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アリスの奇跡

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 キャロライン・ステシンジャ― 、 出版  悠書館
 ホロコーストを生き抜いたピアニストというサブタイトルのついた本です。
 まさしく奇跡としか言いようがない女性ピアニストの一生です。ナチス・ドイツの強制収容所に入れられたユダヤ人なのですが、絶滅収容所ではなく、「見せ物」収容所だったのです。そして、収容所でもピアノを弾き続け、幼い息子ともども生き延びました。
 それには、彼女のピアノ演奏を聞いて感動したナチス将兵の援助もあったようです。そして、戦後はピアノ教師として生き続け、なんと110歳で大往生を遂げました。しかも、死ぬ日数前までピアノを弾いていたというのですから、まさしく奇跡の連続としか言いようがありません。
 強制収容所に入れられたとき既に30代でした。はっとする美人です。素晴らしいピアノ演奏ができる女性ピアニストでしたから、さすがのナチも殺すに忍びなかったのでしょう・・・。
 そんな体験をもつ彼女の言葉ですから、干釣の重みがあります。ともかく楽天的なのです。
 娘が胃ガンだという女性に対して言った言葉。娘さんに出来ることは、生きること。それしかない。あなたは、それを伝えるようにしなくてはいけない。今、書いている本を仕上げ、演奏会を開き、仕事を続け、常に微笑みを絶やさず、あなたが恐れている姿を決して娘さんに見せてはいけない。娘さんの回復をあなたが確信していることが、娘さんによってなによりの励ましになる。だから、泣いてはいけない。ぜったいに涙を見せてはいけない。
テレジェンシュタット強制収容所に何年も収容され、ナチによって母、夫、友人たちを殺されたが、アリスは誇り高く、したたかに生き残った。
アリスは、自分を抑圧した者たちへの憎しみや怒りや、家族を殺戮されたことへの苦しみに暮れている時間など持たない。増悪は、憎まれる者よりと、憎む本人の心をむしばむことを知っているからだ。
テレジェンシュタットに収容された15万6000人のユダヤ人のうち、生き残ったのは、わずか1万7500人だった
 アリスは、収容所内で100回以上もピアノを演奏し、ひそかに子どもたちにピアノを教えていた。
 アリスは、ドイツ語、チェコ語、そして英語、フランス語、ヘブライ語まで使いこなせた。
80歳台のアリスは時間と健康を確保するため、毎日同じものだけを食べることにした。健康的なシンプルなものを食べる。カフェインは体に良くないので、紅茶もコーヒーもやめた。ワインやアルコールもなしにし、お湯を飲むだけ。朝食は、チーズをのせたトースト1枚と、バナナ半分かりんごひとつ。そして、一杯のお湯。昼食と夕食はチキンスープ。
テレジェンシュタット収容所に入れられたのは、チェコ、オーストリア、オランダ、デンマークの才能豊かな人々や知識階級だった。ナチは、この収容所を宣伝材料とした。
テレジェンシュタットで開かれたコンサートは、敵をむかえ撃つ道徳の勝利だった。音楽家たちのもらした素晴らしい文化の力は、多くの囚人の絶望を押し返す楯となった。音楽を通して、演奏家たちは自分たちの存在感を再認識し、聴衆は音楽を聞いて時空を超え、演奏の間だけでも、自分たちの人生を肯定する穏やかな気持ちになれた。
音楽は私たちの食べ物だった。精神的な支えがあれば、普通の食べ物はいらないかもしれない。音楽は命なのだ。収容所では、涙も禁物だった。笑いこそが唯一の薬だった。
 世界は理解しがたいものではあるが、受け入れることはできるものだ。個人個人を存在者として受け入れることによって・・・。
 戦争は戦争を生む。それ以外にない。人は神の名において人を殺す。
 時間は貴重。過ぎ去った時間は永遠に戻らない。
 本を読めばよむほど、考えれば考えるほど、人と話せば話すほど、自分の幸せをかみしめることが出来る。
 強制収容所で6歳の息子に、こう話した。いま、私たちは劇場で劇をしているところだと想像してごらん。悪い悪女に、間違った汽車に乗せられて、ここへ連れてこられたけれど、いい兵隊がやってくるのを待っているところなんだ。そう言って母の笑顔を見せた。
 うむむ、なんとなんと、すごいですね。映画で同じようなものがありましたね。強制収容所に入れられた父親が息子にピエロのように笑わせていました。明日への希望を失わないことが大切だと思い知らせてくれる本です。ちょっぴり疲れたなと感じているあなたにおすすめします。
                           (2015年8月刊。2200円+税)

