著者:高橋英郎、出版社:小学館
モーツアルトが肉親に対して茶目っ気たっぷりのスカトロジックな手紙を書いていたのは、前にも本を読んで、少しは知っていました。この本は、モーツアルトの手紙を父親のものを含めて系統的に並べていますので、その人間性と心理状況がよく分かります。写真や図版もありますので、500頁で大判の本ですが、すらすらと読みすすめることができました。
モーツアルトは、幼いころから、誰からも愛される性格だった。親しい人たちに、「ぼく好き?」と質問を連発したのも、ぼくはきみを好きなんだから、きみだってぼくを好きだよね、という愛の相互確認だった。
父親は手紙にこう書いています。
坊主は誰とでも、とくにお役人たちと大変うちとけてしまい、まるでもう生まれたときからの知りあいのようだ。
文豪ゲーテは14歳のとき、7歳のモーツアルトの演奏を聞いて強い印象を受けたそうです。同時代の人たちなんですね。
啓蒙派学者のヴォルテールは10歳のモーツアルトに会えなかったのを残念がった。
モーツアルトは、姉ナンネルと、ふだん口笛で応答していた。
激しい仕事に没頭するほど、遊び心を求めるのは、晩年に三大シンフォニーを書きながら、奔放卑猥なカノンを乱発したことから明らかである。モーツアルトは、常にバランスをとっていた。
そうなんですよね。天才じゃなくても、常に精神のバランスをどうとるか、考えておく必要がありますね。私は、読書に没頭することと、土いじり(ガーデニング)です。花を育てて、咲くのを見てると、心が洗われます。
モーツアルトは、マリア・テレジア女帝からは冷遇された。わざわざ、無用な人間を雇うなという回状までまわされた。うむむ、いつの世にも反対派はいるものなんですね。
恋はモーツアルトにとって生きる原動力だった。作品と並ぶ、最優先事項なのだ。
モーツアルトの母親までもが、夫に対して、息子顔負けのスカトロジーたっぷりの手紙を書いていたなんて知りませんでした。ここでは、その引用はやめておきます。
南チロル出身のきわどいジョーク好きの母親の血を、息子であるモーツアルトが受けついだのだ。著者は、このように分析しています。なーるほど、ですね。日本人には、とても考えられません。
モーツアルトはある人を訪ねたとき、モーツアルトではないかと訊かれて、いえ、トラツォームと言いますと答えた。これはモーツアルトを逆に呼んだ名前ふざけたわけだ。私も、子どものころ、自分の名前を友だち同士で逆さ読みしていたことを思い出しました。
モーツアルトは大きくなると、大事なことは父親に相談せず、父親の意見に逆らっても独断でことをすすめた。息子として、父親に見切りをつけていた。
モーツアルトのスカトロジックな手紙文から、フロイドを引用して、いい年をして、幼児性があるなどと論評する人がいるが、それは間違っている。モーツアルトには、感性の無限の開放があった。類い稀な人間が存在していることに気づくべきだ。
この著者は、そのように主張しています。なるほど、そういうことなんでしょうね。それにしても、とても引用できない内容ではあります。一言でいうと、ウンコとオナラのオンパレードなのです。
モーツアルトは父親に対して、次のような手紙も書きました。
ぼくの色恋沙汰については、もう忘れてください。もうだいぶ以前に心から後悔しました。傷ついてこそ叡智が生まれます。ぼくはまだ若い。でも、若い歳月を、乞食のような境遇で無為に過ごすとすれば、とても悲しいことであり、損失でもあります。
モーツアルトの音楽が心打つのは、その生活の不安定感からくる真情がある。
モーツアルトは一日、せいぜい3〜4時間しか作曲していない。モーツアルトは、推敲にこだわるタイプではなかった。
モーツアルトは秘密結社フリーメイソンに加入した。フリーメイソンの盟友が、モーツアルトにお金を貸して、その生活を支えた。モーツアルトの遺体はフリーメイソンの黒の装束に包まれた。ミサもあげられることなく、共同墓地に埋葬された。25年ごとに掘り返される貧民墓地だった。
この本を読んで、私はモーツアルトは、短いけれど豊かな人生を送ったのだと思いました。
モーツアルトの手紙
