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一揆の原理

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  呉座 勇一 、 出版  洋泉社
寛延2年(1749年)に姫路藩を揺るがした全藩一揆(寛延一揆)では、大阪城代は姫路藩に対して「飛道具(鉄炮)を用いることは無用である」と、鉄炮使用を禁じた。幕府の許可がないと鉄炮は使えなかった。鉄炮を使用するには、事前に幕府の許可が必要という不文律は、やがて制度化される。
 そもそも領内での百姓一揆の発生は「統治の失敗」として幕府から責任を追及される恐れがあるので、藩や代官は一揆を穏便に解散させる必要があった。
 このとき、百姓は農具をもつ権利があると主張した。鎌や鍬は百姓のシンボルである。鎌や鍬を使っても鉄炮や弓矢を使わないことは、自分たちが百姓身分を逸脱していないという幕府や藩に対するアピールだった。
 江戸時代の一揆では、家屋を壊すことはあっても、人を殺すようなことはいけないというのが百姓一揆のルールだった。これに対し、明治の新政府反対一揆では、新政府側の役人が殺されている例が少なくない。新政府反対一揆は特定のテーマにしぼって反対しているのではなく、明治政府の新政策(新政)すべてに反対していた。つまり、新政府そのものを否定しているのである。
江戸時代の百姓一揆にとって、「仁政」を標榜する幕府や藩は交渉可能な相手であった。だからこそ、一揆は幕府権力と正面からの敵対を避けた。そのため非武装だった。
 百姓たちは、自分たちの行動を「一揆」とは決して呼ばなかった。百姓たちは基本的に非武装を貫き、「一揆」すなわち武装蜂起と認定されないように苦心していた。武装しないほうが百姓一揆の成功率は高く、非武装は合理的な作戦だった。
 中世社会では、一揆は社会的に認められていた。だから、一揆を結ぶ者たちは「一揆」を自称していた。
 中世では、百姓だけが一揆を結んでいたわけではなく、武士も僧侶も一揆を結んだ。だから、中世の一揆は多種多様である。中世においては一揆のイメージは決して悪くはない。本人たちが堂々と「一揆」を名乗っている。中世の「一味同心」の背後にいるのは、仏ではなく神である。
 傘(からかさ)連判という円形の署名形式では、首謀者隠しというより署名の順番を分からなくすることに目的があった。つまり、多数の署名者に上下の区別をつけないということ。「一味神水」そして「神水を飲む」意味は何か。焼いて灰にし、その圧を神水に混ぜて飲む。それは、一揆の誓いに違反したときに発生する神罰は、起請文の灰を体内に異変が起きるということ。
 一揆の場における一味神水とは、わきあいあいとした宴会的な共同飲食ではなく、恐怖と緊張にみちた一種の試練だった。
起請文は、神に捧げると同時に人に渡すものであった。
 中世の日本社会は訴訟社会であり、裁判には証拠文書(証文)が不可欠だった。起請文は中世的な「文書主義」の流れに乗って発達した。中世の一揆契状は、一味同心を約束する契約状という一面をもっていた。
 若手学者による大胆な一揆の見直し提起です。大変面白く読み通しました。
(2012年10月刊。1600円+税)

金属が語る 日本史

カテゴリー:日本史(古代史)

著者  斉藤 努 、 出版  古川弘文館
日本の金属貨幣は、7世紀後半の無文銀銭(むもんぎんせん)や富本銭(ふほんせん)に始まる。無文銀銭は、純度95%以上の銀を円盤にしたもので、真ん中に小さな丸い穴が開いている。富本銭は、銅でできているが、ほかにアンチモンという金属も含んでいる。
 皇朝十二銭は銅銭だが、鈍銅ではなく、青銅でできている。その銅山は山口県の長登(ながのぼり)銅山や蔵目喜(ぞうめき)銅山である可能性が高い。
和同開珎(わどうかいちん)の「和銅」は、「日本で初めて」という意味ではなく、「にきあかがね」と読み、製錬しなくても既に金属となっている銅のこと。
 日本刀は、折らず曲がらず、よく切れる。本来は相反する硬さと軟らかさの性質が日本刀という一つの製品の中で共存しているということ。日本刀には、硬い鉄と柔らかい鉄が巧みに組みあわされて作っている。
炭素が多いほど鉄は硬くなる。ここらあたりは、実際に刀匠の働き現場で見せてもらった経験が生きているようです。
刀身製作の最終段階の「焼き入れ」は刀に命を吹き込む瞬間である。これは、刀匠がもっとも神経をつかうドラマティックな工程だ。焼き入れの目的は刃部に焼を入れて硬くすること。焼きの入っている部分を入っていない部分の境界に刃文(はもん)を作ること、刀身に「反(そ)りを入れることの三つ。「反り」は日本刀を特徴づけるものの一つだ。
鉄炮は、炭素濃度0.1%以下の軟鉄で出来ている。日本刀と鉄炮は違う素材で出来ている。鉄炮は、火薬が爆発する衝撃で銃身が割れたりしないように、日本刀のような鋼ではなく、柔らかくて粘り強い軟鉄が使われている。
現代のライフル銃は鉄の丸棒の真ん中にあとから穴を開けて銃身にする。しかし、火縄銃は鉄の板を巻いて筒をつくっていた。
硬貨、日本刀、鉄炮について、改めて、その違いが少し分かりました。
(2012年11月刊。1700円+税)

