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2023年4月 の投稿

僕とアンモナイトの1億円冒険記

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 相場 大佑 、 出版 イースト・プレス
 とても面白くて、一気読みしました。
 かたつむりのような形をしている、丸いアンモナイトは4億年前の古生代デボン紀から、6600万年前の中生代白亜紀末まで長く生息していた。海中を遊泳していた頭足類。
古い時代のアンモナイトの縫合線は刻みが少ないシンプルな形をしていて、新しい時代になるほど、複雑に入り組んだ模様をしている。
アンモナイトの気室にはガスが充填されていて、海中で「浮き」の役割をしていた。
アンモナイトの腕は、イカと同じ10本と考えられている。
日本でアンモナイトの化石が揺れる場所の多くは川沿い。水の流れがあり、湿度が高く、木々がうっそうと生い茂った場所。そんな場所には、蚊やブヨ、アブの大群がいる。なので、化石の発掘作業は地獄の条件で進められる。さらに、化石の詰まった(埋まった)ノジュールという岩石は、なるべく、そのまま研究室に持ち帰るので、リュックサックは重たくて、避けてしまうほど。
この本の面白さは、アンモナイトのさまざまな形と生態が写真とともに紹介されているのが一つです。もう一つは、数学科出身の著者が畑違いの古生物学の大学院生となり、苦労しながら研究者としての道を究めつつある奮闘記がリアルに語られているところです。
アンモナイトを研究対象にしてからは、心の底から湧き上がる純粋な知的好奇心のままに行う勉強は本当に楽しいものだった。
 科学研究は、論文になって初めて正式な成果となる。そこで重要なのは、再現性。自分以外の人間が検証できるようになっていなければならない。
 博士というのは特別な天才がなるものではない。本当に好きなものに情熱を注いで、悩みながらもたくさんの人を頼って、遠まわりしながら手探りで一歩ずつ歩みを進めて、新しいことを習得していく。蓄積こそ、博士なのだ。
 人生の目的を見つけるまでの苦悩の過程をさらけ出しているので、共感できるし、面白いのです。どうぞ、ご一読ください。
 
(2023年1月刊。1500円+税)

渥美清、最後の日々

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 篠原 靖治 、 出版 祥伝社黄金文庫
 寅さんこと、渥美清の付き人を14年つとめあげた人の見た寅さんの実像です。
 読めば読むほど、偉大な役者だったことがよく分かります。残念なことに、私の周囲には映画館で寅さん映画をみたという人は、ほとんどいません。残念というより、お気の毒に…、というのが私の本心です。
 私は第一作からほとんどみていますし、それは映画館です。そのうえ、テレビでのリバイバル上映もみたことがあります。
渥美清の好きなコトバに「知恩」がある。出会った人はすべて大切にしなければいけない。人は恩を忘れてはいけない。知恩とは、そういうこと。
渥美清は自分の私生活は決して明らかにしなかった。そうなんです。この本で初めて、男女一人ずつの子どもがいて、長男・健太郎氏はラジオ局に勤めているというのを知りました。
 自宅には決して他人を寄せつけず、代官山にマンションをもっていました。本名の田所康雄から渥美清に変身するために必要だった部屋。なーるほど、ですね。国民的俳優になるには、そんな助走のための部屋が必要だったのでしょう。なんとなく分かる気がします。
 家族には「渥美清」を見せず、スタッフには「田所康雄」を見せない。そんな二重生活を亡くなるまで、何十年も続けたのです。偉いというか、とても真似できることではありませんね。
 渥美清と山田洋次監督の関係について語られているところも興味深いものがありました。
 この二人は、「本当は、仲がいいのか悪いのか」、と周囲に思われていたというのです。それくらい、この二人には、「ある種の距離」があった。「なあなあ」の関係ではなかった。
渥美清にとって山田洋次は、「とてつもなく頭のいい人」であると同時に、大変な努力家だと知っていた。
渥美清は肉や油っこいものは決して食べなかった。戒名もつけなかった。位牌も生前から用意していた。
 渥美清は、基本的に山田監督から渡された台本を尊重し、決めのセリフは、絶対に台本どおりに演じる。アドリブは、それ以外の場面で入るだけ。
渥美清は柿とリンゴが好物で、イチゴやメロンは食べなかった。うへー、これはどうしてなの…。私はみんな大好きなんですが…。
渥美清は、本をよく読み、知識も教養もあった。
記憶力は並外れていた。セリフは、1回台本を読むと、ほとんど頭に入った。
20数年間、寅さん役を続け、「マンネリ」として、そっぽを向かれることがなかった。それは、渥美清が、まさに骨身を削る思いで、寅さんの役に取り組んでいたということ。
まったく、そのとおりです。その恩恵を受けた私などは、このありがたさに涙が出ます。
人に笑ってもらえる、喜んでもらえるというのは、渥美清の役者人生のエネルギー源だった。
まったくまったく、そのとおりではありませんか。
寅さん映画を見ていないという人は、この世の最大傑作の一つを見逃しているということなんです。ぜひ、一度みてみて下さい。
(2019年12月刊。680円+税)

