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天一 ・ 一代

カテゴリー:日本史

著者   藤山 新太郎 、 出版    NTT出版 
 面白い本です。車中で夢中になって読みふけっていました。奇術を見るのが大好きな私ですので、ゾウが消えた、あのイリュージョンはどんな仕掛けだったのだろうか・・・。両手の親指をしばったまま、目の前にある棒を通過させる技は一体どうなっているのか。不思議でなりません。
 でも、同じ芸をずっと見せられ続けていると客はあきが来る。それをカバーするのが話術だ。ここらあたりの説明は、なるほどなるほど、人間の微妙な心理をよくとらえていると感心します。
 大がかりな仕掛けだけでは、決して興行としてはうまくいかないというのです。そこでは、巧みな話術と人間性で勝負するというわけです。ふむふむ、そうなのか・・・。
この本は明治期に活躍した松旭天一の波瀾万丈の生涯をよくよく調べて紹介しています。すごいんです。日本で成功して、アメリカに渡り、そこで苦労して成功すると、今度はヨーロッパに渡って大成功をおさめます。ちょうど日露戦争のころ。日本人ってどんな人種なのか知りたい、見てみたいというヨーロッパの人々の好奇心にこたえることにもなって興行は大成功。そして、日本に帰国して、あの歌舞伎座で上演して画期的に成功したのでした。なにしろ持てる財産(1億5000万円)全部を投げ出してしまったというのです。そして、それを全国巡業で取り戻したというから、さすがです。
芸人にとって名前は重要だ。不遇な芸人は、とにかく卑屈な名前や洗練されていない名前をつける。大きくなる芸人は初めから大きい名前をつける。
 天一は、実子は誰も奇術師にせず、養子のみを奇術師にして、天二と名付けた。
 天一の声は太い胴間声で、実によく台詞が通った。天一は穏やかで丁寧な言葉づかいをしたから、多くの地位ある人に支持された。天一は、カイゼル髭を生やし、大礼服を着、堂々たる姿勢、綺麗な言葉づかい、舞台のマナーの良さがあった。
仕掛けの道具を入手しただけでは観客の心はつかめない。奇術師自身が立派で大きくなければ観客は呼べない。
 水芸の前半は、ひょうきんな芸を見せる。後半には、表情をほとんど入れず、堂々と構えたシリアスな演技に切り替える。まるで神々が無心に遊んでいるような天上の世界を見せようとした。そのため、天一は、表情を取り去り、まるで全能の神のごとく、何ら思い入れをせずに淡々と演じる。すると観客は、水芸を見ているうちに、どんどん高みに昇っていったような錯覚を覚え、日常を超越した世界に到達する。それは天一が生涯かけて表現したかった世界であり、この神々しい世界を当時の観客は絶賛した。
 奇術師が不思議を提供するだけで生きていけるのなら、その技のみに専念すればよい。しかし、現実には、それでは生きていけない。なぜなら、不思議は成功すればするほど観客に緊張を強いてしまう。緊張が連続すれば観客は疲れてしまい、奇術を見ることが楽しみにつながらない。そうなると、奇術は芸能として失格だ。そこで、奇術師は不思議を強調しつつ。冗談を言い、寸劇を演じ、緊張を和らげる。実は笑いはマッチポンプなのだ。奇術師は不思議を演じ、緊張を強いながらも、笑いで目先を変え、別の世界に連れ出し、緩和を提供する。こうすることが息長く観客に愛される秘訣なのだ。変な職業である。
 ここが分からず、不思議ばかり見せ続ける奇術師は恵まれない結果に終わる。もっともギャグの多すぎる奇術師もいけない。初めからおしまいまで馬鹿馬鹿しいと、すべてが嘘くさくなる。まず、観客が本気にならないことには奇術は成功しない。十分に不思議がらせて、そのうえで観客が入り込む余地を残しておく、ここのさじ加減が難しい。天一は、そこがうまかった。
 大きな成功をつかむためには、よい観客層を集めなければならない。よい観客はよい劇場にしか来ない。
 日本の奇術が目ざしていたものは演劇であった。日本の奇術は、歴史的にも、なぜそうなのか、なぜそう演じるかの背景をつくりあげている。演劇をみるのと同じように人物と情景を掘り下げて語っていく。
 天一は、弟子の誰にでも奇術を教え、隠すところがなかった。天一は弟子の長所を見つけ出すのがうまかった。その結果、数々の弟子が育ち、松旭斎の一門は天一の没後100年の今日に至るまで繁栄している。弟子たちの努力によって一座は引退間際まで大入りを続け、天一は有終の美を飾ることができた。
 天一は明治45年(1912年)、59歳で病死した。直腸がんだった。
 奇術に少しでも関心のある人には、こたえられない一冊です。
(2012年7月刊。2300円+税)

