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ロング・グッバイのあとで

カテゴリー:社会

著者  瞳 みのる 、 出版  集英社
 ザ・タイガースは、私の青春時代と深く結びついています。
 4年間、ステージに立ってスポットライトを浴びていた著者が40年刊の沈黙を破って語った本です。読みながら、私の来し方も振り返ることのできた本でした。
 たくさん心に残ることが書かれていましたが、なんといっても、次のフレーズが最高です。
 自分たちの老化をあらゆる面で認めざるをえない年齢になって、なるほど僕らは団塊の世代なんだと思うようになった。
 同世代から元気をもらおう。そして、同世代に人に元気を返そう。そんな元気が僕らのなかにぐるぐると回り、それが上下の世代の刺激になって、もっと活気、元気、楽しみ、喜びにあふれた社会になれば、こんなに素晴らしいことはない。
 「団塊の世代と共に生きていくことが大事だよ。僕は団塊の世代から離れないよ」
 これはザ・フォーク・クルセイダーズの北山修の言葉です。本当に、そのとおりだと思います。
 私が大学生時代の学園闘争(東大闘争)の1年間を「小説」として再現した(『清冽の炎』1~7巻。花伝社)のも、そのつもりでした。とても残念なことに、ほとんど反響がなく、売れませんでした。でも、後悔はしていません。あの1968年当時の熱気をいつかは追体験してみたいと思う若者があらわれる。そのときには、私の本が必ず役に立つと確信しています。
著者は、ザ・タイガースの一員として脚光を浴びながら、さめた思いをしていたようです。だからこそ、きっぱり芸能界から足を洗ったわけです。
 僕はドラム演奏をしながら、青春の貴重な時間を売っているだけなのだと思うようになっていた。いつまでもアイドル路線を強いられ、いい年齢(とし)をして、いつまでも可愛い子路線の歌ばかりうたわされる。バラエティー番組にだされて、ふざけさせられる。だけど、やせても枯れてもミュージシャンなのだというほこりがあった。ベトナム戦争や時代や社会の流れに無関心ではいられなかった。
 著者は定時制高校生のとき、民青(日本共産党の青年組織のようなもの)に加入しています。ですから、社会に関心があったのも当然です。
 ザ・タイガースを解散し、芸能界を去る直前、1971年1月24日、有楽町のちゃんこ料理店で送別の宴が開かれ、著者も参加しています。私は、司法試験受験勉強の真最中です。当時の日記が残っていますが、1日中、私は勉強していました。
そして、著者は有楽町から京都へトラックで京都に戻っていたのです。1年間で貯めたお金1000万円を軍事資金として、大学受験勉強に打ち込むのでした。著者は見事に慶応大学に合格しています。えらいですね。
 当時の1000万円は、まさに大金です。私は、月3万円ほどで寮生活を過ごしていました。
 著者は、ザ・タイガース時代にフランス人の彼女がいたとのこと。フランス語が少し話せる私としては、かなわぬ夢を先に実現した著者を少しうらやましく思いました。
 とても赤裸々に自分を語っていて、ますます著者が好きになりました。本当に、いい本でした。ありがとうございます。
(2011年8月刊。1200円+税)
 きのうの日曜日、夜のうちに雨もやみ、朝からのやわらかい陽差しになってくれました。白梅にメジロが8羽、無心に花の蜜を吸っていました。愛敬たっぷりの小鳥です。
 庭のあちこちに黄水仙が咲いて、なんだか心が浮き浮きしてきます。チューリップもぐんぐん伸びています。もう少しで、ツボミになりそうです。
 花粉症さえなければ、春が一番好きな季節なのですが・・・。

「愛国」の技法

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

著者  早川 タダノリ 、 出版  青弓社
 戦前の日本が「戦争を愛する国」へ向かうためには、権力と軍部による並々ならぬ思想動員があったことがよく分かる本でした。それにしても、驚くべき発見がいくつもありました。
 その一。日本人には、昔から日の丸を掲げる習慣があったわけではないということです。最近では、正月になっても、「日の丸」を掲げている家庭はまず見あたりません。今では、日本にそんな習慣はないと断言してよいでしょう。そして、実は、それは昭和10年代になっても同じことだったのです。そこで、政府は国威発揚キャンペーンの一環として、「日の丸」を掲げるように大々的に取り組んだのでした。
 なーんだ、という気がしました。いま、安倍政権は、憲法を改正して「日の丸」を国旗と定めようとしていますが、とんでもない時代錯誤でしかありません。ところが、教職員と子どもの思想を統制することだけは明確です。
 その二。戦前には徴兵保険というのがありました。富国徴兵保険相互会社というのがあって、徴兵されると、保険金がおりるというものです。これで入営に要する費用をまかなったのでした。この保険会社は大もうけしたようですが、いまでも「フコクしんらい生命」として現存しています。
 その三、出征兵士の妻の姦通問題に警察が目を光らせていて、その妊娠状況まで警察が管理していました。個人のプライバシーより出征兵士の士気を重んじていたというわけです。
 その四。これが一番の驚きでした。軍人稚児隊というものがあったというのです。写真があります。千葉県流山市にできたもので6歳とか7歳の少年勇士11人から成る部隊があったとのこと。この当時、子どもの軍服は大流行していた。七五三などのとき、ありふれた服装だった、というのです。
 陸・海軍も「軍事思想の涵養に資する」として、大将服や将校服の着用を認めていた。
 世の中が軍国主義に一色に染まるとこういうことが起きるのですね。こんな世の中にならないように、今がんばりましょうね。
(2014年1月刊。2000円+税)

