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非戦の誓いⅢ

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 伊藤千尋 、 出版 あけび書房

「憲法9条の碑」が全国各地に建立されています。著者は、その碑まで足を運び、建立した人々と交流し、また平和憲法の意義を訴えています。

「9条の碑」は、過去に向かってではなく、現在 そして未来を向いている。平和憲法を無視して戦える社会に戻そうとする政治の流れを止め、9条の意義を広め、これからも平和に暮らせる日本を築いていくためのもの。

著者が初めて「9条の碑」を見たのは日本ではなく、なんとアフリカ沖のカナリア諸島でした。2006年のことです。そこには「ヒロシマ・ナガサキ広場」があり、畳1枚ほどの大きさの碑がありました。日本ではけなされ無視されることもある憲法9条が海外では尊敬の目で見られているのを知リ、それから 日本の「9条の碑」を見てまわることにしたのです。

「9条の碑」は、今、日本全国に次々に建てられています。2024年には全国に15も生まれました。2025年には 25、2026年には半年で12も生まれています。

今では、全国1都1道2府31県に「9条の碑」が88もあります。

「9条の碑」は、形も素材もさまざまなものからつくられています。藤沢市の碑は、赤ちゃんに可愛らしい猫が寄り添う彫刻です。ここには「なでてあげてね」と書かれていて、実際、子どもたちが近寄って触っています。

岡山駅前の「9条の碑」には QRコードがついていて、スマホをかざすと歌と映像が流れます。AIが作詞、作曲し、歌うのもAI。最先端を行っています。

全国各地の「9条の碑」が建つとともに、つくった人の苦労話も紹介されています。

九州に始まり、大牟田の福建労会館の碑が紹介されています。大牟田には「空襲の碑」もあり、最近、山腹から海近くの人の集まる公園内に移設しました。北九州にもあります。前田憲徳弁護士が会長となって「9条の碑」をつくったのです。ガラスを含む合成プラスチック製で、巨大なハート形。ピンクの部分に憲法9条が刻まれています。

下関市にある「9条の碑」は名物のフグの形をしています。フグの口から吐き出す息が 9の形の泡になっていて、うしろには 赤ちゃんフグが浮いているのです。ちなみに、下関は 安倍元首相の選挙区でしたが、著者の故郷でもあります。著者は東大で私の1学年下でした。東大闘争を共に体験しています。

町田市(東京)にある9条の碑はステンレス板でQRコードが埋め込んであり、スマホで開くと、「ほうき星の約束」の歌が流れます。

茨城県土浦市の9条の碑は畳1枚分より大きい巨大な石造りの「本」の形を用いています。この碑をつくる会の会長は地元弁護士の尾池城司さん。日弁連憲法問題対策本部で ともに活動する仲間です。

国際ジャーナリストとして活動している著者から恵送していただきましたので、その日のうちに読了しました。ありがとうございます。今後ますますのご活躍を祈念します。

ところで、私の事務所でつかっている封筒には裏面に憲法前文と9条を印刷していますが、それを「動く9条の碑」として紹介していただきました。まだまだ少なくない日本人が憲法前文と9条をしっかり読んでいませんので、ぜひ読んでもらいたいという思いからのささやかな工夫です。これも広めたいものです。

(2026年9月刊、1870円)

北朝鮮の軍事外交戦略

カテゴリー:朝鮮

(霧山昴) 

著者 平岩俊司 、 出版 インターナショナル新書

本のオビには、なぜトランプは北朝鮮を攻撃しないのか?とあります。

イランを攻撃したのに、トランプは北朝鮮を攻撃しようとしないどころか、あわよくば金正恩と会談しようと画策しているようです。

何がイランと違うのか……。理由は二つ。その一は、韓国が反対していること。北朝鮮の長距離砲の射程にソウルが入っていて、24時間は撃ち続ける戦闘能力がある。しかも、アメリカの基地も砲撃される危険がある。その二は、中国が参戦してくる危険があること。さらには、北朝鮮の核ミサイル能力が向上したこともある。

