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細菌万歳!

カテゴリー:生物

(霧山昴)

著者 マリー・モニク・ロバン 、 出版 法政大学出版局

 アメリカでいわば原始的な共同生活をしているアーミッシュの子どもには花粉症はたった1人だけ、慢性ぜん息は皆無。アレルゲンへの感作率も非常に低い。なぜか…。

 アーミッシュの人々の住む住居と手小屋は同じ屋根の下にある。アーミッシュは手で搾乳する。子どもは動物、堆肥、干し草のあいだを裸足で遊びまわる。要するに細菌まみれの生活をしているということです。

 アフリカの黒人は、アメリカの黒人と違って、コロナ・ウイルスによる死亡率が劇的に低い。ケニアの首都ナイロビの340万人の住民の3分の1がウイルスに感染した。しかし、死亡率は、アメリカの10分の1でしかなかった。

 アフリカのガボンでも多くの人がコロナ・ウイルスに感染したが、大半の人々はまったくの無症状で、死者が出たのはほとんど都市のみ。

アフリカの奥地の村では、多様な細菌や寄生虫にさらされていて、それが免疫システムを強化する。寄生虫は決定的な予防ファクターになっている。エボラの感染者の90%は死に至る。これに対して新型コロナの感染症による致死率は1%以下。寄生虫を悪者と見なしてはいけない。

 新型コロナ感染症による死者のほとんどは首都バンコクの住民。バンコクの住民の細菌叢(そう)はニューヨークやパリの住民の細菌叢と同じほど貧弱。これは抗生物質の過剰摂取による。抗生物質の残留物であふれている加工肉を都市住民は食べているから、そうなるし、肥満症の激増をもたらす。

 肥満症は新型コロナ感染症の合併症の上位にくる疾患のひとつ。

 腸の細菌叢がバランスを崩すと、腸内フローラの機能低下(ディスバイオシス)が起きて、ぜん息、アレルギー、クローン病、I型糖尿病など、多くの炎症性疾患者が起きる。

チョウチョが少なくなればなるほど、アレルギーが増える。

 母親の腸内と膣の細菌叢が子宮内道を通して赤ん坊の免疫システムにとって重要な役割を演じる。母親が出産前に動物と接触していると、子どもは生まれてから2年間はアトピー性皮膚炎にかからない。

 食品添加物は、細菌叢を変質させる。

 肥満は慢性的な炎症状態。肥満はインフルエンザ感染症を重症化するだけでなく、ウイルスの毒性を増大させる。

 私たちが健康に生きるためには、細菌ができるかぎりいい環境で生きているので十分。つまり、あまり清潔すぎるのは良くないということなのです。手洗いもほどほどにしたほうが良さそうなんです。

(2025年8月刊。3500円+税)

商人の戦国時代

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)

著者 川戸 貴史 、 出版 ちくま新書

 織田信長が「楽市楽座(らくいちらくざ)」を実施したというのは有名な話ですが、この本によると、信長は楽市と楽座を徹底していたわけではなかったとのこと。

自分の領国内であっても、従来の特権的な商人集団(座)の権益を保障したり、新たに特定の商人集団に対して特権を付与したこともある。市町の復興・振興が最優先課題の場合、被災からの戦後復興を図ったときには楽市と楽座を実施する。しかし、既存の商業活動の維持が地域経済に資すると判断した場合には、むしろ既存の商人の特権を保護する傾向にあった。

 つまり、織田信長は地域の特性にあわせて現実的に対応していたわけです。合理的思考の強い信長ならではのことですね。納得できる分析です。

 戦国時代の利子率がどれくらいだったかということについては、だいたい月4~8%で変動していたとのこと。月4%でも年にすると5割近くになりますので、暴利といえます。ところが、利子が元本と同額になると、それ以上は利子が加算されないという慣例があったとのこと。そんな慣例があったなんて、聞いたことがありませんでした。

 そして、破産した者たちの家財は債権者らが強制的に没収したうえで、家屋には火をつけられて、すべての資産を失っていた。いやあ、こんなことも知りませんでした。

日本では13世紀半ばから為替(かわせ)手形が用いられていた。これは、当初は簡単な送金機能を有するだけだったが、次第に利息付きの借金手形も登場した。要するに、金銭貸借の手段として為替手形が流通するようになったわけです。

