法律相談センター検索 弁護士検索

浮浪児1945~

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  石井 光太 、 出版  新潮社
 終戦直後、12万人以上の戦災孤児が生まれた日本。その中心、焼け跡の東京に生きたら子どもたちは、どこへ「消えた」のか。
 これが、この本のオビのフレーズです。戦災孤児となった子どもたちのその後を追跡しています。
戦災孤児となり、生きていくのが辛くて、自殺してしまった子どもたちもたくさんいました。
 女の子はやはり男の子以上に大変だったようです。それでも、たくましく生きのびた子どもがいたことを知り、いくらかの救いも感じました。
 子どもたちにあたたかい救いの手を差しのべた人もいたようです。
 1945年10月。上野駅では2日に1人の行き倒れを処理していた。11月になると、浮浪者の餓死体は、多い日には6人もいて、一日2.5人が平均だった。1ヵ月にして、餓死者が7~80人も出た。浮浪児のなかでは、か弱い子どもが真っ先に命を落としていた。
上野の地下道に大勢の浮浪児が集中した。働き先は二つ。上野のヤミ市と浅草の商店。
 ヤミ米の担ぎ屋を一部で担う浮浪児もいた。
 浮浪児たちは、靴みがきと並んで新聞売りに従事した。新聞を1部10銭で仕入れて、通行人に1部20銭で売る。1日に50部から100部売れたら食べていくことができた。
 地下道暮らしでも、仕事をしている限りは三食を十分に食べていけた。
孤児院に収容されると十分に食べられず、施設の職員に殴られる。だから、浮浪児たちは孤児院に収容されることを嫌がり、警察に保護されても、脱走して路上に戻ろうとした。
浮浪児にはお金を貯めるという発想がなく、あまった分は地下道の友人や知人におごったりして使い果たしてしまうのが常だった。
 浮浪児たちは傷痍軍人たちと仲良くしていた。
 浮浪児は一日の仕事が終わると、ホンモノの傷痍軍人のところに行って食べ物をあげた。そのお礼に読み書きや英語を教えてくれた。戦争に駆り出されて傷害を負う前は普通の社会人だったから、頭の良い人もたくさんいた。だから、子どもたちに勉強を教えてやっていた。
 戦後になって地方から上野にやってきたワルたちは、家出組が大半だった。「ノガミ」(上野のこと)へ行って「一旗あげよう」と上野へやって来た。
ヤクザは不良少年を利用して、ショバ屋、ブーバイ、ダフ屋を営んだ。ブーバイとは、上野発の乗車券を買い占めて、高値で売る商売のこと。
 犯罪性が高く、人気があったのが集団スリ。スリの学校まであった。
 1946年から、警察は上野の浄化作戦にとり組んだ。1回の狩り込みで、冬だと4千人、春でも2千人ほどの浮浪者が検挙された。警察は、浮浪者を、大人、子ども、病人と分け、行き先別にトラックの荷台に載せて連行した。
この本を読んで、もっとも感銘を受けたのは、次の指摘です。これだけでも、この本を読んで良かったと思いました。
 戦災孤児は、空襲で両親が死ぬまでは普通の家庭で育っていた。親に愛され、兄妹と仲良く遊び、おじいちゃん、おばあちゃんに可愛いがられた。だから、人間としての根っこがしっかりしている。たとえ戦争のせいで何年か上野で浮浪生活をしたとしても、施設に住まわせて、ちゃんとした環境さえ与えれば、それなりにがんばって生きていける。
家庭の愛情でなくたっていい。友人や見知らぬ大人からでもいいから、子ども時代に多くの愛情をきちんと受けてきた記憶があるということが大切。そういう経験があるからこそ、浮浪児だった子どもたちは、学がないのに社長になって社員に愛情を注ぎながら引っぱることができていたし、収入も乏しいのに結婚して努力に努力をつみ重ねて、子どもをきちんと育てることができた。
 ところが、現代の虐待を受けた子どもたちは、どこかで心が折れ、何もかも投げ出してしまっているので、最後までやり遂げることができない。
 子どもは家族から愛され、周りの人に恵まれることによって初めてしっかりとした自我が生まれる。人を愛し、自分を制御し、生きるということに向かって進んでいくことができる。
このことが実証されている本として一読に価すると思いました。
(2014年10月刊。1500円+税)
イチョウについての本を読みながら上京したところ、日比谷公園の大銀杏は見事に黄変していました。黄金色というのか、山吹色というのでしょうか、壮観でした。
 憲法改正を許さない取り組みをすすめていくための会議に参加したのですが、総選挙の投票率が低くなることをみんなで心配していました。小選挙区制というマジックもありますが、選挙で信任を受けたとして集団的自衛権を認めるための法改正は許せません。
 国の根本のあり方が問われている選挙でもあります。投票所に足を運びましょうね。

