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儀軌、取り戻した朝鮮の宝物

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者   慧 門 、 出版   東國大学校出版部
 日本が戦前、帝国日本として朝鮮半島を植民地として支配していたとき、朝鮮の貴重な文書を勝手に運び出したようです。しかも、その貴重な文書のなかには、なんと日本軍が朝鮮の皇后を虐殺したあとの葬儀を記録したものがあったというのです。これを知れば、日本が一刻も早く韓国に返還すべきは当然です。ところが、この返還にあたって韓国の人々の求めにもっとも協力したのが日本共産党の国会議員でした。かつて反共法まであって、反共産主義が徹底していた韓国の人々は複雑な気持ちで共産党の国会議員の助言を受け入れたとのことです。
 日本共産党って、こんな国際交流活動にも力を入れているんですね。偉いものです。民主党の議員もいくらかは関与したようですが、残念ながら共産党の比ではありませんでした。政権与党になると、こんなにダメになってしまうものなんでしょうか・・・・・。
 朝鮮半島の歴代の各王朝は、国家の大小行事を文書または絵で記録して残した。朝鮮王朝も、王室の行動を詳細に記録した。儀礼手続が反復する宮中行事を効果的に進行するため、すべてを文字と絵で製作し、後代に典範として残した。これを朝鮮王室儀軌という。
 福岡の櫛田神社には、韓国の明成皇后を刺し殺したときの日本刀が保管されている。全長120センチ、刃の長さ90センチ。木製の鞘(さや)には、「一瞬電光刺老孤」と書かれている。17世紀の江戸時代に忠吉という匠人がつくった名剣、肥前刀である。この刀は明成皇后の寝殿に乱入した3人の日本人の一人である藤勝顕が櫛田神社に保管を依頼した。
 王妃は殺害されたあと、裸体で局部検査までされたという。平常時には、男性に顔すら見せなかったのに、死んで異国(日本)の男子らの前に裸体をさらしたのである。
ほとんどの日本人はこの明妃殺害事件を知りませんよね。でもこう考えてみてください。日本の皇后に朝鮮の兵士と壮大たちが武器を持って突然乱入し、皇后を殺害し、その遺体をその場で焼却してしまったとしたら、同じ日本人として、下手人の朝鮮人ひいてはこの件とは何の関係もない朝鮮人に対してまで敵意をもつのは必然ですよね。加害者は忘れても、被害者は忘れないものです。
 「朝鮮王室儀軌」は、王室の主要な儀式という行事の準備過程など詳しく記録し、絵画も入れて制作された文書である。朝鮮時代の儀軌は通常は同じものを8部ほどつくられる。王の閲覧のために、高級材料で華麗につくる御覧用と、関連する官署と地方史庫に所蔵しておく分上用に分けられる。
 この本には、伊藤博文を暗殺した犯人である安重根も紹介されています。
 安重根は今でも朝鮮半島では英雄です。
 それにしても良かったですよね、朝鮮半島の貴重な書物が日本から本来あるべき故国に「返された」というのは。
(2012年2月刊。1800円+税)

