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氷川下セツルメント史

カテゴリー:社会

著者  氷川下セツルメント編纂委員会 、 出版  エイデル研究所
 私は、大学1年生から3年余りセツルメント活動に全身全霊で打ち込んでいました。18歳から21歳までのことです。まさしく多感な学生時代というか、青春まっさかりのころでした。それだけ私を魅きつけるものがあったということです。
 1967年4月に18歳で上京し、意気高く大学生活を始めたものの、バラ色の学生生活が始まったなんていう気分ではありませんでした。それほど得意でもない英語の授業のレベルは高度すぎてついていけませんでした。なにしろ、ギリシャ悲劇がテキストなのです。高校までの英語とはレベルが違いすぎて、途方に暮れました。第2外国語として選択したフランス語も、初めこそ入門編でしたが、すぐに応用編になったのには驚きました。あまりの急テンポに、とまどうばかりだったのです。そして、法学概論の講義を大教室で受けましたが、教授は、はるか彼方の演壇です。いやはや、とんだところに来たものだと思いました。
 そのうえ、クラスでは、自家用車で登校してくる学生がいて、いかにも格好のいいブレザーを着こなしています。私といえば、詰め襟の学生服で入学したのです。学生気分で自家用車を運転するなんて、考えたこともありません。
 そんな私にとって、救いは6人部屋の寮生活でした。さすがに九州弁丸出しは出来ませんでした。関西弁は臆することなく丸出しです。東北弁はおずおずと話している感じでした。でも、みんな真面目でしたから、お互いの方言をけなすなんていうことはありませんでした。
 そんな屈折した思いに沈んでいるとき、私の目の前に出現したのがセツルメント・サークルだったのです。
 そこには、なにより生きのいい女の子があふれていました。まばゆいばかりの光を発散しています。たちまち私は、そのとりこになってしまいました。そして、司法試験の受験勉強を始めるまで、大学の授業そっちのけでセツルメント活動にいそしんだのでした。まさに、人生にとって大切なことはすべてセツルメントで学んだと言い切ることができます。それほど、ショッキングなサークル活動でした。正直いうと、今ではもっと大学で授業に出ていれば良かったと思うことが、実はあるのです。でも、かと言って、後悔しているわけではありません。
 セツルメントって、いったい何なのですか。このように問われると、実は、答えるのに窮するのです。
 セツルで何を学んだのか?
何も知らないことを・・・。これ以上の大きな収穫があるだろうか。
本当に、そうなのです。何でも知っているようで、実は何も知らないことをしっかり体験させてくれる場でした。自分という存在が、他人とは大きく異なることがあること、そして、それは親と地域の影響による違いが大きいことを認識させられました。それまで親に頼って生きてきたのに、その親を小馬鹿にしていた自分という人間の愚かさも認識させられました。さらに、物事の本質をしっかり認識するためには、自分自身が、自分の問題意識をもって変革しようと働きかけて、その結果の体験を経る必要があることも体得しました。じっと、受け身でいても、何も分からないのです。
 セツルメントが最盛期を迎えたのは、私が大学生のころではありません。実は、もっと後なのでした。
 1970年代には、全国に4000人というセツラーがいて、全セツ連大会には、1100人もの参加者があった。全セツ連には全国66のセツルが加盟していた。
 ところが、1980年代に入ると、セツルメント活動は、時代の変化に応じて急速に消滅してしまった。まさしく、時代の変化なのです。でも、どんな変化があったのか、十分に分析しきれているわけではありません。
 私は川崎セツルメント、幸区古市場にあったセツルメントです。そこで青年部に所属し、若者サークル(山彦)で活動していました。フォークダンスをしたり、キャンプをしたり、何という活動をしていたわけでもありません。でも、世の中の仕組みをじっくり考えさせられる契機とはなりました。ほかに、子ども会があり、栄養部や保健部、もちろん法律相談部もありました。
全国から1000人以上もの学生セツラーが年に2回集まって、交流する全セツ連大会は本当に活気あふれるものでした。新鮮な刺激を大いに受けたものです。語り明かすことが楽しい日々でした。そして、大いに歌もうたいました。音痴の私ですが、声をはりあげたものです。
 我妻栄や穂積重遠などの著名人たちが、戦前・戦後のセツルメント活動を支えてくれました。
 氷川下セツルメントの活動の歴史を通じて、日本史の一断面を知ることのできる貴重な歴史書になっています。セツルメント活動に関心のある人には、ぜひ読んでほしい本です。
(2014年3月刊。3500円+税)

