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子どもの連れ去り問題

カテゴリー:司法

著者    コリン・P・ジョーンズ 、 出版    平凡新書 
 日本は、子どもの拉致大国である。のっけから衝撃的に断定されていて、ええっ、そんな・・・、まさか・・・と、つい思ってしまいます。
 本来は子どもを守るはずの裁判所が、そのつもりはないかもしれないが、離婚事件等における裁判運用で、子どもの連れ去り、親子の引き離しを助長し、場合によっては肯定までする。一種の「拉致司法」が形成されているのではないか。海外では既に、日本は「子どもの連れ去り大国、拉致大国」であるという評価が定着している。
 自分の子どもでも、連れ去ることが犯罪になることがある。保育園の近くで2歳の長男を別居中の妻から奪おうとして逮捕された日本人の父親に対して、未成年略取及び誘拐罪の適用が肯定された(最高裁2005年12月6日決定)。
 2009年度、全国の家裁に6349件の面接交渉を求める申立があった。また、同じく1224件の子どもの引き渡しを求める申立があった。
 日本には、子どもの引き渡しの強制執行について具体的に規定している法律はない。実務では、民事執行法169条(動産の引き渡しの強制執行)の類推適応で対応している。要するに、子どもを椦券や絵画のようなモノに準じて強制執行手続を行う。
自分の意思能力がはっきりしている、ある程度の年齢以上の子どもについては直接強制ができない。だから、子どもが何歳までであれば実力でモノのように直接強制ができるのかと議論されている。そのとき、幼児であれば問題ないというのが大方の見解である。
 したがって、最終的に実力行使をするかどうかの判断をするのは執行官であり、執行官が直接強制をあきらめてしまえば、それで終わりだ。地裁に申立された合計25件の子どもの引き渡し直接請求事件のうち、6件が執行不能で終わった。
 日本には、人身保護法という素晴らしい法律がある。
私も20年以上も前になりますが、この人身保護法にもとづいて別れた夫に拉致された子どもを取り戻したことがあります。でも、その後、あまりこの法律は使われなくなったと聞いていました。ところが、この人身保護法が最近になって見直されているようなのです。
 ところで、今話題のハーグ条約です。ハーグ条約によると、子どもの連れ去りが不当であるときには、子どもを速やかに常居所国への返還を命じなければならない。
 日本は、まだハーグ条約を締結(加盟)していないが、もし締結したとしても、その履行の確保は依然として大きな問題である。
 アメリカ人の弁護士で、今は同志社大学教授である著者からの鋭い指摘には考えさせるところが多々ありました。
(2011年3月刊。820円+税)
東京の孫に初めて会ってきました。初めは誰だろう、この人は・・・と不思議そうな顔をして私を眺めていましたが、やっぱり知らない人だと、泣き顔になり、泣き出してしまいました。でも、私が気になるようで、じっと見ています。そのうち、慣れてきて、ついには私の膝の上に抱かれても泣かなくなりました。
 まだ声が出ません。もう少しすると笑い声を上げるようになるのでしょう。そしたら、もっと可愛くなります。
 まだ上手にハイハイは出来ませんが、床の上を動いていきます。そして、自分の両足の親指を口に入れてしゃぶります。本当に関節が柔らかいのに驚きます。腕が身体と反対の方向になっても折れもせず、平気です。
 やがて、2時間もすると、眠たくなってきたのでしょう。気嫌が少し悪くなってきました。それでも母親に抱かれると安心して泣くわけでもありません。
 こうやって生命が続いていくのかと思うと、本当に愛おしい思いです。平和で安全・安心な社会を、この孫のためにも残したいと思ったことでした。

恐竜時代Ⅰ

カテゴリー:恐竜

著者   小林 快次 、 出版   岩波ジュニア新書  
 恐竜についての最新の研究成果が、さすがに子ども向けらしく、とても分かりやすく解説されています。大人にとっても十二分に役立つ内容です。
過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい。
 鳥は恐竜である。鳥類は恐竜類から進化したと言うと間違いだ。正しくは、鳥類は、中世代の恐竜類から進化したと言うべき。
 始祖鳥は、空を飛んで生活していた。体の軽量化に成功していた。しかし、始祖鳥は、いまの鳥類のように翼をバサバサと羽ばたかせて空を飛んでいたとは考えられない。始祖鳥の胸筋は、現在の鳥類のようには発達していなかった。そこで、始祖鳥は、鋭い爪をつかって木に登り、十分な高さまで登って、そこから滑空していたのだろう。うひゃあ、これって八王子の高尾山の神社に住むモモンガそっくりじゃありませんか・・・。
 1億7000万年のあいだ、地球を支配していた恐竜はすぐれた生命体だった。身体の構造は複雑であり、ちみつな設計により成り立っていた。ところが、今から6550万年前に忽然と地球上から姿を消した。もちろん、鳥類を除いて・・・。
恐竜の足跡化石にも、大きな利点がある。まず、数が多い。そして、歩くスピード体重、行動について証拠を残している。
 恐竜の起源から繁栄のはじまりまでの化石記録がもっともよく残っているのは、アルゼンチンのイスチグアラスト州立公園である。
 恐竜も子育てしていた。子育てという行動を確立することによって、恐竜の繁殖能力は、ほかの動物よりもすぐれていた。そうやって、恐竜は大繁栄し、全大陸を制覇できた。
 恐竜の一部が巨大化したのは、天敵がいたため。身を守るには体を大きくすることしかなかった。長い首は、食べるものを集めるのに役立ち、体温調節にも役立つ。長い首をもつことで、体を動かさなくても首を左右に振るだけで、たくさんの餌にありつける。細長い首と尻尾はラジエーターのような役割、つまり、体にこもった熱をそこから逃すことを可能にした。
 本書の前半部分では、大変な苦労をしながら、恐竜化石を求めて世界を歩いている実情が語られています。こんな学者がいるから、恐竜について少しずつ分かっているのですね。本当にお疲れさまだと思いました。
(2012年6月刊。940円+税)