ルポ・罪と更生

カテゴリー:司法

著者  西日本新聞 社会部 、 出版  法律文化社
 高齢者がスーパーで1000円ほどの万引きをしたという国選弁護事件をよく担当します。
 初犯なら、もちろん執行猶予ですが、何回もやっている人が多くて、かなりの確率で実刑となり、刑務行きとなります。
 犯行額1000円で、国選弁護料が6~8万円、刑務所に1年間入ったら一人につき300万円ほどかかります。むなしさを実感させられることの多いケースです。生活が苦しければ生活保護、心のケアが必要なら、それ相応の施設に入ってもらうようにしないと、この社会のシステムとしてはうまくないように思います。
 刑務所が「姥捨山(うばすてやま)」のようになっている。
 2012年に収監された受刑者2万5千人のうち、60歳以上が4千人をこす。全体の16%。
 2003年の3千人に比べて、4割増。高齢者の受刑者が増え続けている。
 2012年に検挙された再犯者は全国で13万人、再犯率45%。刑務所に入ったことのある再入所率も58.8%と増え続けている。
 知的障害者も6千人をこえ、全体の4分の1に近い。
 女性の収容者は、2012年に5千人をこえた。10年間で、1.5倍となっている。
 刑務所には収容されている60歳以上の高齢者の比率が日本で16%なのに、似たような状況にあるイタリアではわずか4%にすぎない。
 ノルウェーも福祉国家と言われ、高齢受刑者・犯罪者が少ない。それは高齢者が年金で経済的に困らないうえ、医療から図書館まで、受刑者も一市民として同じサービスを受けられるから。イタリアでは刑罰の目的は更正だと憲法に明記している。
 このほか、死刑問題を扱うなど、新聞記事としては、かなり深く問題点を掘り下げる内容になっていて、大変勉強になりました。
 犯罪に走った人の更生問題に関心のある方には必読文献だと思います。
(2014年8月刊。2300円+税)

