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仁義の侍、三宅藤兵衛

(霧山昴)
著者 天草キリシタン館 、 出版 同左
 島原・天草一揆(1637年)が起きたとき、多数の浪人(失業した武士)が一揆軍に加わりました。一揆勢には火縄銃も数多くあり、鎮圧しようとする幕府軍を一時的には圧倒したのです。
 この本の主人公である三宅藤兵衛は唐津藩側の代官として一揆勢と戦っているうちに戦死してしまいました。多勢に無勢だったのです。ところが、この三宅藤兵衛は、なんと明智光秀の孫。光秀の娘の子だったのです。そして、叔母は有名なキリシタンである細川ガラシャ。ガラシャは幼くして両親を失った藤兵衛を可愛がっていました。
 つまり、キリシタン信者として有名な細川ガラシャによって育てられたも同然の藤兵衛がキリシタン信者の一揆勢と戦い、戦闘の最中に戦死したのです。藤兵衛は明智光秀の孫にあたります。本能寺の変で織田信長を倒した明智光秀は秀吉によって敗退し、一族滅亡してしまうのですが、当時2歳の藤兵衛は生きのびて、長じて細川家に仕え、その後、唐津藩の家臣になりました。天草には唐津藩の飛び地があり、藤兵衛は、その代官だったのです。
藤兵衛は鎮圧軍を率いて戦ったのですが、一揆勢のほうが勢いがあり、奮戦むなしく一揆勢に囲まれ自刃しました。
 ところが、藤兵衛は一揆勢と果敢に戦ったとして天草一揆が鎮圧されたあと、その功績が顕彰され墓(石塔)が建立され、今に残っているのです。そして、その子孫も現在に続いているとのこと。
 藤兵衛が光秀の孫であることは藩主(細川光尚)の書状に明記されています(この冊子に写真があります)ので、間違いないことなのでしょう。
 今も、天草には藤兵衛の石塔や孫の墓がよく残っているそうです。天草に市立のキリシタン館があり、冊子を発行していることを知り、注文して読みました。
(2020年10月刊。500円+税)

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