北朝鮮経済のカラクリ

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  山口 真典 、 出版  日系プレミアシリーズ
 北朝鮮が日本にとって不気味な国であるのは間違いありません。ところが、安倍首相は、そんな日本国民の心理を利用して、北朝鮮にミサイルを先制攻撃できるようにしようというのです。それは戦争です。恐ろしいことです。北朝鮮が反撃として、日本に50以上ある原発にミサイルを撃ち込んだら、たちまち日本は破滅してしまいます。やめてください。安倍首相の危険な「火遊び」につきあわされて、日本という国が消滅するのを指をくわえて眺めているわけにはいきません。
この本は、北朝鮮経済のいびつな構造に迫っています。
 金正恩は、2012年4月に朝鮮労働党第一書記に就任し、主要な最高権力ポストをすべて引き継いだ。
 金正日の「遺言状」のなかには、海外銀行の資金は金正恩が管理しろ、原子力発電所を少なくとも3個は建設しろ、というのがあるそうです。前者は既に実現しているのでしょうが、後者はどうなのでしょうか・・・。
 父親の金正日の哲学は、権力を持つ第二人者(ナンバーツー)の台頭は絶対に許さないことにあった。頂点に立つのは、最高指導者ただ一人だけで、残りの側近は、全員を水平的に配置して、互いに牽制させた。自らを脅かす勢力が台頭してくる前にその芽を摘む。
 金正恩が、先日、張成沢を銃殺してしまったのも、その哲学を実践したということですね。
北朝鮮には、国の公式経済とは別に、予算数字に計上されない非公式の経済が存在する。軍需経済と王室経済だ。軍需経済は、労働党の中央軍事委員会と軍需工業部が統括し、第2経済委員会が傘下の武器工場や商社、金融機関などを通じて執行する。
 王室経済は、単に金正日ファミリーがぜいたくするためだけの資金ではない。自らの体制を支えてくれる幹部の忠誠心をつなぎとめる目的のための仕組みだ。この秘密資金を管理するのが労働党39号室だ。ところが、近年、北朝鮮では指導部の把握できない「ヤミ経済」がどんどん膨らんでいる、蔓延する「賄賂文化」もヤミ経済の一部だ。
 北朝鮮の社会は、出身成分でも将来が決まる。成分は大きく分けて三つ。核心階層、動揺階層、敵対階層。日本からの帰国者は敵対階層という低い成分に分類され、日常生活でもいろいろな制約を受ける。
どんなに庶民が貧しくても、平壌に住む幹部の生活さえ保障していれば、体制が揺らぐことはないとされる。
 平壌市民250万人のうち、十分な食料品や生活用品の確保など、手厚い庇護を受けている党や郡の幹部が50万人いる。なかでも2万人の高級幹部は、優遇されている。
 エリートたちの忠誠をたもつためには、現金や物資にあわせて年に10億ドルが必要だ。
 北朝鮮の全人口は2400万人。核心階層と労働党員が300万人いる。
北朝鮮の庶民が沈黙している理由の一つは、徹底した相互監視システムにある。
収容所にも二つある。生涯出所できない「完全統制区域」と、比較的罪の軽い政治犯で出所の可能性がある「革命化区域」。
 北朝鮮で軍のクーデターが起こる可能性は、まずない。その根拠は、ローヤルファミリーを警護する護衛司令部の存在。護衛司令部は、陸海空あわせて5~6師団の10万人。これは人民軍から切り離して、軍よりも最新鋭の武器や装備を供給した。
 軍は、クーデターを防ぐため、陸・海・空軍の指揮命令系統を別々にしている。
 平壌付近には、大規模な兵力を配置していない。軍の部隊が決定を下す際は、3人の指揮官全員の合意が必要だ。
 金正日の外交術には一定のパターンがあった。緊張を高めたあとで、少しだけ譲歩し、最大限の見返りを得る。日米韓の連携を揺さぶる。
 金正日の統治は、絶対に自分から指示しないことが特徴だった。失政の責任は全部を部下が負う。最高指導者の決定に間違いはありえないのだ。
 北朝鮮は、武器輸出で年に1~4億ドルの外貨を稼いでいる。アヘンや覚醒剤の生産もしていた。アメリカ・ドルの偽造もしていた。ニセ・タバコもつくっていた。
 北朝鮮は海外出稼ぎ大国である。世界40ヶ国に5万人の労働者を派遣し、年間3億ドルを稼いでいる。
北朝鮮人民軍は117万人。予備役は740万人をあわせると、全人口2400万人の4割が軍人となる。男性人口の1割は軍人だ。
 北朝鮮兵士の平均身長は韓国兵に比べて15~20センチも低い。これは栄養状態の違いによる。
北朝鮮という国が、いつまでもつのか分かりませんが、本当に異常な状況だと思います。そして、韓国も中国も、そして日本もアメリカも、すぐに国(金正恩体制)が崩壊しないように支えているというのが現実なのではないでしょうか・・・。
 そして、脅威だけはあおって、安倍首相のように利用しているのです。
(2013年12月刊。850円+税)
 月曜日に東京に行ってきました。日比谷公園の桜が見事に満開でした。しだれ桜もありましたが、これもソメイヨシノなのでしょうか。奈良から来ていた弁護士が、うちは5分咲きと言っていました。大阪は、なぜか東京より遅いのですよね。
 3年近くつとめていた日弁連の委員長職から解放されました。重責で肩の重味がとれて、ほっとしています。
 わが家の庭のチューリップも満開です。庭のあちこちに500本のチューリップの花が咲いて、春到来をまさしく実感させてくれます。
 紫色の豆粒のような、ハナズオウの花も咲いています。

