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ルポ・子どもの貧困連鎖

カテゴリー:社会

著者  保坂渉・池谷孝司 、 出版  光文社
日本の子どもたちが、今、大切にされていないことが明らかにされています。安倍政権は教育改革と言っていますが、ここにこそ光をあてるべきだと思います。でも、やっていること、やろうとしていることは差別の拡大です。残念です。
文科省によると、高校の奨学金受給者は2007年度に15万2000人だったのが、2009年度は予算ベースで17万2000人に増えた。
 不況で大都市圏を中心に定時制受験者が急増し、多数の不合格者が出ている。希望すれば入れるのが定時制だったのに、学校が統廃合で減った。定員を増やし、門戸を開いてほしい。学びの最後のセーフティーネットがほろび始めている。
 文科省によると、定時制高校は1997年度に907校だったのが、2009年度は732校に減った。ところが、不況とともに新卒の志願者は増え、1997年度の2万367人から2009年度は3万989人になった。
 この数年、不況の深刻化で全日制の公立高校を落ちても経済的な事情で私立高に進めず、定時制の公立高を志望する生徒が激増している。定員を増やしても受験で不合格者が出て問題化するほどになった。
 困窮している高校生のなかには定期代や教科書にも事欠く子が大勢いる。公立高の授業料が無償になったとはいえ、私費負担はまだ大きい。途中でやめる子も多い。高校の実質的な無償化が必要である。
 教員がなぜこんなに疲れているかというと、ありとあらゆることが指導の対象だから。日本では、「○○指導」と言えば、何でも教員の守備範囲とみなされる。清掃指導、給食指導、下校指導、校外指導、みな教員がやらなければならない。それが、一番根幹のはずの授業に割ける時間、エネルギーを奪っている。担い過ぎているものを代わりに担当する人を付けていく必要がある。部活の指導者や図書館司書もちゃんと手配する細かい対処が必要である。しかし、政府は、手厚い公教育の提供をサボってきた。
 もっと国が教育に費用を投入する必要がある。所得税の累進制を大きくしたり、相続税を大幅にアップしたりして、富裕層からの再分配を拡充すべきだ。
 1955年に廃止された失業対策事業をリニューアルして、もう一度やるべきだ。仕事を探しても全然ないとき、高い賃金ではないけれど、ここに来たら当座の働き口はあるという場を公的につくる必要がある。
 これについては、私も大賛成です。働ける人は、みんな働きたいのです。
問題のある子どもや家庭を支援していく教育ケア会議の対象となる子どもの6割が生活保護世帯、一人親家庭も入れると7割になる。
虐待ケースでは身体的な虐待にいく前のネグレクトで発見できる比率が高い。野宿している若者は、母子家庭と虐待が多い。母子家庭で生活保護を受けていて帰れないとか、暴力がひどくて家には死んでも帰れないと言う。親を頼れない若者が、どんどん貧困、野宿になっている。
一人親家族や非正規雇用の家庭・虐待家庭が増えていることに学校も苦労している。そうした子どもたちの多くは、社会のスタートラインから不利な立場に置かれる。学校の保健室は子どもたちの駆け込み寺のような存在だ。
学校によっては、7割の子が虫歯で4割は死力が低下している。お金がないので歯医者に行けず、眼鏡を買えないという家庭が少なくない。
 保健室を利用する小学生は2006年度には一校あたり1日41人で、これは2001年度より5人も増えている。相談内容のうち、心の悩みが41%にのぼる(9%増)。うつ病やそううつ病など、「気分障害」の患者は1999年に44万人だったが、2008年には104万人、2.4倍に急増した。
 一時保護は、児童相談所が虐待や非行などで緊急に収容の必要のある子どもや、養育者のいない子どもを保護する制度。対象は18歳未満で、全国に125ヶ所ある一時保護所に2ヵ月内をめどに入所させる。2008年度の受付件数は2万件ほど。
 かつては日本の子どもほど親に愛され、大切にされている子どもはいない、このように絶賛されていましたが、今では悲惨な状況に置かれているのですね。
 安倍首相の教育改革は、こんな実情に目をふさいで、国のいいなりになる強い子どもを育成しようというものです。とんでもない改革ですよね。
(2012年8月刊。1600円+税)

