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朝鮮人強制連行

カテゴリー:日本史

著者   外村 大 、 出版   岩波新書 
 亡父が「三井」の労務係として戦前、朝鮮から朝鮮人を連行してきたことがあるだけに、この問題には目をそらすわけにはいきません。
戦前の朝鮮では、上からの教化はかなりの困難を伴っていた。ラジオは都市の富裕層が聞くだけ、新聞を読む人も少ないなかでマスメディアによる宣伝の効果はあまり期待できなかった。そこで、朝鮮総督府が主として依拠した情報宣伝の手段は講演会や、警官・官吏の主催する座談会・紙芝居だった。
 翼賛組織が整備されたあとも、朝鮮民衆の総力戦への積極的な協力はなかった。
 日本国内の炭鉱では、労働力不足であり、増産を担うべき十分な労働力を集めることができずにいた。炭鉱の労働条件が重化学工業などに比べて劣っていたからである。
 商工省は当初より朝鮮人の導入に賛成だった。しかし、内務省は1939年4月の時点でも賛成していなかった。戦後における失業問題や民族的葛藤からくる治安への影響を心配していたと推察される。
 朝鮮総督府は、送り出した朝鮮人を炭鉱労働として使うことに不満をもっていた。これは炭鉱の労務管理に不安を抱いたからだろう。しかし、消極論は、日本内地の炭鉱での労働力不足という現実の前に押しきられてしまった。
 朝鮮では、専門的な労務需給の行政機構が貧弱であり、結局、個別の企業が朝鮮総督府から許可を得て、地域社会に入って募集するという方法で動員計画の割当を充足しようとしていた。
これは亡父の語ったことに合致します。「三井」労務係として、まず京城にある総督府に行き、それから現地に行き、労働者を列車で連れてきたということでした。
 1939年度に関しては、積極的に募集に応じようとする朝鮮人が多数いた。これは、未曾有の旱害にあい、多くの離村希望者が出現していたことによる。
 これまた、亡父の語った話と同じです。無理矢理ひっぱってきたのではないと弁解していました。食べられない状況では日本に渡らざるをえなかったのです。
 新聞に広告をのせても、ラジオで宣伝しても、それは大部分の農民には届かない。字の読めない農民がたくさんいた。
 当局の政策を逆手にとって、日本内地に移動しようとする朝鮮人もいた。日本に動員されてきた朝鮮人の逃亡は少なくなかった。そして、労働争議や、日本人との衝突事件が多発した。
朝鮮人労務動員政策は。問題なしに生産力拡充や企業経営にプラスの効果をあげたとは言いがたい。動員計画によって日本内地に送り出された朝鮮人は、炭鉱に多く配置された。炭鉱に62%、金属鉱山に11%、そして、土木建築が18%、工場その他8%となっている。
 1940年9月の調査時点で6万5千人の朝鮮人のうち18.5%、1万2千人が逃走している。結局、70万人の朝鮮人が日本内地に配置された。
 戦後、1959年時点で、21万人が日本に残っていた。
在日の存在を考えるうえで欠かせない本だと思いました。
(2012年3月刊。820円+税)

