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おれは清麿

カテゴリー:日本史(江戸)

著者   山本 兼一 、 出版   祥伝社
 幕末の刀鍛冶の一生を描いた小説です。刀剣をつくりあげていく過程の描写の迫力には圧倒されました。
焼き入れた鉄の色は赤から黄に移っていく。濃い紫、小豆(あずき)色、熟(う)れた照柿(てりがき)の色、夕陽、山吹、満月そして朝日。色によって熱さが違い、やる仕事が違う。
 うへーっ、さすがは職人の芸です。こまかいです。こまかすぎます。
ここで鉄(かね)を沸かしちゃならん。赤めるだけ。あとの鍛錬のときも、湧かしすぎると鉄が白けて馬鹿になってしまう。焼き入れをしても刃が冴えず、ぼけて眠くなる。
下手な鍛冶は、炭をたくさん無駄につかって、鈍刀(なまくら)しか鍛えられない。上手な鍛冶は、少しの炭で効率よく鉄を赤め、沸かし、冴えた鉄で秀抜な刀を鍛える。
上古のころ、まっすぐだった日本の刀は、平安のころから反(そ)りのある優美な太刀姿となった。鎌倉のころから次第に力強く豪壮な姿となり、さらに戦乱の激しい南北朝となれば、より勇ましい長大な姿となる。ここまでが古刀(ことう)である。戦国の世が終わり、関ヶ原や大阪の陣のあった慶長のころからの刀は、新刀(しんとう)と呼ばれる。古刀とは、姿がずいぶん違う。
 腰で反っている古刀に対して、新刀は先のほうで細くなり、反っているものが多い。甲冑(かっちゅう)を着て闘った戦国乱世のころと違って、着物を着た戦いでは突き技の有効性が高いからだろう。
刀を見るときの奥義。刀を選ぶときは、まず、肌(はだ)多きもの好むべからず。肌とは、鉄(かね)を折り返して鍛えたときの模様が刀の地の表面にあらわれたものをいう。
 沸(にえ)多きものを好むべからず。沸は、焼き入れのときにできるごくごく微細な鉄の粒子。
刃文(はもん)深きもの好むべからず。焼きの入った刃の幅が広く深いということは、とりもなおさず焼きが入りすぎていて折れやすいということ。
 反り深きもの好むべからず、反りなきものを好むべからず。長きを好むべからず。短きを好むべからず。いずれも、ほどほどがよいということ。
 刃鉄(はがね)、心鉄(しんがね)、皮鉄(かわがね)につかう三種の鋼をそれぞれ積み沸かして、折り返し鍛錬する。それを本三枚で造り込む。軟らかい心鉄とやや硬めの刃鉄を硬い皮鉄ではさみ、鍛着させる。それを細長く素延(すの)べする。皮鉄を折り返し鍛錬するとき、質のよい鋼を挟み込んでおく。そうすれば、金筋(きんすじ)がうまく刃中や刃の縁にあらわれる。下手な鍛冶なら失敗してしまう。
 すごい描写に言葉も出ません。
(2012年3月刊。1600円+税)

佐土原城

カテゴリー:日本史(戦国)

