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カテゴリー: ロシア

スターリングラード攻防戦

カテゴリー:ロシア

(霧山昴) 

著者 テオドール・プリーヴィエ 、 出版KADOKAWA

先にレニングラード攻防戦について書かれた本を2冊読みましたので、次はスターリングラード攻防戦だと思って読みすすめました。読んでいる途中で、沖縄の加藤裕弁護士と話していると、古い本の復刻本だということを知りました。それなら、きっと読んでいるはずだと思って書棚を探してみると、確かにありました。1976年2月の角川文庫です。4月10日に、当時住んでいた大船(玉縄)のアパートで読了したとメモしていました。川崎で弁護士を始めて3年目、まだ27才です。文庫本は、すっかり黄ばんでいて、ホコリがうっすらと積もっていました。50年ぶりの再会です。

スターリングラードにおいてソ連赤軍に包囲されたナチス・ドイツ軍やルーマニア軍の総数は最大38万人から最小19万5千人と見積られている。そして、そのほとんどが戦死、行方不明そして捕虜となった。捕虜となった9万人のうち、戦後のドイツに帰還できたのはわずか6千人。哀れです。これもヒトラーが第六軍の退却・降伏を絶対に許さなかったことによる悲劇です。

ヒトラーは、武器・弾薬はもちろん、食料の補給もできないのに、ひたすら死守を命令しました。与えたのは勲章と昇格です。そんなものは腹の足しになんかなりませんよね。

この本は、アントニー・ビーヴォーの『スターリングラード:運命の攻防』(朝日新聞社)と違って巨視的な視点というより、捕虜への取材、彼らの手紙をもとに再現しているところに特徴があります。軍団長から将兵兵士までが、生き生きと戦場生活を語り尽くしているのです。 

「総統(ヒトラー)は約束を守るに決まっている」。これを信じて戦場で兵士たちは戦ったのでした……。

恐怖というものは、兵士の属する「民族とは関係のない」ものである。「ユダヤ人とユダヤ系と、ユダヤ人の腐敗を盛った血液だけにある」と思っても、それは今となっては何の役にも立たない。もはや逃げ道はない。体内のアーリア人の血が耳のつけ根まで上がってきているのに……。

「何のために彼らは死んでいくのか……。我々は、まったくの無駄死にをさせられている……。恐ろしいことだ」

いまここにいるのは軍ではなくて、戦闘に疲れて力も尽き果て、シラミの巣となって血を吸いとられて衰えきった人間の集団にすぎない。この人間の集団をもう一度軍にするためには、十分な休養と医療を加えてやったうえで、諸兵連合の訓練をほどこし、新しい装備を与えてやらなくてはならない。何よりもまず、休養と医療が先決だ。

隣接部隊の指揮官は発狂してしまったし、別の一人は自殺してしまった。毎日のように自殺者や発狂者が出た。

病室にいる負傷兵士の外套のえりには白霜のようなものがついている。実は、それはシラミが縫い目をはい回っていたのだ。「みんな嘘だったんだな。みんな造りごとで、かけ声ばかりだったんだな」、そう言って呪(のろ)った。哀れ、兵士たちは使い捨ての駒そのもので、見捨てられ、殺され、餓死し、病死していったのです。

タカイチの勇ましいかけ声に乗せられると、本当に戦争にひきずりこまれて、逃げ出すことなんてできなくなります。その前にタカイチを倒しましょう。タカイチ、そこをどけ、です。

(2026年3月刊。3520円)

「革命と内戦のロシア 1917-21」

カテゴリー:ロシア

(霧山昴) 

著者 アントニー・ビーヴァー 、 出版 白水社

戦記物の第一人者がロシア革命の内実を刻明に描いた本です。もちろん、レーニンの率いる赤軍が勝利して、白軍を駆逐したわけですが、内戦の過程では双方が残虐行為を重ねていたことが繰り返し明らかにされていて、読み手の心を傷つけてしまいます。

革命というのは、ネフスキー大通りを旗を持って行進するようなものではない。これに似たことを誰かが言っていたと思います。中国の内戦についても、毛沢東が同じようなことを高言していました。

そして、レーニンの下で、トロツキーとスターリンが(激しく)争っていたことも紹介されています。

1919年正月、チェーカー長官のジェルジンスキーが泥酔のうえ、レーニンに自分を射殺してほしいと懇願した。あまりに多くの人々の生命を奪ってきたからという理由だった。しかし、レーニンがチェーカーを使って実行しようとしていた階級絶滅作戦は、まだ始まったばかりだった。

