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暮らしのイギリス史

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  ルーシー・ワースリー 、 出版  NTT出版
イギリスにはまだ行ったことがありません。大英博物館には、ぜひ行ってみたいのですが・・・。
 かつて寝室は雑魚寝(ざこね)状態でやすむ、半ば他人との公共の場であった。睡眠とセックスだけに特化するようになったのは、たかだか19世紀になってからにすぎない。同じように、浴室も19世紀末まで、独立した部屋として存在すらしなかった。
 その昔、人生最大の悩みと言えば腹を満たせるものがあるか、あたたかい寝床で眠れるか、結局、この二つの問題に尽きていた。
 何百年にもわたり、国王や貴族は寝室では肌着姿で通した。下着姿の王は、召使の注視に慣れる必要があった。もともと下着は、あえて人目を意識して、垣間見せるようにもできていた。
 王の衣服を暖炉の前で温め、王が袖を通すまで暖かい状態に保っておくのは、信頼あつく地位の高い召使のみに任された仕事だった。
 女王は、他人の助力なしに服を着ることができなかった。中世の騎士は、下着としてのパンツを着用しなかった。チューダー朝の宮廷人は、下剤を偏愛していた。
中世は男性が不能になれば、離婚もやむなしという時代だった。国王や貴族の子づくりは、国事行為に似て、きわめて重要であり、半ば公的性格も帯びていた。
公共浴場は男女「混浴」であり、中世の人々は、大挙して同時に入浴していた。ひとりで入浴する習慣はなかった。
 16世紀になると、浴場の評判はかげり出し、浴場という言葉は売春宿と同義になっていた。そして、18世紀になって入浴は徐々に復活してきた。
18世紀まで、歯医者という職業はこの世に存在しなかった。チューダー朝の理髪師は外科医を兼ね、散髪、抜歯そして手足切断まで行っていた。
 王が臣下とはいえ人前で用足しをするものだから、貴族も人前で何らはばかることなく用を足した。
 17世紀になると、豪邸・宮廷には水洗便所が四方八方に設けられていた。チューダー朝からスチュアート朝を通じて、イギリス人口の30%が人生の一時期に召使として働いていた。召使として働くことは何ら恥ずべきことではなかった。主人との縁故は、社会的特権をうみ出し、生活の庇護にもつながった。主人と召使は生活全般にわたって文字どおり一体であり、中世の居間では寝食を共にするのが常態だった。
 結婚は万人の義務だった。17世紀末、イギリスは結婚を通じて国家財政を潤すため、婚姻税が導入された。
 中世の農民は、鹿などの狩猟を法律で禁じられていた。こうした動物は、地主や王侯貴族の楽しみのためにとっておかれた。農夫にとって、牛や羊肉などの赤身の肉は夢でもおがむことのできない贅沢品だった。
 果物は、生野菜と同じく、卑賤な食べ物と考えられていた。
 中世イギリスの人々の生活の実態を教えてくれる本です。意外なこともたくさんありました。
(2013年1月刊。3600円+税)

続・日曜日の歴史学

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  山本 博文 、 出版  東京堂出版
みみずがのたくっているとしか思えないのが古文書です。それがすらすら読めたら、どんなに楽しいことかと思います。真面目に古文書学を勉強したら、少しは私でも読めるようになるのでしょうが、とてもそんな時間はありません。古文書も読みたいけれど、海外旅行もしてみたい私には、やっぱりフランス語のほうで、もう少し引き続きがんばることにします。
 そんなわけで、古文書の現物(もちろん、そのコピー)を見て、なんと書いてあるのか、そして、それはどんな意味なのかを解説してくれる本は、なんとしても読みたいのです。
 この本は、その期待に背きません。しかも、登場人物は、信長、光秀、秀吉そして家康というのですから、文句のつけようもありません。
 古文書は、「こもんじょ」と読む。
浅井長政が信長に改められ滅亡する寸前の感状が残っています。すごい感謝状です。浅井が組んだ朝倉義景の拠点であった越前の一乗谷(いちじょうだに)の発掘跡に行ったことがあります。戦国時代を偲ぶことのできる貴重な遺跡です。
織田信長の発給した文書も興味深いものがあります。現物のコピーがイメージをふくらませてくれます。信長は天下をとる前、そして天下を取ったあと、文書の内容と形式を変えていることがよく分かります。
 たとえば、仙台の伊達輝宗あての信長の朱印状では、宛所から「謹上」がなくなり、「伊達」が位置が低くなっている。これは、信長の立場が上がって、尊大になっていることを意味している。
 ついに天下人になった信長は、長年の宿老である佐久間信盛父子を追放します。その「折檻状」は有名です。信盛が信長に口答えしたことが許せなかったようです。こんな家臣を置いてはおけないと信長は決断したのでしょう。
著者は、「明智光秀軍法」については、偽書だとしています。江戸時代の軍役例にならっていることが偽書説の根拠となっています。
 著者は、光秀のバック(黒幕)に将軍義昭がいたとは思っていません。光秀は、あくまで単独で信長殺害を決意した、としています。
 そして、なんと、光秀は、このとき67歳だったというのです。「老後の思い出に・・・思い切った」という言葉が記録されていること。信じられませんでした。光秀は、自分の身に危機が迫っていること、それならそれを逆手(さかて)にとって、老後の思い出に一夜でも天下を取りたいと思った、ということです。うむむ、そういうこともあるのでしょうか・・・。
光秀の発給文書についても紹介されています。
 秀頼が秀吉の実の子ではないという説を前に紹介しました(服部英男、『河原の者・非人・秀吉』山川出版社)が、著者はそれは単なる噂か、憶測でしかないとして、排斥しています。いったい、どうなんでしょうか。歴史の謎は深まるばかりです。
(2013年4月刊。1600円+税)