特高警察

カテゴリー:警察

著者   荻野 富士夫 、 出版    岩波新書 
 なく子も黙るトッコーケーサツ。今では知らない若者も増えていますね。その恐るべき特高警察について要領よくまとめた新書です。
 戦前の日本で拷問による虐殺80人、拷問による獄中死114人、病気による獄中死1503人。ところが、特高警察は、表向きは拷問死を否定した。しかし、その一方で、その後の取り調べにあたって、「お前も小林多喜二のようにしてやるぞ、覚悟しろ」と恫喝するのを常とした。
 昭和天皇即位の「大礼」(1928年)や各地への行幸時には、警察による全国一斉の、関係地方の「戸口調査」が実施された。この「戸口調査」は、「巡回連絡」として、現在も実施されている。「戸口調査」や「巡回連絡」は、一般警察官が担当するが、それらの情報は戦前なら特高警察、現代では警備公安警察が集約している。
 特高警察の存続した期間は、1911年(明治44年)から1945年(昭和20年)までの35年間だった。
 1928年2月の衆議院議員の初めての普通選挙で、日本共産党は党員の立候補やビラの配布など、公然と姿をあらわにした。これに危機感を強めた田中義一内閣は警察と検察を動員して、3月15日未明、1道3府27県で、共産党員の関係者を一斉検挙した。検挙された者は1600人。うち起訴されたのは488人。国内における治安維持法の本格的発動となった。田中内閣は4月10日に事件を公表し「赤化」の恐怖を振りまいた。
 特高警察は、官僚制のなかでも、もっとも強固な中央集権制を特質とする、その中枢・頭脳であり、指揮センターの役割を果たしていたのは、一貫して内務省警保局保安課だった。
 日米開戦直前の広義の特高警察の人員は1万人をこえただろう。二層構造からなる特高警察が、その機能を発揮するうえで不可欠だったのは、一般警察官の特高知識と情報の探査・報告だった。
 特高警察にあっては、事件が起きるのは、むしろ失態であった。ことが起きる前に未然防止することが重視された。特高警察にとっての生命線は情報だった。
共産党員と同調する人々が拷問を受けるのは、天皇に歯向かう「悪逆不逞」の壁をこえていく人だから、「悪逆不逞の輩」なので、国体護持のためには、どのような取調手法も許容されるはずだという暗黙の意識があった。
特高警察とは何だったのか?
戦前の日本における自由・平等・平和への志向を抑圧・統制し、総力戦体制の遂行を保障した警察機構・機能と言えよう。それは、日本国内にとどまらず、植民地、傀儡国家におよび、法を逸脱した暴力の行使により多くの犠牲を生みだした。「国体」護持を揚げて、人権の蹂躙と抑圧に猛威を振るった組織なのである。
 2011年は、大逆事件を直接の契機として警視庁に特高警察課が創設されてから100年目だった。
 現代日本に、こんなひどい警察組織をよみがえらせてはいけないと痛感しました。
(2012年5月刊。800円+税)

