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カテゴリー: ヨーロッパ

パリ・娼婦の館

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 鹿島 茂、 角川学芸出版 出版 
 
19世紀のパリの娼婦の館、メゾン・クローズ(閉じられた家)についての実証的な研究書です。この当時、パリにいた日本人の体験記も、ふんだんに引用されていますから、臨場感があります。
このころ、パリの娼婦について真面目に取り組まれた公的な調査の結果が紹介されています。それによると、娼婦になった原因の第一は、貧困と劣悪な家庭環境、第二は贅沢へのあこがれ。娼婦は、その性器が普通の女性と異なっているわけでも、性欲が異常に強いものでもなく、欲しているのは「愛」であることも明らかにされています。
 パリの当局が娼婦についての規制を徹底しようとしたのは、性病とくに梅毒のまん延を防ぐ目的のためだった。
娼婦として体を張っても、客の払う50フランのうち、女主人が30フランを取り、自分の手には20フランしか残らない。これでは割りにあわない。女中の方がまだましと考える女性もいた。
 娼婦予備軍をもっとも簡単にリクルートでできるのは、実は性病患者用の施療院だった。そして、そこで性病は感知しないまま退院していた。うむむ、なんということでしょうか・・・・。
高級なメゾン・クローズは、かつて王侯貴族や大ブルジョアの住んでいた大邸宅を改造したところが多かった。
 メゾン・クローズでは、公開オーディション方式がもっとも一般的である。これに対して、日本では、どんなに破廉恥な風俗が普及しても、根本のところに羞恥と謙遜という美徳があるせいか、ずらりと整列した複数の娼婦のなかから一人だけ自分の好みの敵婦(あいかた)を選び出すという「公開方式」は採用されない。そして、このとき娼婦は、全員、靴だけははいている。これが娼婦としての「正装」であり、これで客と対峙するという礼儀があった。
 女の子たちの勤務時間は午後2時から午前2時までの12時間。一晩に30人から40人の客をとる。客からもらったチップも店として折半する。
娼婦は、病気と弁当は自分もちの原則がある。娼婦の楽しみは食事だけだったから、食事は概して手の込んだ美味しいものだった。ここで、客にケチると娼婦が居つかないので、女将も食事にだけは気をつかっていた。
日本では、擬似恋愛を核としたキャバクラや高級クラブが単独で成立しているが、これは日本独特のものである。フランスに限らず、どの国でも、接待役の女性が横にはべるタイプの社交的サービス業は、これ単独で成立することは少なく、合法非合法の別はあっても、その後の客の要望をみたす直接的サービスを用意していた。二次過程のない一時過程というのは、欧米ではおよそ考えつかないような業態なのである。
うひょう、そうなんですか・・・・。ちっとも知りませんでした。
メゾン・クローズに住み込んでいる娼婦でも、2週間に一度は外出の許可を与えられ、その日は恋人かヒモと一緒にピクニックに出かけたり、ダンスホールで踊り明かしたりして楽しんだ。娼婦にとっては、恋人やヒモと外出する瞬間だけが、つらい「労働」に耐えるための生き甲斐となっていた。というのも、メゾン・クローズの生活は息が詰まり、単調な繰り返しの連続だった。そんな生活になんとか耐えていくには、ガス抜きが不可欠だった。
娼婦たちは、外出させないと逃げるし、外出させても逃げた。メゾン・クローズにとって、娼婦の外出は両刃の剣だった。 
江戸・吉原の花魁の話と似ていますよね。私と同世代の著者ですが、よくぞここまで調べあげたものです。 
 
(2010年3月刊。2500円+税)
 私がパリに泊る時は、カルチェ・ラタンのプチホテルにしています。毎回ホテルは変えています。おかげでカルチェ・ラタンの通りには随分詳しくなりました。セーヌ川沿いには古本を売る露天商が並んでいますし、ノートルダム寺院も歩いてすぐのところにあります。見事なプラタナスの街路樹のサンジェルマンデプレ大通りもすぐ出たところにあります。
 ルーブルもオランジュリーも、美術館には歩いて行けるのでとても便利です。そして、レストランもカフェーもたくさんあります。