北朝鮮の体制崩壊は間もなくという見方がありましたが、今やそれは遠のいています。

むしろ、最高指導者が代わって政権交代しても、それを支える官僚機構が強靭(きょうじん)であることが注目されている。想像をはるかに上回る強力な体制だということです。

トランプと金正恩は既に何度も首脳会談をしていて、25通もの書簡を交わしている。米朝間のチャンネルはすでに形成されている。ひょっとしたら、韓国よりも緊密なチャンネルになっているのかもしれません。

これまで、北朝鮮について、国際社会は三つの過小評価があった。その一は、北朝鮮の独裁体制は間もなく崩壊するだろうという見方。しかし、今も体制が動揺しているようには見えない。その二は、北朝鮮の技術力の過小評価。アメリカ本土まで届く核ミサイルを持てるはずがないとみられていたが、今やそれを持っている。その三は、北朝鮮の「覚悟」、プライドについての甘い見方。

北朝鮮は、2017年5月に「火星12」発射実験、7月に「火星14」等の発射実験をして、核ミサイル開発に拍車をかけた。そして、9月3日、通算6回目の核実験を行った。

北朝鮮は、ロシアの対ウクライナ侵略戦争に加担し、数万人の兵士を送り、最前線で戦闘に従事しています。その見返りは大きいようです。

北朝鮮という国は決して見過ごすことの出来ない国として注視する必要があります。それにしても、かつてはJアラートが頻繁に鳴っていましたが、ここのところ鳴りません。国民の思想動員として必要なくなったのでしょうか。そうとも思えませんが…。

(2026年6月刊。1122円)

 9月12日(土)、天神の映画館でチュニジア・フランス映画「ヒンド・ラジャブの声」をみました。とても刺激的な内容で、夜、布団に入ったとき少女の声を思い出すと涙が出てきてとまりませんでした。

 イスラエル軍が侵攻したガザ地区で起きたことです。市民の乗る普通の車がイスラエル軍に銃撃され、おじさん・おばさんたちが死亡するなか、6歳の少女がひとり残されます。ケータイでドイツに住むおじさんと連絡がつき、おじさんはヨルダンにある赤・新月社(赤十字)に通報しました。赤新月社のスタッフは少女と電話で話し、救出活動を試みます。

 救急車が出動すれば、わずか8分のところですが、イスラエル軍の許可なく出動すると、銃撃されてしまいます。既に20人以上もの救急隊員が死亡しているのです。なんとか2時間以上もかかって許可を得て救急車が出動。あと少しで少女のところへたどり着くと思ったところ、イスラエル軍は救急車を戦車砲で撃ち、少女も殺されてしまいます。

 少女の生の声が、映画でそのまま使われています。イスラエル軍のひどさを実感しました。

知って得する、人間の体内時計のはなし

カテゴリー:人間

(霧山昴) 

著者 中村孝博 、 出版 中公新書ラクレ

人間は時計を見なくても、太陽を見なくても、自分の中で一日のリズムをつくりだしてしまう。

リズムとは、「生命があるから生まれる」のではなく、「条件がそろえば自然に立ち上がる現象」。エネルギーの流れがあり、非平衡状態が保たれると、化学反応であっても、物質の運動であっても、時間構造が生まれる。

女性の体と生活は、男性とは明らかに異なるリズムの中で成り立っている。体内時計にも性差がある。

女性の体内リズムは、男性に比べてはるかにダイナミックで、変化に富んでいる。女性の脳は複雑な処理を行うため、男性よりも20分間だけ長い睡眠が必要。

時差ボケの本質は、「体内時計の混乱」。

体内時計は、気合いや努力では動かない。

サマータイムの切り替え直後には、交通事故の増加、急な心筋梗塞の増加、うつ病の受診率の上昇が報告されている。夜

勤回数の多い女性には乳がんリスクが高く、男性のシフトワーカーは前立腺ガンのリスクが上昇する可能性がある。

体内時計の本質は、次に何が起きるのかを予測し、それに先立って体の状態を整えるための仕組み。

体内時計というのは、便利だから後で付け足された機能ではない。それは、地球という、常に周期的に変動する環境で生き残るために、生命が必然的に獲得してきた、根源的な仕組み。