筑前竹槍一揆研究ノート

カテゴリー:日本史(明治)

著者   石瀧 豊美 、 出版    花乱社選書 
 明治6年(1873年)6月に福岡県内で起きた竹前竹槍一揆は、参加者20万人とも10万人とも言われ、処罰されたものが6万4000人にもなる最大規模の一揆です。
 明治6年6月、大旱魃(かんばつ)を背景として、嘉麻郡の一角に起こった農民一揆は、たちまち筑前全域に広がった。一部は筑前地方をまきこみつつ、一揆の参加人員は30万人(少なくとも10万人)と言われる。福岡城内にあった福岡県庁の焼打ちにまで発展する空前の大一揆となった。
 福岡城内にあった福岡県庁といえば、現在、舞鶴中学校のあるところですから福岡の地裁・高裁のあるところの近くですよね。
 この一揆が何を要求していたかということについて、著者は「解放令」反対を揚げていた事実を直視すべきだとしています。この一揆は、その過程で、被差別部落2000戸以上の家屋を意図的に焼き払った。そして、そのとき、部落外に類焼しないよう細心の注意を払っていたことを明らかにしています。
 「解放令」が出た後の被差別部落民の積極的な行動が、一般民衆の目には傲慢とうつり、次第に発火点に達して、一気に爆発したのが竹槍一揆なのである。解放令が出たのは、明治4年のこと。
 一揆勢は、部落は有無をいわさず焼くが、部落以外は一軒も焼かないように、失火にすら気をつけるという見事な統制ぶりを示した。
 「解放令」は農商民と被差別民との間に妥協なき日々の戦いを強いることになり、筑前竹槍一揆勃発の直前まで、差別・反差別のせめぎあいが、ときに竹槍・刀で武装する戦いにまで至っていた。
 民衆が新政に反対し、ことに被差別部落の焼き打ちに及んだ背景には、政府が文明開化政策についての啓蒙を怠っていたこと、あまりにも急激な変化が矢継ぎ早に相次いだことがあげられる。民衆にとっては、これまで安住できた生活空間が破壊される恐怖感につながった。明治6年の筑前竹槍一揆については、私たちはもっと認識してよいと思います。昔の人は政府への怒りをストレートに行動に示していたのですから・・・。
(2012年5月刊。1500円+税)

マインド・コントロール

カテゴリー:社会

著者   紅藤 正樹 、 出版    アスコム 
 今もオウム真理教の信者が全国に1500人もいるそうです。信じられない現実です。出家(専業)信者400人、存家信者1100人です。そして、あの死刑囚の麻原を今も教祖としてあがめているというのですから、世の中は一体どうなっているのかと、歯がゆい思いがつのります。これは、橋下現象なんていう浮ついたブームが起きるのと本質的に同じことなんでしょうね。当の本人たちは深く考えているつもりでも、実は肝心の足元をしっかり見ていなくて、流されるままだということでしょう。
 「依存心」は、マインド・コントロール状態に置かれた人の心理状態において、もっとも重要な要素の一つである。
 マインド・コントロールを施されると、以前にも増して活発になる場合の方がむしろ普通である。
 マインド・コントロールは強迫な手法なので、強迫に耐えきれなくなると、被害者がパニック障害を発症したり、うつ病を発症したりするケースがある。
 マインド・コントロールされた人を取り戻すとき、司法手続や警察に頼るだけではほとんど効果がない。脱会は心の問題なので、脱会カウンセラーの意見を聞くことと並行してすすめる必要がある。
中途半端な方法を親がやればやるほど、かえって親に対する憎悪心がふくらみ、親との断絶がすすんでしまう。
脱会後、精神的に急激に落ち込んだり自己嫌悪に陥ったりしてしまうことがある。精神的な高揚感そのものが、精神を強く抑圧するマインド・コントロールの後遺症なのだ。抜け出そうとして再び精神的な高揚感を求めて、新たな信教にはいることも珍しくはない。
だから、きちんと話しのできる人によるカウンセリングを受ける必要がある。
脱会させても、場所の次に心を引き離すプロセスが重要。戻ってきて、「もう大丈夫」と判断してカウンセラーや弁護士の世話になる必要もないと思うと、かえって失敗してしまうケースが少なくない。本当に立ち直るまで、最低でも1~2ヵ月、場合によっては何年もかかることがある。
日本は、カルトの世界的な穴場であり、カルトの世界的な吹きだまりになっている。日本は、カルトに対して、もっとも甘い。だから統一協会がもっとも繁栄することができた。
カルトにはまった子どもを前にして、親は子どもをほとんど説得できないものだ。自分がいちばん知っているという発想自体が、子どもに対する強引な押しつけなので、親との関係は悪化し、子どもは元のカルトに戻ってしまう。
マインド・コントロールは、ある日突然、パッと解けるもの。ただし、脱マインド・コントロールは、元の人格に戻すという変化をもたらすだけのこと。たとえば、優柔不断な性格の人は、元の優柔不断な性格に戻るだけ。だから、カルトから抜け出しても、社会に出ると、自分の努力が大切なのだ。
 フランスには、「無知・脆弱(ぜいじゃく)性不法利用罪」というものがあって、マインド・コントロールするものは3年の拘禁刑と37万5千ユーロの罰金に処せられる。
 統一協会は、その教祖(文鮮明)と本体の組織が日本で逮捕・処罰されたことがないそうです。驚きます。しかし、日本でも、フランスにらなった法律を検討すべきだという気がします。いかがでしょうか・・・?
(2012年6月刊。952円+税)