泰平のしくみ

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  藤田 覚 、 出版  岩波新書
力で押さえつける政治、百姓を虐げる悪代官ばかりでは、270年もの泰平を維持できるわけがない。それはそうですよね。政治の安定と泰平が270年ものあいだ続けたことを説明しようとする本です。
 江戸時代は、民間請負の時代である。それは、年貢の収納から土木・建物工事、さらには物品の調達と売却まで幅広い分野で民間の請負が行われていた。
 年貢の請負とは、村請(むらうけ)制と呼ばれるしくみである。入札とは、投票によって行う意思決定の一つの方式である。江戸時代の村社会では、村役人の選出、悪事をはたらいた犯人の特定(盗賊入札)、善行者、悪業者の選定(善悪入札)などに使われた。
 入札は、中世以来いくつかの局面で利用されてきた意思決定の方式である。
 競争入札による請負工事が、幕府発注の土木・建築工事のありふれたやり方だった。一見すると合理的で公平に見える競争入札だが、担当役人と業者の贈収賄が横行して政治問題化した。入札による受注を目ざして業者は事業を担当する役人との接触をはかり、ワイロを送って有利な立場に立とうとし、幕府役人は収賄により私腹を肥やす。
あらゆることが競争入札によって行われたのは奉行が賄賂を手にしたいためだった。競争入札による工事を担当した奉行で、1000両を懐にしない者はいない。その結果、100両もかからない工事が、1万両もかかってしまい、それこそ幕府財政が元禄期に破綻した理由である。新井白石は、『折りたく紫の記』でこのように論じた。
請負工事の発注を担当する役人も、利益の配分を受ける手はずになっているので、この入札のカラクリを知っているのに知らないふりをしている。大変に分かりやすい官製談合である。
江戸時代、幕府の行政機関や裁判機関へ人々が訴え出る行為には、少なくとも2種類あった。訴願と訴訟である。訴願は、訴えや願いを行政機関に申し出ることで、現代の陳情に近い。訴訟は、裁判機関に訴え出ることで、現代と変わらない。
そもそも、訴願と訴訟の区別があまり明確ではなかった。江戸時代の行政機関と裁判機関が未分化で、裁判は行政の一部に組み込まれていたことによる。
江戸時代の裁判は長い時間がかかった。幕府は100日以内の決着をかかげていたが、それに必要なお金と時間も考えて内済(示談)にする決着が普及した。
江戸にあった町奉行所はわずか150人の与力、同心で50~60万人の住民を管轄し行政を行っていた。
 江戸時代の行政のあり方を実証的に考えた本です。市民セミナーでの話をもとにしているためか、とても理解しやすい本でした。
(2012年4月刊。2800円+税)