平和憲法で戦争をさせない

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 寺井 一弘 ・ 伊藤 真 、 出版 自費出版
 昨年(2022)年2月にロシアがウクライナに侵攻して始まった戦争は、いつになったら終わるのか、不安な日々が続いています。
 そんな人々の不安につけこんで、自民・公明の政権は相変わらずアメリカの言いなりに高額な兵器を買わされ続け、日本もアメリカに続けとばかりに戦争する国になりつつあります。怖いのは、少なくない日本人がそれに慣らされ、モノ言わぬ人々になってしまっていることです。それが裁判所(裁判官)の意識も包み込み、出る杭は打たれるとばかりに、政権の言いなりに判決を書き続けています。司法が行政の歯止めの役割を果たそうとしていません。
 「そんなこと、オレたちばかりに押しつけるなよ…」という、弱々しい告白がもれ聞こえてきます。でも、あきらめずに、安保法制法は憲法違反だという裁判を意気高くすすめているグループがいます。私も、そのグループに加わり、微力を尽くしています。
 この70頁ほどの小冊子は、そんな安保法制違憲訴訟を引っぱっている二人のリーダーによるものです。さすがは憲法伝導士を自称するだけあって、格調高い内容です。
 まずもって驚かされるのは、戦前の明治憲法をつくった伊藤博文が立憲主義の本質を理解していたということです。君主の権力を制限し、国民の権利を守ることが憲法の目的だと、伊藤博文が言っているのです。自民党の政治家にぜひ読んでほしいところですよね…。
 ただ、残念なことに、「個人の尊重」は理解していなかったようです。だって、女性の参政権は認めていない時代ですから、当然の限界なのでしょう…。
 明治憲法は天皇が強かったわけですが、実のところは、天皇を通じて国民を自由に操(あやつ)る実質的な権力者が天皇の裏にうごめいていたのです。
 明治憲法では、親権天皇、軍隊、宗教が三位一体の構造をなしていた。これに対して、戦後の日本国憲法は、象徴天皇制、9条による戦争放棄、政教分離を規定した。
 今の日本国憲法を「押しつけ憲法」というのは事実にも反しますが、このコトバは1954年の自由党の憲法調査会で初め登場したもの。
日本国憲法は、国連憲章ができたあと、それも人類がヒロシマ・ナガサキで原爆(核兵器)を使ったあとに制定されたもの。このことを忘れてはいけない。
 日本は、今日までの戦後77年間、戦争することなく、少なくともこれまでは無用な軍備拡張競争に乗ることなく、ただ一人として国民・市民が戦争で死なず、そして自衛官が戦死することもなく今日があるのです。
抑止力の本質は、戦争する意思と能力があることを相手に示して威嚇すること。
 日本が敵基地攻撃能力を持ち、「やられる前にやれ」といって攻撃したら、「敵国」は必ず反撃してくる。ミサイル攻撃の応酬になってしまう。どちらも共倒れ、廃墟になってしまうまで続くことになりかねない。
 戦争が始まったら、なかなか終息しない。なので、戦争にならないようにするしかない。そのためには、私たちはもっともっと声を大きく強く平和を求めて叫ぶべきなのです。
(2023年5月刊。カンパ)

