弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年3月20日

楽園

アフリカ


(霧山昴)
著者 アブドゥル ラザク・グルナ 、 出版 白水社

 私と同世代で、2021年のノーベル文学賞を受賞した作家です。
 アフリカ東部のタンザニア(旧ザンジバル)に生まれ、1964年の革命騒動で、イギリスに渡り、大学に入りました。
 解説によると、グルナの作品は美しく簡潔な文体でつづられるとのこと。
 主人公は12歳の少年ユスフ。苦境に陥った父親の借金のかたとして、大商人アズィズに引き渡され、アフリカ内陸奥地に向かう隊商に加って働くのです。ユスフが18歳になるまでに体験する出来事が語られていきます。
 ユスフというの旧約聖書のヨセフであり、コーランの預言者ユースフの話が下敷きになっている。この小説の舞台は20世紀初頭のドイツ領東アフリカ(タンガニーカ)。アズィズの隊商は、ベルギー領コンゴ東部を目指す。隊商にはインド人の資本が提供されている。また、既に廃止されたとはいえ、奴隷の身分が残存している。
著者がノーベル文学賞を受賞したときの記念講演が紹介されています。
 書くことはよろこびであり続けている。私も同じです。書くことなしに私の人生はありません。書かないではおれません。
 著者は、若いころ、無謀にも郷土を逃げ出し、置き去りにした。そのことを反芻(はんすう)したのです。そして、語るべきこと、取り組むべき課題があり、それを言葉として深く考えるべき後悔や怒りがあると感じるようになったのでした。そこで、自己満足に浸る支配者たちが自分たちの記憶から抹消しようとする迫害や残虐行為について書かなければならなかった。
 そして、口あたりのいい表現で、支配の本来の姿が覆い隠され、自分たちもその偽りを受け入れていた。
 書くことを通じて、自分たちを見下し、軽視する人たちの自信満々で、いい加減な物言いに抗(あらが)いたいと強く願うようになった。
 書くことは、自分の人生において意義深く、夢中にさせてくれる営みであり続けている。
 なるほど、そうなんですよね。私はいま、昭和初期に7年のあいだ東京で生活していた亡父、ちょうど17歳が24歳という青春まっただなかの多感な年頃でした、の生きざまを調べ、考え、書いているところです。こんなに夢中にしてくれることはほかには滅多にありません。
 この本が1ヶ月で2刷になっているのに驚きました。さすがはノーベル文学賞受賞作家です。
(2024年2月刊。3200円+税)

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2024年3月19日

戦前の日本

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 武田 知弘 、 出版 彩図社

 私の父は17歳のときに大川市から単身上京し、24歳まで7年のあいだ東京にいました。1927(昭和2)年4月から1934年8月までのことです。
 このころの日本そして東京はまさしく激動の時代でした。大正デモクラシーという自由な雰囲気が少しは残っていましたが、次第に軍人がのさばり始め、五・一五事件が起きて犬養首相が首相官邸で「問答無用」と青年将校から射殺され、ついに政党政治が強制終了させられ、軍部独裁の政治が実現しました。
 そんな時代の様子を今いろいろ調べています。この文庫本を読み返したのも、その一環です(初版は平成28年)。
 戦前の日本は貿易大国だった。紡績業がその中心にあった。そして、なんと、自転車も重要な輸出品目でした。自転車の生産台数は大正12年に7万台、昭和3年に12万台、昭和8年に66万台、昭和11年に100万台を突破し、それ以降も同水準だった。
 次に玩具(オモチャ)。セルロイドや金属を使ったり...。昭和8年には輸出額は2000万円にのぼった。
そして、日本は中国や朝鮮半島から留学生を大量に受け入れていた。中国人留学生は5000人以上、そして朝鮮半島からは3万人ほどもいた。
 つい最近、日本政府は外国人が大学に行くときには、その授業料を日本人より高値に設定するというのです。まさか、と我が眼を疑いました。この反対に外国人学生の学費はタダにして、大いに諸外国から来てもらうようにすべきです。トマホークやオスプレイのようなものを買うお金はあっても「人材育成」のために使うお金なんてないというのです。まるでアベコベ政治です。
 昭和3(1928)年10月の人口調査によると、大阪市が233万人で、東京市は、それを下回る221万人でした。信じられません。それほど大阪市は活気に満ちていたのです。
 戦前の日本は、日本映画の黄金時代。上映される映画の8割近くは邦画だった。ドイツでは6割、英仏でも7割がアメリカ映画だったのに対比させると、いかに邦画が繁栄していたかです。おかげで有名な監督が輩出しました。
 サラリーマンは、平均月収が100円。ところが大企業では課長クラスで年収1万円(今の年収5000万円)。今は、もっと格差が大きくなっていると思います。
 寿司屋では、にぎりずしが25銭、ちらし寿司が30銭。大衆食堂では、朝食10銭、ライスカレー20銭でした。ところが、高級料理店では2円だった。コーヒーは10銭で飲めた。マイホームは4000円前後で建てることができた。
 知らなかったことが、たくさん出てきました。
(2016年9月刊。648円+税)

