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隣人が殺人者に変わる時

カテゴリー:アフリカ

著者  ジャン・ハッツフェルド 、 出版  かもがわ出版
1994年4月から6月、雨季のころ、多数派のフツ族が少数派のツチ族をわずか3ヶ月間で80万人も虐殺した。それまで隣人として暮らしていたフツたちが、突如として、手になた(マチェーテ)を握り、残忍な方法でツチたちを殺していった。
 ルワンダの人口は当時730万人なので、1割以上の人々が無惨にも殺されてしまったことになる。今の人口は1000万人。それでも人口は増えている。
人口密度はアフリカ随一の国。国土のほとんどが標高1500メートルをこえる丘陵地帯のため、赤道付近にもかかわらず平均気温は20度ほどで暮らしやすい。
 人口の90%が農産業に従事する農業国。フツとツチといっても、フツが農耕、ツチが牧畜という生業集団の違いがあるのみ。ベルギーによる植民地支配の過程で分断政策がとられて、民族が意図的に区別された。
 ルワンダの人々にとって、牛はなくてはならない、家畜以上のもの。昔から人々は、「牛は最高の贈り物」と言ってきた。牛は友情を表す心のこもった贈り物とされてきた。子どもにミルクを与えるためだけではなく、報酬や貸し付けやわいろ、それに花嫁持参金としても用いられる。
 ルワンダの牛飼いは、自分たちの動物をむやみに殺さないし、その血統が途絶えることを許さない。飼い主は牛を飼うことを誇りに思っていて、贈り物として牛をあげるため、なんとかして数を増やしたいと考えている。
 ジェノサイドのとき、ルワンダ全土において3分の2の牛が殺された。今では、なんとか数は回復している。ツチは牛を飼うが、フツほど忍耐強くはない。フツの方が優秀な農業者だ。
あのときに起きたことは、ごく普通の人の取った異常な行動だ。校長や警備員が釘を打ち付けたこん棒を手にもってジェノサイドに参加した。かつて酒を飲みかわし、生徒からの評価も高かった二人の教師も、殺しに加わった。
 聖職者や町長、警部補や医者たちは、みんな自らの手で殺人を犯した。十分な教育を受け、穏やかで頭脳も優れていた人たちが、腕まくりをして、マチェーテを手に握った。
 この犯罪者たちは、実に恐ろしく不可解な謎だ。
 人々は、もともと金持ちになりたかったから、まず裕福な商人から襲いはじめた。
 彼らは殺しやすいようにツチの人間性を奪ったが、実のところ、自分自身が獣以下に落ちていった。なぜ、何のために殺しているのか、もはや分からなくなっていた。狂ってしまったのだ。
 仲間の隠れ場所を密告したものは感謝のしるしにと、笑いながら、もっと残酷に切り殺された。彼らは、自らの野獣性を満たすために、ツチを切り刻んだ。普通の方法で殺す者と残酷に殺す者、そして極端に残忍に殺す過激な者がいた。
 責任を追及されなければならないのは、むしろ教養のある人たち。教師や警察官、それにフランス革命や人間性について学ぶためにヨーロッパへ留学していたジャーナリストたち。自らの手で人を殺さなくても、殺人を行わせるため、インテラハムエ(殺人集団)を犠牲者の潜む丘に送っていた。
 ジェノサイドは、知性の喪失が原因である。白人たちは腕を組んで、最後の一人が死んでいくまでただ見ていた。
小さな子どもたちの心。彼らは、そこら中で死体を見てきたので、あらゆるものを怖がる反面、それに平気にもなっている。心の奥底に潜む闇を、何も考えないで、そのまま吐き出すことがある。しかし、ジェノサイドの後ろにもっとも傷つきやすいのは、幼い子どもではない。彼らは、人生をやり直すため、自らを回復させることができる。
 もっとも難しいのは、思春期の若者と老人。若者は、他の年代の者以上に理不尽さに傷ついてしまう。老人たちは失ったもの以上に、慰めようがないほど悲嘆にくれている。彼らの前途には、孤独と貧困だけが残されている。
 恐怖から解放され、まったく安心しきっているような生存者は一人たりともいない。
 虐殺のあとは、ずっと残っていくものだということがよく分かる本でした。このような悲劇を繰り返してはいけないとつくづく思わせる本でもあります。
(2013年7月刊。1900円+税)

