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オーガニックラベルの裏側

カテゴリー:社会

                               (霧山昴)
著者  クレメンス・G・アルヴァイ 、 出版  春秋社
 従来型の養鶏や条件の悪い有機養鶏場で発症するのがカニバリズム。鶏は、互いに首や背中、尾そして尻周りの羽をつつきあう。そのため、体表が広く羽がむしりとられて皮膚が露出するため、感染症が発症しやすくなる。
 群れの上下関係が確定していないときにも、カニバリズムが起きやすい。
 鶏は鶏舎から出ようとしない。自然界では、鶏は森の周縁部に生息しているので、広い場所で身を隠すところがないようなところに出るのを鶏は恐れる。
オスのヒナは、生まれたその日に工場内のベルトコンベアーでシュレッダーまたはガス室に送られる。オスは卵を生まないから。
 鶏は、はじめに濃度の薄いガスにさらされる。呼吸困難になり、パニックに陥って大暴れする。その後、より高い濃度のガスで気絶させられる。そして、回転シャッターにのせられて、一秒に3羽のペースで鶏は解体され、全自動工程でプラスチック容器にきれいに収まる。
 この本は、有機畜産・有機農業といえども、家畜は劣悪な環境で飼育されていること、天然の在来種ではなく、ハイブリッドが利用され、農薬も使われ、形が悪いというだけで大量の作物が廃棄されていることを明らかにしています。
 有機農業が本来の理想とかけ離れてしまった理由は、大規模化、産業化にある。それをスーパーマーケットなどの大規模な小売企業が推進している。
 スーパーマーケットが納品量や形などについて理不尽な要求をするから、生産者は生き残るためには有機農業の理想を捨てるしかない。
 有機農業だからといって、手放しで礼賛したり、安心してはいけないということのようです。
(2014年11月刊。2200円+税)

老人喰い

カテゴリー:社会

                               (霧山昴)
著者  鈴木 大介 、 出版  ちくま新書
 大変勉強になりました。振り込め詐欺(今では呼び名が特殊被害詐欺と変わったようです)が、こんなに高度に発達した詐欺集団による者だと知って、本当に認識を新たにしました。欺すほうの進化と、欺される側の一般国民と弁護士の認識は昔ながらのものでしかありません。その意味で、この本は消費者被害に関わる弁護士にとっては必読だと思いました。
 昔、私は豊田商事とか海外先物取引による被害救済にあたっていました。欺す側の正当化論理は、世の中の眠っている資金をオレたちは活性化してやっているというものでした。
 振り込め詐欺集団も、まったく同じ論理で自らを正当化しつつ行動しているのですね・・・。
 お年寄りから老後のために貯め込んでいた大金を奪い去る当事者(若者)は、決して生まれ育ちの貧困が生み出した犯罪者だとは言い切れない。親の愛を十分に受けた者もいれば、大学教育を受けた者もいる。だが、それでも彼らは明確な敵対感情をもって、高齢者に牙をむく存在となった。なぜなのか?
 特殊詐欺犯罪に手を染める若者たちは、夜露(よつゆ)の世代である。彼らは砂漠のなかで、夜露をすすって生きている。ところが、その横には、たっぷり水がたまった革袋をかかえた高齢者がいる。渇き切った若者たちは、血走った目で高齢者のかかえる水袋を奪い去ろうとする。
 老人喰いをしている若者たちは、とてつもなく分厚い停滞感、閉塞感の雲を突き抜けた者たちだった。非常に優秀で、異常なほど高いモチベーションの持ち主だった。
 振り込め詐欺の集団が活動するマンションに持ち込んでいいのは、タバコと現金、そしてケータイのみ。免許証とか自分名義のケータイなどは厳禁、マイカーやオートバイでの通勤も許されない。
 毎朝、唱和される「御法度九ヶ条」。酒、薬、女、博打、喧嘩、他業、服装、家族、銀行。これは、詐欺の現場が警察の摘発を受けないため。
詐欺業界において、名簿屋の進化は著しい。警察署の生活安全課や行政の名をかたって電話をかける。高齢者の安全確認や社会的な調査業務のためといって電話をかけてくる。こんな電話には素直に応じてしまうのが普通の人だ。これは、下見調査と呼び、下見屋が業務委託を受ける。
 詐欺のターゲットになりそうな高齢者は「下見」調査のすべてに非常に丁寧にこたえ、かつ訊かれてもいないことまで自発的に長時間にわたって話してくれる。
欺しの電話の手口は、問題を起こした息子役以外に二役が代わるがわる電話口に出ることで、ターゲットを混乱させる。お金が奪えないと判断した相手には、さっさと興味を失う。騙す側は、圧倒的に洗練されている。
 詐欺集団は、徹底的に管理された高度な集団である。自分の役まわりの技術を徹底的に磨きあげている。そして、詐欺に関与する裏の名簿屋がいる。情報を強化した名簿によれば60%もひっかかる。
 詐欺犯罪者集団のトップに暴力団が接近している。今、詐欺集団を完全に組織化しようとする動きがある。暴力団による系列化である。
彼らは、金主たちのお金をまとめ、詐欺に必要な設備、事務所や荷電するための通信回線、ターゲット名簿などを準備して、現場展開する。これが振り込め詐欺の裏側の状況です。 1店舗9人体制。2、3人一組で、役割を分担して電話をかける。話す。切られる。かける。話す、切られる。これを一日中、やるのです。まさに非人間的な作業です。
 老人は、日本社会が今後発展しようとするのに対するガンだ。だから、大金を奪ってもいいというのです。
あなたも、ぜひお読みください。きっと目が開けます。
(2015年2月刊。800円+税)

