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修羅場の王

カテゴリー:司法

(霧山昴)

著者 大西康之 、 出版 ダイヤモンド社

 この本の主人公の瀬戸英雄弁護士は、私と同世代です。日弁連の倒産法関係の委員会でしばらく一緒させてもらったことがあります。

 短く刈り込んだ頭髪に銀縁のメガネ。その奥に光る細い目は、資産隠しに走る債務者や貸付金回収に血眼の債権者を射竦(いすく)める。

 なるほど、この人物形容はあたっていると私も思います。

 瀬戸弁護士は「倒産村」の弁護士として、大型倒産案件の管財人として有名です。引き受けるときは、十数名の弁護士と公認会計士からなるチーム「瀬戸組」を率いる。

 この本は、まずSFCG大島健伸との対決を描いています。「じん臓売ってカネ作れ」「目ん玉売れ」と脅した、あの商工ローンです。この大島は刑事事件で逮捕され、起訴されたのに、すべて無罪となり、海外へ逃避させた巨額のお金で、今、ラオスにおいて商工ローンを営んでいるとのこと。いやはや、許せません。ひょっとして、今ではラオスを拠点として特殊詐欺に片足を突っ込んでいるのではないでしょうか…。

瀬戸弁護士は、失敗できない社会は、挑戦できない社会であり、成長できない社会である。日本は、「失敗してはいけない」息苦しさを打破し、「やり直しのできる社会」につくり替える必要があると考えているとのこと。これは、私もまったく同感です。

ところが、現実には、会社更生法の申請は、年に1社しかありません。私は1回も申請代理人になったことがありません。いえ、田舎にいても相続を受けたことは何回もあります。でも、高額の予納金がまず用意できませんし、相応の利益を確保できる目途も立たないのです。それより、転職・転業したほうが、よほど生産的なケースがほとんどでした。

瀬戸弁護士は、あくまで「実務の人」。その武器は、卓越した事務能力と人心掌握術にある。すべてのステークホルダーが押し黙ってしまうような「落とし所」を見つけ出し、「ようござんすね」と納得させる。数字の裏付と胆力が可能になる技(わざ)だ。

 本書は日本航空の倒産・再生が話の舞台です。毎月のように上京している私にとって、日本航空は株主優待券も使っていたのですが、一瞬にして株券がゼロとなってしまいました。ええっ、そんなこと許されるの…と思いましたが、またたく間に復活・再生した日本航空ですが、前の株券の復活の話は残念ながら、まったくありません。

 日本航空再生に身を挺することになった稲盛和夫は、このとき77歳。今の私とほぼ同じです。出社は週3回で無給、そして期間は最大3年というのが条件だった。77歳になってから超大会社の再建の旗振りをするのは本当に大変だったと思います。しかも、それまでの企業とはまったく毛色の異なる航空会社ですからね。

JAL再生にあたっての稲盛の心構えは、「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」というもの。私は聞いたことのないフレーズです。小さな善行はいいことをしているように見えて、大悪につながってしまうこともある。大きな善行は非情に見えることもあるという意味だそうです。

 会社更生法の適用は、まさしく非情。その一、従業員・保有材料・運航航路は3分の削減。その二、年金給付は現役社員2分の1、退職者は3割減。その三、一般の金融債権は87.5%カット。その四、44万人もの株主がもっていた株の価値はゼロ。私の保有していた株はこれでゼロとなったわけです。トホホ…。そして、その結果、JALは3年後の2012年度の営業損益は、2049億円もの黒字となったのでした。

 瀬戸弁護士は「倒産弁護士」と呼ばれ、同時に、「日本でいちばんベンツの似合う弁護士」と評された。いやあ、すごいものです。

 稲盛和夫に白羽の矢が立ったのは、「JALの改革は、既得権益の外にいる人間しか出来ない」ということから選ばれた。経団連で要職についているような経営者は、おおむね既得権益の側にいる。JALは既得権益の塊ともいうべき存在なので、それと本気で変えようとするのなら、既得権益と戦ってきた人間である必要がある。こういうことだったのです。