とらわれた二人

カテゴリー:アメリカ / 司法

著者  ジェニファー・トンプソン、ロナルド・コットンほか 、 出版  岩波書店
 レイプ犯として11年も刑務所に入っていた黒人がDNA鑑定と、それにもとづく真犯人の自白によって無罪となった話です。そして、もう一方でレイプ被害にあった白人女性の心の痛み、しかも、間違って無実の犯人と名指ししたことによる罪の呵責(かしゃく)をどう考えるのかという重いテーマもあります。実は、本書はこの二つの視点からスタートします。
 そして、この本は、その両者を結びつけ、冤罪の被害者とレイプの被害者とがついに手をとりあって和解したという感動的な実話なのです。
 それにしても、目撃証言というのは、本当にあてにならないもの、信用できないものなんですね・・・。
私は単なるレイプ事件の被害者ではなく、記憶力が最低のレイプ被害者で、そのため、ある人が11年間も無駄にしてしまった。どうして、私は、そんな愚かなことをしてしまったのだろう・・・。
 ロナルド・コットンが犯人だという思いに捕らわれ、過剰なほどの自信をもってしまった。あの夜の記憶は鮮明で、理屈というよりも直感的で、意のままに再生できるビデオテープのようなものではなかったのか。
ロナルド・コットンの顔を面通しで見て、さらに法廷で見ることは、つまり、次第に彼の顔が私を襲った犯人の元々の像にとって代わっていくことを意味した。法律の専門書で、それは「無意識の転移」と呼ばれる。要するに、私の記憶が歪められたということだ。私は自分を襲った人を30分も見たし、彼の顔は私と数インチしか離れていなかった。それなのに、私は完璧に間違ってしまった。
 無実の被告人を弁護した弁護士たちは、まったくの無報酬でがんばっていたのでした。これまた、すごいことです。そして、無罪になったときに言ったのは・・・。
 「我々の仕事に対しては、一切、報酬はいらない。ロン、ただ、君の自由を最大限活用してくれたらいい」
 「生産的な生き方をしてほしい。それが、我々の求める最良の報酬だ」
 すごいですね。アメリカにも、私たちと同じようにがんばる弁護士はいるのですね。うれしくなります。
刑務所で生きのびるためには、鍛えて強い身体を維持しなければならない。走ったり、腹筋運動や腕立て伏せしたり、あらゆる方法で身体を動かした。
 刑務所に収監された直後は、とても重要だ。戦いの勝敗が、そこになじめるかどうかを左右する。刑務所では、弱虫に見られないようにするのが大切だ。そうすれば利用されずにすむ。たとえ負けたとしても、やり返すことで、一目置かれるようになる。
 刑務所では、多くの者が身を守るために、自分を殺人を犯して服役しているという。そうすれば、たちの悪いやつに見えると思っているのだろう。ここでは、誰を信じていいのか、決して分からない。
 アメリカでは、DNA鑑定によって、300人以上の有罪判決がくつがえっているとのことです。これは、すばらしいことであると同時に、実に恐ろしいことです。そして、それは、被告人とされた無実の人だけでなく、被害者にも二重の苦しみを与えることになるわけです。よくぞ、本にしてくれたと思います。感謝します。
(2013年12月刊。2800円+税)