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2024年3月18日

もしも世界からカラスが消えたら

生物


(霧山昴)
著者 松原 始 、 出版 エクスナレッジ

 毎年、今の時期(2月下旬から3月上旬)、電柱の高いところにカササギが巣をつくります。私の通勤途上に4個、巣を見かけます。本当にうまくつくり上げたものだと毎年感嘆して見上げています。ちょっとの強風ではビクともしません。つがいのカササギが巣を作り上げ、一緒に子育てするのです。とは言っても、子どものカササギを見たことはありません。カラスもよく飛んでいますから、カササギの卵、そして幼鳥をカラスから守るためカササギ夫婦は必死にがんばっているのだと思います。
 南米にはカラス属がいないそうです。カラスがいるのはメキシコまで、とのこと。どうして、こんな不思議なことが起きたのでしょうか・・・。著者はカラスは北回りでユーラシアから入ってきたからだとしています。でも、どうしてメキシコで止(停)まり、それより南下をしなかったのでしょうか。謎は深まります。ただし、南米にはコンドルがいる。とはいっても、北米では、コンドルとカラスは同居しているのだから・・・。
 鳥の先祖が恐竜だというのは、今や定着した学説です。そして、この恐竜とは、二本足で駆け回る活発な肉食恐竜だった。つまり、鳥は肉食だったはずなのに、鳥には種子食や果実食に特化したものが存在する。肉食から草食への転換が起きている。なぜなのか・・・。
 恐竜から鳥が分岐した時点、その時代には、まだ果実そのものがなかった。そして、鳥のほうも甘みを感じる能力をまだ身につけていなかった・・・。そういうことなんですね。
 カラスはオウムのように訓練したら、しゃべれるんだそうです。「オハヨウ」「オカーサン」「カーコチャン」というように。
カササギは、佐賀・福岡・熊本そして北海道の苫小牧・室蘭周辺にいるだけ。
北海道のカササギはロシアと遺伝子が共通している。また、九州のカササギは、秀吉の朝鮮出兵の際に持ち帰ったものとされているが、遺伝子情報によると、もっと古くから日本にいたとのこと。
さてさて、やっと本題に入ります。カラスは、本当に何でも食べる。隠れた主食は果実類。胃の内容物に占める果実種子は、ハシブトガラスで44%、ハシボソガラスで18%。
果実を食べる鳥がいないと、植物はとても困ることになる。鳥に食べられることによって遠くに種子を運んでくれ、生殖範囲が広がっている。
カラスの強みは、人間が近くにいても平気なこと。なるほど、人間を恐れないどころか、子を守るためには人間を襲うのも平気です。
イスラム教では、カラスとフクロウは不吉な存在だとされている。あまりカラスがいないということの反映なのでしょうか・・・。
カラスの生態を一生の研究テーマとしている著者は、カラスがいなくなっても、直ちに生物社会が成り立たないことはないとしています。少しだけ安心しました。それでも、カラスのいない社会なんて考えられませんよね。
同じことはミツバチについても言えます。ミツバチがこの世界からいなくなったとしたら、ハチミツも採れませんし、多くの果実の受粉が出来なくなって、たちまち食糧不足時代に到来することになるでしょう。
カラスと人間の関係について、改めて考えさせられました。それにしても、路上のゴミ出しをカラスが狙って散乱させているのだけは見るに耐えません。もちろん、人間のほうが悪いのです。きっちり締めておかないといけませんよ・・・。
(2024年1月刊。1600円+税)