 為替は米(こめ)建てと銭(ぜに)建ての2種類があり、前者は替米(かえまい)、後者は替銭(かえぜに)と呼ばれた。

 金銭貸借専門の金融業者は、当初は「借上(かしあげ)」と呼ばれていたが、室町時代になると、蔵(くら)を構える業者が多くなったことから、「土倉(どそう)」と呼ばれた。鎌倉時代末期(14世紀前半)には、京都に335軒もの土倉が存在した。

 荘園管理だけでなく、朝廷や天皇家、そして室町幕府の財務管理を行う土倉は、「納銭方(のうせんがた)」とか、「御倉(みくら)」と呼ばれた。

 越前(えちぜん)朝倉氏の城下町だった一乗谷(いちじょうだに)遺跡には2度行ったことがあります。先日はテレビ番組(録画して見ました)でその意義を改めて確認しました。

 この本によると、城下町には多彩な職人(数珠じゅずを水晶で製造する職人や鋳物師いもじそして、染め物職人など)がいたこと、さらには医師まで居住していたとのことでした。医書の一部が発見され、薬製造のための乳鉢や匙(さじ)も発掘されているといいます。京都に医師はいたけれど、地方都市にいたというのは珍しいこと。しかも、将軍が一乗谷に来たときは「唐人の住所」と滞在という記録があるが、その「唐人」とは医師のことではないかというのです。

 15世紀から16世紀にかけて、身分の上下を問わず、あらゆる場面で贈答が繰り返され、それによって政治交渉や裁判を有利に導こうとすることは社会的に当然視されていた。

 中世において庶民が着用していたのは、主として麻を原料とする衣服、帯、麻(ちょま)-これは苧(からむし)、青苧(あおそ)などと呼ばれる。苧麻はイラクサ科の多年草で日本列島各地に自生する植物。自生している苧麻を刈り取って繊維を取り出し、それを織って衣服に加工していた。

 絹製の衣服は権力者などの富裕層が着るもので、庶民層にはとても手が届かなかった。木綿(もめん)は16世紀半ばころから普及していったが、それ以前は栽培されておらず、朝鮮から少量が輸入されるだけであった。

 戦国時代を商人の活躍から眺めてみた面白い本です。

(2025年8月刊。1,050円+税)

意識はどこからやってくるのか

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 信原 幸弘・渡辺 正峰 、 出版 ハヤカワ新書

 哲学者(信原)と神経科学者(渡辺)が意識について対話した本(新書)です。

 人間の意識を機械に移すことで、不死を実現するという考えがあるそうです。でも、そのとき、生身の人間は滅びているのでしょうから、他者との対話は出来たとしても、親密な交流ができるとは思えません。

意識は胸のハートにあると昔は考えられていました。でも、今は頭の中の脳にあるはずです。ところが、脳で起きているのは電気信号の伝達であり、シナプスを介しての神経伝達物質の受け渡しです。つまり、純粋に物理的な事柄ですから、そこに意識があるというのには無理があります。

 結局、つきつめて考えたら、意識は機能だと結論づけるしかない。

 研究対象とされているショウジョウバエの脳のニューロンは14万個だけ。それに対して人間の脳のニューロンは860億個もある。このニューロンの接続する神経回路全体をコネクトームと呼ぶ。現在の技術レベルでは、コネクトームの解析には何十年もかかってしまう。

 モルモットの頭蓋骨を開けて、そのまま溶液に浸し、脳だけを丸ごと1週間ほど生かしておける技術がすでに開発されている。うひゃあ、そんなことが出来るのですか…。

 人格の同一性について、哲学的には身体説と記憶説の二つがある。身体説は、身体が時空連続的なら人格は同一だと考える。記憶説は記憶がつながっていれば同一だと考える。

人間の体は、原子レベルでは常に物質は入れ替わっていて、過去と今とで同じものではない。青虫が蝶になっても同一性があるとみる。そうなんですよね、どんなに形と動きが違っていても…。

 不死というのは終わりがないので、物語ではなくなる。なので、不死になると、物語であることの価値が失われる。つまり、物語というのは、始まりと終わりがあって完結するもの。それによって、人生に意味があるかないかという評価が可能になる。