あなたはボノボ、それともチンパンジー?

カテゴリー:人間

著者  古市 剛史 、 出版  朝日新聞出版
 ボノボが新種の類人猿として発見されたのは、わずか80年前のこと。発見が遅れた理由は二つ。一つは、アフリカのど真ん中という、近寄りがたい地域に隔離されて生息していたため。もう一つは、ボノボの外見が、チンパンジーにあまりにもよく似ていたから。それほど、チンパンジーとボノボは外見上の区別をつけにくい。
 ボノボは、子どものときから顔が黒い。チンパンジーは、子どものときは、顔が白い。
 ボノボは直立二足歩行がうまい。
 パン属とは、チンパンジーとボノボをふくむ属の呼び名。
 チンパンジーもボノボも、複数のオスと複数のメスを含む数十頭の集団をつくって生活し、その中での性関係は乱婚的だ。子育てはメスだけが受けもち、生後3年以上もお乳を与えて、手厚く育てる。
 オスは一生を生まれた集団で過ごすが、メスは思春期になると、生まれた集団を離れて他の集団に移籍する。
 チンパンジーでは、オス間の順位争いが熾烈をきわめるのに対し、ボノボのオスはあまり順位を気にしない。
 チンパンジーでは、集団内の勢力争いが殺しに発展することがある。ボノボでは、そのようなことは起こらない。チンパンジーでは、優劣関係を確認しあうためのさまざまな挨拶が発達している。ボノボは、優劣のつかない性交渉を挨拶がわりに使う。
 チンパンジーの性交渉はオスがメスの背に乗る馬乗り型が普通だが、ボノボはお互いの顔を見合わせる対面型を好む。
チンパンジーのメスは、妊娠の可能性のある時期にしか発情しない。ボノボの雌は、妊娠の可能性のない授乳期や妊娠中にも発情する。
チンパンジーは、集団内の関係がとても敵対的で、一方が他方を抹消してしまうことがある。ボノボの集団関係は、比較的おだやかだ。
チンパンジーでは、オスがメスに対して圧倒的に優位にある。ボノボのメスは、オスと対等以上にわたりあえる。
 チンパンジーのメスは、ふだんはばらばらに生活する傾向が強い。ボノボのメスはみんな他の集団から移籍してきたよそ者であるにもかかわらず、集団の中心部に集まって緊密な関係を保つ。私たち人間(ヒト)のなかには、チンパンジーも、ボノボも住んでいる。
 ボノボは、何かにつけ、みんなで一緒にやりたがる。仲間があとから到着するのを待っているのは自然なこと・・・。
 ボノボが使う道具らしきものは、雨が降ってきたときに、葉の突いた枝を頭にのせる行動(レインハット)くらい。
 チンパンジーは、独立性の高い大人の集団という感じ。
 ボノボでは、順位の高い母親をもつオスが高い順位につく傾向がある。
 チンパンジーは、オスたちが一列になって歩くことが多い。ボノボは、適当に散開して、だらだらと同じ方向に動くことが多い。
 チンパンジーは、独身心が旺盛で、自らの行動は自分で決め、社会的知能を駆使して生活する。ボノボは、いつも他の仲間のことをきにかけて、できるだけ行動をともにしようと、和気あいあい遊んでくらす。
 ボノボでは、父系社会なのに、メスたちが集団の中心部に集まって実権をにぎっていて、このメスたちに受けられないと、いろいろないじめを受ける可能性がある。
 ボノボは男の子をもつのは大きな意味がある。女の子を産んでも、やがてその子は集団を出て行く。男の子をもたない限り、メスはいつまでたっても、ひとりぼっちだ。
ボノボのメスは45年ほど生きて、生涯を閉じる。
 ボノボでは若いオスが第一位の座につくことが多い。その理由は、母親がもっとも力のある壮年期にあり、メスたちのあいだの第一位についているから。
ボノボでは、肉食するときにメスが肉を支配していて、オスがそれを取りあげたりすることはまずない。ボノボのオスは威勢をはって威嚇することはあっても、メスに対して手をあげることはなく、食べ物にからむ場面では明らかにメスに対して下手に出る。
 人間は、チンパンジー的要素をボノボ的要素の二つを状況に応じて使い分けて生きていますよね。もう少し、優しい生き方をしたいものだと思いました。
 現代の人間にとって、とても参考になる本だと思います。
(2013年12月刊。1300円+税)