日本陸軍とモンゴル

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  楊 海英 、 出版  中公新書
 ノモンハン戦争で日本軍が負けた原因の一つに、日本軍のモンゴル人部隊の処遇があることを初めて知りました。この戦場では敵味方の双方にモンゴル人兵士がいたのでした。
 日本軍は、モンゴル民族を自分のいいように利用したということがよく分かる本です。
 モンゴル人も日本を利用しようとしたようですが、結局、漢民族を主体とする中国の圧制下に取り込まれてしまったのでした。
 やはり、当事者からの鋭い告発ないしには知りえない歴史があるのだと痛感した次第です。内モンゴル、外モンゴルと日本人である私たちは気安く呼んでいます。しかし、これは清朝(中国)がモンゴルを政治的に分断するための概念であって、モンゴル人自身は、そういう名称を好まない。モンゴル人は、南モンゴルと北モンゴルという地理的な呼称を愛してきた。
モンゴルの民族主義者たちは、日本の力を借りて中国からの独立をねらってモンゴル聯合自治政府をつくった。内モンゴル人民革命党の若い軍人たちは、満州国とモンゴル自治邦に暮らし、日本と協力しながら、民族自決の時を待った。
 他民族の支配下にあったモンゴル人は、近代化を先駆けていた日本から騎兵の術を学ぶために大挙して日本にきて、陸軍士官学校で日本人と机を並べて学びあった。
モンゴル人は、日本の力を借りて中国からの独立を果たそうとしただけで、日本の下僕になる気はなかった。
中国人は、日本式の訓練で育ったモンゴルの軍人を「日本刀を吊るした奴ら」と呼んで侮辱した。
モンゴル人の同盟者だった満州人は、それまで中国人の草原への入植を禁止していた。日本が内モンゴルで設置した興安軍官学校は、モンゴル民族にとってもっとも人気のある学校となった。
興安軍官学校は、モンゴル民族の復興とチンギス・ハーン時代の栄光を復活させる目的で創設された、モンゴル人からなる学校だった。
満州の「馬賊」と言えばロマンを誘うが、実態は中国人の侵略と入植に抵抗していたモンゴル人の自衛団である。
日本は常にロシア(ソ連)を意識していた。ロシアもまた日本の出方を注目していた。犠牲にされたのはモンゴル民族で、漁夫の利を得たのは中国だった。
モンゴルは中華ではないし、モンゴル人も、中国人ではない。
『夕陽と拳銃』(檀一雄)のモデルとなった伊達順之助(仙台藩主の本裔)はモンゴル独立に共鳴した日本人馬賊として知られ、戦後、戦犯として処刑された。
中国からの独立を獲得するのに日本は利用できる勢力だとモンゴル人はみていた。そこで、モンゴル人は積極的に日本に「協力する」よう変わった。
3000人のモンゴル独立軍に関東軍は3000丁の銃と20万発の弾薬を提供して支援した。関東軍でモンゴル人と接触していたのは甘粕正彦だった。甘粕はアナーキストの大杉栄らを虐殺した張本人だ。
日本が思い描く楽天地は日本人主導のものだった。モンゴル人は民族の独立を目指していた。両者の思惑は最初から異なっていた。
関東軍首脳部がモンゴル独立軍を自治軍に変えたのはモンゴル民族には独立の権利はなく、あくまでも自治権しか付与しないと宣言したようなものだった。
新生の満州国によって、モンゴル軍は治安維持だけでなく、ソ連の南進と中国の侵略を食い止めるに欠かせない戦力だった事実に日本側は気がついていた。
戦後の日本は、満州と内モンゴルを占領した中国政府と中国人に対しては過去の侵略行為を反省したが、モンゴル人と満州人に対しては何ら意思表示をしてこなかった。
今日、中国政府は、モンゴルもチベットも、そしてウイグルも民族ではなく、単なる「族群」(エスニック・グループ)だと定義している。
モンゴル人は、とにかく草原が開墾されるのに心底から嫌悪感を抱く。
モンゴル人と日本が戦前に深い交流があったことを初めて知りました。歴史の奥深さを見た思いです。
                           (2015年11月刊。840円+税)