皇后考

カテゴリー:日本史(戦後)

                               (霧山昴)
著者  原 武史 、 出版  講談社
 日本は万世一系の天皇制だという人がいますが、実は、神武天皇とか神功皇后の扱い、さらには南北朝をどうみるのか、ずっとずっと定まっていなかったのです。
 神功皇后は、戦前には教科書にのっていて、学校では実在の人物とされていた。自ら海を渡って朝鮮半島まで行って外国と戦いに勝ったという天皇はほかにいない。
 神功皇后を天皇にカウントしないと、仲哀天皇と応神天皇との間に70年近くの空位の期間が出てきて、まずいことになる。
 皇后は、ずっといたわけではない。二人の皇后がいたこともある。歴代天皇の配偶者が、ずっと皇后と呼ばれていたのでもなく、中宮と呼ばれていたこともある。明治天皇(睦仁・むつひと)の配偶者、美子(はるこ)は、中宮を経て、皇后になった。
 皇后に統一されたのは、皇室典範の発布された1889年のこと。
神武天皇が第一代の天皇として確定したのは、大日本帝国憲法発布の2年後の明治24年(1891年)のこと。それまで確定していなかった。
 神功皇后を天皇に加えるべきか否かも、明治維新のときから問題になっていた。
 江戸時代には、二人の女性天皇がいた。明正(めいしょう)天皇と後桜町(ごさくらまち)天皇である。
 江戸時代までに、8人、10代の女性天皇が存在している。大正天皇(嘉仁)の生母は権典侍(ごんてんじ)、つまり明治天皇の側室の一人で二位局と呼ばれた柳原愛子(なるこ)だった。ところが、嘉仁は、満8歳のとき、皇后美子の実子と定められた。
 明治天皇は、日清戦争も日露戦争も、開戦に消極的だった。ところが、皇后(美子)は対照的に積極的だった。
 大正天皇(嘉仁)は、明治33年(1900年)に、15歳の節子と結婚したとき満20歳だった。節子は、黒姫さまと呼ばれるほど色黒だった。健康にまったく問題がないというのが、結婚が実現した理由だった。
 ところが、その容姿が問題となった。美人でなければ、外交上のマイナスがあるからだ・・・。大正天皇(嘉仁)は、自らの欲求を抑えることのできない性格だった。
 要するに、大正天皇の女性遍歴はかなりのものがあったと言うことです。
 そして、皇后(節子)に、三人息子への愛情に濃淡が生まれた。長男の裕仁(ひろひと)よりも、二男の雍仁に対して熱かった。皇后(節子)は二男の雍仁を偏愛していた。
 大正天皇と皇后とのあいだでは10年以上も子どもが生まれなかった。三笠宮(崇人・たかひと)が生まれたのは1915年のこと。
 大正天皇の病気はアルツハイマー病ではないと著者は断言しています。
天皇になった嘉仁の精神的なストレスは、複数の女性と性関係をもっていた父親の睦仁と同じく、若くて美しい女官を必要としていたのかも知れない。
