(霧山昴)
著者 砂本 三郎 、 出版 筑摩書房
圧倒的な迫力のある絵に驚かされました。戦場の生々しい現実が伝わってきます。
ところが、驚くべきことに、これらの絵は、戦後、日本に引き揚げてすぐに描かれたものではないというのです。戦後30年以上もたった1979年ころに描かれています。56歳のとき、脳出血で倒れ、回復したあと、著者は静物画を習いはじめ、2年ほどして絵画の基礎が出来てから戦争時代の絵を描き出した。いやあ、それにしても実に生々しい絵です。
1940年、41年ころ、一緒に中国の戦場に行き、そこで戦死した戦友36人の顔が描かれています。一人ひとり、もちろん顔が違います。決して写実的ではありませんが、そうか、こんな人だったんだなと、全員フルネームで紹介されています。まったく頭が下がります。まさしく鎮魂の思いが込められています。
著者も負傷はしていますが、軽いものでした。日本敗戦前に日本に戻ってきています。次に応召したときは、中国ではなく、ウェーキ島(大鳥島)で、飢餓の日々を過ごしたのでした。
中国戦線で、抗日軍兵士を匪賊として日本刀で首を落として殺害する状況も描かれています。日本軍は捕虜収容所をつくることもなく、全員、次から次に虐殺していったのでした。その典型が南京大虐殺です。皇軍(日本軍)が虐殺するはずがないという俗説は、この絵一枚からも見事に否定されます。
日本兵(戦友)が敵の中国兵の弾で殺傷される様子も描かれています。敵の機関銃によって次々に戦死していく状況です。
日本軍の無謀な渡河作戦で、隊長以下400人がまたたく間に戦死。それを指揮した無能な日本軍将校を厳しく批判しています。突っ込めと号令をかけ、自分は後方でぬくぬくとしている軍上層部を許していません。
中国大陸での戦闘において、日本軍は苦しい戦いを余儀なくされていたのです。重慶軍(国民党軍です。八路軍ではありません)は意気軒昴だったのです。決して、軟弱ではありませんでした。
ウェーキ島の日本軍将兵は弾薬も食料もなく、みなガリガリにやせ果てていた。そのうえ、口減らしのための見せしめ処刑が日本軍には横行していた。
飢えのために食べ物を盗んだことが見つかった兵士は、他の者へのみせしめとして処刑されていった。毎月、1人か2人の兵士が処刑された。要するに、口減らしです。ひどいものです。
乾パン4千個が1日分の食料。ついには、人間の肉(人肉)まで食べた。いやはや、極限きわまりない状況です。
ウェーキ島での自画像は、まさしく骨皮筋右衛門そのものです。もはや兵士ではなく、ガイコツ集団でしかありません。
なので、著者は、再軍備を主張する者に対して、鋭く批判するのです。今の日本で軍事力に頼り、大軍拡に走る自民・公明政権への痛烈な批判にもなっています。
7月に第一刷が出て、8月には第2刷となっているのも当然です。今、大いに読まれるべき本として、ご一読を強くおすすめします。
(2025年8月刊。3080円+税)