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いま、先生は

カテゴリー:社会

著者   朝日新聞教育チーム 、 出版   岩波書店
 教師と学校の今おかれている現実を直視してこそ、日本の子どもの将来を語ることができるように思われます。手にとってずしりと重たさを感じるほど、重い内容の詰まった本でした。
 教師の忙しさの質が変わった。忙しさには、やりがいのある忙しさと、消耗する忙しさという2種類がある。子どもを指導する忙しさはやりがいがあるが、説明責任を果たすための書類づくりや、ダラダラした職員会議に追われる忙しさは消耗する。そんな、疲れる忙しさが増えている。
学校や教師に無条件で権威が与えられていた「黄金時代」は完全に幕を閉じた。親が家庭や地域、企業で直面している苦しさが、子どもを通じて、まるで玉突きのように学校に押し寄せている。
 教師層の入れ替わりが激しい。30代の教員が少ないため、若手教員の相談相手となるべき先輩が学校にほとんどいない。この10年間で3分の1が入れ換わる。今や日本の教員の大転換期を迎えている。
 昔は、校長、教頭のほかは一般の教員だった。今では、統括校長、校長、副校長、主幹、主任教諭、教諭という序列ができている。
 教員評価の時期になると、評価される側は不安になるし、他の人がどう評価されているかも気になる。
 定年前に辞める教員が全国で毎年1万2000人をこえる。2005年度から2009年の5年間で全国合計で6万7000人にもなった。
 教員が定年前に早期退職する要因は二つ。一つは、子どもや保護者、同僚との関係に悩み、書類づくりの仕事も多いため、労働時間が長くなり、その密度が高くなった。もう一つは、教員が改革の標的にされ、成果主義の教員評価の徹底など、教師を傷つける政策が進行していること。
 学校では、細かな授業時間数の報告、学級経営案など、さまざまな書類づくりという、求められる事務作業が年々ふえている。そのため、教師は、子どもと接するより、パソコンと接する時間のほうが多くなっていく。
教師の働き過ぎに歯止めがかからない。中学校の教師が学校にいる時間は、1980年に10時間近かったが、1991年は10時間40分、1997年には11時間に近くなった。2007年には、11時間45分だ。27年間のうちに2時間も在校時間が長くなった。そして、教師の睡眠時間は、7時間8分から5時間57分と、1時間以上も減った。
 小学校の教師の労働時間は教頭が12時間近く、校長や教諭は10時間。中学校では、教頭が12時間弱で、校長は10時間ほど。日本の小学校の教員は、OECD平均より年間236時間も多い。1899時間働いている。
 日本の教師は、繁忙感が大きく、仕事に対する自信喪失感が強い。
 教師の自死そして精神病疾患が増えている。とりわけ学校の保健室を頼るのは、もはや生徒だけではない。
希望降任制度の利用者が増えている。東京、神奈川県で目立つ。主幹教諭から、副校長から、そして校長から降任していく。
教員の仕事は独特だ。いくら献身的につとめようと、売り上げや利益の増加といった、目に見える「対価」がない。だから、がんばっている教員には、感謝や喜び、ときにはねぎらいの言葉をかけてやるべきだ。
 公立小・中学校の常勤・非常勤あわせた非正規教員は10万9000人(2010年)で、全体の15.6%(7人に1人)を占めている。背景にあるのは、教員を採用する都道府県や政令指定都市の多くが直面する財政難だ。
 我が子が本当に可愛いのなら、子どもを学校でずっと教え、接触している教師をもっと大切にすべきだと思います。なかには「暴力教師」であったり、「無気力教師」もいたりするかもしれませんが、それは安かろう、悪かろう政策の結果ではありませんか。もっと高給優遇し、休日もたっぷりあるようにすれば、優秀な人材が教育界にあつまり、日本の教育が劇的に改善されると思います。学力テストの成績で教師と生徒をしばりつけるやり方がうまくいくはずはありません。
学校と教師の現実の状況を知ることができました。ご一読をおすすめします。
(2011年12月刊。1700円+税)

