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フジテレビは、なぜ凋落したのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  吉野 嘉高 、 出版  新潮新書
 私はテレビを見ません。時間がもったいないからです。ニュース番組だって、NHKのアベやモミイにおもねる視点での解説なんて聞きたくもありません。そして、殺人事件など三面記事に出てくる殺伐とした画像で自分の目を曇らせたくはありません。ですから、フジテレビがどんな番組を放映しているのか、前と比べて今はどうなのかというのは、まったく実感のない世界です。でも、この本に紹介されている状況は分かるし、納得できますので、紹介します。
かつての王者だったころのフジテレビは、チャレンジ精神が旺盛だったようです。
1980年代にブレイクしたフジテレビは長らく放送業界のリーディング・カンパニーとして時代を先導してきた。
 ところが、今や、フジテレビは見る影もない。視聴率も営業成績も、ともに、かつてないほどの惨敗を喫し、社内の雰囲気もギスギスしている。かつてのフジテレビは、仲間意識は強いけれど、同調圧力が強いわけではなく、異才や鬼才がのびのびと能力を発揮できる雰囲気があった。ところが、「70年改革」によって、編成というテレビ局の「頭脳」と、制作という「身体」が分断され、その間に深い溝ができ、社内はギクシャクとして暗い雰囲気になった。仲間意識が希薄になり、現場の意欲が大きく減退していった。
 社長が労組を敵対視していたことから、会社全体のコミュニケーション不全が問題化していった。そして、番組制作が守りに入った。経済合理性に主眼を置いた組織改革は失敗した。視聴者に楽しんでもらうためには、制作者が自ら楽しまなければならない。つくる側が楽しんで入れば、自然にその楽しさが視聴者にも伝わっていく。
フジテレビは1997年、お台場に社屋を移転した。旧社屋にあって、新社屋にないもの。その一つが「大部屋」。熱エネルギーの発生源であり、関係者に一体感をもたらしていた「大部屋」がなくなった。
そして、成果主義の社員評価がとりいれられると、同僚が助けあう「仲間」から、争って負けるわけにはいかない「敵」に変わってしまう。社員が「勝ち組」と「負け組」にはっきり色分けされてしまった。番組制作上の上司の裁量が大きくなるのに反比例して、若手の自由度は低下していった。
このように分析されると、なんとなく分かりますよね。成果主義によって、目の前の視聴率で競争させられたりしたら、バカバカしくなってしまいます。自由にのびのびと、たまに経営者ともケンカできる。そんな雰囲気の職場こそ、良い番組がつくれるんだろうと門外漢の私も思ったことでした。
(2016年4月刊。740円+税)

ほんとうの法華経

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 橋爪 大三郎・植木 雅俊 、 出版 ちくま新書 
法華経は最高の経典である。最澄の伝えた天台宗が、そう教えている。法然の浄土宗も、親鸞の浄土真宗も、日蓮の連宗も、天台宗から分かれている。道元も、晩年は、法華経に心服した。つまり、わが国の仏教の大部分は法華経を最高の教典と考えている。
法華経は釈尊が最後の、いちばん大事な時期に説いた、とっておきの大切な教えなのである。
日本に伝わった法華経は、漢文だった。鳩摩羅什が5世紀の初めころ、サンスクリット語を漢訳したもの。
200年前に発見されたサンスクリット語の法華経原本を徹底的に読み解き、鳩摩羅什の漢訳とも照らしあわせて、読みやすい日本語としてよみがえらせたのが植木雅俊博士である。
法華経が最高の経典と言われるのは、人間は誰でも差別なく、一人残らず成仏できると説いているから。この教えを「一仏乗(いちぶつじょう)」と言う。
原始仏典で、釈尊は、「私は人間である」「皆さんの善き友(善知識)である」と語っていた。その覚りも、「まのあたり即時に実現される、時を要くない法」とされていた。
法華経は、お釈迦さまの滅後500年たってから編纂されている。お釈迦様の直説ではない。法華経を釈尊が説いたのは、72歳から80歳までの8年間かけてのこととされている。
自業自得というのは自己責任論で、決定論ではない。神さまや、他の人によって決められたものではない。自分の主体的な自由度に応じて、過去の様相が変わっていく。
法華経は、人間はもともと菩薩であり、ブッダになる可能性をそなえているから修行しなさいと説く。法華経は、すべての人を成仏させる教典である。法華経は、あらゆる人がブッダになれると主張した。
お釈迦さまが亡くなって100年たって小乗仏教になり、400年たったころ大乗仏典が登場してくる。
お釈迦さまは、金もうけはどんどんしなさい。ただし、富を得て蓄積しているだけでは無意味である。得た富を独り占めせずに、自分も活用し、他人にも振り分けて活用させ、社会に還元しなさいという立場をとった。
仏教は、もともとカースト制を否定する立場で、むしろそれを乗り越えていこうとしていた。
一辺が15キロメートルの立方体の岩を100年に1度、絹のスカーフで払って、岩がすり減ってなくなってしまう時間を、一小劫という。こんな長い長い、気の遠くなるような時間の単位があるのですね・・・。
声聞、独覚、女性、悪人、畜生に授記を与える経典は法華経だけ。
仏教では、「人を殺してはならない」というのは絶対的な原理である。自分は危害を加えられるのが嫌だから、他の人々も嫌だろうと考える。
男女の差別をしないのは、法華経の前提。しかし、極楽浄土には女性がいない。男性も女性も住生したら、みな男性になる。仏国土に女性の存在を認めたのは、法華経ともう一つあるだけ。
仏教は、もともと最下層の人々に寄り添う思想だった。キリスト教会において、神殿と教会は違う。教会は神のいる場所ではなく、信徒が祈る場所。
率直に読んでいけば、法華経の中心的な菩薩は、地涌の菩薩と不軽菩薩であることが分かる。
法華経で説かれているものが、ほんの少しだけ分かりました(そのつもりになりました)。
(2015年10月刊。1100円+税)