 もちろん、みんな死にたくはないわけです。でも、逆に死なないというのは終わりがないということなんですね。それも、ちょっと怖い気がします。

 死が怖いのは、自分という存在が消滅することに対する恐怖があるから。大往生とは、ウェルビーイングな人生を実際に生ききったということ。

 意識はどこにあるのか、どうやって生まれるのか、この本を読んでもすべては分かりませんでしたが、これからも考えていくつもりです。その材料というか、手がかりになりました。

(2025年2月刊。1160円+税)

「東大卒」の研究

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 本田 由紀 、 出版 ちくま新書

 同じ東大生といっても、地方出身者と首都圏の中高一貫出身者には大きな分断があり、交わることはない。中高一貫私立出身の人たちは、親が大企業に勤めていて、小さいころから教育や文化資本(資産)に恵まれ、卒額後には有名企業や高収入の仕事に就くことをはじめから計画している。

 60年近く前、私が東大に入ったとき、クラスのなかの雰囲気もそうでした。都会臭プンプンのシティボーイたちとは、まったく肌があいませんでした。それでも、そのころは首都圏出身といっても戸山や西や日比谷などの都立高校出身者がたくさんいて、灘とか麻布・開成といった中高一貫私立出身者は少なかったように思います。そして、私のような地方の県立高校出身者も多かったのです。幸い、私は駒場寮という地方出身者が1000人も入る巨大な寮に入り、しかも一部屋に6人も「田舎者」が詰め込まれて生活していましたので、クラスで疎外感を味わっても、寮の部屋に戻ると、「田舎者」ばかりですので居心地抜群で何の違和感もありませんでした。私の部屋は九州出身2人、関西出身2人、関東と東北出身者各1人でした。

 ノーベル賞受賞者は東大より京大出身者が多いというのは理由があると思います。大学の自由度の違いではないでしょうか。東大には官庁との近さがあり、それが学問・研究分野における自由な発想を妨げている気がしてなりません。

 その意味では、現在の大学法人はまったく政策的に誤っていると思います。軍事増強に血道を上げるより、国立大学として「無駄」を惜しまず、自由に伸びのび研究できる環境を整備すべきなのです。大学あげて研究資金の確保に血眼(ちまなこ)になるなんて、馬鹿げた現象です。目先のことしか考えていない自民党の政治家の愚かさには吐き気を催します。

 東大を卒業した人は、相対的に社会運動への関心が非常に高い集団である。

 いやあ、果たして、そう言えるものでしょうか…。まあ、ここでは「相対的に」とありますので、なるほどそうかもしれません。私は1968年から翌年まで続いた「東大闘争」を大学2年生のときに体験し、この1年間をドキュメント小説「清冽の炎」5巻(花伝社)にまとめましたが、さっぱり売れませんでした。もう、あのときのことは思い出したくないという東大卒業生がほとんどだったのです。まあ、それでも一定数の人はその後も社会的な関わりをもっていることもまた間違いありません。

 私は弁護士生活も50年以上になりましたが、苦労した人が必ずしも人格円満になるわけではないことも身をもって体験しました。守銭奴というのではありませんが、とても視野の狭い人になっている人を見ると、気の毒に思うことがあります。苦労と学歴の如何を問わず、ゆったりと余裕をもって生きている人に接すると、ほっとします。

 片山さつき財務大臣は、東大を卒業して大蔵省に入るほど、成績も超優秀だったそうですが、貧乏人は人間のくずみたいな、人を見下す発言を平気でするのを見ると悲しくなります。成績が良くても人間としてダメだという見本のような人ですね、残念ながら…。いったい彼女はどこで間違ったのでしょうか…。いろいろ考えさせられました。

(2025年4月刊。920円+税)

 庭の大木を切ってもらいました。

 45年前にはフツーの木でしたが、今では両手で抱えられないほどの巨木になっていました。庭木の大きくないものは自分で切り倒したりしているのですが、この大木は素人の手に余ると考えてプロにお願いしました。17万円かかりましたが、おかげで庭がすっきり見通し良くなりました。プロに、やまももの木だと教えてもらいました。