ソハの地下水道

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   ロバート・マーシャル 、 出版   集英社文庫  
 「シンドラーのリスト」と同じように、実話にもとづいた映画の原作です。まだ映画はみていませんが、ポーランドの小都市の地下水道に、子どもを含むユダヤ人11人がポーランド人の労働者に助けられて、ナチス・ドイツが撤退するまで14ヵ月も隠れていたというのです。すごい話です。早く映画をみてみたいと思いました。
 場所は現在のウクライナです。当時はポーランドの領内でした。ルヴフという小さな都市です。
 彼らは1943年6月1日に下水道に入り、1944年7月28日に地上へ出てきた。この間の14ヵ月を下水道で過ごした。どうやって・・・?
 ユダヤ人たちは地下室の床を掘り下げていき、下水道に出ようという作業が始まった。石灰岩のブロックを少しずつ削りとり、ついに縦坑が貫通した。下水道に通じることが出来た。そして、そこで下水道を管理しているポーランド人労働者と出会った。
 「力を貸すことはできるが、タダで、というわけにはいかない」
 「あんたらを密告すれば、ヒーローだ。ところが助けようとしても、もしそれが見つかったら・・・」
 「銃殺なんてものではない。女房も子どもも街頭の柱から吊されるんだよ」
こんなやりとりでも、結局、ポーランド人労働者は密告しませんでした。
ナチスがユダヤ人絶滅作戦を開始した。縦坑の存在を聞きつけたユダヤ人が続々と地下室に集まってきた。そして、次々に地下水道へ逃げ込んでいく。総数は400人から500人。でも、地下水道を流れる川におぼれ死んだり、我慢できずに地上に出て、次々に死んでいった。それでも100人は残った。いったい、100人もの人間が狭い都市の地下水道にいつまで隠れておれるものか・・・。
 ポーランド人は労働者のリーダーであるソハは4日目、70人以上の人間が地下水道にいる現実を知って、話したいと言ってきた。とても面倒みきれないのは当然だ。もっと人数を減らさなければ協力できないという。12人以下でないと無理だ。どうするか・・・。
 ヒゲルたちユダヤ人がポーランド人労働者のソハに支払ったのは、1日あたり500ズウォティ。当時の労働者の平均月収は200ズウォティ。下水道労働者だと150ズウォティ。だから、月収に等しい額を、毎日、ソハはもらっていたことになる。
でも、ソハは500ズウォティのなかから21人分の食料を危険覚悟で調達してこなければいけないのだ。
 本当にすごいことですよね。とてもお金ほしさだけでやったなんて思えません。恐らく、このユダヤ人グループのなかに2人の幼い子どもがいたのが良かったのでしょうね。
 ソハは、やってくると、子どもたちに自分の昼めし(パンやソーセージなど)を分けてやっていた。
 やがて、グループのなかにいさかいが起きます。そして一方のグループは、地下水道の暗闇から地上へ出ていくのです。もちろん地上に出たところで全員が殺されます。
 ところが、一人、地上に出て「取引」に成功する仲間もいるものです。ここらあたりが、人間の不思議なところです。地上の町と地下水道を行き来できる仲間もいるのでした。そのうえ、なんと、地下水道で出産する女性までいました。でも、赤ちゃんは無惨にも仲間に殺されてしまいます。その泣き声が困るからです。
なぜ、ポーランド人労働者がユダヤ人グループを1年以上も生命がけで助けたのか。お金だけでは決して説明がつかない。なぜなら、ユダヤ人たちはお金を途中で使い果たしてしまったから。
 ソハは、このとき、生まれて初めて他人から信頼の証を見せられたと感じた。それも、学があり、時代が時代なら、社会的名声もある紳士から、信用のおける人間だと思われた。これには、単なるお金以上の価値があり、それだけで、ヒゲルとその仲間たちが社会の追放者以上の存在に見えてきたのだろう。ソハにとって、ヒゲルとの関係はお金に代えがたい価値があるものだった。うむむ、なるほど、人間って複雑な存在ですよね。
 解放される寸前には、ロシア兵まで地下水道にやってきた。脱走ロシア兵だ。このロシア兵を逃したら、まだ残っているナチスにユダヤ人グループの存在がバレてしまう。ロシア兵を監視した。決して逃すわけにはいかない。
 このように最後の最後まで、地下水道では緊迫した状況が続いていきます。それでも、子ども2人をふくめて11人が助かるのでした。すごい実話です。ほっと胸をなでおろします。そして、ソハはどうなるのか、また、ヒゲルたちは・・・。ぜひ本書を読み、また映画もみてください。
(2012年8月刊。720円+税)