このころ、南ロシアの赤軍16万のうち、2万は中国人兵だった。どうやって中国人兵が赤軍に加わったのでしょうか。まさか、中国紅軍ではないと思いますが…。

テロがテロを生み、さらに大規模で度を越えた残虐行為を引き起こしつつあった。

また、このころ日本軍がシベリアに出兵していた。日本軍は「ヨシワラ」と称する慰安婦グループを同行していた。そのため、日本軍の性病罹患率は非常に低かった。それに対して、アメリカ軍の性病罹患率はきわめて高かった。

赤軍が司教や教会を敵視し、コサックの伝統的な生活様式を破壊し野蛮な「非コサック化」を進めたことにより、コサックの住民は抵抗した。レーニンは、コサックの伝統を尊重するように指示したが、現地の赤軍司令官たちは無視し、従わなかった。

赤軍指導部の内部でも激しい対立があった。ツァリーツィン攻防戦におけるスターリンの行為をトロツキーは批判した。スターリンは、赤軍の軍事的専門性を高めるためにトロツキーが旧帝政軍の士官を採用したことを批判した。

白軍の兵士の士気が低下したのは、戦線の後方にはびこる腐敗、堕落だった。将兵は大量のコカインを常用し、アルコールを消費していた。コサック集団の野蛮な残虐な手法を眼にして、保守的な農民層が白軍から離反していった。また、白軍は、ユダヤ人はすべてボリシェヴィキだとして、恐るべきポグロムをすすめた。

アメリカ軍は白軍を援助しようとしたが、コルチャーク軍が規律に欠けているのを見て、関わりたくはなかった。

スターリンはペトログラードに入ると、全市を軍事化、恐怖政治を始めた。スターリンが恐れていたのは、味方から裏切り者が出ることだった。

スターリンが旧帝政軍の大佐だったセルゲイ・カーメネフを赤軍総司令官に任命したのは、軍事委員会のなかで自分の支持者を増やして、宿敵のトロツキーを少数派に追い込むためだった。

トロツキーは、大衆的恐怖を大衆的勇気に変える能力を持っていた。革命的トリックを駆使し大聴衆を動かすやり方は、トロツキーの真骨頂だった。そのため、自動車を戦車に似せて見せることもした。

白軍の将校たちは、内戦を金もうけの手段とみていた。将校たちは貨車に国の財産を積み込んで自宅に送っていた。

反ユダヤ主義的感情は、ロシア全土を席巻していた。ロシアでは、誰でもボリシェヴィキの支配とユダヤ人による支配を同一視している。

トハチェフスキーは貧乏貴族出身の職業軍人だった。自信と野心は十分に持ちあわせている。4度にわたって捕虜となったが、そのつど収容所から脱走した。シベリアで次々に勝利したことから、「赤いナポレオン」とたたえられた。これでは、スターリンがねたみますね…。

ボリシェヴィキの側には、どんなに貧しい商人や職人であっても、ユダヤ人をブルジョアの搾取階級とみなす傾向があった。

1920年8月、赤軍は敗退した。これはスターリンが命令を無視したことが原因だった。そこで自分の立場を守る最善の方法は、他を攻撃することだと考えるスターリンは、トロツキーとカーメネフを攻撃した。それがうまくいかず、スターリンは泣きながら革命軍事委員を辞任した。そのことでトロツキーを許そうとはしなかった。スターリンはあきれるほど執念深い性格だった。

1920年11月、赤軍は内戦の勝利を宣言した。共産党政権の徴発隊は、残忍かつ無能であり、非道な略奪をしたため農民に憎まれた。

赤軍は、西シベリアで、60万件の農民蜂起に直面した。反乱鎮圧のための軍事作戦は、トロツキーお気に入りの司令官トハチェフスキーの指揮によって進められた。

白軍が内戦で赤軍に敗れた最大の理由は、柔軟性の欠如にあった。土地改革への対応が遅すぎた。旧ロシア帝国内における諸民族の自治要求を応じなかったのが決定的要因だった。白軍が敗北した主な原因は「道徳的崩壊」にあった。白軍はあまりにも頻繁に人道に反する最悪の行動に出た。ただし、その反対側のボリシェヴィキの非人道的な行為も許し難いものだった。