引き裂かれた青春

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

著者  北大生・スパイ冤罪事件の真相を広める会 、 出版  花伝社
 特定秘密保護法が成立し、12月10日に実施されます。安倍内閣の戦争する国・日本づくりの一環として出来た法律です。
 国家権力に都合の悪いことは何でも隠してしまおうというわけです。そして、少しでも自由に意見を言おうというものなら、有無をいわさず捕まえて、社会的に抹殺しようとするのです。
 その犠牲者の一人が、北大生だった宮澤弘幸氏でした。特定秘密保護法が施行されようとする現在、戦前のスパイ冤罪事件を振り返って見ることには大きな意義があります。
 宮澤弘幸氏は、北大工学の学生だった。1941年12月8日に軍機保護法違反で検挙され、翌1942年4月9日に起訴され、懲役15年の景が確定し、網走刑務所に収監された。宮城刑務所に移され、敗戦後の10月10日に釈放されたが、1947年2月に死亡した。
 この宮澤弘幸氏が検挙された12月8日という日は、まさしく日本が真珠湾を攻撃して太平洋戦争に突入した当日です。全国の特高警察は、この日、111人を検挙しています。
 この事件では、人が突然、理不尽にいなくなるところから始まった。そして、周囲の人は、そのことについて口を閉ざし、いなくなった人に、ことさらの無関心を装った。
 みな、次に逮捕されるのは自分かもしれないと思うと、恐怖心で一杯になった。友の身を案じる余裕さえ失っていた。
 当局は戦争を推進するに当たって、あえて反対する存在を捏造して国賊とし、もって戦争推進の世評を強くすることを狙った。
 全国津々浦々に「防諜委員会」なるものが設けられ、年間3147回もの「防諜講演会」が開かれ、それには81万人を動員した。
 この北大生・宮澤弘幸氏の裁判については、起訴状をふくむ捜査・公判記録の一切が失われ、判決文すら完全な形では残っていない。敗戦のどさくさに乗じて、それを保存すべき国家権力が自らの保身のために破棄隠滅してしまっていた。
 北大で教えていたレーン夫妻の自宅を見張るために、特高警察はアジトを構えていた。
 出入りするものを昼夜にわたって監視し、尾行したり、出入りする人物の所在・動向を確かめていた。宮澤弘幸氏は、警察から苛酷な拷問を受けた。
 両足首を麻縄で縛られ、逆さに吊されて殴られた。両手を後ろに縛られ、それに棒を差し込んで、痛めつけられた。
 そして、裁判は、すべて非公開だった。世間に公知の事実であっても、軍が秘密だといったら秘密なのである。しかも、そのとき、何の理由も根拠も示す必要がない。絶対的な秘密なのである。
 実は、宮澤弘幸氏は、大東亜共栄圏構想に共感し、日本人優秀・指導者論の考えの持ち主だった。つまり、時代の子だった。日本軍を信じ、親近感を持っていたのだった。
 宮澤弘幸氏は、戦後、亡くなる前に次のように語った。
 「ぼくの唯一の罪は、英語やフランス語やイタリア語を学び、外の世界を知ろうとして、札幌の数少ない外国人と仲良かったことだった」
 刑務所から出てきたとき、宮澤弘幸氏は、身体がなかった。ぺちゃんこの布団だった。声がことばにならなかった。23歳のはずが、まるで50歳のように見えた。口に歯は一本もなく、肌の色は黄色く、水膨れした体だった。
 戦前の進取の気性に富んだ前途有為の人材が、軍部の戦争推進のための犠牲にさせられたことがよく分かる貴重な本です。
 上田誠吉弁護士(故人)の著作を補完するものでもあります。ぜひ、ご一読ください。
(2014年9月刊。2500円+税)