著者   末永 和孝 、 出版   鉱脈社
 この3月は宮崎出張が重なりました。この本は、宮崎空港で買い求めたものです。
 佐土原城には行ったことがないのですが、宮崎は戦国時代、南の島津家と北の大友家とが激しくせりあったところと聞いていましたので、佐土原城の歴史を知りたいと思っていたのでした。
 佐土原城の歴史を語る本に、曾我兄弟の仇討ちの話が出てきたのに驚きました。
佐土原城主だった伊東氏の祖先は藤原不比等の子孫であり、藤原姓を名乗った。
 工藤祐経(すけつね)は、跡目(あとめ)相続をめぐって殺した子どもたちから富士野の巻狩のときに曽我兄弟から討たれてしまった(1193年のこと)。この工藤祐経は、京都にあって管弦や諸芸にすぐれ、公家の文化に通じていたので、源頼朝から側近として重用・厚遇されていた。工藤祐経が武将として認められ、幕府の有力御家人へと成長したのは、平家討伐のために西国へ攻めくだったときだった。
 農後国の佐伯で平家追討に功があった工藤祐経は、鎌倉に帰郷してから文武で秀でた武将として、源頼朝に仕えた。工藤祐経の死後、その子、祐時(すけとき)が、源頼朝を烏帽子(えぼし)親として元服した。やがて伊東姓を名乗り、伊東祐時と称した。祐時も源氏三代の将軍に仕えた。
 伊東祐時の四男・祐明は日向国那珂軍田嶋庄に地頭として下向した。島津氏は、島津忠久が1185年に島津荘の下司職(げすしき。地頭職)に任ぜられたことに始まる。忠久は、平家の政権下で平家の強い影響下にあった南九州に、源頼朝の信任あつい関東御家人として任命された。
 日向国に下向した伊東本家がまず手をつけたのは、本家より先に日向国に下向し、すでに本家と疎遠になっていた支族を束ね、伊東氏の権勢を高めることだった。
 伊東氏は、島津氏の勢力が日向国で強まることを恐れ、常に幕府とつながっていた。
 1578年、大友宗麟は、3万5千の兵を率いて日向に出兵し、延岡市に本陣を置いた。大友軍の総勢は5万、島津義久は弟の家久を佐土原城に置き、日向国諸将の総大将とした。
 島津氏の戦法は、釣り野伏せ(つりのぶせ)、穿抜法(うがちぬけのほう)、繰り詰め(くりつめ)である。うがちぬけのほうは、真一文字に敵に突入して切り抜ける戦法。これは、関ヶ原のたたかいのときに活用されました。敗戦必至のなかで打ち死に覚悟で家康本陣に切り込んで生きのびたのです。
 くりつめは、鉄砲を間断なく射撃する戦法。島津軍は、鉄砲を足軽に持たせず、すべて武将が持っていた。鉄砲を一番撃ち、二番撃ち、三番撃ちに分け、間断なく打ち続ける戦法である。
 戦国が江戸に生き、そして現代にも通じる話って、たくさんありますよね。
(2011年7月刊。1600円+税)

タックスヘイブンの闇

カテゴリー:アメリカ

著者   ニコラス・シャクソン 、 出版   朝日新聞出版
 税金は庶民が払うものだ。
これは、アメリカの大富豪(レオナ・ヘルムズリー)の言葉だ。
 そうなんですよね。民主党政権が自民党のできなかった消費税を10%にしようと奔走していますが、大企業と大金持ちへの減税をすすめながらのことですからね。そして、マスコミは大新聞そろって消費税率アップに大賛成です。
 タックスヘイブンは避難所である。ただし、一般庶民にとってではない。オフショアは、冨と権力をもつエリートたちが、コストを負担せずに社会から便益を得る手助けをする事業なのだ。オフショア・ビジネスとは、本質的には、国境を越えた資金移働の書類上のルートを人為的に操作することだ。
 人口2万5000人ほどのイギリス領ヴァージン諸島に80万社もの企業が置かれている。アメリカを中心とするオフショア・システムは三層構造になっている。連邦レベルでは、アメリカは外国人の資金を本格的なオフショア方式で引き寄せるため、さまざまな免税措置や秘密保持規定を設けている。たとえば、アメリカの銀行は、盗品の取扱などの犯罪から得た利益を受け入れても、その犯罪が海外で行われたものである限り、罪には問われない。きわめて低コストで、きわめて強力な守秘性を提供することで、世界中から不法資金はもちろん、テロ資金まで大量に引き寄せている。
 世界でもっとも重要なタックスヘイブンは島だと言っても誰も驚かない。しかし、その島の名はマンハッタンだと言ったら、人々はびっくりする。さらに、世界で二番目に重要なタックスヘイブンも島にある。それはイギリスのロンドと呼ばれる都市にあるのだ・・・。
 租税回避と脱税の差は、刑務所の壁の厚さだ。
世界的に著名な金持ちが税務当局の調査を受けたとき、こう言った。私が刑務所に行くという噂があるが、言わせてもらえば、私より先に刑務所に行かなくてはいけない法律事務所が四つほど、それに会計事務所が五つほどある。どれも、世界最大手の部類に入るところだ。
世界最大の法律事務所や会計事務所が脱税の手伝いをしているというわけです。これが悲しい現実なのでしょうね。
 スイスは依然として、ダーティーマネーの世界最大の保管場所の一つである。2兆ドルとか3兆ドルと言った規模である。ヨーロッパからスイスに持ちこまれる資金の80%、イタリアからだと99%が、税務当局に申告されていないお金である。
 ケイマン諸島にあるマグラントハウスには1万2000以上の企業が入居している。オバマ大統領は、かつて、この建物について、「これは史上最大の建物か、でなければ史上最大の税金詐欺だ」と批判した。しかし、ケイマン諸島の金融庁長官は次のように反論した。「オバマはアメリカのデラウェア州に関心を向けるべきだ。ウィルミントンの町には、全部で21万7000の企業が入っているオフィスがある」
 2008年には、デラウェア州は88万2000の活動中の企業が登記されている。
 1970年代になって、世界中で税率が急激に下がり、同時に国際的な脱税が世界各地で急増し、資本逃避という突然の災厄が頻発するようになった。タックスヘイブンが爆発的に増え、金融規制が緩和され、その後脱税と資本逃避が急増したのだ。
 大企業への課税税率を上げると外国へ逃げ出すからあげるべきでないという意見がありますが、それは実態を反映しないものだということがよく分かります。担税力のある大企業にきちんと税金を負担させ、庶民の負担は軽くして、福祉を充実させる。この方式の導入を日本人はもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。大企業のインチキ宣伝なんかに負けてはいけません。
(2012年2月刊。2500円+税)