スポットライト

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者  ボストン・グローブ紙 、 出版  竹書房
 映画をみに行こうと思っていたら、上映期間が短くて見逃してしまいました。
 宗教国家アメリカの恥部を暴いた映画として、必見だと考えていましたから、残念です。
 「カトリック教会の大罪」というのが、本のサブタイトルについているように、カトリック教会の司祭たちが信者の子どもたちに性的虐待を加えていて、それをカトリック教会が長いあいだ見て見ぬふりをして許していた、助長していたという事件です。ですから、訳者は、「決して楽しいお話ではありません。覚悟して読んでください」と、訳者あとがきに記しています。
 いま、全米6700万人のカトリック教徒のうち、4人に1人しか毎週のミサに参加しない。2015年、アメリカの司祭3万8千人は、1967年のピーク時の64%にすぎない。
 カトリック教会の長年の怠慢は、財政的な代償を払わされた。二つの教会が保険会社から見捨てられ、破産の瀬戸際にある。過去20年間で、聖職者の餌食になった人々への訴訟和解金は13億ドルにのぼる。
 ボストン教区のゲーガン司祭の被害者は、小・中学生にあたる年頃の少年たちだった。虐待行為の数々の証拠にもかかわらず、カトリックの司教や枢機卿は、問題の司祭たちを雇い、昇進させ、ねぎらった。
 虐待に関与したとされて職を解かれた司祭は、2002年はじめの4ヶ月で176人にのぼった。ゲーガン司祭は、救いがたい小児性愛者だった。2002年までに200人もの子どもたちがゲーガンにレイプされ、また触られた。そして、教会当局は、ゲーガン司祭の小児性愛癖を承知していた。
 絶望し、問題をかかえた若者が助けを求めて訪れる教区のカウンセリング・ルームで、シャンリー司祭は、権力と地位をつかって、彼らを餌食にし、性的虐待とレイプを続けた。
司祭が子どもにいたずらをするという考えは、当時も今も信者にもちろんない。だから被害にあった子どもは両親には言えなかった。誰も信じてくれない。司祭は万能の存在だった・・・。
 このような状況をボストンの地方紙が暴いていったわけです。すごいですね・・・。それにしても、教会って、そんなところなんですね。まったく呆れてしまいました。
 ゲーガン元司祭は、服役中の刑務所で白人至上主義の死刑囚に絞殺されたとのこと。68歳でした。
 宗教国家アメリカの恥部、そして民主主義の担い手のいるアメリカ。両面を知ることができる本です。
 
(2016年4月刊。1500円+税)
投票日の日曜日、夕方から小雨の合間を縫って庭の手入れをしました。このところ雨が続いていたので、雑草が伸び放題だったのです。
 草刈りバサミを使いすぎて、しまいには両腕が痛くなってしまいました。
 アジサイの花が終わり、カンナとヘメロカリスの花が咲いています。どちらも黄色の花です。
 今年はブルーベリーが豊作でした。夕食のデザートとして美味しくいただきました。