コムソモリスク第二収容所

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   富田 武 、 出版   東洋書店 
 戦後のシベリア抑留の実像に迫ったブックレットです。
 シベリア抑留については、いろんな研究書や体験記が公刊されていますし、映像としても見られるようになりました。このブックレットは、そこに欠けている視点があるのではないかと指摘していて、なるほどと思いました。
 収容所の食事がいかに粗末だったかがいつも語られている。しかし、1946年から47年にかけては、ソ連でも広範な飢饉を体験していた。一般の食事も配給制下で貧弱だった。むしろ、捕虜から大量の死者を出せば国際的威信にかかわるため、地方当局は必至に食糧確保策をとっていたのも事実だった。
 コムソモリスク収容所のあったアムール流域の工業都市の人口は1945年8月に20万人。冬期の寒さは厳しく、12月に入ると零下30度、1~2月の厳冬期には零下40度を下回ることもある。
 1945年8月、ソ連最高機関たる国家防衛委員会は、日本軍捕虜を50万人選別することを決定した。このとき、ソ連はすでに240万人ものドイツ人捕虜を領内に留置・移送して、生産や都市の復興の労働力として使役していた。
 日本の関東軍首脳は、ソ連に対して、対米英戦争和平の仲介を依頼すべく近藤文麿を派遣するための要綱に「賠償として、一部の労力を提供することに同意する」としていた。要するに、関東軍は日本兵の労務提供を申し出ていたというのです。
 労働力としての日本兵捕虜について、ソ連内の各地方州、共和国から追加要請があっていた。
 日本人捕虜の調査対象30万人の19.5%は体力が衰え、6%が病気になった。1945年から46年に冬に酷寒と飢え、重労働で多数の死者が出た。全抑留期間の死亡者6万人の80%にのぼった。
 1946年4月に、極東・シベリアの捕虜5万人を中央アジアに移送する命令が出た。
 同年5月、ソ連領内の病弱な捕虜2万人を北朝鮮内の健康な捕虜2万2千人と交換するという命令が出された。
捕虜収容所の維持費が捕虜による生産高を上回る赤字が続き、黒字になるのはようやく1949年であった。
日本人捕虜収容所では、最初から反ファシスト委員会が存在したのではない。1947年後半から、反動的な将校団の影響力が著しく低下した。将校は労働力が免除され、それでいて給食は質量とも兵士以上だった。
 1950年4月、日本人捕虜51万人の日本への送還が完了した。捕虜総数は64万人(日本人61万人)、うち死者6万2千人だった。最初の冬の半年間で4万6千人が死亡した。
 最後に、ロシア政府はシベリア抑留関連文書を日本政府に引き渡す義務があること、日本政府と外務省は、ロシア政府に対して堂々と要求すべきだと著者は強調しています。まったく同感です。わずか60頁あまりの薄いブックレットですが、シベリア抑留の実情を知るうえで、欠かせないものと思いました。
(2012年10月刊。800円+税)

亀のひみつ

カテゴリー:生物

著者   田中 美穂 、 出版   WAVE出版 
 亀を飼うのも大変のようです。亀って、じっとしているものとばかり思っていましたが、意外にあちこち動きまわる生き物のようです。
 亀は意外なことに、歩くのも泳ぐのも速い、運動量の多い生き物である。
 亀は好奇心旺盛で、遊び好きの生き物だ。
 家に飼っている猫が大好きで、猫の気配を感じると全速力で猫に向かって駆けていく。
亀は意外にかしこくて、愛嬌もある生き物だ。しかし、デリカシーはないため、互いの空気を察しあって生きている猫たちには、あまり好かれていない。だから、容易に猫に気づかれないように、潜んでじっと待っている。猫も機嫌がいいと、しばらくは亀の相手をしてやる。
 亀は迂回はあまりせず、直進するのが基本。しかし、亀は不思議に方向感覚が冴えている。亀ははじめから頭を隠した状態でも動くことができる。
 亀は、薄暗くて狭くて暖かい場所が落ち着く。
 亀はソーラーパワーで動いているような生き物なので、なくてはならないのが太陽のあたる場所。亀にとって、エサと同じか、それ以上に大切なのが日光浴。亀は、この甲羅干しによって紫外線を吸収して必要な栄養分を活性化させている。
亀は、基本的に夜に眠る。水の中でも布団のなかでも眠れる。まぶたは、下から上に向かって閉じる。
亀のあくびは、平和でのんびりした光景の典型。
 亀には歯がなくて、鳥と同じくちばしがある。基本的に丸のみする。亀は雑食性なので、ミミズや小魚、リンゴなどを食べる。ミミズが一番人気。しかし、飼育下では、亀は食べすぎて太りすぎることがあるので要注意。
 多くの亀は、性決定のための性染色体をもたず、卵がかえるまでのある一定時期にさらされる温度によって性別が決まる。生みつけられた場所が日当たりのよいあたたかい場所ならメスが、木陰などの低めの場所ならオスが生まれてくる。
 うひゃあっ、そ、そんなことってあるんですか・・・。おどろきますよね。
 大人の亀なら1週間くらい、いやひと月くらいは何も食べないで生きられる。徹底的に代謝を低くすることで生きのびてきた生き物だからこその技。
 子亀は、1歳になるまで生きのびられる個体はわずか。とても弱くデリケートな生き物。
起きていたら水の中でおぼれることもあるのに、冬眠中は何ヶ月も一度も水面に顔を出さずにおぼれない。
 たくさんの種類の亀を写真で知ることもできる楽しい本です。
(2012年10月刊。1600円+税)