 大正天皇の皇后・節子は、極度の近眼だった。「あの近目さん」と言う人もいた。昭和天皇の妃選びの家庭で大きな発言力をもっていたのは、皇后・節子(ながこ)だった。
 皇后(節子)は、裕仁よりも雍仁に愛情を注ぎ、裕仁と良子との結婚について快く思っていなかった。皇太后が死んで、ようやく自分の時代が来たと思った皇后(節子)が、自分をとびこえて、皇太子妃となる若い女性にばかり注目が集まったことに、不快の念を抱いたのは想像に難くない。おそらく、皇太子妃の美智子をもっとも憎んでいたのは、お見合いをしたこともあるという、三島由紀夫であったろう。
 現在の天皇、明仁の家族重視は逃避主義ではない。砦としての必要性のためにも、家庭を築いて維持することに血のにじむ努力をしてきた。
 私は、今の天皇夫妻がペリュリュー島で慰霊の旅をしたことについて、心から敬意を表したいと思います。小さな島で、1万人以上の前途ある日本人の若者たちが戦死、しかもその大半が飢え死にしていったのです。これは東京の軍部当局の間違った作戦の犠牲でしかありません。靖国神社に英霊としてまつっているから我慢せよなんて、誰が言えるものでしょうか・・・。
天皇、そして皇后について、戦後の関わりをはじめ誰でもなるほどと納得できる内容になっています。ぜひ、あなたも手にとって、お読みください。
(2015年2月刊。3000円+税)
無敵の「ゼロ戦」の実際について、ゼロ戦搭乗員だった本田稔(92歳)氏は、次のように語りました。
「ゼロ戦は全くの無防備。パイロットや燃料タンクの防弾壁もありません。ちょうど着流しの侍が鎧兜の侍と戦うのと同じ。こちらは相手の13ミリ機銃1発で墜とされます。向こうはこちらの7.7ミリ機銃の1発や2発では墜ちない。こういうハンディをもって戦いを続けていました。だから常に特攻でした。もう少し人の命を大切にしてほしかった」
「ソロモンではゼロ戦を軽くして、いくらかでも長く跳ぶために落下傘を外させられました。無線機も取り外した。そんな状態で戦争を続けました」(2003年8月10日の講演)。
ゼロ戦については、格闘機能と航続力に優れていたが、最大の欠点は弾丸タンクや操縦席に防弾鋼板がないことだった。ゼロ戦の場合は、海軍の設計要求項目に防弾タンクの要求も操縦席の防弾鋼板の要求もなく、議論にもならなかった。
 アメリカ軍はゼロ戦対策を練りあげました。
ゼロ戦1機が燃料タンクに被弾し、無人島への不時着に失敗して、米海軍の捜索隊によってほとんど原型のままのゼロ戦が捕獲され、徹底解剖された。その結果、急降下速度制限が低く、防弾装置をまったく施さず、航空性能の不足など、ゼロ戦の力の限界が明らかになった。以後、米軍はゼロ戦の弱点を突く空戦を取り入れ、2機が一体となってゼロ戦に攻撃を加える戦法に切り換え、また一撃離脱という新しい戦法も考え出した。
 ゼロ戦を持ち上げすぎるのは、考えものなのです。