自衛隊員の人権は、いま

カテゴリー:司法

著者  浜松基地自衛官人権裁判を支える会 、  出版  社会評論社
 自衛官の自殺は多い。1998年に全国で75人、1999年も62人。そして、いじめが多く、それによる自殺も頻発している。
 自衛隊に対して裁判を起こすときは、調査不足のため弱点を突かれないよう、訴状を出す前に十分に調査しておく必要がある。相手は閉鎖社会なので、すべての情報と資料は自衛隊が独占している。
徒手格闘は、銃剣格闘、短剣格闘と並ぶ、自衛隊格闘術の一つ。武器が使用できない状況下で、素手で敵を倒すために編み出された。
 このところ、格闘訓練に名をかりたイジメやしごきが行われている。
なぜ自衛隊員の人権侵害が起こるか。その一つに、軍隊としての本質の問題がある。軍は武器をもって外敵と対戦する戦闘集団である。ここでは、戦時、通常の道徳規範に反する器物損壊、人員の殺傷が公然と行われ、生命を省みない危険な行動が求められる。そこで、軍では、軍人の基本的な人権が制約され、組織に特別の秩序を科し、任務を強制するなど、行動を強く規制する必要がある。
 要するに、「軍紀」とは通常の「道徳規範」とは正反対の、一般社会では許されない器物の損壊、人員の殺傷などの戦争遂行行為を、命令・規律という強制力をもって、自他の生命を省みないで行わせることにある。ここに、兵士の人権保障と軍隊の職務とのあいだの本質的な矛盾が存在する。
 自衛隊では、服務指導は、勤務に関する事項のほか、私生活にわたる事項もふくめ、組織に影響するものは、すべてを対象とする。これは隊員が職務に専念するためであり、隊員間の心情把握および私的な悩みに注意するとともに、任務遂行に支障を来す範囲の事項の除却にある。つまり、このように自衛隊では公私の区別がなく、プライベートの部分も自衛隊はきちんと把握している。
 ドイツには軍事オンブズマンが軍隊の中に置かれていて、軍隊をコントロールする一つの仕組みとなっている。ドイツの軍事オンブズマンは、連邦議会の指名により、議会の補助機関として置かれている。
 軍事オンブズマンにはスタッフが50人いる。軍事オンブズマンは年間6000件の苦情を処理している。一人の兵士を大切にすることが、軍隊を誤らせないことにつながるという考え方にもとづいている。
自衛官も、国民の一人として、憲法で保障された人権は守られなければなりませんよ
ね。全国25万人の自衛隊の人権を守ることは、私たち日本国民全体の人権を守ることに直結しているものだと痛感しました。私と同期の岡田尚(横浜)、塩沢忠和(浜松)という弁護士2人がこの分野でも活躍しているのを知って、うれしく思いました。
(2012年3月刊。1800円+税)

