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幕末史

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  半藤 一利 、 出版  新潮文庫
 明治維新と言っても、明治の初めには、ほとんど維新という言葉は使われていなかった。「御一新」だった。へー、そうなんですか・・・。維新の会も馬脚があらわれて、ついに失墜してしまいましたよね・・・。
ペリー提督の率いるアメリカ艦隊が日本にやってくるという情報は、その前から日本に入ってきていた。だから、来た時には、三人の与力が船で近づき、フランス語で「速やかに退去すべし」と書いたものを高くさしあげた。
 英語ではなく、フランス語なのですね。いったい、誰が書いたのでしょうか・・・。
アメリカはオランダに日本との交渉の仲介を頼んだ。オランダは、それを断り日本の長崎奉行を通じて、「アメリカはいずれ艦隊を率いて日本に来るだろう」と幕府に知らせた。ペリー来航(1850年)の3年前のこと。
勝海舟は、中国におけるアヘン戦争が勃発したとき18歳だった。22歳のとき、佐久間象山を訪ねて、世界情勢を学んだ。そして、剣術をやめてオランダ語を学びはじめた。
 日本に来たペリーは、当時59歳。ペリーには、早く帰りたい事情があった。国書とともに持参すべきお土産品を持っていかなかった。国際儀礼に反することの指摘を恐れた。しかも、水と食糧が減っていた。また、中国で「長髪族の乱」というのが起こって、中国にいる在留米人の保護を急ぐ必要もあった。
 江戸幕府は、250年間、「由らしむべし、知らしむべからず」を大法則としてきたが、広く町民をふくめて意見を出すよう布告した。勝麟太郎(31歳)、河井継之助(27歳)も意見書を出した。
明治元年に勝海舟は46歳、岩倉具視(ともみ)44歳、西郷隆盛42歳、大久保利通39歳、広沢真臣(さねおみ)36歳、木戸孝允(たかよし)36歳、江藤新平35歳、井上馨34歳、三条実美(さねとみ)32歳、板垣退助32歳、後藤象二郎31歳、山県有朋31歳、大隈重信31歳、伊藤博文28歳。これは今の官僚なら、部長が課長クラスである。そんな若さで新政府がトップメンバーを占めて、政治を運営していたのだから、てんやわんやだったのも当然のこと。
 それまでの日本人のなかに天皇家に対する尊崇の念があったとは言えない。当時の日本人は、将軍を公方(くぼう)様と呼んで唯一の支配者と思っていた。天皇はミカドであり、朝廷を内裏(だいり)ないし禁裏(きんり)と呼んで、およそ関係のない遠い存在としていた。ミカドはたしかに存在していたが、公方さんの方がずっと大事だった。
 幕末のころ、長州も薩摩と同じく長年にわたって密貿易でお金を稼いできたので、資金はたっぷりもっていた。
天皇という言葉は明治20年代になってから日本人に普及しはじめた言葉であって、それまではコトバとしてあるだけだった。
 共和国の建設を説く勝海舟や大久保一翁は天皇をほとんど意識していなかった。
 大久保利通は、「非義の勅命」は勅命ではないから、従う必要はないと高言した。尊皇なんてどこ吹く風。自分たちの正義にあわなければ、勅命もへちまもない。天皇をうまく使って国家を乗っとる。そのための玉(ぎょく)と考えていた。天皇陛下がすごく尊いものだという意識は藩長の人々にもなかった。幕末の日本人が天皇中心の皇国日本をつくりあげようとしたというのは歴史の事実に反すること。
 幕末の孝明天皇は病的なほどの外国人嫌いだったが、幕府に変わって政権を握るという意思はまったくなかった。ましてや、倒幕なんてとんでもない。むしろ朝廷と幕府が仲良くしながら進めていく朝幕体制に強い希望を抱く、明らかな公武合体論者だった。
 講話調ですから、とても分かりやすくて面白い幕末通史になっています。
(2013年7月刊。710円+税)

変り兜

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  橋本 麻里 、 出版  新潮社
 こんなにいろんな形と色のカブトがあるなんて、ちっとも知りませんでした。
 戦場のオシャレは命がけ、とありますが、大将たちはまさしく命がけの戦場で精一杯のおしゃれをしたのです。
徳川家康の19歳のときの甲冑(かっちゅう)はゴールド尽くしです。戦場で光り輝いたことでしょう。
 「井伊(いい)の赤備(あかぞなえ)」で有名な井伊直政のカブトは朱塗りです。戦場に朱塗りで固めた一団が現れたら、さぞかし脅威だったことでしょう。
 伊達政宗の重臣の伊達成実(しげざね)の南蛮鎖兜(くさりかぶと)は、なんと、巨大なムカデをその前面につけています。ムカデは怪異なる動物で、毘沙門天の仲間だった。
 蝶兜(ちょうかぶと)もあります。こちらは、優美な蝶のイメージです。
毛利家伝来の兜には、孔雀の羽で装い、ヤクの白い毛がついている。
 ウサギの頭がそっくりカブトになっているのもあります。ウサギの耳がピンと立っています。
 サザエの形をしたカブト、しゃちほこ形のカブト。いろんなものがあります。なんと、ハマグリをのせたカブトまであります。
見るだけで楽しいカブトの写真集です。
(2013年9月刊。1600円+税)