ソウル・コレクター

カテゴリー:アメリカ

著者  ジェフリー・ディーヴァ―   、 出版   文芸春秋
 インターネット万能社会の怖さ描いたアメリカの小説です。
 ある人の情報をすべて入手し、その人になりすまし、犯人に仕立てあげたり、その人に近づいて騙し、強奪してしまうのです。
 私自身はガラケイしか持ちませんし、ホテル以外はすべて現金ですので、それほどの情報は集まらないような気もしますが、その気になれば私の知らない(忘れた)データもたくさん集まることでしょうね。そして、今や、いつ、どこにいったのか、また、今どこにいるのかまで、リアル・タイムで判明するのです。
 先日の川崎の脱走犯人もケータイを使ったため、その所在が判明したのでした。そして、このデータを収集する元締めは政府ではなく、民間企業なのです。なぜか?
 個人情報保護法(プライバシー法)に抵触すると判断されるので、政府はやれなくなった。そこで、民間企業を使うしかない。
 警察に寄せられてくる情報のほとんどは匿名の一般市民から寄せられたものと見せかけられているが、実は、政府機関などが収集したもの。警察だって、この民間情報収集機関を利用している。
 絶対に部外秘なのに、第三者に、漏れている。いったい、だれが、どのようにして入手したというのか・・・・。この本は、情報がもれていたときにどうなるのか、その怖さを生々しく伝えてくれます。
 たとえば、居酒屋で見知らぬ人と相席になり、話し込むと不思議なほど趣味が合致し、たちまち意気投合する。しかし、実は、趣味その他のデータを入手して、近づいているのであり、それで、話を合わせているだけなのです。そして、その居酒屋に前もっていたのも、日頃の行動パターンをしっかり把握していたからです。これって、怖いですよね。
 ある日突然、ネット上の全取引がクローズされ、ついには犯行現場の遺留品があなたのものだというのです。
 疑われて当然の、怖い話が臨場感あふれるストーリとして進行していきます。
(2009年10月刊。2381円+税)

天皇と葬儀

カテゴリー:社会

著者  井上 亮 、 出版  新潮選書
 今の天皇は、安倍首相とはまるで違って、本当に真剣に日本国憲法を忠実に実践しようとしています。その点について、私は深い感銘を受けています。ただし、だからといって、天皇制度なるものを私が支持しているわけではありません・・・・。
そして、自分が死んだら火葬にすると天皇が言ったのにも、好感がもてます。
 この本によると、過去の天皇に葬儀もさまざまなものがあったようです。
かつて天皇も火葬されていた。この400年間は土葬されていたが、それが復活するだけのこと。持統天皇から昭和天皇までの88人の天皇のうち、半数の44人は火葬されている。土葬が慣例となったのは江戸時代以降のこと。
天皇陵にしても、「墓はいらない」といって、陵をつくらせなかった天皇もいる。
天皇の葬儀については、中世から江戸時代末期までは、天皇家の菩提寺といえる泉涌寺(せんにゅうじ・京都市東山区)で、仏像が専業的に行っていた。
 昭和天皇の葬儀は、古代から連綿と続いてきた儀式でやられたというのはまったくの誤解である。それは、明治になって創られた儀式でしかない。
 日本の天皇が「万世一系」というのは、歴史的事実に反している。たとえば、継体天皇のとき、皇統は断絶し、新しい王朝がうちたてられたというのが定説。
今の天皇も、自分たちの先祖は朝鮮半島と近い関係にあったと言ったことがあります。たとえば、恒武天皇の生母(高野新笠)は、朝鮮半島からの渡来人でした。
 「日本書記」は、雄略天皇を「大悪天皇」としている。皇位継承のライバルである皇族や臣下などを残虐な方法で殺したから。
 火葬は仏教思想によもので、平安時代に始まる。淳和天皇は840年に55歳で亡くなったが、火葬のうえ、山中に散骨させた。これは、生前の本人の言葉に従ったもの。陵もつくられなかった。
 古代から日本の喪服は天皇をはじめとして白だった。ところが、白は神事の際に着用する神聖な色だったので、奈良時代から、天皇だけは墨色の喪服を着用するようになった。
 承久の乱(1221年)のとき、北条政子が檄を飛ばし、北条泰時を先頭とした鎌倉幕府軍が後鳥羽上皇側を圧倒した。「賊軍」が天皇に勝ったのは、この承久の乱ただ一度だけ。
 私は先ほど申し上げたように、天皇個人については大いに敬意を払っていますが、制度として存続させるかどうかについては消極的です。その最大の理由は、天皇を口実に政治を牛耳る勢力が昔も今も存在するからです。そのような人々にとって、天皇は操作すべき玉(ぎょく)でしかありません。上辺では天皇尊重と言いつつ、内心は天皇を自分の意に従わせようとする、邪(よこし)まな連中の存在(介入)を認めるわけにはいきません。
天皇制について、改めて考えさせられる好著です。
(2013年12月刊。1600円+税)

