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弁護士 馬奈木 昭雄

カテゴリー:司法

著者  松橋 隆司 、 出版  合同出版
 福岡の現役弁護士のなかでは今や最長老となった馬奈木弁護士の活躍ぶりを、その取り組んだ事件ごとに本人がまとめて語ったという本です。
 『たたかい続けるということ』(西日本新聞社)、『勝つまでたたかう』に続く本です。160頁の薄さですし、事件ごとにまとまっていますので、すっと読むことができます。
 「ムツゴロウの権利を守れ」という裁判では、そもそも勝てるわけがない。実務家として、裁判には勝たないと意味がない。負ける結果になった裁判であっても、それは「心ならずも」であって、負けることを前提として始めた裁判は一つもない。
 水俣病裁判のとき、国側についた医師は、「自分たちは医者として中立だ」と言った。しかし、医師は、そもそも患者のために存在するのであるから、患者の立場に立たなくて、どこに立場があるというのか。医師が「自分は中立だ」と言った瞬間、それは患者の側には立たないと宣言したと同じことを意味する。
 母親の胎盤がガードしているから、胎児には毒はいかないと考えられていた。しかし、このバリアが機能せず、胎児性水俣病の赤ちゃんが生まれてしまった。それは、人間がつくり出した毒だったから。35億年かけてガードしてきたのは、自然環境のなかにある毒である。ところが、それとは違う人工の毒物なので、人体の防御機能が働かなかった。そこに、人間のつくり出した毒物の恐ろしさがある。
 弁護士は、ときには暴力団と怒鳴りあわなければならないときがある。ゴミ問題にとりくむと、暴力団が出てくることもある。そのとき、怒鳴り負けない。「声の大きさなら、おまえたちには負けんぞ!」と怒鳴る。こちらが怒鳴ったら、相手は黙る。
かつては、相手を侮辱することを弁護士の商売と考えていた。この相手は普通の事件ではなく、国や権力機関、とりわけ裁判所を相手にするときのこと。ともかく、裁判官とケンカして一本取らないといけないと思っていた。しかし、それは決して正しいことではなかった。相手を侮辱しても相手の敬意は勝ちとれない。要は、相手をいかに説得するか。相手にいかに共感しあえるか、そこが勝負なのだ。
 なーるほど、ですね。でも、裁判官とケンカすること、出来ること自体は大切ですし、必要なことです。理不尽なことを言ったり、したりする裁判官に対しては、その場で反撃しなければいけません。そのときに、侮辱的な言動をしてはならないということなのです。
 公害発生源企業(加害企業)が裁判に負けたとき、被害者・患者に対して土下座することがある。しかし、それは本当に本心からお詫びし、反省したのか。口先だけ、マスコミの手前の格好だけで頭を下げても、何の解決にもならない。世間から「もう許してやったらどうか」という同情を狙っているにすぎない。必要なのは、本当の意味で謝ること。それを明確にしたスローガンが、じん肺裁判の「あやまれ、つぐなえ、なくせ、じん肺」である。
 この点は、私も本当にそうだと思います。
 ハウツー本によれば、企業幹部は、謝罪すると腰を何度に曲げて頭を下げ、それを45秒間続けることと、されているのです。マニュアルどおりの謝罪に、本心は感じられません。
裁判官のなかには、何が何でも国を負けさせてはならない。国を勝たせるべきだと頭から思い込んでいる人が少なくない。これは、いかんともしがたい事実だ。
 これは、本当に私の実感でもあります。正義と良心を貫くには勇気がいります。ときには、いくらか俗世間の誘惑を拒絶する覚悟もいるのです。そんなことの自覚のないままに流されている裁判官が、なんと多いことでしょうか・・・。
 「国の基準を守れば安全だ」という論理は、3.11福島原発事故によって完全に破綻している。しかし、今なお、「原発神話」にしがみついている行政、官僚、司法界とマスコミの人々、そして企業サイドが、いかに多いことでしょうか・・・。
 馬奈木弁護士の今後ひき続きの健闘を心から期待します。ぜひ、皆さん、気軽な気持ちでお読みください。
(2014年9月刊。1600円+税)
 雨の日が多い夏でしたが、いつのまにか秋の気配が濃くなりました。稲穂が垂れ、畔には彼岸花が立ち並んでいます。
 連休に庭の手入れをしました。いま一番は朝は純白で、夕方になると酔ったように赫くなる酔芙蓉の花です。
 庭のあちこちにリコリスが咲いています。紅ではなく、純白なクリーム色です。すっと立つ姿は気高いりりしさを感じさせます。
 ナツメの実がたくさんなっていました。高いところにあるので、枝ごと切り落としました。ナツメ酒をつくろうと、日干しすることにしました。
 ヘビが庭をうろうろしていますので、ジャガを整理して、すっきりさせました。
 そろそろチューリップの球根を植える時期です。ツクツクホーシという夏の終わりを告げるセミの声が秋風のなか響きわたりました。

