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カテゴリー: 人間

こうして生まれた日本の歌

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社
『心の歌よ』シリーズ第2作です。前回は21曲でしたが、今回は3倍近い57曲です。その分、1曲あたりの紹介文が短くなっていて、歌詞を思い出せない曲もありました。
福岡県大牟田市出身の荒木栄の歌も紹介されています。大牟田市の中心部に「九条の会おおむた」の事務所があり、そこには畳4枚分の大看板があって「平和への力、憲法九条」と訴えている(今はそこにはありません。事務所が移転しました)。
『がんばろう』は、筑豊の炭鉱の売店で働いていた森田ヤエ子の詞を荒木栄が作曲し、たちまち全国に広がった。
「沖縄を返せ」は、全司法福岡高裁支部(土肥昭三)が作詞し、荒木栄が編曲した。
荒木栄は1985年に亡くなったが、その碑は今も「米の山病院」の正面玄関前にある。
柳川市出身の北原白秋は、「からたちの花」を作詞した。柳川市には、鋭くて長い棘(とげ)のあるからたちの木が生け垣として、町のあちこちに植えられていた。
同じく北原白秋が作詞した「この道」は、北海道の風景を描いているが、同時に、幼いとき、母に手を引かれて歩いた玉名郡南関町の道も重なりあっている。うむむ、そうなんですか…。
サトーハチローは、少年のころは「神武以来の悪童」と呼ばれた悪ガキだった。落第3回、父(作家の佐藤紅緑)からの勘当は17回。山手線の内側にあるすべての警察署で捕まった。父の浮気癖にたまりかねて母親が家を出て、長男として父親のもとに残ったハチローは母を失った寂しさと父へのあてつけから不良になった。そのため、15歳のとき、小笠原諸島の父島へ追いやられて、そこの民家で4ヶ月のあいだ謹慎することになった。ここで、島の教会のポルトガル人宣教師の娘に恋をし、童話や詩集を熟読。島を出るとき、ノートが詩で埋まっていた。サトーハチローが一生のうちに書いた詩は2万1千編。そのうち3500編が母を慕う詩。これまた、すごいものですね…。
「ぞうれっしゃがやってきた」という歌もいいですね。戦争中、全国どこの動物園でも猛獣は殺せという命令がおりていたのに、名古屋の東山動物園では、4頭いた象のうち2頭を軍人もひそかに協力して生きのびさせることができた。いやあ、これってすごいことですよね。食糧難のなか、象のエサの確保は大変だったことでしょう。
そして、戦後、東京の子どもたちが象を見たいという。でも、2頭の象を離そうとすると、嫌がって暴れる。それなら、逆に東京の子どもたちを名古屋まで連れていこうということで、象を見る専用列車を仕立てた。1949年のこと。この列車で、6万人の子どもたちが東山動物園にやってきて、象を見た。この話が絵本となった。そして、それが合唱曲となって、大勢で歌うようになった。1986年の初演には定員850人の会場に1200人が集まった。うたが生きていた。2015年に名古屋で開かれた「日本のうたごえ祭典」では、2000人が舞台に上がって大合唱した。東山動物園の人たちは戦争の時代でも、あきらめず、仕方がないと思わず、守り抜いた。そのすごいことをみんなで歌うことで体感していく喜びがそこにあった。
著者が週刊「うたごえ新聞」に連載した記事をもとにした本です。私も、学生セツルメントの思い出を本(『星よ、おまえは知っているね』)にしたとき、この「うたごえ新聞」に紹介してもらったことを思い出しました
歌は、生きる力、明日への希望を心のうちに呼び起こす力をもっていることを実感させてくれる良書です。ぜひ、ご一読ください。
(2021年5月刊。税込1760円)