世界の美しい透明な生き物

カテゴリー:生物

著者  澤井 聖一 、 出版  エクスナレッジ
奇妙奇天烈というか、魔可不思議というか、こんな透明生物がこの世に存在するなんて、とても信じられません。
 山にも川にも、そして海底にも無数の透明生物がうごめいているのでした。そして、それを拡大カラー写真で、目の前に見せてくれるのです。よくも、こんな写真がとれたものです。ぜひ、一度、手にとって眺めてください。きっと世界観、生物間が一変すると思います。
ツマジロスカシマダラのメスは、アルカロイドという有毒物質をオスとの交尾を通じて受けとり、有毒のチョウになって自分の身を守る。そして、このチョウの翅(はね)は透明である。
アダラベニスカシジャノメには、透明な翅に、目玉模様までついている。
 透明なカエル、そして魚がいます。内蔵までくっきり見えます。
 天使のかたちで有名なクリオネは、巻き貝の仲間です。
イセエビの椎エビも完全に透明だということです。食品偽装でイセエビの値が高騰しているようですが、日本近海にしか生息していないイセエビが、その幼生は今なおどこにいるのか不明だそうです。謎は多いのですね。イカもタコも透明なものがいます。ですから、海中で、よくも写真が撮れたものです。
 もちろん、海中のクラゲは透明生物です、発光器を備えているクラゲもいて、まるで厳冬の世界を見るようです。透明な魚の一つ、オニアンコウのオスは哀れとしか言いようがありません。オスはメスの体にかじりつき、一体化していって、ついにはメスの身体のおできのようになってしまうというのです。ああ、無情です。
海底にすむサルパやホヤとなると、まるで人工アートの世界です。生き物だとは思えません。
ヤナギウミエラやオオグチボヤの写真を見ると、その滑稽さに思わず笑ってしまいます。
230頁ほどのカラー写真がしばし夢幻の境地に運んでくれる楽しい大判の写真集です。
(2013年8月刊。2800円+税)

この人たちの日本国憲法

カテゴリー:司法

著者  佐高 信 、 出版  光文社
 安倍首相は、まるで気が狂ったように日本国憲法を破壊しようと狂奔しています。日本の将来を暗いものにしてしまう安倍首相の支持率が5割というのは恐るべきことです。
宮澤喜一は、最期まで護憲を貫いた。「いまの憲法を変える必要はないと考えている人間です」と言った。
 「わが国は、どういう理由であれ、外国で武力行使をしてはならない。多国籍軍なんかでも、どんな決議があっても参加することはできないと考える」
 「日本は軍隊をもっていて、過去に大変なしくじりをしたしまったのだから、もういっぺんそういうしくじりをしないようにしないといけない。だから、軍隊はなるべくもたないほうがいいんです」
 私は、本当にそのとおりだと思います。
 城山三郎は、自衛隊は軍隊とは違うと強調する。自衛隊の本質は人を救うことにあり、人を殺す組織である軍隊とは違う。人を救う使命を持つ組織というユニークさにおいて、日本の自衛隊は恐らく世界でも例をみない存在であり、これは自衛隊の誇るべきいい伝統だ。日本の自衛隊は、普通の軍隊になる必要はない。
これには、私もまったく同感です。自衛隊は国土災害救助隊でいいのです。
城山三郎は、軍隊に入ってすべてを失い、戦争で得たものは憲法だけだと高言していた。
城山三郎は、佐藤栄作内閣のとき、公安警察がつくった「寄稿の望ましくない著作家」のリストに載せられた。ええーっ、ウソでしょ・・・。
 通産省次官だった佐橋滋は、軍備は経済的にいえば、まったくの不生産財だ。人間の生活向上になんら益するところがないどころか、大変なマイナスであると強調した。
 世界の人類に平和を希求して、自ら実験台になる。これほどの名誉がほかにあろうか。
 非武装国家になれば、軍備に要する膨大な財源がまったく不要になり、国内的には文化国家建設に必要とされる施設に充てられ、対外的には近隣国に対する援助が可能になる。脅威に代えて喜びをまくことになる。佐橋滋の非武装論こそ現実感がある。本当ですよね。
 後藤田正晴は、骨の髄から軍人や軍国主義が嫌いだった。
 「ワシが50年間生き残ったのは、再び日本を軍国主義にしないためじゃ。学徒出陣でいくさに出た学友の3分の1が還らなかった。この死んだ仲間のためにも、ワシは再び軍国主義へ引き金を引いた官房長官とは言われたくない」
まったく、そのとおりです。
 今の自民党には、安倍政権の暴走を止めようという気骨のある国会議員がほとんど見あたりませんね。残念なことです。でも、安倍首相も、そんなに長くはもてないでしょう。アメリカから見離されたらおしまいですから・・・。
(2013年9月刊。1600円+税)