原発と裁判官

カテゴリー:司法

著者  磯村健太郎・山口栄二 、 出版  朝日新聞出版
3.11原発事故について、東京電力の社長連中は不起訴で終わりそうです。とんでもないことではないでしょうか。東電の社長が未必の故意による殺人、少なくとも業務上過失致死傷で起訴されないというのでは、日本の検察庁も口ほどのこともない、大した能力のある組織ではないということです。2年以上たって、やおら不起訴を決めるという手法にも腹が立ちます。もう、みんな忘れているだろうということです。だって、今では原発再稼働どころか、日本の原発を海外へ輸出しようというのですからね。開いた口がふさがらないとはこのことです。
 原発輸出を口にしている人には、家族ともども福島に、原発のすぐ近くに移住する気持ちがあるのですか、と問いただしたいと思います。今でも15万人もの人々が住み慣れた故郷に戻れず、仮設住宅に住まざるをえない現実をどう考えているのでしょうか・・・。
 原発の危険さは、3.11の前には裁判所ではほとんど無視されてしまいました。でも、危ないと言った裁判所も二つだけはあったのですね。偉いものです。先見の明がありました。でも、そんな判決を書くのには、よほどの勇気が必要だったようです。
 そして、原発の危険性を否定した裁判官は反省の弁を語ります。
 私が原発訴訟を担当したとき、全電源の喪失はまったく頭になかった。裁判官時代の私には、原発への関心や認識に甘さがあったかと思う。国の審査指針は専門家が集まってつくったのだから、司法としては、見逃すことのできない誤りがない限り、行政庁の判断を尊重する。
 私が裁判長をしていたとき、なんで住民はそんなことを恐れているんだ、気にするのはおかしいだろうと思っていた。
 原発事故ではヒューマンエラーが重なっていることが分かった。そんなことが起こるとは思っていなかった。
 原発は、テロの攻撃対象にもなりうる。
 東電の従業員の誠実さを信頼してよいと思った。しかし、会社ぐるみの不正が次々と明らかになった。原発のデータ隠しが露見したのを見て、実態はこんなにだめな組織だったのかと驚いた。
国家の意思にそぐわない判決を出すと、自分の処遇にどういうかたちで返ってくるだろうか。そのように考えるのは組織人として自然なこと。だから、無難な結論ですませておいたほうがいいかな、そう思うことが十分ありうる。
 行政を負かせる判決は、ある程度のプレッシャーになる。
 裁判官のホンネを知ることのできる本です。
(2013年3月刊。1300円+税)

カテゴリー:生物

著者  ソーア・ハンソン 、 出版  白揚社
地上には4000億羽の鳥がいる。これは、人間の50倍、犬の1000倍、ゾウの50万倍。マクドナルドのハンバーガーの総売上数の4倍。
 羽は進化の大傑作だ。羽の形態は多様性がきわめて高い。鉛筆の先よりも短いヒゲのような羽から10メートルをこえる日本のオオガドリの繁殖羽まで、長さの変異も大きい。
羽は隠蔽機能も備えている。水を蓄えることも、はじくこともできる。これまでに発見された断熱材の中では、羽がもっとも軽く、もっとも効率がよい。
羽の興味深いところは、成長してきたということ。真っ赤に解けた鉄を型に流し込んでつくった弾丸のように、一瞬にしてできあがったものではない。
 生命が誕生して以来、羽ほど複雑な構造をした外皮は他に例を見ない。
 鳥類と恐竜が類縁関係にあるのは誰もが認めていること。鳥類は祖竜から進化したという説が有力だ。
 ケラチンは強度を高める働きをするタンパク質である。その長い分子は、サイの皮からカメの甲羅まで、さまざまな外皮を分厚くする大きな繊維網を形成する。爪、鱗、蹄、釣爪、角、髪の毛と同じように、羽にも、このケラチンが大量に含まれている。
 鳥は換羽といって、半年から1年に1度、羽を新しくする。太陽光線、雨、飛翔中に生じる空気の摩擦などが羽に損傷を与えるので、ケラチンで裏打ちされた丈夫な羽であっても、新しい羽と交換しなければいけない。
 風切羽は換羽が一度に起きると、飛翔に支障をきたすおそれがあるので、互いに換羽が重ならないように時期をずらす必要がある。一般的に、風切羽の換羽は、内側から外側(翼の付根に一番近い風切)に向かって、順に進む。
 防水性の正羽に覆われた綿羽は、皮膚の近くに乾いた暖かい空気を大量に閉じ込めるので、厳しい寒さの中でも暮らしていける。キクイタダキの羽衣の内側と外気の温度差は実に78度に及ぶこともある。
 鳥は基本的に視覚に頼る生き物で、羽の季節ごとの変化によって、配偶者候補の品定めをする。
 ツバメのメスは、尾羽の長いオスを配偶相手として選ぶ。尾羽の長いオスは、寄生虫の数が著しく少ない。ツバメでは、長い尾羽は、壮健さを示す、信頼できる指標になっている。
鳥と羽について、いろいろ知ることのできる本でした。昔、わが家でもジュウシマツを飼っていました。そのころは大変ブームで、あちこちの玄関先に鳥かごを見かけました。今は、あまり見かけませんね。なぜでしょうか。小鳥を飼ってみると、その大変さがよく分かります。子どもにとっては、いい情操教育になると思うのですが・・・。
(2013年5月刊。2600円+税)
 夜、寝る前にベランダに出て望遠鏡で月の素顔を見ます。火照った身体を冷ましながら、月世界に思いを馳せるのです。
 身体の赤い斑点はなかなか消えません。薬(軟こう)のおかげで痒みはなくなりました。ダニ退治のため、バルサンを焚くなど、大変でした。
 それにしても、昼間のうだる暑さはたまりませんね。早く、もう少し涼しくなってほしいものです。