ワンランク上の説得スキル

カテゴリー:司法

著者   小山 斎 、 出版   文芸社  
 著者には申し訳ありませんが、読む前はまったく期待していませんでした。ですから、得意とする飛ばし読みでもしようかと思って読みはじめたのです。ところが案に相違して、これがすこぶる面白く、かつ、実務的にも役立ち、また、反省させられもする本でした。
 著者は大学に入るため肺結核と診断されます。そのとき19歳、母や弟たちを捨てて、大学に向かった。すぐサナトリウムに入らないと死ぬと医者から言われていたのに、なんと長生きしたのでした。
 この本には、説得の見本ないし材料としていろんな本が紹介されています。「走れメロス」もその一つです。教科書に出ていましたよね。さらに、芥川龍之介の「羅生門」が登場します。黒澤明監督の有名な映画にもなった話です。いろんなストーリー展開が矛盾する形で展開します。まさに真相は「薮の中」です。次に、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」です。これは、私はまったく知らない話でした。続いて登場するのは、森鴎外の「高瀬舟」。ここでは、弟を殺してしまったのか、自殺の手助けをしただけなのかが問われています。難しい問いかけです。
 人が相手から受けとる情報は、外見やボディランゲージが55%、声の調子が38%。言葉はわずか7%にすぎない。顔の表情が一番であり、やはり目がものを言う。
 コミュニケーションは、人を動かす力である。相手に共感、納得してもらったうえで、相手に自ら動いてもらう力なのだ。
 聴き方には次の4原則がある。1つ、目を見る。2つ、ほほえむ。3つ、うなずく。4つ、相槌をうつ。聴き方には、3つの方法がある。1つ、受け身で聴く。2つ、答えつつ聴く。3つ、積極的に聴く。 
 人間の脳が一番喜ぶのは、他人とのコミュニケーションである。そのなかでも、目と目が合うことが一番うれしいこと。脳が喜ぶとは、脳の中でドーパミンが放出されること。
 説得するときの6つのマジック。その1、会ってすぐに相手の名前を呼ぶ。その2、聴くとき、話すとき、体を少し乗り出す。その3、ほほ笑む。その4、相手に対して相手に対して気づかいを示す。その5、楽観的に、前向きであること。その6、相手を尊敬する。
 依頼者との打合せが終わるころ、雑談に入って、話の主導権を依頼者に渡す。すると、それまでと反対になって、二人の関係は対等になる。すると、依頼者は笑顔で帰っていく。
説得したい相手が怒っているときは、どうしたらよいか?冷静にふるまい、おどろきの表情も見せない。その怒りの原因がこちらにあるときは、心から、すぐに謝罪する。理不尽な挑発のときには、反発も反撃もせず、冷静さを保つ。そして、相手の立場を知り、相手の視点で、ともに考えて問題を解決したいという姿勢を示す。相手の挑発は、いずれ収まる。コーヒーブレイクをとる。場所を変える。
勉強になりました。著者の若いときのご苦労がしっかり生かされ、教訓化されているところは、さすがだと感嘆しました。
(2012年1月刊。1100円+税)

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