人間ドッグ(一泊)の合い間に読みふけりました。350頁もある面白い大作です。

(2025年6月刊。3900円+税)

 フランス語検定試験(1級)は1997年から受験しているようです。手元に結果を知らせるハガキを残しています。23枚あります。問題冊子のほうは、それより多くて30枚ありますので、初めのころは悔しくて捨ててしまったようです。

 150点満点で最高79点をとっています。ただし、合格点も113点ですので、易しかったのでしょう。次は74点です(2015年)。このときは88点で合格ですので、14点差にまで迫ったわけです。最低点は34点(2008)年です。30点代はあと1回あります。50点以上とったのが17回あります。今回は合格点との差は31点でした。引き続きがんばるしかありません。

傷ついた身体と都市

カテゴリー:ロシア

(霧山昴) 

著者 松本祐子 、 出版 白水社

第二次大戦においてロシア(当時はソ連)は甚大な被害を受けています。ソ連ではナポレオンとの戦争は「祖国戦争」と呼び、ナチス・ドイツとの戦争 は、「大祖国戦争」と呼んでいます。

ヒトラーに簡単に欺されてしまったスターリンの大失敗によって緒戦で手痛い被害を被り、レニングラードはナチス・ドイツ軍に包囲されてしまうのです。レニングラードの市民と軍隊はよくもちこたえ、ついに陥落させずナチス・ドイツ軍を撃退したのですが、それもスターリンの指導の下となかばすり変えられたのでした。スターリンって、本当に、とんでもない独裁者です。

レニングラード攻防戦をめぐっては、『卵をめぐる祖国の戦争』(早川書房、2010年8月刊)を思い出します。この本には、「図書館キャンディ」というものが登場します。少女が街角で売っています。本の表紙を引きはがして製本糊(のり)だけを取り出し、煮詰めて棒状にして紙を巻いたもの。甘みはないけど、糊にはタンパク質が含まれているから、命をつないでくれる。つまり、絶望的なほど食糧不足で餓死者が続出し、人肉食さえ横行していたなかでの話なのです。この本のあらすじを紹介します。17歳の少女と脱走兵の2人が、秘密警察の大佐から、娘の結婚式のためのウェディングケーキをつくるために必要な卵を1週間以内に1ダースもってこいと命令されて、市内をさまよい歩くのです。飢えに苦しむレニングラード 市民の惨状、敵弾地雷の恐怖、無残な死などが、随所にリアルに描かれています。私にとっても印象深い本でしたので、本棚にずっと残していました。『レニングラード封鎖』(マイケル・ジョーンズ、白水社)という本も読みました(2013年5月)。「ヒトラーの包囲攻撃に耐えた900日、市民の犠牲者100万人のうち、餓死者80万人」と帯に書かれています。

さて、今回の本です。ドイツ軍によるレニングラード包囲は、1941年9月8日に始まり、1944年1月27日まで、872日間にわたって続いた。ソ連の公式発表では、死者64万9千人、うち餓死者63万2千人とされている。近年では、死者は100万人に近いとされている。1942年1月下旬のレニングラードの気温はマイナス30度から40度。食料も燃料も 十分でないなかでのことです。これはたまりませんね……。

人肉食が横行し、人肉食による逮捕者が1942年3月までに1025人にのぼった。

レニングラードはロシア帝政期以来の工業都市。 1939年の人口は男女同数だったが、1946年には170万人の人口のうち男性59万人、女性111万人と女性が多い。とくに20代は、女性は男性の3~4.6倍。若い男性は戦場に駆り立てられたからです。

レニングラードの女性労働者は、1945年に75%、1946年に67%、1948年に60%、1950年に58%だった。レニングラードでは、女性労働者の割合が戦時中、戦後のいずれでもモスクワそして全国より高く、その数値の減り方も、より緩やかだった。

1944年7月8日、フルシチョフの提案によって、ソ連最高会議幹部会は、妊婦や多子女を支援するため、「母親英雄」の1等は9人、2等は8人、3等は7人の子どもを産み育てた女性に、「母親メダル」の1等は6人、2等は5人の子どもを産み育てた女性に授与されるとした。これは、典型的な「産めよ、増やせよ」ですね。