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2024年3月17日

最強の恐竜

恐竜


(霧山昴)
著者 田中 康平 、 出版 新潮新書

 「子ども科学電話相談」では思いもよらない質問が寄せられるとのこと。たとえば、「ティラノサウルスのオスとメスは、どちらが強いの?」です。ええっ、恐竜にもオスとメスがいるのは当然ですが、そのどっちが強いか、なんて私は考えたこともない疑問です。
 人間(ヒト)なら、女性が強いに決まっています。カマキリだって、オスは交尾中にメスから食べられてしまうのですからね・・・。著者も、気迫でメス(母親)が勝つとしています。
 メスのティラノサウルスは史上最大の恐竜であるアルゼンチノサウルスと戦っても勝つだろうと著者は言っています。図体が出かければ争いに勝つというものではありませんよね。
 アルゼンチノサウルスは、全長40メートル、体重100トンだとみられています。ボーイング737型は80トンないそうですから、ジャンボジェット機より重たいというのです。すさまじいでかさです。
 恐竜がどれくらいのスピードで歩き、また走れたのかは足跡化石から推測できる。それによると、時速10キロほどで歩いていたが、時速40キロ前後で走っていたと推測される足跡化石がある。ずいぶん速いですよね。
 恐竜のウンコ化石もたくさん見つかっていて、ティラノサウルスのウンコ化石には骨のかけらが大量に含まれていて、その割合は30~50%に達している。つまり、ティラノサウルスは餌の骨を砕き、骨まで飲み込んでいた。
 マイアサウラのウンコを丸めて糞玉をつくると、直径24センチ、バスケットボールと同じくらいの大きさになる。
 著者は、かの小林快次先生の弟子です。師匠は、「ファルコン・アイ」(ハヤブサの目)として名高い存在だが、最近では「ローガン・アイ」、つまり小さなものを見るのが滅法弱くなったので・・・。ところが、どっこい、まだまだ師匠にはかなわないと、著者が泣いて悔しがる場面も多数登場してきます。
 子どもたちの意表をついた質問をいかに切り抜けるかを念頭に置いた、楽しい恐竜の本です。
(2024年1月刊。820円+税)

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2024年3月16日

長篠合戦

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 金子 拓 、 出版 中公新書

 1575(天正3)年5月21日、武田勝頼(かつより)軍と織田信長・徳川家康の連合軍が激突した。この長篠(ながしの)合戦については、織田・徳川軍が3千挺の鉄砲を三列に並べて連続射撃し、思慮不足の「若殿」ひきいる武田軍騎馬隊を全滅させたというイメージで語られることが多いのですが、それらは史実とは相当かけ離れているようです。
 鉄砲3千挺の三列の連続射撃は今やほとんど信じられていません。そして、武田勝頼についても「若殿=バカ殿」ではなかったようです。
 武田軍の「騎馬隊の無謀な突撃」についても、果たしてそうだったのか、疑問視されているとのこと。
 武田勝頼は決して愚かな戦国大名ではなく、長篠合戦で大敗北したあと、権力の立て直しにある程度成功していた。重臣層が討ち死にした結果、かえって若い世代を登用して藩政を刷新でき、外交面でも積極的に手を打って、挽回していた。
 「三列交替の輪番討撃(三千挺の三段撃ち)」は否定されているが、鉄砲隊を三つに分けて三ヶ所に配置させたという有力説もある。
 織田信長は、そのあとに予定している大阪の本願寺攻めに備え、兵力は出来る限り温存しておきたかった。つまり、武田軍との戦闘で人員をあまり失いたくなかった。そこで、武田軍からは見えにくい土地に布陣し、馬防柵を構築した。
 長篠の戦いについては、私もそれなりに本を読んできましたが、現在の到達点が要領よくまとめられている新書だと思います。
(2023年12月刊。990円)

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