勝ち続ける意志力

カテゴリー:人間

著者   梅原 大吾 、 出版    小学館101新書 
 ゲームの世界なんて、とんと無縁の私ですが、この本には、なるほどと思うところが多々ありました。
 私も、昔々流行したインベーダーゲームを何回かしたことがあります。でも、すぐに、これは私の性分にあわないと思いました。瞬発力というか、手の器用さが求められます。私の不得意とするところです。それでも、何回かやってみたのはどこの喫茶店にも、そのコーナーがあったからでもありました。
多くの人が現実逃避のためにゲームセンターに足を運んでいる。
 著者は、2010年8月、ギネスブックから、「世界でもっとも長く賞金を稼いでいるプロ・ゲーマー」として認定を受けた。
著者の勝ち方には、スタイルがない。そもそも勝負の本質は、その人の好みやスタイルとは関係ないところにある。かつために最善の行動を探ること。それこそが重要なのであって、趣味嗜好は瑣末で個人的な願望にすぎない。勝ち続けるためには、勝って天狗にならず、負けてなお卑屈にならないという絶妙な精神状態を保つことでバランスを崩さず、真摯にゲームと向きあい続ける必要がある。
著者が勝ったのは、知識・技術の正確さ、経験、練習量といった当たり前の積み重ねがあったから。得体の知れない自分という存在が相手を圧倒して手にした勝利では決してない。勝ち続けたり、負け続けたりすると、バランスが崩れてしまう。自分はすごいと勘違いしたり、どうしようもなくダメな奴だと落ち込んだりしてしまう。どれだけ勝とうが負けようが、結局は、誰もが一人の人間にすぎず、結果はそのときだけのものだ。勝敗には必ず原因があり結果は原因に対する反応でしかない。センスや運、一夜漬けで勝利を手にしてきた人間は勝負弱い。
 これまでの人生で何度もミスを犯し、失敗、そのたびに深く考え抜いてきた。だから、流れに乗って勝利を重ねてきただけの人間とは姿勢や覚悟が違う。
 集中力とは、他人の目をいかに排斥し、自分自身とどれだけ向きあうかにおいて養えるものかもしれない。人の目を気にせず、自分と向きあう時間、深く考え思い悩む時間を大切にしてこそ、集中力は高まっていく。
 「世界最強の格闘ゲーマー」と呼ばれるほど頑張ってこれたのは、ゲームといえども、自分を高める努力を続けていれば、いつかゲームへの、そして自分自身への周囲の見方を変えることができる、評価させる日が来ると信じていたからだ。そうやって15歳、17歳、19歳のとき、ゲーム大会で3連覇を達成した。すごいですね、これって・・・。
でも、4回目は勝てなかったのでした。この4回目に勝てなかったのが良かったのです。頑張っても結果が出ないことがあることを初めて知った。がんばり方にも、良いがんばりと、悪いがんばりがあるのに気がついた。
 自分を痛めつけると、努力することとは全然ちがう。格闘ゲームは心理戦でもあるので、心から勝ちたいと願っているプレイヤーの行動は、読まれやすい。動きが慎重で、セオリーに頼りすぎる傾向がある。
新しいものを否定しないこと。そして、新しいものから素直に学ぶ姿勢を忘れないこと。
 1日15時間以上勉強して身につけた知識は、一時的には結果を残すかもしれない。だが、その知識が持続するとは限らない。限界をこえた努力で身につけた力は本当に一瞬で失われてしまう。努力が自分にとっての適量かどうかを考えるなら、その努力は10年は続けられるものなのかを自問自答してみることだ。
 まだ30歳ですが、さすがは世界チャンピオンの言葉です。じっくり、その重味を味わいました。
(2012年4月刊。740円+税)

雲の都(第4部)幸福の森

カテゴリー:社会

著者    加賀 乙彦、 出版    新潮社 
 精神科医であり、作家である著者の自伝的大河小説の第4弾です。
40代から50歳になるころまでの出来事が描かれていますが、三島由紀夫の防衛庁での切腹事件、連合赤軍・浅間山荘事件なども紹介されていて、著者がどんな時代を生きてきたのかもよく分かる小説になっています。
 とはいえ、自伝的小説となっていますので、不倫の話そして隠し子の存在など、どこまでが本当のことなのか、興味をかきたてられる叙述が多々あります。「自伝的」とあるからには、かなり近いことが起きていたのだろうと推察されてますが、そうすると、上流家庭というか政治家や芸術家を輩出した名門だと、そのことを精神的な重荷に感じた人も多かったような気もします。
 この本のなかに、著者が、私と同じくかつて学生セツル活動をしていたこと(私は川崎ですが、著者は亀有地区だったようです)が何回も触れられています。それで、私は勝手に先輩セツラーとして親しみを覚えてしまうのです。
 もう一つありました。皇居前で血のメーデー事件について、20年後に無罪判決が出たこと、そしてあのとき日米安保条約に反対して行動したことは間違っていなかった、今でもその思いは変わっていないことが強調されています。大変、意を強くしました。
 著者は40代になって新人賞をとり、作家として認められるわけですが、知人の作家は次のようにアドバイスしました。
 作家にとって大切なのは宣伝だ。テレビ、週刊誌、新聞、イベントに頻繁に名前を出してもらうように努めるのが、本を売る秘訣だ。
 なーるほど、そうかもしれませんね。いや、そうなんでしょう。でも、そうすると田舎にいる弁護士の書いた本って、必然的に名前が売れないため、本も売れないことになりますよね・・・。
 死刑囚と長く文通していた話が出てきます。そして、第三者との文通では意外な側面を見せていることを知り、精神科医としての分析に弱点があったことを自覚させられます。ところが、さらに、その死刑囚が処刑されたあと、つけていた日記を読む機会を得て、さらに違った精神世界の内面を知るのでした。それが小説として昇華されていく様子は、さすがだと感嘆してしまいます。
著者は私より20歳年長だったと思いますが、その細かい情景描写にも圧倒されつつ、一心に読みすすめていったことでした。
(2012年7月刊。2300円+税)

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