アリの巣をめぐる冒険

カテゴリー:生物

著者  丸山 宗利 、 出版  東海大学出版会
アリに限らず、昆虫を調べている学者の語る物語です。
甲虫目は、あらゆる陸上の動物のなかで最大の種数を誇る分類群で、世界に37万もの種が知られている。その大部分は5ミリメートル以下の小型種。
 昆虫のなかでも、とりわけ甲虫が大きな繁栄をとげている理由の一つに小型化がある。甲虫のもっとも重要な、特徴は、前翅を甲羅のように硬くし、後翅と腹部をおおったこと。この特徴は、水分の奪われやすい乾燥した場所や病原菌に感染しやすい加湿な場所でも体の小型化を可能にした。硬くて小さな体は、石の下や朽ち木の隙間などの隠蔽的な場所を中心に、さまざまな環境への適応を可能にし、それが現在の甲虫の繁栄につながっている。
 甲虫学者にとって作図も大切だ。手先の技術という点で、解剖の次に重要なのは作図、絵描きだ。分類学では、写真技術の発達した今なお絵描きの方が有用な手段である。その一番の利点は、利用者にとって重要な部分のみを絵に示し、また強調できること。写真では形を理解することができないことがある。まさに図は命である。百聞は一見に如かずというように、長い文章による種の区別の説明よりも、わかりやすい図が一枚あるほうが、ずっと役に立つ。なーるほど、たしかに写真だと分かりにくいことがありますよね。
 ずっと顕微鏡をのぞいていて目を悪くし、果ては片目を失明してしまった昆虫学者もいた。学者って、本当に大変なんですよね。
 ヒメサスライアリは、アリを専門に食べるアリ。ほかのアリの巣を襲って、成虫や幼虫を狩って食べる。2~5ミリの小さなアリだが、毒針をつかって、自分よりはるかに大きなアリを仕留める。そして、ヒメサスライアリは軍隊アリの仲間でもある。
 グンタイアリは、膨大な数の働きアリから成り、兵アリの顎は湾曲し、女王は巨大である。
 グンタイアリの太い行列の先は団扇のように広がり、数メートル四方がアリで埋まる。絨毯攻撃はすごい。バッタやコオロギ、ゴキブリが飛び出す。捕らえられたバッタはすぐに脚をもがれ、バラバラになってアリに運ばれる。
ヒメサスライアリは、引っ越しを見つけてから、その終了を観察するまで丸々3日かかった。おそらく100万頭以上の規模だ。
昆虫の世界も底が深いこと、学者家業も楽ではないことがよく伝わってくる本でした。
(2012年9月刊。2000円+税)

紫陽花、愛の事件簿

カテゴリー:司法

著者  渡部 照子 、 出版  花伝社
じっくり読ませる本です。実際にあったケースを小説風に描き出していて、なるほどそういうことあるよな、そうなんだよなと思わせるストーリーになっています。
著者は私もよく知っている東京の弁護士です。熊本生まれとははじめて知りました(いえ、前に聞いたことがあるのかもしれませんが・・・)。
一度だけの不倫で生まれた子。それを疑いつつも我が子として育ててきた父親。子どもが大きくなって、いよいよ耐えかねて家出したのは父親だった。
果たして、家庭は崩壊してしまうのか・・・。血のつながりが大切なのか、家族の団らんの体験を大切にするのか、選択が迫られます。
 エリート医者が結婚相手に選ぶ女性はやはりエリート家系なのか、それとも「馬鹿な女」を選ぶのか。人は何のために結婚するのか・・・。
 私の近所にも高齢の女性が一人で暮らしています。いつも元気に出かけていますが、認知症になったとき、身内が財産目当てで近づいてきたら、どうなるのか・・・。
身内の成年後見人が解任されて弁護士が成年後見人に就任し、前任者の不正を暴きはじめます。しかし、結局、その身内も相続人の一人。本人が死んだとき、「不正」額を精算することになります。
誰にだって老後は来ます。そのとき、誰が本当に頼りになるのか心配ですよね。成年後見制度も悪用されたら大変なことになります。
 7つの短篇が、それぞれの人生の断片を、優しく、鋭く、えぐりとっていて考えさせられる内容の本になっています。ご一読をおすすめします。
(2012年7月刊。1200円+税)