日本人の地獄と極楽

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  五来 重 、 出版  吉川弘文館
20年前に刊行された本の新刊本です。著者は亡くなられています。「ごらい・しげる」と読みます。昔の学者の博識には驚かされます。東京帝大の印度哲学科卒業です。全12巻の著作集がある本格派です。
 大和の三輪(みわ)山は万葉の歌にうたわれる秀麗な山容で知られ、神体山という信仰がある。しかし、江戸時代は「おしろ谷」と記録される風葬の谷、つまり地獄谷だった。
 風葬の谷と推定される地獄谷を「阿古谷」(あこだに)または「阿古屋」(あこや)と呼んだ。地獄谷のなかで、規模も大きく古代からよく知られていたのが、越中立山の地獄だった。
 大峯山(金峯山)に入峯することは、いったん死ぬことであり、山中遍歴は死後の山の遍歴であって、その苦痛によって、それまでに犯した罪穢をすっかり浄化、滅罪してしまう。そうすると、成仏することもできるし、極楽浄土へ往生することもできる。これが山岳宗教の基礎理念だった。
 一般人(新客)は、罪穢の浄化・滅罪によって健康になり、長寿が得られ、災をまぬがれることができる。
日本人の死後観には地獄と極楽の未分化の期間があって、それを「中有」(ちゅうゆう)と呼び、49日間は魂は「屋の棟(むね)を離れない」などと言う。
 日本人の他界観は、地獄と極楽は地続きで、隣り合わせである。これは仏教の教典と根本的に相違する。村や町の墓地がもっとも眺望のよい高燥の地にあるのは、身近な浄土の機能の一部を墓地がもっているためである。谷は地獄谷となり、山は浄化山となって、罪の浄化のすまない霊は地獄谷におり、供養によって滅罪・浄化された霊は山上の浄土に上ると信じられた。日本人は罪には重量があると信じたようで、霊は罪のために谷や地獄に沈淪(ちんりん)しているが、それが軽くなるにしたがって高いところに「浮かぶ」ことができる。その浮かんだところが光明にみちた高天原や霊山の頂点で、そこが仏教的には極楽だった。
 キリスト教では、天国こそ現実性をもった理想の世界だったが、日本人にとっては地獄こそ現実性をもった恐るべき世界だった。
 日本人の地獄観のもっとも大きな特色は、地獄巡りと地獄破りがあること。地獄破りという不遜な物語があるのは、地獄を必ずしも不可避的な律法と考えなかった人間主義のあらわれだろう。
 お盆は地獄の連休である。亡者がどんどん婆婆へ帰っていく。
民間神楽(かぐら)の大部分は、かつての山伏神楽であって、修験道から出たものだということが最近になって、わかってきた。
 童話や絵本で「おむすびころりん」と呼ばれているものは、地下は地獄だということ。この昔話は、日本人の地獄が浄土と同列に意識されていたことを示す。そこには、地蔵に表象された祖霊がいて、心正しい慈悲深い子孫には福を与えて婆婆へ送り返す。しかし、罪深く、穢の多いものは、その業火で仮借(かしゃく)なしに攻め苛(さいな)む。
 日本人として知っておくべきことが盛り沢山の本でした。
(2013年5月刊。2100円+税)