文体の舵をとれ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 アーシュラ・K・ルグウィン 、 出版 フィルムアート社
小説教室というのですから、モノカキを自称する私はすぐに飛びつきました。
なんと、この本の初版は1998年。そして、徹底的に書き直されているそうです。著者は3年前(2018年)に亡くなっています。
ともかく、まずは書いてみる。そして、1日か2日あけて、読み返す。すると、欠点と長所が見えてくる。
この本は、コトバのひびき、リズムを大切にすることを強調しています。なるほど、と思いました。
いい書き手は、いい読み手と同じく、心の耳をもっている。書き手は、ぜひ楽しく書いてほしい。遊ぶのだ。自分の書いた文章のひびきやリズムに耳を澄ませて、おもちゃの笛をもった子どものように戯(たわむ)れてみよう。自作は声に出して読んでみよう。
構文も簡単な短文ばかりで構成された文体は、単調でぶつ切れなので、いらいらさせる。
短文ばかりの文体のときには、会話のとき以上に、考えたうえで文章をつづる。
文体とは、つまりは、すべてリズム。アクションとプロセット(筋書き)しかない物語は、とてもお粗末な代物(しろもの)だ。プロットは、複数の出来事をふつう偶然という鎖でつなげて物語を紡(つむ)いでいく、ただの一手法にすぎない。
いつも似たような人ばかり書いてしまうときには、まったく別種の人物について書いてみるのが良い。ときに飛躍するのも大事だ。
神は細部に宿るというが、悪魔が細部に宿ることもある。詰め込みすぎの描写は、物語を行き詰まらせ、自分の首を絞めてしまう。いったん書いた文章を書き直すとき、出だしが削れるなら、削ったほうがいい。冗漫なところをすっきりさせると、かたちができあがっていく。
本の合評会に著者が参加するときは、沈黙するのが肝心。前もって説明や言い訳するのは、なし。そして、参加者のコメントとメモする。弁解はしない。最後にきちんとお礼を述べるのを忘れないこと。
自称モノカキの私にとっても実践的に大変役立つ本でした。
コロナ禍のせいか、相談も受任も減りましたので、事務所内の待ち時間で読みはじめました。私の読んでいない本、読めそうもない原書などがたくさん出てきています。
(2021年8月刊。税込2200円)

ちひろダイアリー

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 竹迫 祐子 ・ ちひろ美術館 、 出版 河出書房新社
東京のちひろ美術館には一度だけ行ったことがあります。コロナ禍がなければ、昨年は長野のちひろ美術館に出かけるはずでした。
コロナ禍がまだ完全終息しているとは言えないのに、政府はGoToトラベルに残る1兆円の予算を支出して再開するとのこと。まるで優先順位が間違っています。それより前に、PCR検査の充実、保健所の復活、そして「自宅療養」と称する入院拒絶の解消のほうが、よほど優先順位として政府は取り組むべきものです。
それはともかくとして、55歳で病死してしまった、いわさきちひろの生涯を豊富な写真とちひろの描いた絵で紹介している、心あたたまる本です。
何度と見ても、どんなに繰り返し見ても眺めても、ちひろの絵って、不思議なほど心が癒されますよね…。
子どもは、全部が未来だし…。
ちひろの実際の人生は、少しもふわふわ甘い人生ではなかった。あの溶けだしそうなパステルカラーの水彩画の世界は、ちひろのこの世にないものへの祈りであり、こうあってほしいものへの希望だった(上野千鶴子)。
ちひろは、幼いころから絵を見るのも書くのも大好きな女の子だった。
どこに行っても物おじしない子どもだった。
小学校入学記念のときのハカマを着たちひろの写真があります。いかにも知的で、精神(意思)力の強そうな子どもです。圧倒されます。
2人の妹のいる長女だったのですね。ハイカラな洋服を着た三姉妹の写真がありますが、きっとしっかり者のお姉ちゃんだったことでしょう。
戦前に結婚し、それに失敗して、ちひろは戦後、もう結婚なんて絶対しない。絵と結婚したと宣言…。ところが、ついに、年下の男性を愛するようになったのです。
30年来、私は、こんなに人を愛したことはないもの…。人は変わるものなんですよね。
ちひろは31歳、8歳も年下の松本善明23歳と結婚しました。まだ弁護士になる前だったでしょう。
神田のブリキ屋さんの2階の部屋は、千円の大金で花をいっぱい買って、結婚式。ぶどう酒1本とワイングラス2つだけ。二人だけの結婚式。
この情景を上條恒彦が歌っています。いい歌です。
そして、一人息子(猛)が生まれ、3人家族となりました。
ちひろの描いた絵のなかには、いつも自分の子(猛)を入れていた。うむむ、すごいですね。母の愛は、ここまで貫くのですね…。
ちひろの夫・松本善明は弁護士で、私が上京した1967年に衆議院議員になりました。中選挙区制でしたので、共産党の国会議員として連続当選を重ねました。その夫をちひろは支えました…。
いやあ、何度みても、いつ見てもちひろの絵っていいですよね。子どもたちのかわいらしいしぐさのひとつにハッとさせられます。
大人というものは、どんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思う。うむむ、そ、そうなんでしょうか…。考え直させられます。
こんな才能あふれていた女性が55歳で亡くなるなんて、本当に残念でした。一刻も早く安曇野のちひろ美術館に行ってみたいです…。
(2021年7月刊。税込2145円)