先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者  小林 朋道 、 出版  築地書館
 先生!シリーズも、ついに10冊目となりました。すごいです。鳥取環境大学の学生は幸せですよ・・・。コバヤシ先生は相変わらず快走中です。
 でも、私には洞窟探検なんて、とても出来ません。真っ暗な洞窟に何がいるか分かりません。天井にコウモリがたくさんぶら下がっているのを見つけて喜ぶなんて、コバヤシ先生はやっぱり変人でしょう。いえ、その勇気には大いに敬意を表します。でも、コウモリの毛のなかにクモを見つけて、そのクモはどのコウモリ(の毛)を好むのか、なんて実験をするのです。なんだか学者って、正気の沙汰じゃありませんね。いえ、これも尊敬の言葉ですよ・・・。
 さらに、コウモリは、何か悪い病気をもっているかもしれないので、決して素手では触らないというのです。でも、手でつかんではいるのですよね。ええーっ、気色悪い・・・。
 さらに洞窟の奥にハクビシンがいたりします。ヘビなんかが、うじゃうじゃいるなんてことはないのでしょうか。
 コバヤシ先生の実験室では1メートル以上もある大きなアオダイショウを飼っています。ヘビを見たとき、モモンガがどんな反応を示すのかという実験もします。そして、ヘビが逃げたら追いかけて、尻尾をつかまえるのです。いやはや、私は生物学者になんて、とてもなれません。
私も小学生のころには、カエルを手でもって、地面にたたきつけて股をさいて皮をむき、ザリガニ釣りのエサにしていました。カエルのもも肉は絶好のエサなのです。ところが、成人してからは、カエルなんてとても触れません。梅雨になると家の周囲に全身緑色の小さなアマガエルが姿をあらわしますが、ともかく見るだけです。
 海水魚の話そして、犬が罪悪感を感じるのか、など、10冊目のこの本にも興味深い話が盛りだくさんです。なにより、写真がたくさんあるので見ても楽しいのです。
 コバヤシ先生と学生の皆さん、引き続きがんばってくださいね。
(2016年5月刊。1600円+税)
先日うけた仏検(一級)の結果が分かりました。46点でした(150点満点)。自己採点は54点ですから、8ポイントも下まわっています。これは仏作文、書きとりが自己評価以上に悪かったのだと思います。残念です。ちなみに合格点は84点ですので、あと40点も上乗せする必要があります。まだまだ険しい道のりです。くじけず、めげずに引き続きがんばります。

父の遺言

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  伊東 秀子 、 出版  花伝社
 北海道で現役の弁護士として活動している著者は衆議院議員を2期つとめています。孫を可愛がっていた優しい父は、1987年に85歳で亡くなりました。その遺言書には次のように書かれていたのです。
 「子どもたちよ、ありがとう。日本に帰ってからの私の人生は、本当に幸せでした。兄弟仲良く過ごしなさい。絶対に戦争を起こさないように、日中友好のために、力を尽くしなさい。父より」
 明治35年に鹿児島県に生まれ、陸軍士官学校から憲兵隊に入って、満州に渡り、憲兵隊長(憲兵中佐)として活動した。日本の敗戦後、シベリアに送られ5年間すごしたあと、中国の撫順戦犯管理所に入れられた(1950年7月)。そして、1956年7月に特別軍事法廷で、禁固12年の刑に処せられた。その犯罪事実のなかには、731部隊に中国人22名を送ったということもあげられていた。
 731部隊とは、陸軍(関東軍)の秘密部隊であり、中国人などを生体実験の「材料」とし、残虐なかたちで死に至らしめた。少なくとも3000名以上もの人々が名前を奪われ「マルタ」と呼ばれ、全員殺害された。
 著者の父親は憲兵部隊長として44名もの中国人を731部隊に送ったことを認めた。中国から帰国したあとは、家族のために一所懸命に働き、子や孫にあり余るほどの愛情を注いでいた父親が、軍人時代に、中国で凄惨な生体実験にこんなにも多くの中国人を送り込んでいたとは・・・。
「戦争は、人間を獣にし、狂気にする」
「戦局が悪くなると、ますます指揮官も兵隊も狂っていく。そして歯止めが利かない」
ごくごく普通の人間が、同じ人間なのに、虫ケラとしか思わないようになり、むごたらしく殺して平気になる。それが戦争の狂気です。そんな世の中に再び逆戻りさせようとする自民・公明のアベ政権を許しておくわけにはいきません。それを実感させてくれる本でした。
(2016年6月刊。1700円+税)

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