パリが沈んだ日

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 佐川 美加、 白水社 出版 
 
 今からちょうど100年前、パリは大洪水にあって、花の都パリが巨大な湖と化したのでした。その当時の写真が豊富に紹介されていますので、その大洪水のすさまじさがひしひしと伝わってきます。
 セーヌ側のセーヌとは、ケルト語のゆっくりとした、緩やかなという意味に由来する。
 パリ低地には、セーヌ川のほかにもう1本、ピエーヴル川が流れていた。ヴェルサイユ宮殿の所在地の近くに水源をもつ川で、水質も良く、流量は豊富だったので、パリの一部に生活水を供給していた。しかし、セーヌ川左岸の都市化が進むなかで、下水道の一部として組み込まれていって、1912年には、完全に暗渠となってしまった。
パリ市内を流れるセーヌ川には37本の橋がかかっている。昔は橋の上にも建物がたっていた。その常識を打ち破ったのは、いまもあるポン・ヌフ橋。1607年に完成した、この橋には橋上家屋は一軒もなかった。
パリに氷点下9度以下の気温が何日か続くと、セーヌ川は結氷し、セーヌ川がそのままアイススケート場になって、大人も子どももスケートを楽しんだ。うへーっ、セーヌ川でアイススケートをしていた時代があったのですか・・・・。信じられませんね。
パリ2000年の歴史には三大洪水がある。最高水位の第一位は1658年2月の34.86メートル。第二位は1910年1月の34.54メートル。第三位は1740年12月の33.95メートルである。
 1658年の大洪水は、ルイ14世・太陽玉の治世のとき。当時のパリの町の半分が水に浸かった。1910年1月の大洪水のとき、被災した建物は2万、被害を受けたパリ市民は20万人に及んだ。ところが、この世紀の大洪水の死者は、わずか1人だけ。電報配達中に濁流にのみこまれた伍長一人だけだった。
 いま、パリの大洪水を防ぐため、セーヌ川系の最上流に4ヶ所の貯水池がもうけられている。そして、大洪水になったときに備えて、たとえば、ルーブル美術館では収蔵品の大移動計画が立てられている。
花の都パリを、少し違ったしてんからとらえることのできる本です。
 
(2009年12月刊。1400円+税)

