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カテゴリー: 人間

義足ランナー、義肢装具士の奇跡の挑戦

カテゴリー:人間

著者  佐藤 次郎 、 出版  東京書籍
いい本でした。読んでいると、ほわっと心が温まってきます。
そうだ、人間って、誰だって可能性が残されているんだよね。なんとかあきらめずにがんばったら、道は開けてくるものなんだ・・・。
日頃、テレビを見ませんので、オリンピックもパラリンピックも見たことがありません。でも、この本を読んで、パラリンピックで義足ランナーが普通に走っているところを見てみたいものだと思いました。
 義足といっても、いろいろあって、この本ではスポーツ用の板バネ義足が中心となっています。心うたれる話の展開です。交通事故とか病気のために下肢を切断してしまった人が、歩くだけでなく、走れるようになったという話です。
日本人が義足をつけて走り始めたのは1992年初夏のこと。はじめの一歩って、すごく勇気のいったことでしょうね。
はじめに走った人は、やはり日本人女性でした。なんといっても、女性のほうが男より勇気がありますよね。
 鉄道弘済会に義足部門ができたのは、国鉄(今のJR)で鉄道作業員の事故が少なくなかったことによる。うひゃあ、そうだったんですか・・・。
 義足は、人それぞれ、歩き方の特徴や筋力までも把握しておかなければ、使いやすい義足にはならない。ソケットづくり、アライメント調整、いずれにも精密な職人技を求められる仕事なのである。
 臼井二美男は、その難しさ、精妙さにやる気をかき立てられた。
簡単には身につかない。しかし、意欲しだい、工夫しだいでいくでも熟達できる。いい義足をつくれば、それはそのまま患者の喜びに直結する。これほどやりがいのある仕事はめったにない。
義足の使用者は全国に6万人。義足は25万円から40万円する。大腿義足だと40万円から80万円する。そして、本人負担分は1割。
 義足の購入申請は年に6千件近くで、修理費用の申請は7千件ほど。しかし、スポーツ用義足は保険の対象外となり、40万円ほどの負担は大きい。
義足で走るのは怖い。浮いた義足がもう一度、地面につく。その瞬間が何より怖い。恐怖とのたたかいがある。地面についた瞬間、膝がカクっと折れるんじゃないか。それが怖い。
義足の人間が100メートル走るのは、普通の人が200メートルを全力で走るくらいの負担がかかる。
 足先からではなく、腰から動くような形で歩くこと。腰を乗せた歩きは、健足、義足の双方にバランスよく体重をかけていく動きづくりに効果があった。
 走るという単純な行為が、脚を失ったものにとって、どれほど大きな意味があるものか・・・。
 反発力の少ない、ふだん使ってる義足には、ある程度は体重を乗せられたが、板バネの義足はまた一からやり直しだ。板バネの義足には軽さとしなやかさがある。
 風が顔に当たって耳のあたりから抜けていく感じ。ヒューッという風を切る音。加速すると音が高くなっていく。あの感じ、気持ちがよかった。ああ、走っているんだなと思った。
 この義足ランナーの言葉に、はっとさせられました。
 いい本を読ませていただいて、ありがとうございました。そんなお礼を言いたくなりました。
(2013年2月刊。1600円+税)

闘う脳外科医

カテゴリー:人間

著者  上山 博康 、 出版  小学館
大学2年生のとき、学園闘争が勃発して・・・・、とありましたので、おおっ、これは同世代だと思って奥付を見ました。やっぱり私と同じ団塊世代でした。すごいです。毎朝8時からカンファレンスを始め、これまでの手術数は、なんと2万例以上です。信じられません。
 北海道大学の医学部を卒業し、旭川赤十字病院で20年も働いて、今は札幌の病院で仕事しています。
 クモ膜下出血は、手術によって未然に防げる。脳卒中については、イエローカードが出てきたら、要注意。大きな耳鳴り、気を失う、手足のしびれ・・・、など。
上山ドクターは内臓の絵を描くのも上手で、プロの画家並みです。
 手術するときに使う器具も上山オリジナル。他の病院で手術するときも、道具一式を持参する。腕が一流なら、道具も一流。器具の開発、手術手法の工夫をすすめている。
 著者によると、いま、脳神経外科をめぐる状況は大ピンチ。外科医が激減している。夜中まで働いているのは、脳神経外科。みんな家庭をかえりみることができない。そのうえに医師不足。信じられませんね。こんなに大変な苦労がきちんと報われないとは・・・。
 医療費の削減を撤廃して、働きに応じた報酬を支払うべき。まったく、そのとおりです。
 脳神経外科医は、顕微鏡をのぞいて、両手で針と糸を使って血管を縫いあわせる。その技術を何時間も続ける集中力、気力、体力、人間丸ごと全身力だ。すべてはトレーニングの積み重ね。毎日、一日も休まず練習する。一日休めば鈍る。
何より、患者を助けた命を救いたいという強い思い、病気とたたかう信念をもっていないとできない。
 手術のとき、もっとも必要なものは空間構成力。どこに何が、どのように位置しているのか、全体を把握する力だ。これがないと手術の設計図は描けない。
密室の手術室のなかでは長時間の緊張状態にある。看護師、麻酔医師、臨床検査技師、これらの全員が持ち場をまっとうしなければ手術はうまくいかない。
 人間の尊厳を保った状態で生存できる可能性が信じられたら、迷わず手術する。自分の受けたい手術をする。自分の受けたい手術をする。
脳手術の写真と図解もあって、イメージの湧く本でもあります。上山(かみやま)先生、健康に留意して、がんばってくださいね。
(2013年6月刊。1300円+税)