満蒙開拓団

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 加藤 聖文 、 出版 岩波現代文庫
 満州開拓の動機が純粋であっても、その結末はあまりにも悲劇的だった。動機と結果のあまりにもひどい落差が満蒙開拓団の評価を難しくし、政策に関与した者たちの口を重くしている。
 でも、私には、「動機が純粋」と言えるのか、きわめて疑問です。満州に渡った日本人の大半は、いわば錯誤(錯覚)の状態だったと思います。誰の所有でもない未懇で未開発の原野を耕地に変えて、そこに移住するという動機をもっていたとしても、それは客観的な事実に反していました。「誰の所有でもない」のではなく、大土地所有者がいて、耕作者がいて、あいだに管理人もいたのです。未懇の原野もたしかにありましたが、開拓団の多くはすでに畑となっていたところに入植したのです。もちろん、前の耕作者を追い出し、今度は、労働力(苦力。クーリー)として雇傭したのでした。そして、耕作地(畑)は、安く買い叩いて、関東軍の武力を背景に追い出したのです。
 そのうえ、多くの開拓団は現地の中国人に対して優越感をもち、徹底して差別扱いしたのです。恨みを買うのも当然でした。それが日本敗戦後に、開拓団への襲撃として現実化し、多くの団員(主として女性、子ども、そして年寄り)が犠牲になったのです。
 中国人が今も忘れることのない9.18を現代日本人はすっかり忘れ去っています。1931(昭和6)年9月18日に、日本(関東軍)が満州事変を起こし、またたく間に満州領域を占領したのでした。翌1932年3月1日に、満州国という自他ともに認めるカイライ国家を「建国」しました。
 満州事変の前の日本は、世界恐慌の影響を受けて、不況のドン底にあった。なので庶民は明るいニュースを求めていた。満州事変のあと、大きな被害もなく、またたく間に日本が満州領域を占領するというめざましい戦果をあげたことは、庶民を熱狂させるものだった。
 1933年4月、関東軍は「日本人移民実施要網案」を正式に決定した。
 同年7月、試験移民団が満州に入ったが、500人の団員のうち退団者がたちまち1割以上の60人にものぼった。それは、満州の厳しい気候に耐えられず、匪族から襲撃を受けたからだった。
 1934年2月には、現地住民が集団で蜂起した(土竜山事件)。
 1936年の二・二六事件のあと、広田弘毅内閣は8月に七大国策を定めたが、その六番目に、満州移民政筆をかかげた。満州移民は正式に日本の国策となった。
 1945年8月9日、ソ連軍が満州に進攻してきた。対する関東軍は、その精鋭が南方へ転出していて、まさに「張り子の虎」状態。圧倒的な火力をもつソ連軍の攻勢そして現地民の襲撃も加わって被害甚大の結果をもたらした。開拓団27万人のうち、7万人以上が亡くなった。そして、大量の残留婦人と残留孤児が発生した。
 国策に盲目的に従うと、ろくな目にあわないという典型が示されています。現代日本にも生きる教訓だと思いました。
(2023年2月刊。1500円+税)

日本の古代国家

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 石母田 正 、 出版 岩波文庫
 古代国家についての古典的文献を久しぶりに読み返してみました。
  なにしろ、今から50年以上も前の1971年に発表された本なのです。東京までの飛行機の中でじっくり読んでみようと思ったのでした。国家は単に「強力」(かつては暴力と記されていたコトバです)によって支配するのではない。裸の「強力装置」(暴力装置。たとえば軍隊)は、事制国家の場合には、10年と存続しえないであろう、それが肉体労働と知的労働との社会的分業の体制を基礎とし、後者が支配階級によって独占されている事情によって、律令制国家は数世紀にわたって日本人民を支配しえた。
隋、唐時代を通じて、倭国あるいは日本は一貫して中国王朝に対する朝貢国であった。
 中国の正史において、倭国からの使節は、「来貢」または「朝貢」と記されるのが普通。朝貢関係は冊封関係よりは、より緩和された形態ではあるが、それが王権間の一つの支配、服従の関係であることには変わりはない。
 日本と中国の関係は対等ではない。唐の都、長安における新羅使との席次争いも、日本が唐に朝貢する諸蕃の一つであったことを示している。唐の皇帝は、日本に対して出兵を指示・命令する権利があると考えていた。その根拠は日本が朝貢国であるということだった。
5世紀の倭王が「大王」の号を称していたのは、高句麗の国王が「太王」と称していたことの対抗だった。
 隋の皇帝が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という文章を読んで怒ったのは、倭王が勝手に「天子」の称号を用いたから。「日出ずる…日没する」に怒ったのではない。
 それまでの「大王」号は、倭国内部の称号だった。これに対して、「天皇」は、「大国」または朝貢国の王としての地位を示す称号として成立した。群卿・大夫層の合議の主催者であり首席である大臣(おおおみ)蘇我馬子は決定を破って新羅への出兵を命じた張本人。大臣の権威と指導力は、いわれるほど強力ではなかった。
 大化改新は、単なるクーデターでも、政変でもない。改新のプランとプログラムは政変以前に、周到に準備されていた。
 隋の煬帝の度重なる征服戦争は民衆の叛乱をあおり立てた。
 日本は、百済救援のため、相当数の軍隊を朝鮮半島に輸送できた。このころ、新羅も日本も、奈良時代には一艘(そう)百人以上の収容力ある船の造船技術を持っていた。
 初位以上の全有位者の武装の強代、兵器とくに馬の装備、歩卒と騎兵の分化、戦闘の訓練と技術の習得など、質的に高い武装力を持って幾内を固めた。難波は、外交上の要所であるだけでなく、軍事基地であり、「軍港」であった。
 天武・持統制における軍政上の最大の改革は、「軍団」の創設。これは公権力がはじめて独立の常備軍を持ったことを意味している。
大宝令は、日本における国家の最終的な完成を示す法律書。
歴史の必然性は、偶然を通してしか実現しない。さすがは古典的名著です。文庫本で554頁もありますが、ともかく読み進めて、新しい知識を得ることができました。
(2017年1月刊。1380円+税)

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