わたしたちの体は寄生虫を欲している

カテゴリー:人間

著者  ロブ・ダン 、 出版  飛鳥新社
 1850年のアメリカの平均的寿命は40歳。1900年に48歳となり、1930年に60歳に延びた。
 いま、北米には60万人のクローン病患者がいる。クローン病は遺伝的傾向があり、タバコを吸う人に発症しやすい。クローン病にかかった人の家には、必ず冷蔵庫がある。
 このクローン病の原因は、寄生虫が体内に存在しないことではないか・・・。免役システムが機能するには、寄生虫の存在が必要なのだ。寄生虫がいなければ、免疫システムは無重力状態に置かれた植物のようになる。
 寄生虫は万能薬ではなく、誰にでも効果があるわけではない。
 人間の腸には、1000種類以上の細菌が棲んでおり、人体の他の場所にはさらに1000種が生息している。それらのほとんどは、見つかった場所でしか生きられない。
 パスツールは、細菌と人間は相互に依存して進化してきたのであり、腸内の細菌を殺せば、人も殺すことになると述べた。
 シロアリは腸内の細菌が死ぬとまもなく死んでしまう。細菌がいないと、分解しにくい好む食べ物を消化できないからだ。
 おとなの犬は牛乳を消化することができない。乳牛、ブタ、サル、ネズミなど、哺乳類の成体すべてに言える。哺乳類にとって、乳はあくまで赤ちゃんの飲み物なのだ。
人間の祖先たちも牛乳を消化できなかった。しかし、今日、西洋人の大半は、おとなになっても牛乳を消化することができる。マサイ族は、牛の群れを追って移動しながら暮らし、大量の牛乳を飲む。
 サバンナザルは、「ヒョウ」「ワシ」「ヘビ」という三つの言葉をもっている。おそらく人間の祖先も同じだ。そして、その次は「走れ!」という動詞だった。
 チンパンジーは、一般に高さ3メートル以上のところに巣を作る。それは、ヒョウがジャンプできる高さより上だ。
地上で暮らすようになってから、ゴリラは大きく強くなった。それは、捕食動物に対する防御手段だろう。
 人間の出産は午前2時前後が多い。夜中に赤ちゃんを産むのは、その時間帯なら周囲に身内が集まって眠っていて、何かあれば、起きて出産途中の母子を守ってくれるからだ。
進化の途上において、体にいい食べ物を美味しいと感じた人は、生きのびる可能性が高かった。舌は、人間の祖先をおだてて、正しい選択をするように導いた。味蕾が脳に味を感じさせるのは、食べ物の取捨選択を誘発するため。
 人間の祖先がまだアフリカにいたころ、体毛がなくなると同時に、皮膚のすぐ下の細胞でメラニンが生成されるようになり、肌が黒くなった。その後、祖先の一部は暑い気候の土地を離れていったが、メラニンは相変わらず日光を遮り続けた。日光が遮断されると、体はビタミンDを生成することができない。日照量の少ない地域に移住した祖先のうち、肌が黒い人ほどくる病にかかりやすかったので、白い肌の遺伝子が優勢となった。
そもそも体毛を失わなければ、人類の肌の色はこれほど変化に富んでいなかった。
 人間と細菌、寄生虫の関係をよくよく考えさせてくれる本でした。
(2013年8月刊。1700円+税)

井上ひさしの劇ことば

カテゴリー:人間

著者  小田島 雄志 、 出版  新日本出版社
 井上ひさしの本は、それなりに読んでいますが、残念ながら劇はみたことがありません。
 遅筆堂と自称していた井上ひさしの劇の台本は、きわめて完成度が高いことに定評があります。
 著者は、井上ひさしの劇の初日に必ず行って、終了後にコメントするのが常だったそうです。すごいものです。
 井上ひさしの劇は、ことばがコントロールされず勝手に飛び出してくる。その多彩さに、自由でムダな部分が面白い。
 井上ひさしのことばのもつ遠心力のエネルギーには、ものすごいものがある。
 ことばは、真実を掘り出すツルハシ。
 ことばは、ボディーブローのように効く。
 ことばは、常識を覆す。
 ことばは、肩すかしを食らわせることができる。
 ことばは、同音異義語で駄洒落ることがある。
 ことばは、「死」と「笑い」を同居させることがある。
 ことばは、ドラマティック・アイロニーを生むことがある。
 ことばは、人間世界を俯瞰することができる。
 ことばは、造語することができる。
 ことばは、願い、誓い、呪いを短く強く発することができる。
 ことばは、あらゆるものを対比・総合することができる。
 井上ひさしは、思い切って「ことばの自由化」をやった。自由にことばの枠を広げたところから始め、近代劇の論理にとらわれないで、ことばが自由に飛び出た。
誰が演じても観るものを泣かせる芝居。それがすばらしい劇曲の証拠だ。
 井上ひさしの本や劇をもっと読みたかった、観てみたかったと思いました。
 井上ひさしも偉いけれど、この著者もすごいと思ったことでした。
(2014年5月刊。760円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.