戦後、レニングラードの住民は包囲を経験していない者が多数だった。1939年に302万人だった人口は、1943年には62万人、1944年には55万人にまで減少。包囲が解除されたあとは、毎年数十万人が流入し、1949年には人口222万人に回復した。戦後も、女性のほうが男性の2倍いた。

レニングラード包囲戦を戦ったジューコフら高位の軍人はスターリンから党指導部の権威を脅かす存在とみなされ、政治的に厳しく処遇された。要するに、スターリンの個人崇拝が強まるなかで邪魔とされたということです。

1947年、ソ連の全人口は1億1700万人で、男性は7500万人、女性は9700万人でした。それほど男性が戦死したのです。本当に過酷な「大戦争」でした。

ところで、ロシアのプーチン 大統領はサンクト・ペテルブルク(レニングラード)の出身です。両親とも包囲戦を経験し、幼少の兄は死亡しているそうです。

レニングラード包囲戦の内情をさらに詳しく知ることができました。

(2026年3月刊。2800円+税)

ソ連共産党とは何だったのか

カテゴリー:ロシア

(霧山昴)

著者 聴波 弘 、 かもがわ出版

  私が大学生になったころ(1960年代後半)は、それより前のソ連びいきの学生は少なく、なんとなく中国びいきの人が多かったような気がします。中国の毛沢東を中国を統一した英雄として崇拝する日本人が少なかったと思います。それが、文化大革命のなかで、その実態を知らないまま毛沢東を讃美し肯定する毛沢東主義者(マオイズム)をうみ出したのです。ところが、ソ連のほうは、フルーシチョフのスターリンに関する暴露秘密報告が伝わるにつれ、スターリンって、とんでもない男だったし、ソ連型の「社会主義」って、自由のない官僚優先、人民抑圧型社会だという認識が広まっていって、ソ連は人気のない国になっていたのでした。

私も大学生のころ、マルクス・エンゲルスとあわせて、レーニンの本をたくさん読みました。切れのいい文章(もちろん日本文です)にしびれました。弁護士になってから、レーニンが皇帝一家を裁判にかけることもなく暗殺するよう命じたことを知り、「レーニン、お前もか…」と思いました。

レーニンとトロツキーは、長く対立態勢にあったが、1917年の2月革命のあとは良好で、10月革命の政治面の指導はレーニン、軍事面の指導はトロツキーがおこなった。

トロツキーは外相としてドイツとの講和交渉にあたり、赤軍の創設者になる。1905年革命のとき、ペトログラード・ソビエトの代表にも選ばれている。

レーニンは、ソ連共産党の党首になったことは一度もない。ただし誰もがレーニンを最高の指導者だとみていた。

ソ連共産党は、長きにわたって派閥の連合体だった。

レーニンの死を目前とする直後にその後継者は誰になるのかを取材してまわった日本人のモスクワ特派員がいた(大竹博吉)。彼は、トロツキーだとした。知識層のなかではトロツキーの支持が圧倒的だった。

ところが、スターリンは、知識層が党に入るのを許さなかった。そして、やくざ者まで動員してトロツキー支持派に乱暴狼藉(ろうぜき)を加えた。トロツキーは、スターリン支持派から野次(やじ)られ、その演説は聞こえなかった。そして1929年にトロツキーは除名された。

このようなひどい妨害があったことを初めて知りました。

結局、スターリンによって、ソ連共産党は「独裁者党」に変質し、国際的な「言論の自由」まで封殺した。

ロシア人は、他民族より優越した「強いロシア」をつくったという強烈な国民意識をもった民族。大ロシア主義の歴史観をもつ。ロシアは、外敵を異常に恐れるだけでなく、病的な外国への猜疑心(さいぎしん)と潜在的な征服欲をもつ国。

スターリンは、ソ連に亡命した各国の共産党の指導者を死刑に処し、また投獄した。日本についても、スターリンは北海道に親ソ政権をつくり、ソ連の「勢力圏」にすることを狙った。いやあ、そうならなくて、本当に良かったですね…。

レーニンは、ウクライナを放棄することを決断した。

今のウクライナ戦争(ロシアの侵略戦争)は、ウクライナをロシアがとるか、アメリカかとるかの米ロ覇権争いの軍事的な場となっている。

70年あまり存在したソ連が「人民抑圧」の専制主義社会だったことは間違いない。しかし、わずか70年ほどしか存在しなかった。だから、何かの「経済社会構成体」として学術的に規定するのには無理がある。なるほど、そうなんですか…。

