(霧山昴)
著者 野中 哲照 、 出版 武蔵野書院
どうやら著者は大学で学生に「那須与一」を教えているらしいのです。いやあ、それはさぞ面白い授業でしょうね。そんな授業なら、ぜひ聴講してみたいと私は思いました。
著者は、那須与一ほど謎の多い人物はいないし、「那須与一」ほど謎の多い物語はないとこの本の冒頭でキッパリ断言しています。ということは、『平家物語』の那須与一の話は、少しはモデルのいる話かと思っていたのが、実はまったくの架空の話なのではないか…、そう思えるようになりました。そして、早くもネタバレをすると、本当にそうだというのです(すみません、早々のネタバレをお許しください)。
那須与一については、その生誕地(栃木県大田原市)に資料館(伝承館)があるのに、何も分かっていないというのです、まるで不思議な話ではありませんか…。
この本の第一部は、まずは「読解編」として始まります。少しずつ「那須与一」が解明されていきます。
那須与一が船の上の扇の的(まと)を射るのに使った鏑矢(かぶらや)は、先端に雁股(かりまた)という矢尻と鏑がついている。この鏑は、鹿の角(つの)をくりぬいて中を空洞にしたもの。鏑矢が空中を飛ぶと、鏑が笛のように鳴る。鳴らす音によって魔物を退散させる。扇の的(まと)を射るのは、厳粛な儀式で、神事だ。このとき、那須与一に矢を射ることを命じた義経は27歳だった。那須与一が弓を持ち直す表現は、緊張感が徐々に増してきて、集中力が高まっていることを示している。
「与一」は、正しくは「余一」で、これは「十余り一」で、十一男のこと。
大学での授業のあと、「この語は本当にあったことなのか?」と質問しにくる学生がいる。これに対する著者の対応は、さすがに大学で教えているだけのことはあります。
小さな事実としては事実でないかもしれない。しかし、大局的にみて、頼朝直属の武士だけではなく、辺縁部で、かつ底辺の小さな武士団が頼朝を支えていたという点では否定しようのない事実だった。
著者は、そもそも那須与一は実在の人物なのかと問いかけ、その答えとしては否定しています。そして、結論として、嘘(ウソ)であることが見抜かれないように本物らしさを偽装するところにこそ、嘘であることが露呈している、とするのです。なるほど、そんな言い方もできるのですね。
そして、那須与一には、那須光助というモデルがいたとしています。
光助は、那須野の狩りで活躍している。光助は、源頼朝に認められた、鎌倉幕府寄りの御家人だった。なので、義経の部下ということはありえない。要するに、那須与一は物語世界でつくられた人物なのだ。
物語を研究するというのは、こんなことなのかということが推察できる本でした。私には、とても面白かったです。
(2022年5月刊。税込2420円)
那須与一の謎を解く