幕末維新変革史(下)

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  宮地 正人 、 出版  岩波新書
幕末、ハリスは老中首座の堀田正睦(まさよし)に次のように警告した。
 「平和の外交使節に対して拒否したものを艦隊に対して屈服的に譲歩することは、日本の全国民の眼前に政府の威信を失墜し、その力を実際に弱めることになる」
 これは、9ヵ月後、現実に転化した。第二次アヘン戦争に大勝した英仏連合艦隊の江戸湾来襲の恐怖は、何とか回避しようとした公武合体の分裂を幕府と井伊大老に余儀なくさせ、無勅許開港路線の軌道に進入せざるをえなくさせた。外を立てれば、内は立たず。征夷大将軍は国内のみならず対外的にもその実を示さないならば、何が「武職」だとの孝明天皇と朝廷の怒りはサムライと民衆の不満の期せざる受け皿となった。
 慶応元年(1865年)ころ、日本の一般民衆は、薩英戦争・下関戦争・条約勅許という三度の欧米列強による軍事的威圧への屈従のなかで、幕府と朝廷への不信感を募らせていき、国内の一致団結、内戦回避を求め、正義藩長州へ熱烈な声援と支持をおくった。このころ、朝廷に権威はなくなった。第二次長州征伐の慶応2年(1866年)夏は、未曾有の都市打毀しとし世直し一揆のときであった。戦争と民衆蜂起は表裏一体の関係をもっていた。
 ペリーが来航したとき、旗本だけで5000家以上あった幕臣のなかでオランダ語原書を読めたのは、ほとんど皆無だった。そのなかに自らすすんで蘭学を学ぼうとしたのが勝麟太郎であった。勝の能力と見識を見抜いたのは上役ではなく、商人たちであった。商人は勝のパトロンとなった。
 勝は、商人たちとの交流のなかで日本の全国的まとまり、日本民族と民族的利害というのを、幕府とは別のものとして認識するようになった。勝は長崎での5年におよぶ海軍修練のなかで、オランダ語ができるおかげで教師のオランダ海軍士官たちと差しで人間的につきあうことができ、そのなかで市民革命を経て市民社会に生活するヨーロッパ人の人間としての豊かさと幅の広さを痛感した。「西洋人は人間が広く、日本人は人間が狭い」という日本人論は死ぬまで変わらなかった。そのうえ、勝は、島津斉彬と親交し、それが貴重な財産となった。
 アヘン戦争(1840~1842年)における大清帝国の大敗と香港割譲は、朱子学に対する日本知識人の確信を大きく動揺させた。しかも、仏教の祖国、西方浄土の地とされたインド全域がイギリスの植民地となってしまったことも、この時期までに日本人の共有知識となっていた。
 軍事的威圧を受けての無勅許開港という異常な歴史段階に入った日本において、朝廷と幕府のどちらが国家の最終意思を決定するのか、という国家論の問題が日本人全体の前につき出された。サムライ階級だけの問題にとどまらなくなったのである。
 ガーン。このような視点で幕末を考えるべきなのですね。著者は、歴史過程は決して結果から見てはならないと強調しています。そうなんですよね。でも、ついつい結果から見てしまいますよね・・・。
 幕末の戊辰戦争のなかで会津藩とともに徹底抗戦を貫き、一度の敗北もしないまま最後に降伏した庄内藩は、まったく削封のないまま東北戦争後の戦後処理を乗り切った。戦闘に強いことは、なによりも戦う相手の将兵に感銘を与え賞賛の気持ちを生じさせる。恩義の念をいだいた庄内士族のなかに西郷崇拝者が続出したことも、サムライの世界にあっては何ら不思議なことではない。
 新政権の成立とともに攘夷がおこなわれるだろうとの圧倒的多数の日本人の思いを前提条件として外交の舵取りをしなければならない立場の新政権は、なによりも旧幕府と同じだ、という非難を恐れた。
 江戸無血開城後は新政権のもとで全国統治ができるだろうという新政府の楽観的見通しは、早くも4月段階で崩れてしまった。東北に至る地方で内戦が拡大し、内戦での勝利が至上命題とならざるをえず、積極的な外交展開が不可能となった。外交の試みが開戦されるのは、12月に入ってからであった。
 幕末・維新期の日本の動きを重層的にとらえた本です。この時期の視野を広く深くするものとして、関心ある人に一読をおすすめします。
(2012年10月刊。3200円+税)