ソ連共産党は各国の共産党にお金を与え、ばらまいていました。それは党のお金だけでなく、国のお金も含まれていました。日本でも野坂参三と袴田里見(元共産党副委員長)からもらっています。1962年7月に2600万円、1963年に1800万円です。これは大金です。党としてではなく、個人としてもらったようです。いったい何に、こんな大金を使ったのでしょうか…。

このタイトルにこたえた内容の本になっています。それにしても、プーチンのロシアはひどいです。一刻も早くウクライナ戦争を止めてほしいです。

(2026年2月刊。2420円+税)

ロシア連邦保安庁(FSB)

カテゴリー:ロシア

(霧山昴)

著者 ケヴィン・P・リール 、 出版 作品社

 FSBは、党よりもプーチン大統領に対する政治的忠誠が求められている。ソ連時代と違って、脱イデオロギーは、汚職・腐敗との結びつきが強まることも意味している。

FSBは、ロシア正教会と関係を有している。これは、ソ連時代との大きな相違点。

ソ連時代のKGBには、分析を行うという文化がなく、分析は尊重される職種ではなかった。

 FSBは高度に政治化された組織である。プーチンは、共産主義イデオロギーの代わりに、ロシアの歴史や文化、力に対する愛国的自尊心に重きを置いた。FSBはイデオロギー的束縛から解放され、大統領や体制の権力、FSB要員自身の利益のために活動している。イデオロギーによる抑制が欠落していることが、FSBがしばしば汚職スキャンダルに書き込まれる一因となっている。

 スパイ活動の脅威を誇張することは、ロシアのような警察国家には必須である。だから、高市などがスパイ防止法を制定しようとしているのですね。権力は、いつだって市民を思うままに統制したいという狙いをもっています。

 ソ連時代には、裏切り者と見なされた人々は、経済犯として起訴されることがよくあった。

FSBは、当局が問題としている宗教団体(たとえば、エホバの証人やサイエントロジー)には、エージェントを潜入させ、活動内容を調査している。まあ、これは日本でもやっていますよね。オウム真理教の信者に警察官が少なくなかったのも、その一例なのでしょうか……。

 プーチンがFSB長官だったのは、わずか1年あまりでしかない。

1999年の爆弾テロが起きたとき、プーチンはロシア語の下品な言葉づかいで非難した。たとえば、「野外便所で抹殺してやる」です。これが、足が地に着いた、歯に衣着せない人物だという評判を呼び、頼もしい人物だと受けとめられた……。高市首相を、「強い女」だともてはやすのに共通している気がします。

FSB中央の最高幹部は全員がロシア民族の姓を名乗っている。また、女性の局長級幹部もいない。

プーチンは「プーチン宮殿」と呼ばれる豪邸に住んでいる。なるほど、2021年1月にビデオで公開された映像は、まさしく宮殿でしたね。

 ソ連時代と比較すると、FSB幹部の技能や教育レベルは低下している。FSBは、ロシア社会における精鋭中の精鋭と自称しているが、その実体は、機能不全と汚職がとどまるところを知らない。たとえば、FSBは、ウクライナ侵攻について、早期に勝利すると見誤った。

もし、プーチンがスターリンのように急死したら、王座をめぐる争いが起きるだろう。しかし、その可能性のある二人は、ともに71歳をこえている。

 FSBは、ソ連時代のKGBのベリヤがそうであったようにロシアのエリート支配層に多くの敵をつくってきた。したがって、プーチン死後、争いが起きるのは必至のようです。

プーチンのロシア、ロシア社会の暗黒面の一端を知ることができました。

(2025年11月刊。2970円)

日曜日にジャガイモを植えつけました。ダンシャク、メイクィーン、キタアカリの3種です。畝(うね)を3つつくっておき、孫たちと一緒に穴を掘って埋めこみます。小学1年生の孫は、シャベルで掘ろうとしても、力が足りず、掘れません。雨がずっと降っていないので、固かったのです。すると、孫はバケツに水を入れて畝にかけ、なんとか掘ることが出来ました。いつのまにか賢くなっているのに驚きました。今年は、ジョウビタキの姿を全然見えません。残念です。近くの電柱のてっぺんにカササギが巣をつくりあげました。いつもながら見事なものです。うちの庭にもよく2羽で巡回してきます。春はもうすぐです。花粉症はまだ、それほどでもありません。

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