宇宙のはじまりの星はどこにあるのか

カテゴリー:宇宙

著者  谷口 義明 、 出版  メディアファクトリー新書
人間の身体を形づくっている炭素やカルシウムといった原子は、もともと宇宙には存在しなかった。これらの原子ができるきっかけになったのは、「星の誕生」である。
 ガモフのアイデアは、「そんな考え方は、大ボラだ」と非難された。ビッグバンは、大爆発とともに、「大ボラ」を意味している。しかし、今では、このビッグバンこそ宇宙論の標準モデルとみなされている。
すばる望遠鏡は、世界で唯一、遠方かつ広範囲を観測できる「広視野カメラ」を搭載した大型望遠鏡だ。
 2006年には、日本の観測チームが望遠鏡を使って128.8億光年の遠方にある銀河の姿をとらえた。
すばるのカメラは、従来より大幅に軽量化している。カメラは材質からすべて見直し、口径が大きくなるほど困難になるレンズの加工にも手が加えられている。
 すばる望遠鏡の建設費は400億円かかった。私は、軍事予算に膨大なお金をかけるよりも、宇宙観測、そして、新薬開発にお金をかけるべきだと考えています。
 光が見える現象は、光子(フォトン)を目が拾っているから。ある物体から光が発せられると、その光の強度は距離の2乗に比例して弱くなってしまう。
 20年前まで、人類は100億光年以上も離れた銀河を観測することは出来なかった。しかし、今では、スバル望遠鏡をつかったら、肉眼で見える天体の1億分の1の明るさしかない天体まで見ることができる。
 宇宙が誕生したのは137億年前。そのため宇宙の大きさは137億光年だと思っている人が多いが、実際には宇宙が膨張しているため、もっと大きくなっており、直径にして940億光年もある。単純平均で光速の3.4倍で宇宙が膨張している。ええーっ、光速の3.4倍で宇宙が膨張しているなんて、どういうことなのでしょうか。光より早いものはないと言った(と思う)アインシュタインの言葉はどこに行ったのでしょうか・・・。
 1000億年後。そのまま膨張が加速を続けていけば、宇宙の膨張速度は光速をこえてしまう。これの意味するところは、星がいくら光を放っても、空間の膨張速度のほうが速くなってしまうため、遠ざかる星が放つ光は地球まで届かなくなるということ。つまり、宇宙のはじまりの星など、絶対に発見できなくなってしまう。
 天の川銀河には、全部で2000億個もの星(恒星)が存在している。そして、天の川は宇宙のなかに無数にある銀河の一つにすぎない。現在、宇宙にある銀河は、1000億個にのぼるとみられている。
 天の川銀河は、お隣のアンドロメダ銀河に除々に近づいている。この二つの銀河は50億年後には合体して、一つの銀河になる。二つの銀河の合体といっても、星同士の衝突は、まず起こらない。
天の川とアンドロメダが合体したとき、星同士が衝突する確率は、太平洋にスイカをランダムに2個落として、これらのスイカ同士がぶつかるほどの確率だ。
 なーるほど、このたとえはよく分かりますよね。それなら心配することなんかないやと思ってしまいます。
 ともかく宇宙の本を読むと、50億年後の衝突なんてスケールの話なのです。あと50年も生きていられるはずがない身として、50年ではなく50億年後だなんて、いったい何の話をしているのか、笑ってしまいます。たまには、そんなスケールで考えてみるのも、決して悪いことではありません。
(2013年4月刊。840円+税)