アスベスト 広がる被害

カテゴリー:社会

著者   大島 秀利 、 出版   岩波新書
 アスベストは、天然の鉱物からできた綿のような繊維の集まりで、石綿とも呼ばれる。繊維一本は、綿の繊維よりはるかに細かい直径0.02~0.03マイクロメートル、毛髪の数千分の1ほどで、一本では目に見えない。耐熱性など、さまざまな特徴はこうした材質・形状に由来している。石としての特徴と綿つまり繊維としての特徴をあわせもつアスベストは、これまで3000種類をこえる製品につかわれてきた。
 製品は、大きく工業製品、摩擦材、保温材、建材に分類される。
 日本国内でのアスベスト産業の始まりは日清戦争期にさかのぼる。戦後は1974年にピークとなり、年間35万トンも輸入した。1988年には32万トンをこえて第二のピークとなった。そして、2004年に主要製品が使用禁止となった。
 たばこを吸わず、なおかつアスベストにさらされなかった人が肺がんになる危険性を1とすると、たばこを吸った人の危険性は10倍、アスベストだけを吸った人の危険性は5倍。ところが、たばこもアスベストも吸った人の危険性は10掛け5の50倍の相乗効果になる。うひゃあ、これって怖いですよね。
 アスベストの繊維はきわめて細かいので、吸い込むと肺の奥深くに突き刺さる。これが組織に刺激を与え、平均40年という潜伏期間を経てガン化し、中皮腫を発病させる。中皮腫は、すべてが悪性と考えられ、他のがんと比べても治療が難しい。2000年からの40年間に日本でアスベスト被害によって10万人が亡くなるという予測がある。
 1980年から2003年の記録によると、南アフリカのアスベストの最大の輸出先は日本で110万トンに達した。
 阪神大震災によって建物につかわれていたアスベストが飛散した。そして、3.11の東日本大震災によって、さらに広範囲にアスベスト粉じんが広がった。
 アスベスト被害は建築現場で働く人々だけでなく、普通の民家に住む人々、学校で学び、事務所で働く人々にも広く発生する危険が今なお大きいことを改めて認識させられました。
 安価な建築資材と思って使っていたものが、こんなに危険なものだったとは・・・。静かな原発と言われるほど恐ろしいもの、それがアスベストです。
 これからはアスベスト被害をめぐる裁判を注視していくつもりです。
(2011年7月刊。760円+税)

イスラームの「英雄」サラディン

カテゴリー:アラブ

著者   佐藤 次高 、 出版   講談社学術文庫
 12世紀のアラブ世界で十字軍の侵略に真っ向から対決し、ついにエルサレムを奪回したイスラムの英雄・サラディンの一生を詳しく紹介した本です。とても面白く、最後まで一気に読み通しました。十字軍の内部も決して一枚岩ではありませんでしたが、対するアラブ世界も一枚岩どころか、四分五裂の有り様でした。同じイスラム教徒といっても、やはり主導権争いは激しかったのです。サラディンは12世紀の人です。イラク生まれのクルド人でしたが、30歳でエジプトを手中におさめ、十字軍からエルサレムを奪回したのでした。
 イスラムの世界は中国と並ぶ「書の世界」であり、サラディンの生涯に関する伝記史もかなり豊富である。うむむ、これは知りませんでした。アラビア文字の、あのとらえどころのない字体から、漢字のように書の世界が展開していたなんて夢にも思っていませんでした。
 サラディンは1137(1138)年にイラク北部の町タクリート(今のティクリートでしょうか?)に生まれた。父はクルド人の代官だった。現在、イラク北部からトルコにかけて1500~2000万人のクルド人が住む。アーリア系のイラン人を基礎に、アルメニア、アラブ、トルコ、モンゴル民族の侵入と混血をへて今日のクルド民族が形成された。3分の2がスンニー派、3分の1がシーア派だ。
サラディンの性格として二つのことが言える。一つは、近親者の要求を優先した。サラディンは、兄弟や自分の子どもに厚く報いた。二つ目は、性急には武力を行使せず、忍耐強かった。
サラディンは17人の息子と1人の娘に恵まれた。17人の息子のうち2人は奴隷女に生ませた子どもだった。
 サラディンが十字軍との戦いを続けられたのは、エジプト・シリアの政治的な統一に加えて、エジプトの富を十分に活用することができたからである。
 エジプト経済の基礎は農業にあった。ナイル川の西岸には豊かな農耕地が広がり、個々で生産される農産物が都市の人口を養った。
 エジプトの農民たちは、遊牧民と結託して、しばしば納税拒否の反乱に立ち上がった。農村地帯には、伝統的な遊牧生活をおくるアラブ部族がおり、農民からみれば彼らは機動力と武力をあわせもつ「強い味方」だった。
 イスラム世界では、世代をこえて受け継がれていく固定的な「騎士の身分」は存在しなかった。由緒正しいアラブの血を引く者であれ、よそ者の奴隷兵(マムルーク)であれ、騎馬戦士はすべて騎士(ファーリス)の名で呼ばれた。彼らは、いわば職業的な戦士であって、商人や職人あるいは、農民が騎士にとりたてられる道は開かれていなかった。正規軍を構成する騎士は初めの小規模なイクターを与えられ、スルタンへの忠実な奉仕を続けて戦功をあげれば、やがて軍団を統率するアミールに任じられた。
 アミールはイクター収入を用いて子飼いの騎士を養い、スルタンから出陣の命令が下れば、みずから戦備をととのえ、これらの騎士をひきいて参戦することが義務づけられていた。ヨーロッパの騎士へ与えられた封士は相互の契約にもとづいたが、イスラムの騎士へのイクターの授与はスルタンへの絶対的な服従を前提としていた。
 キリスト教徒の騎士にとって、学問や教養はかえって武勇のさまたげになるとみなされていた。この点は、イスラム社会の通念とは大いに異なっていた。
 ムスリム騎士は軽装であり、十字軍騎士は重装だった。
サラディンは死後に継承されるべき政治体制を確立することなく病没した。自らはスルタンを名乗らなかったことからも明らかなように、国家の首長の地位そのものがあいまいだった。ここに至るまでのアイユーブ朝は、サラディンの個人的な権威や人望によって、かろうじて一つにまとまっていたにすぎない。そのため、人々がサラディンを「スルタン(王)」と呼んだとしても、その権力は、決して絶対的なものではなかった。
 十字軍はアラブ世界に200年も侵略、占領、滞在していたようですが、当然のことながら、最後にはアラブの人によって放遂されました。ムスリムの首長であったサラディンの実像を初めて知ることができました。
(2011年12月刊。960円+税)