検事失格

カテゴリー:司法

著者   市川 寛 、 出版   毎日新聞社
 勇気ある告白本です。
 弁護士だけでなく、司法関係者は全員必読の文献ではないかと思いながら読みすすめて行きました。検察庁の体質そして検察官の思考方法がよく描かれていると思います。
今の検察トップは私の同期生なのですが、検察トップの皆さんにもぜひ読んでもらいたいものです。
 初めに著者が検察官を志望したころのことが書かれています。初心って大切なことですよね。
ダイバージョンに大変な魅力を感じ、これを実践できるのは検察官だけだと思って検事を志望した。ダイバージョンとは、迂回という意味。検事や裁判官が判断に迷ったとき、犯罪者が世間からできるだけ烙印を押されないような手続を選ぶことで、その社会復帰を助け、再犯を防ごうという一連の制度をいう。
 学生のころ、検事は不偏不党で公正であるというイメージをもち、そんな検事になりたいと思った。どうでしょうか、現実の検察は必ずしも公正とは言いがたい気がします。
司法修習生のときから、「できるだけ有罪にする」訓練を積まされているから、刑事裁判官が無罪判決を出すのには度胸がいることの下地がつくられているのではないかと思う。
 検察庁は建前と本意が違いすぎる。たとえば、検察教官は、「実務に教唆なし」と言い切る。すべて共同正犯として起訴してしまう。教唆犯という起訴状を見たことがない。
 被疑者を取り調べるときは、被疑者が有罪だと確信して取り調べるようにと指導される。そこには、無罪の推定は働かない。
 検察庁では、被疑者を呼び捨てにする。
 やくざと外国人に人権はない。これが検察庁のモットーだというのです。恐ろしいです。
 千枚通しを目の前に突きつけて、徹底的に罵倒してやる。ええーっ、今どきこんなことをしているのですね。
無罪判決が出ると検事に傷がつく。誰もが責任をとりたくないから、上は下に無理難題を命じるし、下は、その無理難題を拒むことができない。このとき、検事の心理の根底にあるのは保身だ。責められたくない。責任をかぶせられたくない。
自白調書のとり方の奥の手。被疑者が座るなり、お前は聞いていろとだけ言って、すぐに○○の点を認める内容を立会事務官に口授して調書を取らせる。被疑者に言わせる必要なんかない。事務官が調書をとり終わったら、被疑者に見せて「署名しろ」と言うんだ。もちろん、被疑者は署名しないだろう。そのときは、こう言うんだ。これは、お前の調書じゃない。俺の調書だ!とな。オレの調書だから、お前に文句を言う資格はない。さっさと署名しろ。
控訴審議の大半は主任リンチでしかない。問題判決を受けた主任がただでさえ気を落としているのに、後知恵で質問している検事たちの気が知れない。主任がじわじわと追いつめられ、押し黙ることがほとんどだった控訴審議を見ていると、控訴審議はいじめの場だとしか思えなくなる。こんな審議を毎日のようにやっていたら、前向きなやる気よりも、問題判決を受けたら、ひどい目に遭う。問題判決はごめんだという後ろ向きの気持ちが大きくなっていく。こうして、検事は、ただ問題判決を避けるためだけに、法廷でわけの分からない立証活動をしたり、判決を引き延ばすような悪あがきをするようになる。これは知りませんでした。
 年末に問題判決が出ると正月休みに、年度末に出ると検事の移動時期に控訴審議をやらなければならない。だから、検察庁は年末と年度末に問題判決が出ることは徹底的に避けようとする。
 公判検事は、何も用がなくても毎日の法廷が終わったら必ず裁判官室に行って挨拶するように。このように指示される。これを法廷外活動と呼ぶ。
 私も司法修習生のとき、検事が何の用もないのに裁判官室に頻繁に出入りするのを見て、すごい違和感がありました。
検察が不起訴にすると、警察の担当者が検事の部屋に文字どおり怒鳴り込んでくる。「検事さん、今日は勉強させてもらいに来ました。どういうわけで、あの事件を不起訴にしたんですか!」と、ヤクザ顔負けの太い声ですごまれたことがある。
偽証しているのは、検察が請求した証人が圧倒的多数だ、というのが実情である。
 「事件がかわいい」という意味は、事件に身も心も捧げてのめり込み、疑問点を全部洗い出す捜査をして証拠を集める気概があること。
 「狂犬の血」が騒いだ。心底から頭にきて、「ふざけんな、この野郎、ぶっ殺すぞ、おまえ」、と無実の組合長を怒鳴りつけた。組合長が屈服したのは理詰めの質問によるものではなく、その前の暴言だとしか言いようがない。このときから、組合長は検事の言いなりになった。
 2日間は取り調べをせず、「自白調書」をパソコンでつくった。組合長の発言をつなぎあわせて「作文」していた。組合長は、何の文句も言わずに、すべての「自白調書」に署名した。一度も冷静沈着な精神状態で組合長の取り調べにのぞんだことはなかった。
 怒りは日一日どころか、刻一刻と増すばかりだった。
こんな暴言を吐くに至った、当時の佐賀地検の態勢の問題点も紹介されています。こちらも本当にひどい嘆かわしい状況です。
 この本の救いは、実名と顔写真を出していて、自分の間違いを告白していること、亡くなった組合長の霊前でお詫びをし、その遺族から一応の許しを得ていることです。
 それにしても、検察庁というところは想像以上にすさんだ職場ですね。恐ろしいです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      
(2012年3月刊。1600円+税)