古代ローマ人の愛と性

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 アルベルト・アンジェラ、出版 河出書房新社
 「古代ローマ人の24時間」などに続くシリーズ第3弾です。驚くことの多い古代ローマ人の生活です。
古代ローマ人には、奇妙な慣習があった。夫は妻からのキスを受ける権利があると定めた「接吻制度」があり、妻は毎日、夫の口にキスすることが法律で義務づけられていた。その主な目的は、女性がワインを飲んでいないかを調べることにあった。
 女性は絶対にワインを飲んではならず、妻が夫に隠れて純粋なワインを飲んだら、夫は妻を殺す権利があった。女性がワインを飲むことは、姦通と同等の罪だとみなされていた。ええーっ、そんな嘘でしょ・・・。こんなことが、本当に守られていたとは思えません。
 手へのキスには、敬意と服従と示すという明確な意味があった。人前では、身体と身体が触れあう行為は、いかなるものでも破廉恥とみなされ、道徳や貞操に反するとされていた。
 良家の女性は、一人で出歩くようなことは決してなかった。外出するときには、コメスと呼ばれる信頼のおける奴隷か親族によって常に警護されていた。夫たちは、こうして妻を監視していた。
 富裕層の娘にとって、結婚前に男性と性的関係をもつことは考えられなかった。女性は処女のまま結婚式にのぞむことが義務づけられていた。
夫に先立たれた女性は、再婚するを1年のあいだ禁じられていた。
古代ローマ社会で、もっとも自由を享受していたのはおそらく解放奴隷の女性たちだった。
 しかし、名門既婚女性(マトローナ)は、厳格な行動規範を平気で無視していた。若い男性を求め、行きずりのセックスや一夜限りのアヴァンチュールを好む熟年女性がいた。
 富裕層の女性は12~14歳で結婚した。下層の女性は16~18歳だった。
ローマ時代には、離婚がとても容易だった。離婚にあたっては、現代と異なり、法的な手続きは一切必要なかった。死別より離別のほうが多かった。
 古代ローマでは、夫が妻を殴ることは日常茶飯事だった。妻を殴っても、殺してしまわないかぎり、夫が裁判にかけられることはなかった。妻に対するDVは、中・下層階級において、より一般的だった。
 古代ローマ人の私生活の様子を知ることのできる面白い本です。
(2014年4月刊。2500円+税)

漢拏山へひまわりを

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  金 昌厚 、 出版  新幹社
 済州島四・三事件を体験した金東日の歳月。これが、この本のタイトルです。
 済州島に生まれ育ち、四・三事件そして朝鮮戦争が始まってからは山中のゲリラ隊に参加もした。それから密航船で日本に渡って、東京は江戸川区で弁当屋を営んでいる女性の半世紀の聞き書きからなる本です。すごい経歴であるのに驚くと同時に、読みやすい文章なので、すっと頭に入ってきます。
 金東日は1932年(昭和7年生まれ。13歳のときに解放の日を迎えた。1947年に朝天中学院に入学。民愛青(民主愛国青年同盟)で活動をはじめ、連絡係としてビラを運んだ。
 四・三事件(1948年)のあと、山に入った。武装蜂起が起きたからには当然それに従わなければいけないと考えていたし、当然、勝てると思っていた。最後の血の一滴までもすべて捧げて闘うという気持ちだった。国のために、自分が死んでも国が生きのびるのなら・・・。
 言いたいことも言えないで生きていく生活のことを、冷蔵庫の中の凍った肉という。金東日たちは、すぐにでも解放されると信じていた。組織には楽観論が支配していた。
ところが、本の少し前までの山の人(ゲリラ側)にあんなに協力して食糧も届けていたような人々が、いつの間にかがらりと変わって敵に回ってしまった。山の人たちに勝ち目はなくなり、生き残ろうと思ったら、警察側につくという人が目立った。
 非合法生活をしているとき、逃亡だけだったが、かえってそれは希望があると思い込んでいた。なぜなら、これほど弾圧されて苦労しているのだから、済州島民が決起するに違いないと考えたのだ。指導部は当時の判断力不足で情勢を見誤った。
漢拏(ハルラ)山では、つらい毎日だった。死に向きあいながら、いつかきっと自分たちの世の中になると堅く信じていた。本人は意気揚々としていたが、人々が金東日を指さしながら、「この暴徒のアマ!」と言いながら集まってきた。それが、村で一緒に活動していた人たちばかりだった。
 朝鮮戦争が始まると、金東日は今度は智異(チリ)山で郡島委員会の秘書になった。18歳だった。そして捕まってしまうのでした。
金東日は、二回も捕まったのに、運が良く、再び済州島で母と生活するようになった。
 金東日が若いころに命をかけた戦いは正々堂々としたものだった。漢拏山や智異山に入ったことを後悔もしていない。
 2000年1月に本国(韓国)で四・三特別法が公布され、四・三事件真相相究明と犠牲者の名誉回復事業が本格的に始まり、「まるでひまわりに花が咲いたように」金東日の心を明るくした。
 済州島で大変な体験をした少女が、戦後50年以上も日本で生活していたことが発掘されたのでした。ご本人と、その発掘作業を本にした人たちへ、心より敬意を表します。
(2010年5月刊。1500円+税)