笑いのこころ、ユーモアのセンス

カテゴリー:人間

著者  織田 正吉 、 出版  岩波現代文庫
笑いは本当に大切だと思います。涙もストレス発散になるそうですが、やはり笑いにまさるものはないでしょう。
 私は事務所内で笑いの絶えることのないよう心がけています。みんなで気持ちよく仕事をしたいからです。もちろん、深刻な相談を受けているそばで高笑いがあるのは困ります。でも、ずっとずっと胸ふさがる深刻な話を聞いていると、それだけで気が滅入ってしまい、仕事に手がつかないというのでも困るのです。どこかで、気持ちをすっぱり切り換える必要があります。そんなときの救世主こそ、笑いです。
 この本は、この笑いを古今東西、あらゆる角度からアプローチして、その意義を真面目に考えたものです。
茶化すとは、茶にするとも言う。まじめな話を笑いごとにしてしまうこと。まじめな問題を冗談ごとにして話をはぐらかすこと。江戸時代の言葉である。
 ノーマン・カズンズは笑いによって病気も治ると主張した。しかし、笑いさえすれば病気が治ると言ったのではない。重症の患者に必要なことは不安の解消であり、笑いに代表される消極的情緒、つまり希望、信念、愛情、快活、生き甲斐などは医師と患者の協力関係を良くし、回復の見込みを大きくする。
 ギャグの原義は、口をさるぐつわでふさぐこと。セリフを忘れた役者がデタラメのセリフでごまかそうとするのを、相手がその口をふさいだことから、このギャグという言葉が生まれた。喜劇の部品としてのギャグは、日常性に馴らされた頭に瞬間的な刺激を与え、笑いを生む。
 ジェットコースターに乗ったあと、降りてくる人は例外なく笑いを浮かべている。
 緊張の持続に耐えられなくなると、無意識に緊張が緩もうとする。それを引き締めようとする気持ちと、緩めようとする気持ちが揺れ動き、笑いを呼ぶ。体温が高くなると汗が出て自立的に体温が調整されるように、緊張が続くと自然に笑いが起きて解消され、精神の平衡が保たれる。笑いは心の汗である。
 アメリカ人がパーティーや式典でスピーチをするとき、始めにジョークを言うのは、式が始まったときの固い雰囲気をほぐすため。
 ユーモアは、自然や芸術に接するのと同じように自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、ほんの数秒間でも周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっている何かなのだ。それは生きるためのまやかしだ。
 大変な学識の詰まった300頁ほどの文庫本です。内容は濃いものがあります。
(2013年4月刊。1040円+税)

腸のふしぎ

カテゴリー:人間

著者  上野川 修一 、 出版  講談社ブルーバックス
生来、腸があまり丈夫ではありませんから、とても関心のあるテーマです。健診のとき、腸のぜん動運動が少し弱いようですと言われたときは本当にショックでした。それもあって、毎晩、寝る前には腹筋を鍛える体操をしています。
 腸には立派な神経系がある。この腸神経系は、脳からほとんど独立して行動している。腸管ぜん動運動を支える神経細胞(ニューロン)の数は1億個で、脳からつづく神経組織である脊髄のニューロン数と同じ。腸は第二の脳である。
 脳に、からだ最大規模の免疫系があるのは、腸こそが外界とやりとりをする窓口であり、からだの中でもっとも外部からの危険な侵入者と遭遇する機会が多いからだ。
腸内には100兆個をこえる細菌が星のようにきらめいている。その重さは1キログラムにもなる。
ヒトの腸は、形や働きからみて本来は肉食であったものが、進化の過程で草食も取り入れるようになったと考えられる。
 ヒトは、1年間に1トン近い食物を体内に取り入れている。空腹時の胃の容積は50~100ミリリットル。それが満腹時には2~4リットルと50倍以上に拡張する。
腸の働きは腸神経系による自律運動である。
 小腸は、胃の次に位置する消化管の中心的存在である。小腸の働きなくして、食物はからだの中に入ってはいけない。小腸の働きの中心にいるのは、1600億個の吸収細胞である。この細胞の寿命は実に短く、誕生して死ぬまで1.5日である。しかし、代わりの細胞がすぐに交代要員として用意されている。
 大腸には小腸と異なり、ひだや突起は存在しない。口から侵入した病原菌のうち、食中毒菌などはかなりの部分が胃酸によって殺される。しかし、強い胃酸に耐えた病原菌は十二指腸を経て、小腸へ侵入する。小腸に120~130個あるバイエル板は、病原菌の姿や形の情報を収集し、抗体を生産する細胞をつくり出す最強の基地である。
 腸内細菌は、もう一つの生体器官である。
ヒトの胎児は、母親の子宮にいるあいだは無菌状態で大きくなる。
 腸内細菌は、平均して4~5日間、ヒトの体内に滞在したあと、体外に排出される。腸内細菌は、ヒトの免疫力を高める。
腸というのは、からだの中にある外界なのですね。毎日毎日、お世話になっている腸の話です。とても興味深い内容でした。
(2013年5月刊。860円+税)