ヒトラーとシュタウフェンベルク家

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ペーター・ホフマン、出版社:原書房
 映画「ワルキューレ」は残念ながら見逃してしまいました。なるべく話題作の映画はみたいと思っているのですが、それなりに仕事をかかえていますので、なかなか思うようにはいきません。
 この本を読むと、ドイツ国防軍のなかはナチス・ヒトラー一辺倒ではなかったことがよく分かります。少なくともヒトラーへの幻想がさめてからは、反ヒトラーの気分が横溢していたようです。それは、対ソ連戦で予想外に大敗してしまったこと、ユダヤ人の大量虐殺現場を見てしまった(知った)ことによるようです。
 ヒトラー暗殺に失敗してしまったけれど、あと一歩で成功するところではあったシュタウフェンベルクは、ドイツの由緒正しい貴族出身でした。ヨーロッパでは現在なお貴族の家柄が生きているそうです。そのときの条件は背の高いことだそうですので、私などは、それだけでなれないというわけです。ずんぐりむっくりの貴族というのはいないのです。
 ダンケルクからイギリス軍の逃走を許してしまったことについて、シュタウンフェンベルクは、マンシュタイン将軍の功績と考え、ダンケルク戦についてヒトラーを非難した。ヒトラーの誤った命令のせいで、敗走するイギリス軍を逃した。軽蔑をこめてヒトラーを非難した。ヒトラーについて、決して軍事専門家とは認めなかった。ただ、その軍事的才能は認めていた。
 1942年5月、シュタウンフェンベルクは、ユダヤ人の大量虐殺を知り、ヒトラーを排除しなければならないと考えた。上級将校には、それを実行に移す義務があると信じていた。
 1942年8月、シュタウンフェンベルクは親友のヨアヒム・クーン少佐に、ユダヤ人などへの扱いを見ると、ヒトラーの戦争が醜悪であること、ヒトラーが戦争の原因について嘘をついていたこと、したがってヒトラーは排除されるべきだと語った。
 ただし、1942年にはドイツで1000人をこえる将兵が軍法会議で死刑に処せられていた。ヒトラー反対を唱えるのは、とても危険なことだった。
 1943年4月、シュタウンフェンベルクはアフリカのロンメル軍団のなかにいて、イギリス軍の爆撃で倒れた。右手の手首から上を切断し、左手の小指と薬指、そして左目も切除しなければならなかった。
 この年、1943年2月、ミュンヘン大学で「白バラ」グループの反戦活動が発覚し、首謀者たちは死刑(斬首)に処せられていた。
 ヒトラーを打倒するには、精力的な中心組織と強力なリーダーシップが必要だが、それに欠けていた。
 ヒトラーは、グデーリアン大将、クルーゲ元帥などを大金で買収した。
 ヒトラーを暗殺したとの暫定的な元首・軍の最高司令官は、ベック大将が引き受けることになっていた。
 ヒットラー暗殺を志願する若手の将校はたくさんいた。しかし、彼らはヒトラーに近づくことが出来ない。
 シュタウンフェンベルクは、ヒトラー暗殺に成功したら、生きてベルリンに戻ってクーデターの指揮をとる必要があった。
 ヒトラー暗殺計画はよく練りあげられていました。しかし、結局のところ、制度を運営する人間が肝心です。シュタウンフェンベルクは、すさまじいほどの緊張の下で生きていたようです。よくぞそれに耐えて実行したものです。
 ヒトラー暗殺計画について、さらに少しばかり戦場感覚をつかんだ気がします。
(2010年8月刊、3200円+税)

スウェーデンはなぜ強いのか

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 北岡 孝義、 PHP新書 出版 
 
 スウェーデンは不思議な国である。国民の幸福感は、日本よりはるかに高い。税金の高い国なのに、国民からの反発は小さい。スウェーデンの国民は勤勉であり、労働生産性も日本より高い。福祉が行き届いた国なら、国民はやる気を起こさないはずなのにそうはなっていない。
 国民の政治への参加意識は高く、4年に一度の国政選挙の投票率は、常に8割を超えている。実にうらやましいですね。日本は良くて6割、下手すると半分以下の4割の投票率という低迷ぶりです。これでは日本は良くなりませんよね。あきらめていたら、いつまでたっても政治はいい方へは変わりません。ところが、今の日本は議員を減らせの大合唱ばかりです。マスコミも大きく唱道しています。国会も地方議会も、どんどん議員を減らせというのです。少数異(意)見の尊重どころじゃありません。そして、公務員の人数を減らせ、その給料が高すぎるというばかりです。いやになってしまいます。大企業の経営者が何億円というべらぼうな報酬をもらっていても、まったく問題にはしないのです。おかしな話です。
オンブズマン制度は、スウェーデンでは国営である。これまた驚きですよね。
 教育や医療サービスの分野で、スウェーデンは市場の機能は使われない。原則として、学校や病院は公立か国立であり、政府が運営している。スウェーデンでは、ながく社会主義政権が政権をにぎってきた。しかし、同時に国王をいただいてもきた。しかも、その国王の先祖はフランス人なのだ。ナポレオン配下のフランス人ベルナドッテ将軍が、時のスウェーデン政府に頼まれ、カール14世としてスウェーデン王国として即位した。いやはや、なんと・・・・。
 スウェーデンは、1995年にEUに加盟したが、ユーロは導入していない。
 スウェーデンの消費税は25%。医療費は、20歳以下なら原則として無料。20歳をこえても年間の医療費は上限で1万2000円。これはタダ同然ですね。教育費も原則として大学はもちろん、大学院まで無料。そのうえ、月額1万3000円の児童手当、託児所の無料化がある。
 スウェーデンの福祉は、育児、教育、医療、老人介護は、原則として個人の負担ではなく、国の負担であるという理念にもとづいている。スウェーデンでは女性が働くことが奨励されている。そのため、ソフトとハードの両面の政策が実行された。ソフト面では、女性が社会で働くことはいいことだという徹底した意識改革をすすめた。ハード面では、女性の就業を支援するための経済支援、環境整備である。なーるほど、そうなんです。日本でも少子化対策が必要だというのですから、この二つが欠かせません。
 現在のスウェーデン社会では、離婚は普通のことであり、男女の同棲、母子家庭、父子家庭、片親の異なる兄弟・姉妹はまったく一般的な現象である。スウェーデンの子どもは、このような家庭環境で育つ。だから、個性が強く、精神的に自立心の強い大人に育つのは、しごく当然のことである。うむうむ、そういうことなんですか、なるほどですね。
 スウェーデンという国を知ることによって、日本社会の変革の方向、目指すべき道も明らかになると思いました。
 