極秘文書が明かす戦後日本外交

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 藤田 直央、 出版 朝日新聞出版

 国民に大切なことを知らせず、大嘘までついて外交が進められている。このことを知ると、腹立たしい限りです。

 オバマが大統領に就任して間もない2009年2月、日本政府はアメリカに対し、核兵器がいかに必要かを詳細に訴えた。日本は、麻生太郎首相のときです。もちろん、こんなことは国民に隠したまま。そして、それが明らかになってからも「ノーコメント」を押し通しているのです。無責任きわまりありません。

このとき、「日本は米国の拡大抑止を必要として続ける」とし、その根拠として、次のことをあげています。

「米国の抑止力は、柔軟で信頼でき、即応でき、選別能力があり、隠密だが存在感を示し、他国に核能力の拡大または近代化を思いとどまらせるのに十分であるべきだ」

「日本は、信頼できるものである限り、米国の拡大抑止に依存する」

「信頼できる能力とは、信頼できる核弾頭、敵の第一撃後の残存数、強力な情報、監視、偵察の能力、頑丈で複数の指揮管制統制網を必要とするだろう」

以上についての解説のなかには、精密に目標を破壊できる「選別能力」がある核兵器こそ敵を牽制する。もし米国の攻撃が常に大量の民間人の犠牲を伴うなら、仮想敵は、そうした攻撃に現実味を感じないだろう。つまり、被害が広範に及ぶ核兵器は、大量虐殺になることが怖くて米国は使えない、と敵に思われてしまうので、かえって抑止にならない。だから「精密」な目標攻撃の出来るアメリカの核兵器に依存するというわけです。どこまで日本政府は卑屈なのでしょうか…。国民に隠しておいて、こんなことを言っているのです。許せません。

日米の外務・防衛当局幹部による拡大抑止協議(EDD)がなされていますが、その協議内容は国民にまったく知らされていない。ジャーナリストとして政府に開示を求めても、肝心なところは「黒塗り」されていて、まったく内容は分からない。

これまで日本の国是(こくぜ)とされてきた「非核三原則」(核兵器をつくらない、持たない、持ち込ませない)について、高市首相は「持ち込ませない」について見直すと強調しています。現実には、アメリカ軍はかつて沖縄を初めとして日本全国に核兵器を置いていました。今は、技術の進歩もあって、沖縄の基地を含めて常時、核兵器を置いている事実はないようです。しかし、それは、必要ならすぐに持ち込めるようになっているからでもあります。

ところが、アメリカは核兵器の具体的な運用は明らかにしていません。そのため、日本政府は「持ち込ませない」という条項をまったく説明できないのです。

高市首相は、どうやら必要なときにはアメリカは日本に核兵器を持ち込むことが出来ることを公にしておきたいということなのでしょう。しかし、それは、アメリカが中国との間で日本を舞台とする核戦争をやってもよいということを意味するはずです。日本人の私たちに大変な惨禍をもたらすものになります。そんなことを政府が国会にはかることもなく決めてよいはずがありません。

核密約については、沖縄返還時の佐藤栄作首相による秘密交渉、密約も詳細に紹介されています。佐藤首相はニクソン大統領と文書に署名までした核密好約があるのに、国民に対しては隠し通したのです。

何より密約が罪深いのは、国民の理解に支えられるべき外交が国民を欺くという倒錯だ。政府が国民の批判をさけるために密約に頼るほど、外交は国民軽視の隠蔽体質を強めていく。そして、密約が発覚すれば、国民は政府と外交への不信を強める。外交について政府が国民に説明し、理解を得ることで外交が強くなるのとは逆の悪循環に陥る。

まことにそのとおりです。この本にはその悪循環のオンパレードです。まったく嫌になってしまいます。

(2025年8月刊。2420円+税)

 11月に受験したフランス語検定試験(準1級)の結果を知らせるハガキが届きました。66点をとって合格でした。120点満点ですので、5割ちょっとという成績です。合格基準店は62点ですので、今回は少し難しかったのでしょう。自己採点では6割合格だと4点不足と思っていたのですが、基準点が低かったことから、4点オーバーしています。

 1月下旬に口頭試験を受けます。3分前に設問(もちろんフランス語です)2つを示されて、うち1問を選んで、3分間スピーチをしなくてはなりません。時事問題を選んだほうが話しやすいので、今から予想問題を考えて練習します。頭のボケ防止にがんばります。

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