動じない心

カテゴリー:人間 / 社会

著者  宮城 泰年 、 出版  講談社
京都に聖護院があることは知っていました。昔、日弁連の夏期研修に参加したとき、聖護院別荘(ホテル)に泊まったこともあります。日弁連元会長中坊公平氏の関係するお寺だと聞いていました。
 聖護院は京都にある本山修験宗。山伏の総本山。これは知りませんでした。
 白河上皇が熊野詣するときに先達をつとめた功績で聖護院を賜ったとのこと。山伏を統括し、江戸時代には本山派修験と称して、修験道の一大勢力となった。今でも、毎年、100人ほどの山伏が列をなして吉野から熊野に向かい、厳しい奥駈修行をしている。
 現在の山伏にプロは少ない。本山修験宗で200人、全教団をあわせてもプロは1000人ほど。ほとんどの山伏は、ふだんは会社員であったり。こんな在家信者が全国に1万5000人ほどいる。
 1931年(昭和6年)生まれの著者は25歳のときに山伏となった。以来、50有余年。
山伏とは、山に伏して修行する者のこと。自然の中に入ると、とりわけ山中では、五感はいやでも研ぎすまされる。黙々と歩いていると、いつのまにか雑念が消える。すると、肉体的には疲れていても、感覚は鋭敏になる。わずかな枝葉の動きや物音もたちまち目や耳に入るし、土や風が運んでくる匂いも分かる。空気の変化は肌で感じるし、ひょっとしたら言葉にならないあの妙な感覚を、第六感が察知してくれる。
 昔も今も、行者は山に入ると、「サーンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ」と唱えながら歩く。掛け念仏だ。サンゲとは懺悔。この世に生を受けてから今日までの罪過を神仏の前にさらけ出すこと。ロッコンショウジョウとは、六根清浄。眼、耳、鼻、舌、身、意の六つの気管を指して「六根」という。
 掛け念仏を一心不乱に唱え、足を一歩でも前へと進める。すると、いつしか身も心も掛け念仏に同化していく。このようにして掛け念仏の意味する境地へと自然に引き上げられていくのが、山の持つ力なのである。
 ひたすら歩く。全神経を足元に集中させる。みなに遅れまいと必死についていく。そうやって無心になれる。山伏の装束は買える。15万円から25万円くらいで買える。
法螺貝は大きな見だが、それにしても出る音はさらに大きい。また、山中では空気が澄み、適当な湿度があるので、音の通りがとてもよい。だから、優に5キロメートルは届く。そんなことから、法螺を吹くには、針小棒大、つまり物事を実際よりも大げさに言うという意味がある。しかし、それは決して嘘をつくことではない。
 動じない心とは何か?
 それは動かされない心であり、また自在に動ける心でもある。動じる心とは動かされる心であり、同時に自在に動けない心である。動揺や迷いは人生に付きもの。自分を動揺させているもの。迷わせているものが何か、その正体をしっかり見きわめることが大切になる。 正体のひとつは、真実を見きわめられずまどわされる心、もうひとつは我執やこだわりから道理を受け容れられない心である。
 五感が曇っていると、見るもの聞くものが正しく受けとれず、真実でないものに惑わされる。心に真実、真理の芯がなければ、空洞のまわりの堂々のめぐりとなり、果ては自分の不満や苦しみを他人や物事のせいにして避難する。
 自分を動揺させ侵す対象を心と五感を研ぎすまして正しく唱え、真実を受けいれる心をもてば、いっときの動揺であっても軸を失い、倒れることはない。軸のある心は倒れることなく、自在に動かせるのだ。
 いったん「動じない心」を獲得しても、放っておけば心の迷いやチリはすぐに積もる。ときどき掃除する必要がある。それが「六根清浄」である。山は、これにまことにふさわしい場所なのである。
 山伏の行の意義が分かりました。
(2012年12月刊。1500円+税)

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