日本人は民主主義を捨てたがっているのか?

カテゴリー:社会

著者  想田 和弘 、 出版  岩波ブックレット
 とても共感できる指摘ばかりの本でした。
もしかしたら、日本人は民主主義を捨てたがっているのではないか。そのような疑念が頭を支配している。少なくとも、自民党議員やその支援者のなかには、捨てたがっている人が一定数いることは間違いない。一昨年暮れの衆議院総選挙、そして昨年夏の参議院選挙、いずれも6割以下という歴史的な低投票率だった。客観的にみて、民主主義の存続そのものが危機にさらされているにもかかわらず、半分近くの主権者が審判に参加することすら拒んだ。
 自民党政権の樹立によって何となく進行するファシズムに、一部のネット右翼は別として、熱狂はない。なにしろ、半分近くの主権者が投票を棄権している。
 人々は無関心なまま、しらけムードのなかで、おそらくはそうとは知らずに、ずるずるとファシズムの台頭に手を貸し、参加していく。低温やけどのように、知らぬ間に皮膚がじわじわと焼けていく。
政権を握った自民党は、かつて日本を長らく支配していた老舗政党である。日本人の多くは、「民主党政権以前に戻した」くらいのつもりなのだろう。したがって、危機感の温度も低く、進行しているのがファシズムであると気づく人すらごく少数だ。危機を察知するセンサーが作動せず、警報音が鳴らない。
 恐るべきことに、たぶん安倍自民党はこうなることを意識的に狙っている。安倍自民党は、「衆参のねじれ」やら「アベノミクス」とやらを前面に「争点」として押し出し、それにつられて、あるいは共犯的に一部を除いたマスコミもそればかりを論じる。それにつられて、一部を除いて主権者もそればかりを気にする。あるいは、何も気にしない。騒がない。投票にも行かない。半分近くの主権者が棄権する。
 その特徴は、真に重要な問題が議論の俎上にのせられないまま選挙が行われ、大量の主権者が棄権するなか、なんとなく結果が決まってしまうというもの。
 選挙が、私たちの社会はどういう方向に進むべきか、重要な課題をかかげ、意見をすりあわせ、決定するための機会としてまったく機能していない。それでも、勝負の結果だけは出る。
 そして、結果が出た以上、選挙戦でスルーされた重要課題も、あたかも議論され決着がついた事項であるかのように、勝者によって粛々と実行されていく。よって、誰も気づかないうちに、すべてが為政者の望むどおりに何となく決まっていく。「熱狂なきファシズム」とは、このことである。
 政治家は政治サービスの提供者で、主権者は投票と税金を対価にしたその消費者であると、政治家も主権者もイメージしている。そういう「消費者民主主義」と呼ぶべき病が、日本の民主主義をむしばみつつある。主権者が自らを政治サービスの消費者としてイメージすると、政治の主体であることをやめ、受け身になる。そして、「不完全なものは買わぬ」という態度になる。それが「賢い消費者」による「あるべき消費行動」だからだ。
最近の選挙での低投票率は、「買いたい商品=候補者がないから投票しないのは当然」だという態度だし、政治に無関心を決め込んでいるのは、「賢い消費者は消費する価値のないつまらぬ分野に関心を払ったり時間を割いてはならない」という決意と努力の結果なのではないか。
投票に行かない人が、テレビの街頭インタビューで、「政治?関心ないね。投票なんて行くわけないじゃん」と妙に勝ち誇ったようにいうのは、自らが「頭の良い消費者」であることを世間にアピールしているのだ。
 しかし、消費者と主権者とは、まったく別のもの。決定的に異なる。民主主義では、主権者は国王の代わりに政治を行う主体であって、政治サービスの消費者ではない。消費者には責任はともなわないが、主権者には責任がともなう。
 わずか80頁の薄いブックレットですが、とても刺激的で意味深い、考えさせられる文章ばかりで、みるみるうちに本が赤くなってしまいました。赤ペンで至るところに棒線を引いていったからです。
 ぜひ、あなたにも一読をおすすめします。
(2013年11月刊。600円+税)

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