「東京裁判」を読む

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  半藤 一利 ・ 保阪 正康 、 出版  日経新聞出版社
 「東京裁判」を全否定したと思われるNHK経営委員の発言がありました。その常識のなさには呆れるばかりです。なるほど、戦勝国による「東京裁判」に問題が全くなかったわけではありません。しかし、侵略国家・日本が裁かれるべき対象であったことは否定できない歴史的事実だったと思います。この本は、そのことをいろんな角度から実証的に明らかにしています。
 完全無欠の裁判でなかったのは事実だが、その不備を根拠に、そこで明らかにされた事実までも「東京裁判史観」として全否定するのは間違っている。忘れてならなのは、裁判は連合国側の一方的な断罪に終始したのではなく、日本側も大いに主張し、根拠を提出して、裁く側の問題点を突いていたことだ。
東京裁判でもっとも重要なことは、検察(連合国)側が出てくる情報を日本国民はほとんど知らなかったということ。その驚きが、当時の日本人が東京裁判を肯定した大きな理由だった。そこでは、戦争という名目で、日本の軍事指導者がかなり無茶をやった事実が明らかになった。
東京裁判は1946年5月3日に始まり、2年半に及んだ。裁判の場所は市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂を改造した。
 占領政策を円滑にするため天皇の戦争責任は問わないというアメリカの方針に従う検察側は、弁護側以上に天皇への言及に神経質になっていた。
 東京裁判では日本軍による南京大虐殺も問題とされた。
 中支那方面軍司令官の松井石根(いわね)は、尋問で日本軍による暴虐行為を「南京入城と同時に知った」と答えており、虐殺が事実であったことは否定できない。そして、殺害された人が「30万人」というのが過大であったとしても、同胞が無残に殺害された中国人の憤りに変わりはないだろう。
 まことに、そのとおりです。「30万人」が過大だとしても、虐殺された人数がゼロになるわけではないのです。こんなところで、「コトバ遊び」をしてはいけません。
 ポツダム宣言は、軍隊の降伏であって、国家の無条件降伏ではない。
 東京裁判の検察側証人として、日本紙芝居協会の会長が登場する。軍国紙芝居も、言論統制の一環だった。この証人には驚きました。井上ひさしの劇にも登場します。
 日本軍による真珠湾攻撃について、ルーズベルト謀略説というのがある。しかし、そんなことを言う人こそ自虐史観だ。それほど日本人はバカだったのか。ルーズベルトに「はめられた」というけれど、日本人はそんなにバカではない。
 広田弘毅は、大事なところで無能だった。陸軍の言いなりになった、その責任は大きい。
 一番問題なのは、2.26事件のあと、首相として陸軍の要望を全部うけいれてしまったことにある。軍部大臣現役武官制も陸軍から要求されて認めているし・・・。軍部を抑えるために出て行ったような顔をして、実際には、軍部からいいように操られた。
 昭和10年代に広田広毅が外交官を代表する形で出て行ったことは日本の最大の不幸だ。
 板垣征四郎・陸軍大臣について、昭和天皇は、「あんなバカ、見たことない」と言った。「臣下として、最低のレベル」だと・・・。
 南京大虐殺にしても、南から言った日本軍は虐殺をあまりしていない。だから南から攻めた軍人の話を聞いたら、虐殺はなかったことになる。
 弁護側は、虐殺の事実自体は否定しきれなかった。日本国民は南京虐殺事件のことを本当に知らなかったので、愕然とした。
 インドのパール判事も、南京虐殺については事実として認定している。
 東京裁判とはどういうものだったのか、それを知るときに絶好の手がかりになる本だと思いました。
(2009年8月刊。2200円+税)

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