江戸遊女紀聞

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  渡辺 憲司 、 出版  ゆまに書房
18世紀の後半に薩摩の山鹿野(やまかの)に佐渡金山の3倍の産出高を誇った江戸期有数の金山があった。永野金山ともいう。串木野金山というのは知っていましたが、これは初耳でした。そして、そこに代表的な遊里があったのです。
 遊里社会では、公界(くがい)の意味は、遊女の奉公の期間をさしていう表現であることが多い。そして、公界は、務めの期間だけでなく、もう少し広い意味で、遊女の勤め一般もさしている。
 公界を、「くがいする」といった用法で、人々の中に交わる、交際するといった意味にも用いる。
 「くがい」は、公界そして、苦界、苦海と使われている。
 山東京伝の二人の妻は、ともに遊女出身だった。
江戸時代、遊女の手鑑は高い評価を受けていた。太夫、天神クラスの遊女の手紙を求めるのは、今生における一番の「大望」であると井原西鶴が語っている。
高尾とは、吉原の遊女屋三浦屋に代々引き継がれた、最高位の遊女、太夫の名跡(みょうせき)である。
 下関では遊女は売女(ばいた)と呼ばれることはなく、多くは女郎または、お女郎さんと呼ぶ。遊女は年中、素足であることが一般的だが、下関では足袋をはくのが一般的。ここでは、遊女が遊客より上座に座ることが習慣化されていた。そして、相方(あいかた)は、遊女屋(仲居)の決定に任されるなど、客の対応にも高踏的だった。
 明治5年(1872年)、明治天皇が西国へ巡幸したとき、稲荷町の遊女は、その昔、天皇に奉仕した女性であるという理由から、奉迎の式典への参加が許された。
 下関において遊女は、中世における官女伝承をうけて格別の「尊敬」があった。
遊女が年季を終えて退郭したあと、寺子屋の必須科目である読み書きを教えて生活の糧にしたというのは珍しいことではない。
 江戸時代の一面を知ることのできる本です。
(2013年1月刊。1800円+税)

自民党憲法改正草案にダメ出しを食らわす!

カテゴリー:司法

著者  小林節・伊藤真 、 出版  合同出版
改憲派の小林節氏と護憲派の伊藤真氏。改憲には意見を異にする点もあるが、立憲主義を否定する自民党の改憲草案への批評では、意気投合!
このオビに欠かれた文章のとおり、不思議なほど、小林教授と伊藤弁護士は共鳴しあいます。まあ、それほど自民党の改憲草案はひどすぎるというわけです。
 問題は、この自民党の改憲草案のひどさが国民全体のものにまだなっていないところにあります。では、どこが、どんなにひどいのか・・・。
 自民党も、決して日本をダメにしようとか、悪い国にしようと思っているわけではないだろう。しかし、自分たちが考えているような、いい国をつくりたい。それに邪魔になるものは排除する。国民はそれに従わせようという感じがする。
 民主主義というよりエリート支配。ところが、実はエリートでも何でもない人が自分たちはエリートだと思い込み、自分たちがうまくやるから、みんな黙っていろと言っている。そんな感じを受ける。
 自民党の改憲草案の起草委員会のメンバーである片山さつきはツイッターで次のように言った。
 「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論はやめよう。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて、国を維持するには自分に何ができるかを、みなで考えるような前文にした」
 おそろしい発言だ(小林節)。別の自民党の議員は、日本の主権は国民ではなくて、歴史や伝統にあると言い切った。
 自民党の改憲派の議員は教養がないから、ほんとに自由だ。恥というものを知らない。自分にも弱さがあるし、間違いも犯すという発想がまったくない。
 自民党の改憲草案9条の2の第3項は、致命的にダメ。海外派兵の条件を法律(国会)にゆだねてしまっている。急ぐときには、国会の承認なしにも海外派兵するということ。
 軍隊は間違うことがないから大丈夫。自分たちは間違えないから大丈夫だ、という発想が自民党改憲草案にはある。
 人権は、誰かから与えられるものではなく、生まれながらにもっているもの。そして、国家権力と人権とは、どっちが上にあるか。人の権利が上にある。
 自民党の改憲草案の全文が現行憲法との対比で最後に紹介されています。ぜひ、比較対照してお読みください。日本の政権党である自民党のレベルの低さ、そして傲慢さがよく分かります。こんな憲法改正は絶対に許してはなりません。
(2013年3月刊。1300円+税)

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