蒙古襲来

カテゴリー:日本史(鎌倉)

                                 (霧山昴)
著者  服部 英雄 、 出版  山川出版社
 蒙古襲来絵詞は有名です。残念ながら、私はその実物を拝見していません。竹崎李長は九州は熊本の武士です。この蒙古合戦での自分の活躍ぶりを絵にして鎌倉まで出かけて褒賞を得ようとしたのです。ですから、この蒙古襲来絵詞も、竹崎李長のコマーシャル、ペーパー(宣伝物)として、いくらか割引いて考える必要があります。それにしても、よく描けていますよね。合戦から10年たって、専門の絵師に書かせたのです。
 もちろん、頼まれた絵師たちが合戦の現場にいたわけはなく、その状況を見てもいません。竹崎李長の注文どおりに、それまでの絵と実物をもとに想像して再現図を描いていったのでしょう。
 竹崎李長の出身は、菊池川の河口にある玉名郡竹崎であって、益城郡竹崎ではない。蒙古軍(東路の高麗軍)は、志賀島を基地・陣営とし、博多湾岸に夜襲を繰り返した。さらには、長門(下関)へ上陸する部隊もいた。そして、遅れて西方に新規の江南軍(旧南宋軍)があらわれ、鷹島に碇泊して、博多湾へ出撃した。当時の軍事行動は、夜戦が多かった。
 7月1日の「神風」は、蒙古軍だけでなく、日本側の船にも多大の被害を与えた。この台風より前に、日本軍の将兵は疲労の限界にあった。しかし、7月5日、志賀島の海上戦に日本軍は勝ち、7月7日にも鷹島で勝利し、蒙古側は敗れた。捕虜は御家人に預けられ、戦後になって高麗は捕虜を厚遇したことについて感謝する国書を日本へ送ってきた。
 蒙古襲来は、近代以前に日本が経験した国内において戦われた最大規模の外国戦争である。当時、中国(宋)は、世界で最高最新の科学の国だった。元のフビライ皇帝は、日本の硫黄以外にも金や米、水銀、真珠、材木などに関心を寄せていて、交易を積極的に推進し、外交も求めたが、鎌倉幕府が反抗する以上は、武力制圧が不可欠だと考えていた。
日本の地方に「トウボウ」とあるのは、チャイナタウンたる唐房・唐坊のことであり、古代中世の日本には、いくつもあった。これまで、九州に14ケ所・山口県に7ケ所ほどの「トウボウ」地名が分かっている。
 この当時は、日本の通貨は宋銭(中国銭)だった。日本は独自の銭貨をつくらずに、中国の銭貨を用いた。
 蒙古軍(高麗軍)は、大宰府の陥落を目標とし、7日間ほど合戦を続けたが、7月1日に「嵐」があり、それを契機として7月末、北風が弱まったあいだに撤退し、帰国した。
 蒙古襲来が撃退されたのは、台風が来たこともあるが、御家人たちが必死の抵抗をしたことによる。蒙古軍は台風によって全滅したのではない。全軍を率いる司令官が早々に日本へ引き揚げたことは大きい。また、日本軍が置ち、負けた蒙古軍をなで切りにしたものでもないだろう。
 『八幡愚童訓』は創作であり、これを史学に使ってはならない。
蒙古襲来絵詞で使われた絵具は部外秘のものである。
馬については、1日に15リットルの水を飲ませて、家分を落ち着かせた。対馬について、高麗や朝鮮は両属域・無境界を認識しながら、意思疎通ができることが必要だった。
 蒙古襲来絵詞の高い評価をもつ所以をしっかり認識することができました。今から700年以上も前の話しではありますが、貴重な体験をした日本は、以降は力に頼る政治がずっと続いていきます。とても残念です。
 