李鴻章

カテゴリー:中国

著者   岡本 隆司 、 出版   岩波新書  
 日清戦争のあと、日本の下関で開かれていた日中協議の最中、中国の全権使節・李鴻章は、若き(26歳)日本人壮土からピストルで顔面を撃たれた。しかし、弾丸の摘出もせず、顔面に包帯を巻いたまま、日本との協議を続けた。そのとき、73歳、なんという生命力であり、胆力の持ち主でしょうか・・・。
 怜悧(れいり)にして、奇智(きち)あり。常に放逸不羈(ふき)。無頓着に、その言わんと欲するところを言い放つ。
 李鴻章は、1840年、18歳で、科拳の第一段階である学校入試に合格した。
 李鴻章は25歳のとき、上から数えて15位で進士となった。かなりの速さだ。自信と自負の強い人物に成長した。
 清朝は、もともと華夷一体、多種族が共存する政権であった。
日本軍の台湾出兵によって、清朝の危機感は著しく高まった。
 中国民衆が心ならずも日本に譲歩することになったのは、軍備が空虚だったからだ・・・。
 李鴻章は、1860年代から、清朝きっての知日派だった。李鴻章は、中国の現況に失望すればするほど、日本に対する関心を高め、畏敬の念すら抱いていた。
 李鴻章という人物を見直すことになる本でした。
(2011年11月刊。760円+税)

山伏と僕

カテゴリー:人間

著者   坂本 大三郎 、 出版   リトルモア  
 東北は山形県の山中で山伏になったという体験記です。
 九州にも英彦山(ひこさん)には山伏がいるようですね。
舞台は山形の羽黒山(はぐろさん)です。近くに月山(がっさん)や湯殿山もあります。
 山伏といっても、ふだんは普通の生活をして、修行のときだけ山にこもって山伏になるのです。
山伏は自分の葬式をあげ、自分を死者と考えて山に入る。
 山に入れば、みんな同じ仲間。どうして山伏になったのかという質問は昔はタブーになっていた。
山伏をしたから人間が皆謙虚になるということでもないようです。逆に修行に耐えたことで偉いと過信し、俗世間で騙す人もいるとのことです。人間の業(ごう)の深さを思い知りますね。
 修行中、ケータイの使用は禁止。テレビも見られない。パソコンなんて論外。
返事は、「はい」ではなく、「承(う)けたもう」のみ。
山伏の白装束は自分たちが死者となったことを、頭にかぶる白い宝冠は、胎児が母体のなかでかぶっている胞衣(えな。胎盤)を意味している。山伏の白装束が死者を意味しているって、初めて知りました。
 修行中に断食する。これは際限なく物を欲しがり、どんなに物を集めても満たされない「餓鬼」の状態を味わう行である。
護摩とは、サンスクリット語で焼くことを意味するホーマの音訳である。
 なーるほど、そうだったんですか・・・。
修行のなかで、勤行するときには、般若心経を唱える。何十回、何百回と般若心経を唱える。真暗闇の山中を歩いていくというのは恐ろしい限りです。著者の勇気に敬意を表したくなりました。
(2012年7月刊。1300円+税)

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