(霧山昴)
著者 中村 彰彦 、 出版 中公選書
時代小説の大家が幕末期の政治の実相に迫っている本です。
幕末のころ、将軍家茂と孝明天皇が重大な局面のさなかに相次いで亡くなりました。
まず、将軍家茂です。慶応2 (1866)年7月20日、まだ数え21歳の若さで死亡。「脚気(かっけ)衝心(しょうしん)」とされていたのを、侍医の松本良順は、「心臓内膜炎」とした。これは歯の衛生状態の良くない人が発症しやすいもので、心臓の弁の内壁に細菌が付着、感染して起きる。
家茂は大の甘党で、体質的に虫歯になりやすいところ、虫歯から体内へ侵入した細菌が心臓内膜炎を引き起こし、それが、胸痛とうつ状態の原因となった。見舞品として届けられた甘いものが家茂の虫歯をますます進行させ、征長軍からもたらされる相次ぐ敗戦の知らせが家茂の衰弱した心身に激しい衝撃を与え、ついには死に至った。
続いて 孝明天皇。同年12月25日に36歳で死亡した。痘瘡による死が定説。これに対して 著者は岩倉具視を黒幕とし、女官がヒ素を飲ませて毒殺したとします。
岩倉具視は孝明天皇から遠ざけられていたのですが、天皇の死によって一気に黒幕としての行動を再開し、王政復古、そして徳川幕府の終わりに結びつけていった人です。
でも、そう簡単に天皇を毒殺できるものでしょうか…。
最下級の公家であった岩倉具視は風采(ふうさい)が上がらず短躯(わいく。背が低い)でもあるため、「岩吉」というあだ名をつけられていた。それでも、侍従、従四位上、侍従兼近習と出世していった実妹の堀河紀子は孝明天皇の後宮に入って、兄を引き立てようとした。岩倉具視は公武合体としての和宮降嫁に奔走している。
岩倉具視は孝明天皇から勅勘をこうむっていたが、その天皇が亡んでしまえば、勅勘は自動消滅する。
ヒ素は猛毒だが無色無味無臭で、水によく溶ける。かのナポレオンについても、ヒ素による毒殺説がありますよね…。
孝明天皇の死の直前の状況は急性ヒ素中毒の特徴と合致している。
著者はヒ素を孝明天皇に飲ませたのは女官のトップである大典侍の中山績子(いさこ)だとしています。
岩倉具視の指示によって孝明天皇の死を仕組んだ女官たちは、岩倉の復権とともに公職に復帰して残留し、罪を問われることなく、天寿をまっとうした。
坂本竜馬の暗殺についても、著者は大胆な問題提起をしています。慶応3 (1867)年11月15日、京都見廻組の今井信郎らによって、坂本竜馬と中岡慎太郎は斬殺された。このとき坂本竜馬の居場所を見廻組に教えたのは、薩摩藩の西郷たちではなかったか、というのです。それというのも、西郷隆盛は暴力をもって徳川幕府を倒すことを決意して、着々と布石をうっていました。ところが、坂本竜馬は、なお公議政体案を主張して徳川慶喜を要職に登用する案を主張していたのですから、邪魔な存在だったわけです。
歴史を教科書どおりに表面から眺めるだけでなく、一人ひとりの内面にまで迫って考えていこうとする著者の視点には大変教えられるところが、多くありました。続刊が楽しみです。
(2026年3月刊。3300円)