あんぽん

カテゴリー:社会

著者   佐野 眞一 、 出版   小学館
 ソフトバンクのオーナーである孫正義の伝記です。一気に読ませる面白い本でした。
 私は、JR鳥栖駅周辺をよく通過しますが、その近くの朝鮮部落で孫正義は子ども時代を過ごしたとのことです。私の住んでいた小都市にも朝鮮部落がありました。そこでは豚を飼っていましたので、リヤカーで残飯を回収してまわっていて、いつも独特の臭気が漂っていました。そして、ときどき密造酒づくりの現場に警官隊が踏み込んでいました。私の家は炭鉱マン相手の小売酒屋でしたから、いわば商売敵だったのです。孫正義の親も、この密造酒づくりでお金を稼ぎ、それを金貸しの原資とし、そこで貯めこんだお金を元にパチンコ店を経営するなどして発展していったようです。
孫正義は、歴とした日本人です。それなのに、今でも「朝鮮半島に帰れ」とかの誹謗・中傷が絶えないといいます。そんな日本人のひがみ・やっかみって本当に情ないですね。
いいじゃないですか。笹川某も言うように「人類、みな兄弟です」よ。全世界の人々が、もっとおおらかに交際し、まじわりたいものです。
 それにしても、この本はよく調べています。なんと、私も関わったことのある山野炭鉱ガス爆発事故まで登場してくるのには驚きました。故松本洋一弁護団長、そして角銅立身弁護士までこの本には登場してきます。その取材の丹念さに改めて驚嘆せざるをえません。
孫正義は、1957年(昭和32年)に鳥栖駅に隣接し、地番のない朝鮮部落生まれ、豚の糞尿と豚の餌の残飯、そして豚小屋の奥でこっそりつくられる密造酒の強烈な臭いのなかで育った。そして今や、世界長者番付で例年、日本人ベストテンの中に入るまでの成功をおさめている。
 孫正義は、1990年9月に日本に帰化した。帰化前の名前は安本正義だった。中学時代、孫は、「あんぽん」といわれるのをひどく嫌った。
 中学生のとき、父親が吐血して入院した。孫は、家族を支えられる事業を興すと腹をくくった。塾を始めようとしたそうです。すごいですよね。私なんか、中学生のときは反抗期にいて、親とはろくに口もききませんでしたが、それは単なる甘えでしかなく、経済的に自立するなんて、考えたこともありません。
 孫は、久留米大付設高校に入学し、中退します。私も、実は、この高校に合格したのですが、地元の県立高校に入学したのでした。男女共学が良かったからです。
孫は、16歳でアメリカに渡ります。なぜか?
 たとえ東大に入っても、国籍の問題で官僚にはなれないと考えたからだ。
 私は面識ありませんでしたが、私の同学年に新井将敬という男がいて、後に自民党代議士になりました。彼も在日でしたが、大学時代は反権力を標榜する全共闘の活動家だったそうです。あとに正反対の自民党の代議士になりました(そしてスキャンダルを起こして自殺してしまいました)。ですから、帰化すれば官僚にはなれたのではないでしょうか・・・。
 現在の孫邸は港区麻布の910坪の土地を占め、地下1階、地上3階建て。その邸宅の建築費(土地代を含む)は60億円。うむむ、これまたすごいですね。
 孫は、アメリカに渡って、大学入学検定試験に合格して、大学に入学した。
 孫は病気から立ち直った父親から潤沢な仕送りを受けて、アメリカで大きく羽ばたいた。
 この本を読んで、孫正義はたいした人間だと再認識させられたのですが、そうではないところもありました。それは、ハーバードも東大も幼稚だし低脳だと悪罵しているところです。ハーバードのことは、何も知らないので論評する資格はありません。でも、東大について、「絵空事のマルクス経済学なんかをいまだに教えているんですから、話にもなりません」というのには、心底からがっかりしました。これでは古代ギリシャ哲学を今の大学で教えてはいけないということにもなりませんか。大金持ちの、おごりたかぶりの発言の典型としか思えず、本当に残念でした。
 マルクスの言っていることに正しい面があると思いますし、マルクスが現在、世界的に再評価されていることを孫は知らないようです。お金もうけ本位で世の中をみてしまうことによって現代社会に依然として大きなひずみ(格差)があらわれていることが、残念なことに孫正義にはまったく見えていないようです。なにもかも自己責任だというのでしょうか・・・?
 孫家の家は、人を傷つけることにも容赦がないという意味では下賤である。
 この点は、この本を読んで残念ながらまったく同感でした。
孫正義が中学生のときに描いた自画像があります。そのあまりの陰鬱さは驚くばかりです。内面にかかえた孤独感がにじみ出ていると評されていますが、まったく同感です。
 ソフトバンクのオーナーである孫正義という人物を知るためには欠かせない本だと思います。丹念な取材と読ませる文章力は、さすがでした。
(2012年2月刊。1600円+税)