 なるほど、山崎豊子の『沈まぬ太陽』を読むと、日本航空が政・財・官の既得権益の塊だということが、外部にいる私のような人間にもひしひしと伝わってきます。それにしても、この本の著者はカネボーから来た伊藤淳二会長を無能な人間のように扱っているのについては、納得できません。労働組合無用論に立脚した論法ではないでしょうか。『沈まぬ太陽』の主人公のモデルとされた小倉寛太郎氏とは、石川元也弁護士(大阪)の東大同期ということで紹介されて挨拶したことがあります。古武士とはこんな人を言うのかと思った人柄でした。

瀬戸弁護士は、倒産弁護士になって30年、不可能の中に可能な見出す引き出しをいくつも持っている。「修羅場を経験したことのない者ほど、無用のリスクに怯(おび)えてしまう」

日本航空の再生は、再生支援手続と会社更生手続きを組み合わせ、しかも事前調整型の再生という、日本で初めての手続きですすめられた。商取引債権は従前どおりの条件で金額が支払われる。これによって、円滑な運航が可能となった。

稲盛が日本航空に乗り込んだとき、面従腹背の取締役も決して少なくはなかった。なので、荒療治は避けられなかった。

いやはや、瀬戸弁護士はたいした力技(ちからわざ)の持ち主なのですね…。改めて驚嘆・感嘆させたれました。よく調べてあり、一読する価値のある本です。

(2025年11月刊。2200円)

側近が見た昭和天皇

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 北野 隆一 、 出版 幻冬舎新書

 昭和天皇は戦争責任を追及され、退位を迫られることが何より心配だったし、嫌だったようです。

1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約が調印されたあと、昭和天皇はメッセージに「反省」という文句を入れたかった。しかし、それは自分だけが悪かったのではなく、「軍も政府も国民も皆わるい」として、広くみなに反省を促したいということだった。昭和天皇は、「私のした悪いことは、国務大臣の輔弼(ほひつ)が悪かったということにならなければならんと思う」と語った。つまり、天皇の戦争責任ばかりが問われるのに納得できないということ。

「責任転嫁の戦争観」だと評されていますが、私もまったく同感です。

開戦は昭和天皇の本意ではなかった周囲、とくに軍部から押し切られたのだ。終戦は昭和天皇の本意から決断された。だから昭和天皇は平和主義者であって戦争責任はないと、今も真面目にそう考えている人がいるようですが、とんでもない間違いです。

この本でも、昭和天皇がだんだん開戦論に傾いている状況が側近の記録から明らかにされています。

二・二六事件(1936年)が起きたときは、昭和天皇のもっとも信頼していた老臣が殺傷されたことから、昭和天皇は事件を起こした将校らを「凶暴」と強く非難し、自ら近衛師団を率いて鎮定(鎮圧)にあたるとまで言っていた。そりゃあそうでしょうね。この事件で宮中勢力はすっかり威信を損なってしまったのですから…。

昭和天皇がGHQのマッカーサー司令官11回も会見したというのに驚きました。すっかりマッカーサーの言いなりになったようです。たとえば、沖縄については、50年間、アメリカ軍の占領下におくことを昭和天皇が提案しただなんて、信じられません。仮に、それが良いと思っていたとしても、言ってはいけないことの典型ではないでしょうか…。

そして、昭和天皇は大の「共産党嫌い」でした。学生が学業よりも政治に興味をもつことについて、「どうも困る」「若いものが政治に興味をもちだすのは、困ったことだ」と言っていたようです。

靖国神社への参拝は、A級戦犯まで合祀(ごうし)されたのを嫌い、それ以来は昭和天皇は参拝していない。

戦後も、憲法上、象徴天皇になったことを昭和天皇はまったく理解せず、政治的発言をして、政治に介入しようとしたという実情がリアルで紹介されています。

昭和天皇の肉声が聞こえてくる気配のする貴重な新書です。日本の敗戦前後の状況に関心ある方には、強く一読をおすすめします。

(2025年7月刊。940円+税)

中国の政治体制と経済発展の限界

カテゴリー:中国

(霧山昴)

著者 劉 徳強 ・ 湯浅 健司 、 出版 文眞堂

 習近平の現代中国について、政治と経済の両面から実証的に分析していて、大変勉強になりました。

 消費不振が経済成長減速の大きな要因となっている。消費不振の最大の要因は不動産不況の長期化にある。 内需低迷のもう一つの要因は、地方政府の財政危機にある。地方政府は、これまでに国有地の使用権を確保してきた。不動産不況の長期化によって使用権販売が滞り、2023年の売却収入はピーク時の2021年から3割以上も減少し、2024年はさらに前年比16%減となっている。不動産関連産業は中国GDPの30%を占め、地方政府の土地収入と深く結びついている。中国は日本と違って、不動産所有権の売買は認められず、あくまで使用権の売買なのです。