(2010年8月刊。0円+税)

ギリシャ危機の真実

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 藤原 章生、 毎日新聞社 出版 
 
 ギリシャには行ったことがありません。パンテノン神殿とか、一度は行ってみたいと思ってはいるのですが、少しは言葉の分かるフランスにどうしても魅かれてしまいます。
 それでも、先の選挙のとき日本がギリシャのようになってはいけないというキャンペーンが自民党や財界筋から出てきましたので、ギリシャの国の実情を知りたいと思って読んだのでした。この本を読んでギリシャの国の一端が少し分かった気になりました。ギリシャって、日本とはかなり異なった国家と国民性がある。つくづくそう思ったことです。
 まず第一に、ギリシャの公務員の総数を政府も把握しきれていないというのです。これには驚きというより、呆れてしまいました。
 公務員は選挙のたびに増え、2009年は2000年に比べて3割増の114万人になった。これは労働人口の21%、雇用者の3分の1に及ぶ。ところが、これは推計であって、実数は政府もつかめていない。
 新たな政権ができると、閣僚の顧問や局長職は総入れ替えになり、閣僚や次官などの政治化が好きなように身内や友人などをそのポストに就ける。このときに臨時雇用だったはずが、いつのまにか正規雇用になっていて、政権が交代しても解雇されない。
官僚の給料は安いので、副業にいそしむ人は多い。これは民間企業でも同じこと。無税で働く非公式のお金、闇経済の社会がギリシャにはある。
 そして、ギリシャの総計はまったく信用できない。実に怪しい数字をもとに算出されたマクロ経済の総計だけでこの国の実態は語れない。
ギリシャでは、政治すなわち公職を得る手段だと思われてきた。特権層に集中していた悪習を、パパンドレウ父首相は、左派の庶民にまで広げてしまった。ギリシャでは縁故主義が根強い。
ギリシャ共産党の得票数は1割でしかなく、議会政治のなかでは、決して主流になれない。しかし、ギリシャでは共産党員は孤立しておらず、庶民の中にふかく浸透している。
 ギリシャ共産党は、庶民の目から見れば、訳の分からないこと、実現しそうもない理想をうたう人々である。しかし、困ったときに、また自分が国の犠牲になったときには親身に相談に乗ってくれる相手である。
 共産党の古臭いスタイルのデモに、ごく一般の穏健な人々から極左まで参加している。そこには、レジスタンスを率いながら、戦後いい目にあえなかった被害者としての歴史がからんでいる。ギリシャ共産党は、主流のプレーヤーにはなれないが、庶民を動かし、世界に国のイメージを植えつける社会の一つのツールとしては機能している。
ギリシャ人は現状にすぐ慣れる。そして変化には強い。今回の危機など、長い歴史の中でみると大したことはない。周りが騒ぎ過ぎているだけ。
 何を言われようと、どれだけ困ろうと、頑固にギリシャ人は生活スタイルを変えようとしない。ギリシャ人は、したたかで図太い。ギリシャ人は、ドイツ人のようなあくせくした生活を嫌っているようです。でも、決して怠けを好んでいるのではありません。だって、2つも3つも副業して働いているのですからね・・・・。世界はなかなか広いですよね。
 
(2010年8月刊。952円+税)

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