江戸の読書会

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  前田 勉 、 出版  平凡社
日本人は本を読むとき、明治時代初期までは声に出して読む(音読)が普通だったそうです。ですから、江戸次第も当然のことながら音読です。
 そして、それを何人かで集まってやり、手分けしてその意味を質疑・討論するのでした。これを会読といいます。この本は、その会読の意義を究明しています。
 会読は、定期的に集まって、複数の参加者があらかじめ決めておいた一冊のテキストを、討論しながら読みあう共同読書の方法であって、江戸時代に全国各地の藩校や私塾などで広く行われていた、ごく一般的なものだった。
 会読は、上から下への一方的な教授方法ではなく、基本的には生徒たちが対等の立場で、相互に討論しながらテキストを読みあうもの。そこでは先生は生徒たちの討論を見守り、判定する第三者的な立場にいることが通例だった。
 明治の自由民権運動の時代は、「学習熱の時代」であった。政治的なテーマを議論・討論する学習結社が、全国各地に生まれた。
江戸時代、儒学を学んでも、何の物質的利益もあるわけではなかった。しかし、逆説的だが、だからこそ、純粋に朱子学や陽明学を学び、聖人を目ざした。
漢学塾での読書会読においては、上士も下士もなく、勝負して勝ち負けがはっきりする。
 会読には三つの原理があった。相互コミュニケーション性、対等性、結社性というもの。会読の場では、沈黙せずに、口を開いて討論することが勧められていた。そして、討論においては、参加者の貴賤尊卑の別なく、平等な関係のもとですすめられた(対等性)。
 幕末の佐賀藩が江藤新平、大隈重信、副島種臣、久米邦武などの優秀な藩士を生み出すことができたのは、英明な藩主・鍋島閑叟のもと、藩校弘道館で全国諸藩のなかでもっとも激しい会読において競争させたことに起因する。藩校での成績の悪いものには職が与えられないほどの厳しさだった。
日田で広瀬淡窓が創設した咸宜園では、会読が教育の中心におかれ、徹底した実力主義をとった。
広瀬淡窓は、三奪法と月旦表を創案した。三奪法とは入門時に、年齢、学歴、門地をいったん白紙に戻すこと。咸宜園の入門者2915人のうち、武士が165人(16%)、僧侶は983人(34%)、庶民は1707人(61%)で、圧倒的に町人・百姓の出身が多い。
 江戸の後期になると、各藩で優秀な藩士を遊学させるようになる。各藩の藩校は自藩の藩士しか入学を許していなかったので、遊学先のほとんどは私塾だった。19世紀に入ると、武士たちは、藩士教育機関である藩校に強制的に入学させられ、会読を行うようになった。そして、各地の藩校で、国政を論ずることの禁止令が頻発した。
やっぱり、人は議論することによって目覚め、実力を伸ばすものですよね。 
(2012年10月刊。3200円+税)

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