 習近平政権は「住宅は住むもので、投機のためのものではない」として、不動産市場に対して強烈な引締め策を導入した。販売不振によって、住宅在庫が積みあがっている。2024年の住宅販売面積の7年分の在庫がある。中国政府は現在、大手デベロッパーの債務返済を猶予させているため、大規模な金融危機は抑えられている。

習近平政権下において、党の総書記と首相の分担は徐々にあいまいとなり、首相の存在感は薄れる一方になっている。そして、習近平に権力が集中するあまり、誰も経済面での失政を指摘できず、対策は極めて機動性を欠いたものになっている。

 2024年現在、中国経済はかつての勢いを失い、深刻な停滞に直面している。

 「党政軍民学」(共産党、政府、解放軍、民間、教育、学術研究)のすべての分野で中国共産党の絶対的支配が協調され、習近平総書記(国家主席)は、「核心」的地位を確立し、「習近平思想」を党員に学習させ、個人崇拝の色合いを強めている。

司法組織の独立性は失われ、完全に共産党支配の道具と化している。国営企業の優遇が顕著となり、国有企業の民営化は事実上廃止された。

 腐敗が蔓延している。大きな権力は、より大きな収益につながっている。中国はますます権力社会になっている。中国の発展途上国に対する対外援助は、内政不干渉の原則にもとづいて、民主化、人権状況を不問にしていることから、多くの途上国で歓迎された。しかし、同時に金利が高く、透明性が低いという特徴もあった。

 2022年以降の中国のスタートアップ(起業)は、「官製創業」の色が強まっている。かつての創業熱を支えた消費系スタートアップは、出る幕がない。民営企業が主な担い手である、IT創業ブームがしぼんだため、中国経済では国有企業が幅をきかせて民業を圧迫する。「国進民退」が現実化している。

習近平総書記と李克強首相の対立は、「南北院の争い」と呼ばれた。中国政治の中枢である北京の中南海の中で、政府と国務院が北側に位置し、党中央機関が南側に位置することによる。

 近年、中国の労働コストは大幅に上昇している。

「未富先老」とは、国民が豊かになる前に高齢化が進んだということ。中国でも現役労働世代が減り続けている。総人口の減少も始まっている。若年層の失業が大きな社会問題となっている。前は、「統包統配」といって、大学生は学費が無料で、就学は国が統一的に割り当てるものだった。国が全員に就職を保証し、その反面、学生に職学選択の自由はなかった。

「双減政策」とは、宿題と郊外学習という2つの負担を軽減する政策。0歳から大学卒業までのコストは、上海市101万元、北京市93万6000元、チベット自治区34万9000元、青海省37万「9000元などで、大都会は全国平均の2倍になっている。

大学生の希望する就職先は国有企業が圧倒する。中国人の海外への留学生は、ピーク時の2020年に110万人超だったのが、2022年には105万人超に減っている。

 中国の高等教育の就学率は2023年に60%超となった。1990年には3.4%、2000年でも12.5%だった。今は経済的にゆとりのない家庭でも子どもが大学に進学している。

日本は中国からの頭脳流出を受け入れて生かすべきだ。

中国は食糧自給率95%を下回らないことを目標としている。世界の7%の耕地で、世界の22%の人口を養うとしている。

 多面的な分析に圧倒されました。こんな中国と「戦争しよう」なんて、絶対にダメです。

( 2025年5月刊。3520円+税)

人間の大地

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 野町 和嘉 、 出版 クレヴィス

 圧倒されて言葉を失ってしまうほどの迫力ある大判の写真集です。ともかく度肝を抜かれます。地球には、こんなところがあるのかと驚くばかりです。

 モロッコ(アフリカ)の中央部を東西に走るアトラム山脈に住むベルベル人をうつした写真があります。村をあげての集団処女婚式。戸数80戸の村で28組ものカップルが一度に誕生する。花嫁は12歳以上で、保健婦による処女証明書が必要。ところが、初夜をすますと、ほとんどのカップルは離婚してしまう。男も女も離婚してしまえば、性的には自由となり、出会いを繰り返したあげく落ち着く。娘たちの処女性を共有のものとして管理し、間違いを起こす前に公認のもとで喪失させることで共同体への参加資格を与えるシステム。