大変に分かりやすい体内時計の話でした。

(2026年7月刊。1050円+税)

教養としての量子コンピュータ

カテゴリー:社会

(霧山昴) 

著者 藤井啓祐 、 出版 ダイヤモンド社

インターネットの仕組みも分かっていない私なので、量子コンピュータのことが分かるはずもありません。でも、怖いもの見たさ、ではありませんが、ちょっとでも量子コンピュータのことが分かったらいいなと思って読んでみました。そうなんです。何事にも挑戦してみるのが肝心なのですよね。

量子コンピュータは世界で多数稼働していて、国産の量子コンピュータも、2023年以降、複数が稼働している。海外製の量子コンピュータも含めると、日本はアメリカに次いで世界で2番目に多種多様な量子コンピュータが存在している。

量子コンピュータは単なる速い計算機ではない。それは、自然を深く理解し、人類を次の地平へと押し上げる新しい望遠鏡であり、顕微鏡でもある。

粒子と波の性質をあわせ持っているものを量子という。この二重性を基盤としたミクロの世界を統一的に説明する自然界のもっとも基本的な物理法則が量子力学。

温度がある物質は電磁波を放射している。ヒトの体からも、目に見えないほど長い波長の電磁波、遠赤外線が放出されている。これを感知するのが、サーモカメラ。

ミクロの世界では、粒子はある座標の一点に存在するのではなく、空間に広がりをもった「重ね合わせ状態」として存在する。

量子力学を理解するうえで、「ランダム」という考え方は欠かせない。ランダムとは、どのような結果になるか、まったく予測ができないという状況。

アト秒レーザーとは、数十から数百アト秒という、ほんの一瞬の光をつくる技術で、ミクロな世界の変化を「観る」もの。

アトは、100京分の1。アト秒間に光が進む距離は、0.3ナノ(10億分の1)メートル。

アト秒レーザーの最大の特徴は、超高速の現象を観測できること。

ミクロの世界を支配する量子力学は、状態を元どおりに戻すことが常に可能である。

量子力学では、0とも1とも決まっていない、重ね合わせ状態が存在している。0と1を同時に乗せて、それらの可能性を連続的に変化させることができるという特徴が、量子コンピュータの計算速度を格段に上げている。

量子コンピュータが本当の力を発揮するのは、複数の量子ビットを組み合わせて使ったとき。

現在の量子コンピュータの性能では、とうてい暗号解読はできない。

このところ、スーパーコンピュータの開発に勢いがあるのは中国。2022年のスーパーコンピュータのランキングトップ500には、中国のスーパーコンピュータが173台もランクインしている。アメリカの127台をこえて、最多だ。中国はアメリカに並ぶスパコン所有国になると同時に、量子コンピュータにおいても国をあげた巨額の投資をし、アメリカを追い抜く勢いで研究を進めている。

現在の主流である超伝導型量子コンピュータの心臓部となる超伝導量子ビットは日本で生まれた。

量子コンピュータは、汎用品を買ってきて組み立てたら動くというものではない。チップの設計から組み立て、制御法、ソフトウェアなど、すべてを一からつくり上げなければならない。

冷却中性原子方式では、真空状態の中で原子を捕まえて、それを量子ビットとして使う。電気的に中性の原子を光によって捕まえている。光方式は、光そのものが量子ビットになり、計算に光のかたまりを使う。

主な問題は、宇宙線がチップに当たり、一時的に誤作動(ソフトエラー)を起こす。いやはや、こうなると、さっぱり分かりません。まったくお手上げです。

アナログの側面を持ちつつ、デジタルでもあるというのが、量子コンピュータの特徴。

分からないなりに「教養」を身につけようと、最後まで読んでみました。

(2026年1月刊。1980円)