輝け!キネマ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 西村 雄一郎 、 出版 ちくま文庫
著者は佐賀出身で、今も佐賀大学で映画論を教えているようです。私たち団塊世代のすぐ下ですから、映画館全盛時代も味わっているはずです。
私の子どものころの映画館では、鞍馬天狗の嵐寛寿郎が馬を走らせて満員盛況の観客が総立ちとなり、一斉に拍手し、声援を天狗に送るのです。スクリーンの向こう側(といっても布一枚でしかありませんが…)と観客席が一体となって、興奮のるつぼに浸っていました。無事に悪漢たちから助け出すと、満足、満足、大満足の気分に浸って映画館をあとにしました。
『七人の侍』は、なんといってもピカイチの日本映画ですよね。あの雨中のなかの戦闘シーンといい、最後の平和な農村の田植え光景といい、一見すると、馬鹿で非力の農民たちが、実はたくましく生きのびる力を持っているなんて、いやはや、歴史を見る目を一変させますよね…。世界的にも評価が高い映画だというのは当然だと私も思います。
著者は、小津と原節子、溝口と田中絹代、木下と高峰秀子、そして黒澤と三船敏郎の関係を論じています。
小津安二郎と原節子は男と女の恋愛関係、しかし、忍ぶ恋のようなプラトニックな愛。溝口健二と田中絹代は溝口の片思いに終わった。木下恵介と高峰秀子は、お互いが引き寄せられた。黒澤明と三船敏郎は、男と男の関係で、反発しあいながらのものだった。
女優を美しく魅力的に撮るには、そこに尋常ならざる愛情・信頼関係が介在していたからにちがいない。
溝口健二は、役者の演技に対して、ただ「違います」としか言わない。何度やっても「違う」を繰り返すので、役者が切れると、溝口はこう言った。
「あなたは役者でしょ?それで給料をもらっているんでしょ?自分で考えなさい」
いやあ、こ、これは困りますよね…。役者は、一体どうしたらいいのでしょうか…。
でも、そう言われると役者は自分の頭で考えるしかありません。じっくり、人物の人となりを理解したうえで演じるしかない。そうすると、自然に役者としての腕前は上がってくる。うむむ、なるほど、そういうものなんでしょうね…。
高峰秀子は、どこか冷めていて、女優で食っているのに、どこかその女優という職業を軽蔑し、クールに見つめていたのではなかったか…。
木下恵介は『二十四の瞳』、『喜びも悲しみも幾歳月』を撮り、リリシズムあふれる叙情派の監督と思われがちだが、実はまったく正反対のリアリストだ。
逆に、黒澤明のほうが涙もろい、センチメンタリストだ。
木下恵介は、「女って面白いよね。自分でも意識してないで、非常に複雑なものを持っているでしょ。男だったら、腹の中なんて、たかが知れている」と言った。そして、黒澤明の「男って、みんな単純でしょ。バカじゃないかと思うくらい単純」だと評した。
ところが、黒澤明には、この単純さ、シンプルさがあったおかげで、国際的に受け入れられた。それに対して、木下恵介のほうは、外国人には分かりにくくて、日本の評価は高くても国際的には評価されなかった。うむむ、なーるほど、ですね…。
1998年9月6日、黒澤明が亡くなり、その葬儀の参列者は3万5千人。同年12月30日、木下恵介が86歳で亡くなり、翌1月8日の葬儀の参列者は600人。いやあ、こんなにも違うものなんですね…。
黒澤明は、世界のクロサワです。フランスでもロシアでも…。そんなことも知りました。映画愛好家の私には、たまらない文庫本でした。
(2021年6月刊。税込880円)