 スーダン(アフリカ)に牛の放牧に生きる部族がいる。少年が雌牛の性器に息を吹き込む写真がある。それによって性的刺激を与えてミルクをさらに出させようということ。

 雌牛の尿で頭を洗っている少年の写真もある。生まれたときから牛と一緒に生活しているので、牛の尿や糞に対して不浄という意識はない。また、子どもの朝食として雌牛の乳房からじかに牛乳を飲む。

 男たちは朝起きて、牛が放尿を始めると走り寄って顔を洗う。乳をしぼり、牛の角をみがき、背中に灰をぬり、虫を捕ってやったり、牛の世話に余念がない。牛にとっても、人間の手厚い保護がなければ外敵の多いサバンナで生きてはいけない。

 エチオピア南部のオモに住む牧畜民ハマル族の青年の成人への通過儀礼は、20頭近い牛を並べて、その上を背中を踏みながら跳んでいくこと。青年は全裸で、木の皮をタスキ掛けしている。もしも途中で落ちたりしたら、女たちから一生笑いものにされるという。

 同じくオモ川沿いのカロ族では、男たちはパンツをはかなくてもカラシニコフ銃はもっている。そして枕は必需品。というのも、男たちの頭は泥で固めた独特の髪型で、それを崩さないため。部族が違うと、銃で殺し合いもするのです。

 230頁の写真集に堂々たる大迫力の写真が183点あり、エッセイ62編が収録されています。ここに紹介していませんが、イスラム教徒のメッカ・メジナでの集団参拝に参加していますが、その写真もすごいです。そしてサハラ砂漠も…。

著者はいったい何歳だろうと思っていると、私と同じ団塊世代の走り(1846年生まれ)でした。大変な冒険力だと驚嘆するほかありません。ご一見、ご一読を強くおすすめします。少し高価なので、図書館で借り出すのも一案ですが…。

(2025年10月刊。3960円)

昭和の消えた仕事物語

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 澤宮 優 、 出版 角川ソフィア文庫

 熊本出身のノンフィクション作家が昭和時代にあって、今は見かけない仕事を紹介しています。私も昭和生まれです(団塊世代なので、いわゆる戦後っ子)。この文庫本を読むと、いろんな仕事が見事に消え去ったことを知ります。でも、私の知らない、聞いたこともないような仕事もあります。

 今もあると言えばある行商も、昭和時代は、たくさんの種類がありました。富山の薬売りは我が家にも来ていました。赤い小さな紙風船がもらえました。朝はアサリ売り、シジミ売り、豆腐売りがまわってきていました。「ガネ漬け」という塩辛いばかりのものもあります。

 駄菓子屋は、それこそ、町の辻々にあり、子どもたちが群がっていました。紙芝居が広場で演じるときは私のように親から小遣いをもらえない子どもは遠くでこっそり覗(のぞ)きみるしかありませんでした。

 繁華街に白衣をまとってアコーディオンを弾いて物乞いする傷痍(しょうい)軍人(片足がなかったり)の姿もよく見かけました。

 遊郭(ゆうかく)も、あったのがなくなったとされていますが、子どもの私にはそもそも、そんなものは見えませんでした。

 サンドイッチマンは見かけませんでしたが、ちんどん屋はよく見ました。今でも、催しものとして登場することがありますよね。仮装して、派手な服装と化粧の男女が、鉦(かね)と太鼓、クラリネットを鳴らしながら、にぎやかに演じて開店したばかりの店をアピールしていました。

 正月には、門付け(かどつけ)の芸人が歩いてまわっているのは子どものときに見たことがあります。要するに、ちょっとしたお祝いの歌を店先で歌って、「おせんべつ」をもらってまわるものです。

 集団就職というのがありました。高校に行かず、中学を卒業してすぐに東京や大阪の工場に働きに行く若者を列車に載せて連れて行くのです。この本によると1977(昭和52)年に廃止されるまで続いています。私は大学生になってセツルメントの若者サークルに入って、青森と岩手から東京に集団就職で上京したということを本人たちから聞きました。

 ポン菓子は、今もイベントものがあるときに作られることがありますよね。

 社会風俗の移り変わりを思い出すことが出来ました。

(2025年5月刊。1320円)

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