島津四兄弟の九州統一戦

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴) 

著者 新名一仁 、 出版 志学社

戦国時代の島津四兄弟は仲が良かったとか、固く結束していたというイメージが広く流布しているが、本当はどうだったのかを堅実に検証している本です。

島津四兄弟とは、義久・義弘・歳久・家久。似た名まえなのでつい混同してしまいそうになります。

著者は、あとがきで、まとめとして次のようにまとめています。なるほど。と思いました。

わがままで個性的な兄弟が、他の大名家のように、ときに殺し合いや家中分裂に至るような深刻な対立に至らず、曲がりなりにも九州統一するまで至ったのは、ひとえに長兄義久の懐の広さとバランス感覚による。そして、それは義久が太守ではあるものの絶対的権力を持たず、老中らの合議による政策決定を探りつつ、島津家としての方向性を決めていくという政治体制が少なからず影響していた。

島津四兄弟のうち2人は、豊臣秀吉の九州進攻のもとに、家久がまず急死。ルイス・フロイスの記録には、豊臣秀長が毒殺したとしている。もう一人の歳久は、あくまで秀吉に本気で抵抗しようとしたので、義久から自害を迫られ、その首は京都まで運ばれて一条戻橋にさらされた。

義久は慶長16(1611)年まで生き(79歳)、義弘は元和5(1619)年まで生きた(85歳)。

関ヶ原の戦い(1600年)のとき、敵中突破をかけて辛じて生きのびた島津義弘たちを描いた『島津奔る(はしる)』(池宮彰一郎、新潮社)は手に汗握る面白さでした。

著者は、島津氏が九州内で無敵であったかのようなイメージは、事実に反しているとしています。たしかに、大友氏との耳川合戦や龍造寺隆信との沖田畷(おきたなわ)の戦いといった、節目(ふしめ)の主要な合戦で、島津氏は勝利している。しかし、用意周到な作戦によって勝利したのは水俣城攻めぐらいで、ほかは敵の失策やら偶然などで、運良く勝利したもの。戦略のまずさから成果を上げられなかった肥後進攻、筑前進攻もある。

太守義久は病気がちであり、自分に代わる前線で差配できる指揮官がいないことを嘆いていた。

義弘との「両殿」体制は、義弘が豊後進攻に固執したり、うまく機能しなかった。たとえば、秀吉の大軍による九州進攻に対して、義久は勝ち目なしと判断して、早々と剃髪して降伏したが、義弘のほうは抵抗しようとした。太守義久が降伏したからといって、家中ばらばらの降伏とならないのが島津家らしいところ。

ところで、秀吉は島津征伐の九州進攻にあたって、島津家を本気で殲滅するつもりだったようです。豊後まで進攻してきた島津勢を「かけ留(どめ)」しておいて、秀吉本隊を含めた全軍の圧倒的戦力で粉砕するつもりでした。それで、自分が行くまで島津勢と決戦しないことを厳命していた。ところが、先峰軍の仙石秀久たちが島津家の「釣り」(オトリ)にうかつに乗ってしまい、結局、島津勢を逃がしてしまったのでした。

秀吉も、島津側が義久のように頭を剃って降伏してきたので、さすがに皆殺しは出来ません。そこで島津氏はなんとか生きのびることが出来たわけです。

島津四兄弟のうち、歳久と家久は京都に行ったことがありました。家久は29歳のとき、天正3年(1575年)上京日記(道中)を書いて残しています。京都から伊勢までの5ヶ月に及ぶ長旅の記録です。

義久も京都の動向を把握すべく、近衛前久らとの書状のやり取りを積極的にしていたようです。鹿児島にいながらも京の情勢はつかんでいたのでした。大変興味深い分析に満ちている本でした。

(2026年4月刊。3190円)

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