原発訴訟

カテゴリー:社会

著者   海渡 雄一 、 出版   岩波新書
 著者は現職の日弁連事務総長ですが、ながらく弁護士として全国の原発訴訟に関わってきました。
 司法は破壊的な原発事故の発生を未然に防ぐことが出来なかった。四国・松山にある伊方原発訴訟について、最高裁は次のような判断を示した。
 「原子炉施設の安全性が確保されないときは、この原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命・身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがあることにかんがみ、この災害が万が一にも起こらないようにするため、原子炉設置許可の段階で原子炉を設置しようとするものの技術的能力ならびに・・・・施設の・・・・安全性につき、科学的、専門技術的見地から、十分な審査を行わせることにあるものと解される」
 違法性を判断するにあたっては、処分の時点ではなく、現在の時点、つまり裁判で審理がなされている時点であると明示されている。そして、被告行政庁が安全に関する主張・立証を尽くさないときには、行政庁がした判断には不合理な点があることが事実上推認される。
原子力発電所は、いくら安全確保対策を充実させたとしても、事故の可能性を完全に否定することはできません。
 もんじゅをめぐる裁判については、毎月1回、朝10時から夕方5時半まで口頭弁論期日を開いた。争点に関するプレゼンテーションを実施し、裁判所は自由に心証を形成していった。
青森県にある大間(おおま)原発は日本の核燃料サイクル政策破綻の象徴のような原子炉である。この実験炉ともいうべき原子炉を建設している電源開発は、過去に原発を保有したことがない。
日本国内に設置された原発のなかで、地震や断層の影響を受けないと言い切れる原発はない。1994年から2003年までに発生したマグニチュード6.0以上の地震960回のうち、220回が日本で発生した。世界の大地震の5分の1が日本列島と、その近くで発生している。
 福島第一原発事故において、東京電力が十分な津波対策を講じなかったことは、民事上の過失のレベルではなく、刑事上の犯罪を構成する可能性も考えなければならない。あの天下に名高い東電の歴代社長・取締役をこのまま不問に付していいなんて、とうてい思えません。皆さん、いかがですか・・・?黙って見過ごしていいと思いますか。
 地震、津波による原発の損傷から炉心溶融(メルトダウン)に至った今回の事故は、あらゆる観点からみて明らかに事前に想定できたものであり、東京電力の損害賠償責任は揺るがない。原発事故による損害賠償の枠組みについては、まずは東京電力の現有資産による賠償がなされるべきである。それで不足する部分については、被災者の支援のために国が上限を定めず援助する義務を法律上確定すべきである。
原発をめぐる訴訟に自ら長年にわたって関わってきただけに鋭い論評が各所にみられる本です。ぜひ、あなたも手にとって、ご一読ください。
(2011年11月刊。820円+税)