水中考古学

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  井上 たかひこ 、 出版  中公新書
  海底に人類の遺産が、こんなにたくさん眠っているのですね・・・。
エジプトのツタンカーメン王への積荷が海底に沈んでいた。硬い木材である黒檀(こくたん)は、エリート階級のためのもので、象牙のように加工されていた。そして象牙の代用品としてカバの歯が使われていた。
蒙古襲来のときの元寇船の遺物として、「てつはう」が発見された。直径15センチの陶器で出来ている。中には、火薬や石つぶてが詰められた。そして、厚さ1センチほどの小さな鉄片が詰まったものが発見されており、殺傷能力の高い散弾式武器でもあった。
「てつはう」のサイズは、15センチ、重さ2キロなので、人力ではなく、投石機を使って炸裂させていたはず。
タイタニック号が沈んだのは、氷山が船体に突をあけた結果ではない。氷点下で鉄板がもろくなり、衝突のショックで鋼板がはがれたから。船は二つに折れて、海中に没した。
海底に沈んだ遺物を引き揚げても、そのまま空中に放置しておくと、ボロボロになってしまうようです。塩気を抜いたり、何かと大変なんですね。でも、その苦労と工夫のおかげで私たちは居ながらにしてこんなことを知ることができるわけです。
(2015年10月刊。800円+税)