格差・秩序不安と教育

カテゴリー:社会

著者   広田 照幸 、 出版   世織書房
 教育にもっと光をあて、もっともっと教職員を大切にしないと、日本の将来は暗いばかりだと思います。なんでも競争させればいいなんて、まったくの間違いです。
ある次代に多数派を占めるビジョンがそのまま永続するわけではない。ましてや多数派の構想だから、それが「真」や「善」であるというわけでもない。野党勢力や少数派が別の社会構想に依拠しながら行う抵抗は、無意味ではない。
 教育は未来志向の営為である。教育という事象は、即時的な個人のニーズや利害を反映するだけでなく、未来の個人の人生や未来の社会のあり方に関する営みである。だから、「何が望ましい教育か」という問いには、常に未来の社会がどうなるかという点が関わらざるをえない。
 不況下でも成長している企業ほど、実は社内で能力開発に積極的に取り組んでいることが多い。必要なときに必要なだけの人材を外部から「即戦力」として調達する雇用戦略は、実は必ずしも有効な戦略とはいえないことを意味している。
 現在の日本では、家庭学習に時間をかける子どもと、家庭ではまったく勉強しない子どもとに二極分解しつつあり、それは社会階層と対応している。
 今では、親の行動によって子どもの進路に決定的な大差がついていく社会、「ペアレントクラシー」になっている。わが子にはほかの子よりも質の高い教育を受けさせたいという家族エゴイズムにもとづく教育要求が、近年ではなぜか、まかり通るようになっている。公教育を消費者へのサービスと見なす消費資本主義的な見方や、グローバルエリートの養成が日本社会で必要だという見方が、そうした要求を正当化している。これらの見方とどう向きあえばよいのかは、なかなか難しい問題である。
 ある子どもたちが制度的に優遇されることは、別の子どもたちが後の階段の選抜場面(進学や就職)で不利にされることを意味する。
公教育の社会的役割のなかには、「出自や学力が多様な集団だからこそ、学べることがある」という側面がある。
 日本では、階級ごとの集住が見られないため、学区制にもとづく義務教育が「さまざまな階級を混ぜあわせる特質」をもってきたと外国人学者から指摘されている。
 多様な出自や学力の生徒たちと一緒に学ぶという経験は、ある意味で「公共空間」をどの子どもにも擬似的に体験する、貴重な機会だと言える。
 早くから子どもたちを同質的な集団へと振り分ける仕組みが、もしも大規模に広がっていくならば、それは社会全体からみると、社会階層や学力・学歴で細かくスライスされた層状に分化した社会を作る出すことになってしまう。
 青少年がアイデンティティを模索する空間をすっかり脱政治化しておいて、「社会のことに関心をもたない今の若者」と大人が青少年を非難するのは、筋違いである。むしろ、現実の問題にふれる機会を青少年に準備してこなかった大人の側の責任である。
分権化論に無批判にのって、もしも教育委員会を廃止し、権限を首長にまるごと委譲したとしたら、おそらく局地的にもっとひどい事例が生まれる。
 教育の政治的中立性、安全性、専門性の確保が損なわれ、学校教育は知事や市長のオモチャになってしまう。教育の実際に詳しい知事や市長ばかりではない。にもかかわらず、教育をいじる政策は有権者にアピールしやすい。だから、選挙が近づくたびに、思いつきの「学校改革」が打ち出されるという事態が出てきてしまう。
 2009年7月に発汗された本ですが、まさしく大阪の橋下流「教育改革」の危険性を暴いていると思いました。もっと、教育について広い心をもって、ゆったりと討論したいものですよね。だって、日本の明日を語ろうというのですからね。だれかを「敵」にしただけでは何も解決しません。ましてや教職員が「叩くべき敵」なんかであろうはずがありません。
(2009年7月刊。3600円+税)

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