トキワ荘マンガミュージアム

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 コロナ・ブックス 、 出版 平凡社
団塊世代の私にとって、小学生のころ、「少年サンデー」と「少年マガジン」がはじまりました。小学校の正門前の医者の息子が同じクラスでしたので、彼の家に立ち寄って読ませてもらっていました。わが家では買ってもらえなかったのです。経済的な問題と、マンガなんて…という教育的な観点の両方が理由だったように思います。
この本によると、創刊時は、マンガのページは全体の3分の1ほどしかなくて、読み物主体の雑誌だったそうです。これには驚きました。それがマンガ主体の雑誌になったのは、このトキワ荘のマンガ家たちが活躍するようになってからだそうです。
では、トキワ荘グループとは、誰なのか…。
いやはや驚きますね。日本のマンガの初期の代表者のオンパレードなんです。
手塚治虫、青田ヒロオ、藤子不二雄(ⒶとⒷ)、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、そして女性では水野英子など…。いやあ、驚いてしまいます。もちろん、みんな若い。10代から20代で、みんな独身ばかり…。そして、周辺に、つのだじろう、つげ義春、ちばてつやもいます。
トキワ荘は、トイレも台所も共用。そして風呂はなく、近くの銭湯へ連れだっていく。
お金が入れば、みんなこぞって近くの映画館へ出かける。休日には野球チームをつくって試合することもあった。ラーメンを食べるのが、ごちそうという生活。徹夜仕事なんてあたりまえ。人手不足はお互いに助けあって埋める。
トキワ荘には電話がなく、近くに公衆電話ボックスがあった。出版社からは電報が届いた。
私も楽しみに読んでいた「おそ松くん」、「オバケのQ太郎」は、いずれも赤塚、藤子がトキワ荘から出たあとに大ヒットしたもの。
マンガを描くのにアシスタント制はなかった。ひとりで描いていた。
ところが、手塚治虫がストーリーを考え、ネームをきり、下書きを描き、人物は自分でペン入れするが、ベタやアミ、背景や小道具などはアシスタントがするシステムを発明した。これでマンガを量産できるようになったのです。
石ノ森章太郎は、マンガの天才だったようです。なるほど、と思いました。
トキワ荘の住人だった一人(山内ジョージ)は、他人と同じことをやっていては、この世界では生き残れないことをトキワ荘で学んだ、と語っています。いやあ、本当にそうなんだろうと門外漢の私も思います。なので、この人はマンガではナンバーワンになれそうもないから、イラストの世界でオンリーワンを目ざしているとのこと。賢明ですね…。
本物のトキワ荘は解体されて消滅しましたが、跡地の近くに「トキワ荘」が再現されてミュージアムになっています。私もぜひぜひ行ってみたいと思います。コロナ禍によって、もう東京には1年半以上も行っていません。もう少し状況が落ち着いて上京したら、行ってみたいところの一つです。
(2021年5月刊。税込2200円)

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