誰が「橋下徹」をつくったか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 松本 創 、 出版  140B
 私からすると、ウソ八百の政治家であり、同じ弁護士なんて言ってほしくありません。ところが、大阪では依然として高い人気があるというのですから、世の中は不思議です。
 まあ、憲法無視のアベの支持率が5割前後をキープしているのと同じ現象なのでしょうね。要するに、共通点は、今の政治に不満はあるけれど、誰かが良い方向にひっぱっていってくれるだろうという「他力本願」なのです。でも、自分が出来ることをしなくて世の中が良くなるはずはありません。
この本は、作られた「橋下」人気を懺悔をしながら解明しています。
「大阪維新の会」の動きや政策は、橋下徹が着火源の種火(たねび)だとすれば、松井一郎は、おが屑のような役割を果たす。つまり、松井は党内調整や他党との交渉を仕切って火を広げる役回りだ。そこへ空気を送り、さらに燃え広がらせるのが、マスメディア、主として大阪の新聞とテレビだ。
橋下徹は、詭弁と多弁で煙に巻き、自らの責任は決して認めず、他者を攻撃することでしか主張できない。これにマスコミの記者たちは、うんざりし、そして丸め込まれる。 
橋下は自分たちの側の問題は何ひとつ省みないまま、メディアが悪い、反対した他党が悪いとしか言わない。
 若い記者は橋下の多弁・能弁に圧倒される。会見の言葉をパソコンで書き留めることを聞きとりテキストを縮めて「トリテキ」と呼ぶが、そのトリテキ作業で手一杯になってしまう。
 話も長いし、トリテキをつくるのに精一杯で、記者は考えている時間がない。これでは困りますよね・・・。マスコミも流されないようにしてほしいものです。
ポピュリズムの核心は「否定の政治」にある。既存の権力を敵とみなし、「人々」の側に立って勧善懲悪的にふるまう。ポピュリストは、いつも素人っぽさや庶民感覚を売りものにする。  
橋下への「囲み取材」は、完全に橋下に支配されている。それは「取材」ではなく、ありがたく橋下のお言葉を聞く「放談会」になっている。
マスメディア以上にマスメディア的手法を心得て巧妙に使いこなすテレビ育ちのタレント政治家に記者たちは、すっかり足下をみられている。
橋下は、新聞の単独取材をほとんど受けない。その反対に、勝手知ったるテレビの情報番組やニュースショー的なものには頻繁に、しばしば生放送で出演している。
橋下は、「今」「この場」にしか生きていない。そんな橋下のペースに乗っていては、いつまでも橋下の術中から逃れることは出来ない。
橋下は難しい質問も口先で難なくかわし、うんざりするほど過剰な多弁で煙に巻く。
論点を瞬時にずらし、話をすり替え、逆質問に転じ、責任をほかへ転嫁してともかく「自分は悪くない」「議論に負けていない」ことだけを示す。その反射神経とテクニックは恐るべきものがある。ここぞというときには、大勢の報道陣やカメラの前で特定の記者を口汚く罵り、吊るしあげる。そうやって、この場を支配しているのは自分だと見せつけ、恫喝する。
ホント、橋下もアベも嫌な奴ですね。こんな政治屋をマスコミが天まで持ち上げるなんて、マスコミの自殺ですよね・・・。
                           (2015年12月刊。1400円+税)

ゆびさきの宇宙

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  生井 久美子 、 出版  岩波現代文庫
  盲ろうの東大教授・福島智氏の生きざまを紹介している本です。
目が見えず、耳も聞こえない。3歳で目に異常が見つかり、4歳で右眼を摘出。9歳で左の視力も失う。14歳のとき右耳が聞こえなくなり、18歳ですべての音が奪われた。
無音漆黒の世界にたった一人。そこから救い出したのが、母の考案した「指点字」と「指点字通訳」の実践だった。恐るべしは母の愛、ですね。
盲ろう者は、黙殺され、抹殺されてきた。
盲ろうは、感覚器における全身性障害。コミュニケーションや移動に全介助が必要になる。盲ろう者は、内部の戦場体験をしている。それは、たった今も・・・。
自殺を考えたことはない。あわてなくても、いずれ、みんな死ぬのだから・・・。
盲学校の先生はこう言った。「おまえたちは、どういう位置にいるかを勉強しておいたほうがいい。社会に出ると、『見えない人間』とひとくくりにされて生きていかなければならないのだ」
盲ろうになった当初は、だれかと話していないと不安だった。沈黙は拷問だ。指を重ねて話していた。
「うるさすぎて、眠れない」。指点字は、触覚言語だ。指先など皮膚からの情報でコミュニケーションをするが、それが全身からだと、うるさすぎる。つまり、抱きしめられると、うるさすぎるということ。
いま、大学が通訳・介助するシステムが出来ている。3人の優秀な通訳介助者がいる。強いと思われていた福島氏も、適応障害になった。それで、自分も人間だと思った。どこか過信していたのかもしれない。
障害者の問題は、社会の本当の豊かさの実態を示すショーウィンドウである。
私には、目が見えず音の聞こえない世界というのは想像すら出来ません。恐ろしくてたまりません。しかし、障害者も一人の人格をもった人たちです。その人たちをふくめて生きていける寛容さが、どうやら日本社会は少しばかり弱くなっている気がします。少数者をいじめて楽しもうというヘイトスピーチなんて、その悪しき典型ですよね。許せません・・・。
  
(2015年2月刊。100円+税)

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