ヴェルサイユの女たち

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  アラン・バラトン 、 出版  原書房
ヴェルサイユ宮殿には2回行ったことがあります。もう20年も前のことです。電車を降りて歩いていくと、平地の向こうに大宮殿らしきものが見えます。ともかく広大な宮殿です。鏡の間などを見学したあと、広い庭に出て、それからずっと右奥のほうにあるプチ・トリアノンにまわりました。マリー・アントワネットが農村ごっこをしたという場所です。
 この本では、ヴェルサイユ宮殿で活躍した女性たちが主役です。
ヴェルサイユの利点は、パリからブルターニュに抜ける最初の拠点だった。未開発でじめじめした沼地が多かった。そして、野生動物が豊で、狩りにうってつけだった。
 パリの中心地からヴェルサイユまでは、わずか20キロしか離れていないが、都とは別世界が広がっていた。当時、ヴェルサイユに行くのは、ちょっとした旅行だった。
 ルイ13世の幼少期は幸せとは言い難かった。9歳のときに王位を継いだが、母のマリー・ド・メディシスは摂政として、「身体的にも精神的にも弱すぎる」との烙印を押して、政権から遠ざけた。
当時のフランスでは、修道院に入らない大人の女性が独身でいるのは、非常に珍しいことだった。
 ルイ14世は、道路を整備して、パリとヴェルサイユ間を6時間で行けるほどに近代的な道にした。
 当時は、太っていることは健康の印、やせているのは貧乏人の印だった。
 この当時、男性を夢中にさせるのには、ふくらはぎをちらっと見せるだけで足りた。女性は胸であわば惜しげなく乳首近くまで見せたが、足は夫か愛人にしか見せなかった。乳首を両方とも見せるのは、売春婦だった。
王とベッドを共にすることは、どんな結婚よりもその後の安定した生活を保証してくれた。王の肝入りで、そっと資産家に嫁いだ例も珍しくはない。だから、上陸階級は率先して体を売る商売に励んだ。ルイ14世の治世は、この商売を花開かせた。宮殿を囲む森は、さながら野外の売春宿の風を呈していた。
 ヴェルサイユ宮殿には、ふたつの空間がある。式典のための広間や「鏡の間」のような絢爛豪華な外向きの空間と、もうひとつ、実際にはだれも知らない、迷宮のような私的な空間だ。
 ポンパドール夫人は20年以上にわたってルイ15世の宮廷に君臨し続けた。その秘密は、王を満足させるためならどんな犠牲も払ったからだ。うつ気質のルイ15世をリラックスさせるため、小部屋の劇場で演劇を催し、自ら舞台に上がって見事に役を演じ、歌劇を演出し、バレエやコンサートも企画した。
 ポンパドール夫人が亡くなったとき、残されたのは涙にくれる王と空っぽの金庫だった。プチ・トリアノンはポンパドール夫人の希望でつくられたが、彼女が感性を見ずに他界してしまったため、そのままになっていた。
 庭師として、ヴェルサイユを知り尽くしている著者による、宮廷で活躍した女性の話でした。
(2013年3月刊。2600円+税)

立花隆の書棚

カテゴリー:社会

著者  立花 隆・薈田 純一 、 出版  中央公論新社
640頁という分厚い本です。立花隆という著名な評論家の書棚を隅から隅まで、写真で再現しています。
 私も自分の本棚を撮ってブログで公開していますが、書棚を写真で撮るというのは意外に難しいことなのです。ピントあわせが容易ではありません。私の場合は子ども部屋を書庫として、本棚の間隔を詰めてしまったので、なおさらです。
 そこをプロのカメラマンが克服しています。一棚一棚、カメラを移動させてギリギリのピントあわせをしてとった写真を、あとで一枚の写真に合成します。合成はコンピューターによる精密な面合わせでやっているから、接続部分は分かりません。
 1棚に10冊として、1万回はシャッターが切られた。だから、少なくとも10万冊。ひょっとして20万冊の本・・・。私の家には2万冊ほどでしょうか・・・。
 本は捨てません。雑誌類はかなり処分してしまいました。大学受験のときにお世話になった教科書と参考書まで保存しています。司法試験のときのダットサンなどの基本書ももちろん残しています。捨てるなんて、とんでもありません。それらは私そのもの、私の分身たち、なのですから・・・。
 それらの本の背中を見ただけで自分がその本を買って読んだ時期の思い出が、次々によみかえってくる。そのころ、何を考え、何に悩み、何を喜びとしていたのか、本の姿とともによみがえってくる。自分の怒りや苦悩が、本とともにあったことを思い出す。まったく同感です。本なしの人生なんて考えられもしません。
本の行方不明事件が起きるのは、しばしば。その本の所在を探しているうちに、思いがけない本の発見、再発見がある。それがまた、愛書家にとっては楽しみとなる。
 本当にそうなんです。背表紙をながめていて、ふと気になって手にとり、ぱらぱらとめくっていくうちに引きこまれてしまうこともよくあります。それがまた、至福のひとときなのです。
 大学生の学力、能力は、そのまま国の体力に直結する。大学生の学力が低下しているということは、日本の国力も低下していることを意味している。しかし、大学というのは、自分で学ぶところである。
 田中角栄、永田洋子(連合赤軍事件)、河合栄治郎。この3人は日本の3大バセドウ病患者だ。知りませんでした・・・。
 書棚に本を並べるのは、実のところ容易なことではない。なるべく同じテーマのものは集中して並べたいのだけれど、本の形、大きさは千差万別だ。新書と文庫、フツーの本、そして写真集のような大型本がある。だから、同じテーマのものが、あちこちに分散してしまう。本当に、そうなんですよね。本を並べるのも大変なのです。
 レーザー光線をあてている時間に「フェムト秒」というものがあることを知りました。千兆分の1秒という短さ。これほど短い時間なので、破壊現象は起きない。これは、人間の感覚能力をこえている。痛みも感じない。瞬間的に過ぎ過ぎたあとの結果を知るだけ。
 知への刺激を大いに受けました。
(2013年4月刊。3000円+税)

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