(2014年12月刊。2400円+税)

大阪都構想が日本経済を破壊する

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  藤井 聡 、 出版  文春新書
 5月17日に、大阪市民の投票によって決まるものは何か?
 大阪都構想と言うけれど、実は、今回の投票によって大阪都が成立するというわけではない。そうではなく、大阪市がなくなって、5つの特別区が出来るというだけのこと。大阪府はそのままなので、5つの特別区のうえに大阪府が君臨することになる。
 本書は、政令市としての大阪市がなくなってしまうことによる大阪市民にとっての大きなダメージというか損失を明らかにしています。ええーっ、そんなこと知りませんでしたがな・・・、とは言えませんよ。橋下市長の口先にごまかされては大変なことになります。
 政令市である大阪市は、255億円の事業所税を自由に使える。549億円の都市計画税も使える。固定資産税2707億円も、1259億円の法人市民税も使える。ところが、「都構想」が実現したら、大阪市民が、これらのお金を使うことはできなくなる。大阪市は、年間2200億円を自由に使えなくなる。そして、この年間2200億円は、大阪府の予算に組み込まれる。すると、どうなるか・・・?
 大阪府の借金返済に使われるのは避けがたい。そして、その結果として、大阪市民サービスは削減されてしまうだろう。
 大阪市をなくして5つの特別区を作るというのが、橋下市長の「都構想」。では、東京の都区制度はうまくいっているのか?
 都区制度はやめて、市にしてほしいと東京の23区は言っている。それなのに、大阪では東京にならって都区へ移行するというのか・・・?
 東京23区が豊かなのは、日本の中での東京一極集中があるから。そんな特殊事情は、大阪にはないし、あてはまらない。
 「都構想」は大阪市から、権限と力、そしてお金をむしり取るもの。
 これは橋下・大阪市長が大阪府知事当時に言ったセリフ。そのとおりなのだ。
 大阪市長がいなくなってしまう。5つの特別区長には、それほどの権限はない。
 大阪市長がいなくなり、大阪市議会議員がいなくなったうえ、大阪市役所も存在しなくなる。強力なパワーが大阪になくなったとき、大阪市民は、自由に力を発揮できるのだろうか・・・?
 5つの特別区をつくったら、「一部事務組合」というプチ大阪市役所がどうしても必要になってくる、そこに大阪府が介入してきたら、なんともややこしい「三重構造」が生まれる。
 「都構想」は、二重行政を解消するという。当初は年間4000億円もの節約になると言っていた。それが、1000億円となり、いつのまにか155億円、さらには11億円にまでなってしまった。実は、むしろ年間13億円もの赤字を出す可能性すらある。
 橋下市長の「都構想」のウソを明らかにした本です。
 この5月17日の大阪市民の投票は、憲法改正の予行演習だという見方があります。低い投票率のなかで、「橋下」「維新」人気だけで、「過半数」をとろうというのです。マスコミ操作をあくまで重視しているのも、そのためなのでしょう・・・。
 本当に恐ろしい、「都構想」です。ぜひ、大阪市民のみなさん、物事の本質をつかんでくださいね。
(2015年4月刊。740円+税)
 日曜日、初夏らしい晴天でしたのでチューリップの地上部分を始末しました。スイセンなどと違って、チューリップの球根は毎年うえるしかありません。
 いま、庭には黄色のアイリス、ライトブルーのジャーマンアイリス、紫色のクレマチス、純白のカラー、橙色のヒオウギが咲いています。
 2月に植えて霜枯れを心配したジャガイモは、なんとか生きのびました。白い花を咲かせているのもあります。
 アスパラガスが毎朝のびていて、一日一本食べられます。電子レンジで1分間チンして、そのまま口にふくみます。春の香りをかみしめることができます。春ですよね・・・。

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