(霧山昴)
著者 髙山 慶子 、 出版 原書房
いま江戸時代をずっと調べています。江戸の町人の生活の一端が紹介されている本です。
夏目漱石の生家(実父)も養家(養父)も、どちらも江戸の名主(なぬし)でした。実父の夏目小兵衛は、牛込馬場下横町の名主で区長、養父の塩原昌之助は四谷太宗寺円前の名主で、添年寄と戸長。漱石の自伝的小説「道草」に名主の生活ぶりが描写されているとのこと、私は、この「道草」を読んだ記憶はありません。名主の家に育った漱石は、多様な文化に接することの可能な環境で成長したようです。
名主は副業として商売を営むことが許されていなかったとのこと。驚きます。ところが、金融業は許されていたというので、二度びっくりです。金融業は商売ではなかったのでした。なんということでしょう。江戸の金融(金貸し)は、それ単独では一つの職種・生業として位置づけられていなかった。本業の合間に営まれる余業だった。だから、名主は余業として金融活動を行っていた。
名主は幕府から、たとえば1万両の拝借金を受けとり、それを貸し付けて利子収入を得ることが出来ていたのです。なんだか不思議なからくりですよね・・・。
町屋敷を所持し同所に居住する者が家持(いえもち)。土地を借りて自前の店舗・家主を持っているのが地借(じかり)、家屋も借りているのが店借(たなかり)、狭義の町人は家持に限られる。江戸には1600~1700ほどの町(ちょう)に50万人の町人が住んでいた。3人の町年寄がいて、250人ほどの名主が存在する。各町には月行事がいた。江戸の町年寄には、奈良屋、樽屋そして喜多村という三家があった。住民の大半は店借で、九尺二間という狭小な住居で暮らしていた。家主(いえぬし)は、家守(やもり)とか大家(おおや)という。九尺二間は、幅1間半(1.5間)に奥行き2間、つまり3坪(6畳)の広さ。ここに一家族が居住する。
町屋敷は表店のうしろに長屋がある。上水井戸、便所、芥溜は共用で、風呂はない。住人は湯屋(銭湯)を利用する。
江戸の名主には、一般的な町人には許されていない玄関を居宅に構えることができたし、世襲も許されていた。
江戸時代の江戸では100件以上の水害が発生した。明暦(めいれき)3年(1657年)3月の明暦の大火は、振袖火事とも呼ばれるが、出火原因は不詳とのこと。このとき、数万人レベルの焼死者が出たことは間違いない。そして、幕府は、この大火のあと200年間、江戸城を火災から守り抜くことに成功した。町火消の制度・体制を確立した。
江戸の町家での暮らしぶりの一端を知ることが出来ました。
(2025年12月刊。3960円)
私は弁護士になって以来ですから、もう50年になりますが、毎朝、NHKのフランス語ラジオ講座を聞いています。
入門編と応用編です。朝7時半から15分間、なるべくテーブルについて聞くようにしています。ちっとも上達しませんので、いつまでも入門編は欠かせません。
ところが、なんと、NHKは3月3日から午後2時に放送すると変更します。深夜2時に聞けるはずもありません。聞き逃がし配信を利用するしかありません。
英語のほうはこれまでどおりのようですから、フランス語の聴取者が減っていることからのようです。本当に残念です。


