり、すぐに持ってきてくれました。
 魚は、舌ビラメのグリエ、そして肉は仔牛のチューリッヒ風というホワイトソースのたっぷりかかったものを注文しました。あと、サラダです。イタリアのワインを注文したら、カラフで持ってきましょうか、とボーイさんが言ってくれたので、お願いしました。
 観光客が広場をゾロゾロ歩いているのを見ながら、そして見られながら食事をするのです。虫は飛んできません。涼しいというより、少し寒さを感じるほどですので、イタリアの赤ワインを飲んで身体を温めました。
 子どもを連れた家族連れで、テーブルはどんどん埋まっていきます。日本人の大家族もやってきましたが、外のテーブルは満席なので、店内に案内をされました。広場に面した端のテーブルに中高年の日本人おじさん2人組も座りました。サンモリッツはどこでも日本人をよく見かけます。
 ワインを味わいつつ、道行く人を眺めながらゆったりと過ごしました。日本でこんな夕食をとることはありません。
 
(2005年1月刊。1500円+税)

社長解任

カテゴリー:司法

著者 大塚 和成・寺田 昌弘、 出版 毎日新聞社
 株主パワーの衝撃、というサブタイトルのついた本です。経験豊富な中堅弁護士による実践を踏まえた解説ですので、面白く読めて大変勉強にもなりました。
 上場企業の社長が、いわゆるモノ言う株主からの圧力によって株主総会の決議でクビになる例が多発している。株主によって社長がクビになる時代が到来した。しかも、投資ファンド株主である。
 なぜ、そんなことが起こるのか?
①大幅な営業不振、②有効な対策を取らない、経営者としての能力の欠如、③株主軽視の姿勢。
 アデランス、シャルレ、すかいらーく、日本精密、テークスグループなどの実例が分析されています。
 株主構成が変化している。不特定多数の株主投資家の手に渡った。投資家の多くは、株式市場から利益(リターン)を挙げることを目的として投資している。だから、もちつもたれつ、お互いさま、という意識に乏しい。ファンド株主は、モノ言う株主である。
 結論として、買収防衛策やホワイトナイト、非上場化には一定の効用はあるものの、社長がクビになることを絶対に防げるわけではない。
 買収防衛策の本来的目的は、時間稼ぎと情報の引き出しにあり、効用もその点に限られる。
 議決権行使書面と委任状とでは、前後を問わず、常に委任状が有効である。
 金券と引き換えに委任状を得ようとする行為は、会社法に反する。会社法120条1項は、株式会社は、何人に対しても、株主の権利の行使に関し、財産上の利益の供与をしてはならないと規定している。
 うーん、ちっとも知りませんでした。少しだけ賢くなりました。
(2009年6月刊。952円+税)

家族

カテゴリー:司法

著者 小杉健治、出版社 双葉社
 5月にTBS「月曜ゴールデン」で放映された裁判員裁判をめぐる法廷ミステリー番組のもとになった本です。市民向けの法律講座でこのテレビドラマを上映しました。なかなかよく出来ていて、思わずもらい涙が浮かんだところで打ち切られて解説が始まりました。だから、その結末はどうなったのか気にしていたところ、この原作本に出会ったのでした。
 認知症になった母親が殺され、第一発見者の長男が犯人と疑われて、マスコミ攻勢にさらされます。ところが、真犯人が別にいることが判明し、マスコミは手のひらを返したように昨日まで犯人扱いをしていた長男を悲劇のヒーローに仕立てあげるのです。
 たしかに、マスコミの過熱報道は困ったものですよね。
 裁判員となった市民への悪影響を少しでも少なくするため、弁護人のほうも、従来のようにマスコミ取材拒否一辺倒ではうまくないという議論が大勢を占めつつあります。悩ましいところですが、被告人の利益を第一義に考えると、たしかにマスコミからの取材拒否だけでいいとは思われません。
 この事件を担当する弁護士は裁判員裁判に懐疑的であり、また裁判前整理手続にも疑問をもっていた。裁判官、検察官、弁護人の三者で法廷の争点となるべきことが決められてしまうからだ。ちなみに、この裁判前整理手続には希望したら被告人も参加できます。ですから、「事前に被告人抜きで」と書いてあるところ(60頁)は、不正確な表現です。
 裁判員として選ばれた市民の反応がよく描けています。ヒマをもて余しているような人たちだけで6人の裁判員が占められてしまったら困ります。やはり、多様な市民の生きた感覚を刑事裁判にも反映させようというわけですから、忙しくてたまらないという人にもぜひ登場してもらう必要があります。そのとき、単に忙しいからといって審理があまりに簡単化させられたらうまくありません。
 この本が類書になくて違っているのは、素人の裁判員が証人調べのときなどに積極的に質問をくり出していたことです。
 女性の裁判員が法廷で質問をはじめたところ、裁判官があとで叱ります。
 裁判員の一人が叫びます。「我々を選んだのは、そっちですよ。はじめから法律知識は必要ないと言われているのに、ちょっと質問するとケチをつけられる。あくまで一般の感覚で裁判にのぞんでいるのに・・・」
 裁判員が思うように質問させてもらえないようなら帰ると怒り出すのです。あれあれ、大変なことになったものです。
 なるほど、たしかに、裁判員が、ある意味でトンチンカンな質問をすることは大いにありえます。それを必要ないからと裁判官が制止して切って捨てたりしたら、裁判員裁判はまったくのお飾りとなってしまうでしょうね。難しいところですが。考えるべき点であることは間違いありません。
 なかなかよく出来たドラマだと感心しました。
(2009年5月刊。1600円+税)

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