マジックにだまされるのはなぜか

カテゴリー:人間

著者   熊田 孝恒 、 出版   化学同人
 手品にだまされて怒る人はいない。まことにそのとおりです。そのだまし方のうまさに驚嘆こそすれ、怒るなんて考えられません。でも、なぜ?
 だまされてお金を巻き上げられて弁護士のもとに駆けつけてくる人は後を絶ちません。騙しの手法は日々新しくなっています。一人でじっと家にこもっていると、うかうか騙されやすいのが現実です。
 人が、なぜだまされることを喜ぶのかという人間のメカニズムは、まだ十分に解明されていない。うへーっ、そうなんですか。奇術には私も楽しくだまされています。
 人間が本を読んでいるのを横から観察すると、眼は滑らかに動いているのではなく、ピクッピクッと、まるで秒針のように、不連続的に動いているのが分かる。実際には、眼は一度とまると、その前後の数文字を読み、それが終わると数文字先に飛び、そこで、またとまるというのを繰り返す。これをサッカード(サッケード)と呼ぶ。視線がとまっているあいだは、そのなかを注意のスポットライトが一文字ずつ字面を追って移動するということがおこなわれている。
 スムーズに眼が動いているように感じるのは、注意のスポットライトが、不連続な眼球の動きを補っているからだ。特徴検索モードとは、行動の目的にそった「構え」を維持し、その構えにしたがって情報を処理するようなメカニズムを働かせることにほかならない。私の速読術というのはひたすら自分の脳を信頼して活字を追うということです。理解できればどんどん読みすすめていくことができます。
 眼が動いた先でとまる直前の0.1~0.2秒ほどのあいだは、サッカード抑制によって眼からの情報が処理されない空白の時間が生じる。この空白の時間を脳はサッカードが終わった時点で得られた情報によって穴埋めしている。つまり、サッカード後の情報が、その0.1~0.2秒前から始まっていたかのように感じる。ヒトが眼を動かしているあいだに起きたことは認識されない。
 我々が見ていると思っている情報のうち少なくとも3割はリアルタイムではない。いわば静止画をプレイバックしているような状態なのである。
 日常生活では、我々は臨機応変に注意モードを切り替えながら、適切な情報処理を行っている。マジシャンは、わざと怪しげな仕草をすることで、観客の注意が特定の場所に向かないように「誤誘導」している。
 高齢者は自ら注意機能の低下を補うために、情報処理の方法を変化させていた。
 過去の知識を活用して目標に到達するという方略を採用した。考慮すべき情報が多くなると、無意識的な直感思考のほうがよい選択に結びつく。
 本を読むときの脳の動きや、見ることと認識のあいだのずれというものがとても新鮮な指摘でした。
(2012年1月刊。1700円+税)
 吹く風はまだ冷たいものの、すっかり春の日差しとなりました。白いコブシの花が満開です。同じく白のハクモクレンそして満開となった紫色のシモクレンを町なかに見かけます。私の家にもシモクレンがあるのですが、うちはまだまだ小さなツボミでしかありません。なぜか例年遅いのです。
 遅いと言えば、チューリップはようやく咲きはじめたもののまだ花を咲かせているのはわずか13本のみです。あとは、まだまだ春はまだ来ていないよという感じです。クロッカスやヒヤシンスもいくつか咲いています。今、見事なのは黄水仙です。これも自己愛を主張しているのでしょうか・・・。