折られた花

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

著者  マルゲリート・ハーマー 、 出版  新教出版社
 日本軍が「従軍慰安婦」としたのは、朝鮮・中国の女性だけではなかったのです。インドネシアを占領した日本軍は、そこにいたオランダ人女性を強制的に慰安婦にしたのでした。
安倍内閣は、例の河野談話を見直し、なんとか強制連行ではなく、女性が任意に応じて、金もうけをしていたとしたいようです。とんでもないことです。だまされて連れていかれた人(女性)を「強制連行」ではなかったというなんて、ペテンそのものではありませんか。
 彼女たち全員に共通していたのは恥辱感だ。若いころに自分の身に降りかかったことを恥ずかしく思っていた。悲しみと怒りが、こうした女性たち全員の心に深く根ざした。そして、日本政府が日本軍による強制売春の歴史をたびたび否定するたびに、この女性たちは傷ついた。
 インドネシアは、旧オランダ領東インドであり、推定して3万人の現地女性が日本軍の売春宿で強制的に使役された。
 1942年2月、日本軍はジャワに上陸し、オランダ王国軍は降伏した。
 オランダ王国軍の将兵は、日本軍の捕虜となり、鉄道工事のためにタイへ送られた。
 アメリカ、イギリス、オーストラリアの兵士もふくめ、総数4万2000人の男たちが日本軍の捕虜となった。
少女や若い女性は日本語の書類に、訳も分からないままサインさせられた。それは、「自由意志でやります」という書類だった。性経験のなかった少女たちが、来る日も来る日も、確実に20人ほどの兵士たちに犯された。やりあうのはあきらめ、犯されるままになった。
 1944年のはじめ、オランダ人の少女や女性が抑留所から連行されて、売春を強制されるに至った。200人から300人のオランダ国籍の女性が日本軍用の売春宿に入れられた。
 終戦後、家に帰ったとき、母親は娘を信用しなかった。そして性病が彼女を苦しめた。
箱入り娘として教育を受けてきた彼女は、売春宿なるものが存在することすら知らず、ましてそこで何が行われているかなど知っているはずもなかった。彼女たちは、文字どおり無邪気で純真な少女たちだった。少女たちは最後には抵抗するのを止めた。日本軍は、彼女たちの親がどこの抑留所にいるかを知っていたから、家族に累が及ぶのを怖れたのだ。いつまでも厄介な娘は、一般兵用の売春宿に移された。
戦前戦中に日本軍が海外でしたことを知ると、それは自虐史観だと指摘されるなんて、おかしなことです。真実にしっかり向きあってこそ、ありのままの日本を知ることです。でたらめな歴史観にまどわされたら目も曇ってしまいます。
 日本軍って、アジアの各地で聖戦と称して、本当にひどいことをしたんだと痛切に感じます。
(2013年12月刊。1300円+税)

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