「橋下維新」は3年で終わる

カテゴリー:社会

著者  川上 和久 、 出版  宝島社新書
先の総選挙のとき、マスコミが「第三局」そして「橋下維新」を天まで高く持ち上げるのは異常でした。視聴率さえ取れれば、現実社会がどうなろうとかまわないという軽率さに、多くの国民が振りまわされてしまいました。
 この本は、「橋下維新」はナポレオンやヒトラーと同じ危険をもっているとしています。なるほど、と思わせる内容でした。
 世論は、熟慮なしに「邪悪な意図」に操られると、方向を誤る凶器になる。社会への不満、不安と、それを解決できない統治システムがあるとき、必然的にそれを解決しようとする、強烈な上昇志向と権力欲を持った政治リーダーが登場する。
 橋下徹は、メディアの眼前で、分かりやすい「敵」を設定し、テレビカメラの前で攻撃する。「対立構造を作らないと、メディアに分かってもらえない」と言う。それは相手を説得するというよりも、激しく戦っている姿をメディアを通じて印象づけ、大阪市民の支持を得た。
 橋下徹の「敵」を際立てる手腕は見事だ。歯切れのよい弁舌で、テレビなどでニュースとして取り上げられるようにアピールし、「敵」に悪のレッテルを貼ったうえで、容赦なく叩いていく。潜在的な市民のもつ「敵意」を橋下徹は巧みに利用している。
 私(橋下)の役割は、街頭で無党派をつかむこと。
有権者の感情に訴えるときには、政策は言わない。相手を批判するときも、「繰り返し」で、自らの「怒り」を強調し、自分がいかに相手に対して憤懣やるかたない思いであるかを受け手に強く印象づける。
ナポレオンも、メディアのコントロールには十分な注意を払った。警察に世論を監視させ、「郵便物検閲室」で手紙の内容を調べさせた。このほか、1810年の法令で、一県につき1つの新聞、パリには4つの新聞紙か存続を許さなかった。だから、すべての新聞が「体制派の新聞」になった。
同じ「一県一紙政策」は、戦前の日本でも行われた。いつまでも多くの道府県に有力な一つの地方新聞があるのは、その名残で全国紙を凌駕して圧倒的な講読率を誇っている地方新聞も少なくない。
テレビの長時間視聴層の多くが自民党を支持している。これは、テレビの操作が国民を操作することに直結していることを意味していますよね。
 今の日本で一番重要なのは独裁。独裁と言われるくらいの強い力だ。
 こんな橋下徹を「弱者」が強く支持しているというのは、まったくの矛盾ですよね。はやいとこ、「橋下維新」への幻想から目を覚ましたいものです。
(2012年10月刊。743円+税)

かつての超大国アメリカ

カテゴリー:アメリカ

著者  トーマス・フリードマンほか 、 出版  日本経済新聞出版社
いまやアメリカの全盛期は去り、中国の全盛期に取って代わられた。アメリカ人の多くがそう思っている。
 アメリカ人の切迫感は、アメリカの政治体制が、最大の難問と取り組むどころか、きちんと組み立てられてもいないという事実から生じている。
 現在、MITの工学部の教授団375人の4割は外国生まれだ。
 アメリカでは、破産にそんなにひどい汚名は伴わない。しかし、だれも破産を奨励してはいない。破産すると、数年間は与信に汚名がつくが、そのうちにそれも消える。簡単に破産できる分、簡単にやり直せる仕組みになっている。
 シリコンバレーの起業家たちは、なにかに挑戦して失敗し、破産を申告して、また挑戦し、それを何度もくり返し、やがて成功して金持ちになる。
アメリカ人には、政府は経済で積極的な役割を果たすことができないという誤った考えがある。これは危険だ。
 法律事務所で最初に解雇される弁護士は、信用バブルと住宅バブルの最中に仕事が急増したときに就職し、仕事をやり、やり終えると仕事がなくなった連中だ。
 いまも仕事があるのは、新しいテクノロジーや新しいプロセスを使って従来の仕事をもっと効率的にやる新しいやり方を見つけたり、これまでは存在しなかった仕事を考案し、新たなやり方でやったりしている弁護士だ。法律事務所も、あらゆる面でもっとクリエイティブかつ柔軟になる必要がある。
 アメリカの富裕層の上位1%が国民の年間収入の4分の1を手にしている。これを資産でみると、上位1%が全体の40%を支配している。25年前は、それぞれ12%と33%だった。
 その間、上位1%は10年間に18%収入増となったが、ミドルクラスの収入は逆に減少している。
 現在の富裕層は社会一丸となった行動の恩恵を必要としていない。自分たちの公園がある。自分たちだけのカントリークラブがある。自分たちの私立学校があり、公立学校に通う必要はない。自家用ジェット機や運転手付き自家用車など、自分たちの輸送システムがあるから、公共交通が老朽化しても平気だ。
 なーるほど、それで大金持ちは社会全体の福祉向上に関心がないのですね。それでも、一歩外に出たら多発する犯罪にビクビクしなくてはいけないと思うのですが・・・。
 民主党も共和党も、それぞれ中道派が消滅した。この2党は、互いをますます敵視し、相手の「皆殺し」を図っている。
 つい先日も、アメリカの小学校で痛ましい大量殺人事件が起きましたが、銃規制が進まないアメリカを見ると、いったいこの国はまともな国かと疑います。ましてや、全教員に銃を携帯させて教壇に立たせたらどうかという意見が出ているというのですから、アメリカは狂っているとしか思えません。
 それもこれも、殺し、殺されるのが昔からあたりまえという国だからなのでしょうね。ベトナム戦争、そしてイラク、アフガニスタンと戦後ずっと侵略戦争を仕掛けてきた国は、アメリカ国内の社会と人心を荒廃させてしまったのでしょう。
 そんなアメリカに盲従してきた日本政府も同じレベルだというのが悲しいところです。
 この本に、アメリカのしてきた侵略の歴史についての反省が見あたらないのが残念に思いました。
(2012年9月刊。2400円+税)

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