帝国を魅せる剣闘士

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   本村 凌二 、 出版   山川出版社
 冒頭に、ある剣闘士の手記が載せられています。闘技場に駆り出され、死ぬまでたたかうしかない剣闘士の心情がそくそくと伝わってきます。大観衆が狂ったように怒声をあびせ、甲高いラッパの響きが耳をつんざく。やがて、「殺せ、殺せ」の大合唱になっていく。それで、剣闘士は、敗者の喉を切りさくのだった・・・。
ローマの闘技場(コロッセウム)は5万人もの大観衆を収容する。そこでは血なまぐさい殺しあいが果てしなく続いていた。
 私はローマの闘技場は見ていませんが、フランスにある円形闘技場の遺跡はあちこちで見ました。初めは野外の円形劇場だと誤解していました。そこでは歌と芝居も上演されていたのかもしれませんが、それより闘技場として殺しの舞台だったことは間違いありません。
 ローマ人よりも前に、カプア人が剣闘士競技を葬儀につきものの行事として挙行していた。
剣闘士は、市場に立つ奴隷であり、血を売る自由人であった。前2世紀には、既に専業化した剣闘士が登場していた。
 剣闘士の競技は600年も続いた。ローマの民衆は剣闘士競技にすさまじく熱狂し、元老院も剣闘士競技を公の見世物として公認した。
 なによりも民衆の関心を集めたのは、戦車競争と剣闘士競技であった。大掛かりな舞台装置には、戦争捕虜が連れ出され、壮絶な大量処刑の流血の見世物がくり広げられた。ローマの公職選挙と結びつき、また実力者の勢威を際立たせる手段として、剣闘士競技は頻繁に開催されていた。
100組の対戦で、19人が喉を切られて殺された。5組の対戦があれば、1人が喉を切られた。10人の剣闘士が闘技場の舞台に出ると、1人が殺されたことになる。
興行主の側からすると、喉切りは剣闘士という資産を損失することだった。それにもかかわらず、彼らは競って多くの死体を民衆に提供した。なぜなら、殺される場面が多ければ多いほど興行主の気前の良さが民衆に伝わるからだ。等級が高く、資産価値のある剣闘士は、めったなことでは殺されなかった。
 剣闘士は年に3回か4回ほど対戦し、5~6年にわたって活動していた。およそ20戦未満で、命を失うか生き残れるかの瀬戸際に立つ。生き残って木剣拝受者になれる剣闘士は、20人に1人くらいの割合だった。
 剣闘士は卑しい身分だったが、命がけの競技なので人気者でもあった。
 ローマ時代のコロッセウム(円形闘技場)をフランスでいくつか見学したものとして、そこであっていた剣闘士の競技の実際を知りたいと思っていました。実に残酷な競技ですよね。何万人もの民衆が熱狂しながら見物していたなんて、信じられません。
(2011年10月刊。2800円+税)

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