動物が幸せを感じるとき

カテゴリー:生物

著者  テンプル・グランディン  、 出版   NHK出版
 大切なことは、子どものころに他者との触れあいがたっぷりあり、健全な環境で暮らしたということ。発達初期の外界からの刺激には神経を保護し、脳を保護する働きがある。
オオカミは、人間のように家族単位で暮らす。オオカミの集団、つまり家族には、一組しかペアがいない。オオカミの子は、親や兄弟とは交尾しない。人間と同じように両親が家族を支配する。親は、いつまでたっても親。オオカミの家族では、優位をめぐって子どもたちが親に挑むことなどない。うへーっ、そうなんですか。オオカミの家族が人間の家族とそっくりだなんて、意外でした。
 オオカミが大きな群れで行動しない理由の一つは、捕食種なので、被捕食種のような護身の群れをつくる必要がないこと。オオカミの兄弟は優位をめぐるけんかをしない。
犬にとっていちばん自然な生活は、柵がなく、人間の飼い主がいて、おもに野外で過ごす暮らしだ。
犬は、いわば成長が停止したオオカミだ。顔がオオカミに似ている犬種ほど、おとなのオオカミと似た行動をとる。犬が母親と娘のような家族同士でないのなら、犬を飼うなら2匹にとどめたほうがよい。
犬は、オオカミの血を引いているので、「探索」の欲求が強い。オオカミは放浪する動物で、日中に知的な刺激をたくさん受け、一日に何度もさまざまな決断を下す。
犬は群れをつくると危険だ。犬は、とても社交的なので、何時間もひとりぼっちでは楽しくない。孤独と退屈で苦しんでいる犬があまりに多い。
犬は人間が喜べば、自分もうれしくなる。人間と犬は意識せずに常に互いを訓練している。
エサを取りあげられても気にしないように子犬を訓練することが大切だ。子犬にとって欲求不満を我慢させる訓練でいちばんいい方法は、「待て」と「おあずけ」を教えること。
 犬は、一日に少なくとも1時間はかまってやる必要がある。
子犬の性格を見分けるテスト。子犬をそっと仰向けにして、それから、その胸を軽く押さえつける。起きあがれない程度の圧力をかけたあと、手を離し、そのときの子犬の態度をみる。怒った目でにらみつけたり、おそろしがったりする犬は困る。ちょっとした遊びだと受け止める犬がおすすめ。
猫を飼うとき、心に留めておくべきことは、猫は本当には飼い慣らされていないこと。犬と人間の関係は共生的だが、猫と人間の関係は相互利用的。猫と人間とは、一緒にいて得る利益以上には互いをそれほど必要としてこなかった。ネコは、ある意味で、居間にすむ超小型のトラのようなものだ。
猫は環境にこだわり、小さな変化にもいちいち気がつく。猫は、犬と比べてはるかに自分の流儀にこだわり、新しい環境にうまく適応しないことがよくある。
馬は、犬に似ているところが少しある。人間を喜ばせたいのだ。馬は細部にとても敏感だ。絶対に怒りながら馬に近づいてはならない。
家畜の牛は、馬ほど恐怖心が強くないが、常に捕食者を警戒している。牛は群れで暮らす。そのため、仲間や家族と一緒にいる必要がある。
豚はとても好奇心が強い。先祖のイノシシが自然の中で長い時間をかけてエサを探していたことと関係がある。豚はかなり社交的で、性格も優しい。豚は、とても賢い。頭のよさは、アライグマ、犬、猫に次ぐ。
生き物についての深い考察がなされていて、驚嘆しました。著者は自閉症の動物学者です。
(2011年12月刊。2200円+税)
朝、ウグイスが上手に鳴くので目が覚めます。澄んだ声でホーホケキョと春到来を告げます。
庭にはアネモネの紅い花、黄水仙。チューリップのつぼみはぐんと伸び、もう少しで咲きそうです。
ついに花粉症が始まりました。目元がかゆくて、鼻水が止まりません。鼻詰まりのため、夜中に目が覚めてしまいます。春到来を待ちこがれているのですが、これだけは困ります。
子どもにも花粉症が増えているようです。その原因の一つに日本人のあまりの清潔好きがあるという記事を読みました。文明化もいいことだらけではないようです。

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