「この命、義に捧ぐ」

カテゴリー:中国

著者  門田 隆将 、 出版  角川文庫
 日本陸軍北支那方面軍の司令官だった根本博中将の戦後の業績を紹介した本です。
 その一は、戦後といっても、昭和20年8月20日からのことです。日本の敗北が決まり、武装解除が命令されたのに、在留邦人を内地に無事に帰国させるため、あえて侵攻してきたソ連軍と戦ったというのです。
 8月15日、根本司令官はラジオで次のように宣言した。
 「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ連軍を断乎撃滅すべし。これに対する責任は、指令官たるこの根本が一切を負う」
 6日前の8月9日から始まったソ連との戦争で、関東軍は総崩れとなり、満州全域でソ連の蛮行が横行していた。
 張家口に2万人の日本人が終結していた。それを北京・天津方面に後送するため、駐蒙軍司令官の根本中将は支那派遣軍総司令官の命令を拒否したのだった。根本元中将が日本に帰国したのは、翌昭和21年(1946年)8月のことだった。それまでに支那派遣軍の日本への復員は105万人をこえた。
 そして、戦後、1947年7月、蒋介石の国民党軍が中共軍との戦いで敗色濃いなかで、根本博は招かれて台湾に渡った。ところが、根本は密航者として逮捕され、投獄された。運良く、それが台湾警備司令の耳に入って、救出され、ついには蒋介石と面会することが出来た。
 その後、根本は、中国国民党軍の軍事顧問となった。そして、廈門(アモイ)に渡った。しかし、ここは、守備に適していない。根本は軍事顧問として、共産軍を迎え討つのは、金門島をおいてほかにないと進言した。廈門を放棄せよというアドバイスだ。
 根本は、林保源という中国名で呼ばれた。林保源将軍として、汽車に乗って作戦指導をした。根本は、金門島の陣地構築と塹壕戦を指導した。
 共産軍は勝ちに乗じて、敗走を重ねる国府軍をなめている。そこで、共産軍を中国本土から運んできた船を焼き払い、増援部隊がないようにして、そのうえで、戦車で叩く。ジャンク船で運んでくる火力は銃くらいしかない。
 上陸させた敵を海岸線から引き入れて包み込めば、一気に殲滅できる。根本の指摘したとおりに国府軍は動き、共産軍を完全に殲滅してしまった。
 上陸した共産軍は2万人。うち死者が1万4千人。捕虜は6千人だった。
 59歳の根本元中将の面目躍如だった。蒋介石は根本の手をとって感謝した。
 しかし、世間の評判は、そうはならなかった。あくまで国府軍の勝利であり、しかも、国府軍の内部抗争により、根本とともに戦った湯将軍は忘れ去られてしまった。当然、根本も忘却の彼方となった。
 同じころ、日本から国府軍の立て直しのために台湾に渡った旧日本軍将校たちは「白団」と呼ばれ、高額の給与が支給されていた。これに対して、根本のほうは身を捨て、家族を捨て、恩返しに言ったのだから、そのような保障は何もなかった。
 そもそも、蒋介石が日本人の手を借りて金門島を守ったことが分かれば、それは蒋介石にとって大きな恥となる。そのため、台湾側の史料の中には、日本人は一切登場してこない。なーるほど、それは、そうでしょうね・・・。
 それでも、その後、台湾国防部は、根本の遺族に対して最大限の敬意を表したのです。知られざる歴史の一コマです。よくぞ掘り起こしてくれました。
(2013年10月刊。680円+税)
東京の有楽町でインド映画をみてきました。『バルフィ!人生に唄えば』です。インド映画らしい歌と踊りも少しだけありますが、それよりも私は良質のフランス映画をみている感じでした。
 もちろん、映画ですから美男・美女が主人公です。美男の俳優(ランビール・カプール)は、顔の表情が実に豊かです。というのも、彼は、耳が聞こえず、話もできない役柄なのです。その主人公バルフィが恋する美女はイリヤーナー・デクルーズ。絶世の美女でほれぼれしてしまいました。ところが、ここに、もう一人の美女が登場します。しかし、彼女は、自閉症の女の子という役柄です。プリヤンカー・チョープラ-という有名な女優なのですが、映画をみているあいだは、ひょっとして本物の病気もちかしらんと思ったほどでした。話の出来ないバルフィが縦横無尽にかけめぐり、甘く切ない恋心を表現します。そして、大切なのは、100の言葉より、愛にみちたひとつの心。3時間近い大作ですが、終わったとき、胸いっぱいの熱い思いで、しばらく立ちあがれませんでした。みなさん、ぜひ時間をつくって、みてください。おすすめします。

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