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僕とおばあさんとイリコとイラリオン

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ノダル・ドゥンバゼ 、 出版  未知谷
不思議なストーリー展開の本です。
今はジョージアと呼ばれていますが、少し前までグルジアと呼んでいた国で、少年が大人になっていく過程がつづられています。
ソ連時代のグルジア共和国ですので、ナチス・ドイツがソ連に攻めてきたころのことから物語は始まります。そして、ソ連ではスターリン圧政の下で粛清の嵐が吹き荒れていて、少年の父親も、その犠牲になりました。だから、少年は父方の祖母(おばあちゃんです)のもとで暮らすのです。
グルジアの歴史が訳者によって紹介されています。
グルジアの最盛期は12世紀から13世紀にかけて。タマル女王の治世下です。そのあとモンゴルが来襲し、さらにチムール帝国がやってきて、グルジアは壊滅的な打撃を受けた。西グルジアはオママン帝国に、東グルジアはペルシアによって分割して支配された。グルジアはソ連邦を構成する一共和国だったが、1991年に独立して、現在に至っている。
大人たちは、何かというとすぐウォッカを飲みます。
変てこな大人たちばかりのなかで、少年は、ひょうひょうと生きていきます。
こんな会話が出てきます(70~71頁)。
「ドイツは、モスクワのそばで身動きできないんだ」
「第二戦線はどうなってる?」
「大した変化はないな。それにしても、イギリスはとんでもなく卑怯な奴らだぜ。ソヴィエトは放っておいて、俺たちは手を貸してくれって、アメリカに頼むんだ」
「で、アメリカは何て言ってる?」
「それは、おまえの仕事じゃないだろうって」
・ ・・
「じゃあ、日本は?」
「日本はドイツが尻を叩いているんだよ。じっとしていないで、早くおっぱじめろよって。すると、日本が答えるんだ。そっちがモスクワのそばでじっとしてるってのに、オレたちはいったいどっちに行ったらいいんだよ、ってな」
「それでドイツは何て言ってるの?」
「ラジオで二回言ってた。我々はスターリングラードを征服したって・・・それで日本をだまし
通せるとでも思ってやがる」
「ドイツは、もう終わったな」
日本の参戦はドイツ軍のスターリングラードでの敗北のあとだったようです。
独特のグルジア語らしきものが本の表紙に飾られています。私はまったく初めての文字で
した。グルジア(ジョージア)文学って、こういうものなのかと、初めての体験に戸惑ったというのが正直なところです。
(2004年3月刊。2500円+税)

沈黙法廷

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 佐々木 譲、 出版  新潮社
老年男性の不審死が相次いで発生します。疑われたのはフリーの家事代行業の女性。現代日本における一人暮らしの男性に忍びよる危険が背景にあります。
金持ちの中高年男性をターゲットとする危険な商法があるのです。その名簿が売られて
います。高額な商品を買った人のリスト。バリアフリーのリフォームをした人のリスト。訪問介護を受けている一人暮らしの人のリスト・・・。
いろんなリストが売買されている世の中です。そして、暮らしを成り立たせるのも難しい女性がたくさんいます。資格がなくてもやれる仕事として家事代行業というのがあるのですね・・・。
ひところ便利屋が流行していましたが、最近はあまり目立たなくなりました。
警察小説の第一人者である著者が、弁護士の監修も得て、迫力ある法廷場面を描いています。まるで実況中継していると思えるほど、真に迫っています。
状況証拠だけで被告人を有罪とできるのか・・・。
検察と弁護側の激しい攻防戦が繰り広げられるのですが、自分の過去を知られたくない被告人の女性は、突然、証言台で「答えたくありません」を連発しはじめるのです。
いったい、なぜ。どうして、そんな自分に不利な行動をするのか・・・。
世の中には、白か黒でスパッと割り切れないことがたくさんあるのですよね。そして、本当はクロではないかと思いつつ、シロとなったり、逆に明らかにシロなのに灰色で有罪となったり・・・。不条理、不合理にみちみちた世の中です。
550頁をこす大作です。休日の半日で、一気に読了しました。
(2016年11月刊。2100円+税)

料理通異聞

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 松井今朝子 、 出版  幻冬舎
 江戸にあった有名な高級料亭「八百善」の成り立ちを活字にした「舌品」の時代小説です。「八百善」という存在は前から知っていましたが、どうやら今に続いているようです。なんと十代目がおられるとのこと、すごいですね。
 著者の料理に関する描写は並はずれています。その素材の扱い方から調理法まで、よくもここまで調べたものだと驚嘆していましたら、著者自身が「あとがき」で曾祖父の代から続いている京都の料理屋(割烹『川上』)の長女として生まれ育ったというのです。
もちろん取材もされたのでしょうが、ともかく、美味しい料理をつくる工夫が微細に語られていて、それだけでも心が惹かれます。
どんな料理も手間のか方ひとつで味がまるで違ってくる。料理は何もないところで一から生み出すものではない。昔から伝わる仕方にほんの少し工夫を加えたり、しっかりと手間を欠けることで独自の味を創るのだ。
さばいた魚をすり身にするときには、並みならぬ丁寧さが他に優る味を生み出す。一方で、魚をさばくときには、思い切りの良さが要る。
何事も手早くして、熱い汁は熱いうちに出すのが、やはり料理の肝腎かなめだ。
 茶漬けを所望する客に対して、時間をかけて食材から水まで、手間ひまかけて取寄せて差し出した。そして二人分で一両二分を請求した。ふつうなら36文、安い店なら12文でも食べられるお茶漬けに、「八百善」が二人分で一両二分の値をつけたという話は江戸中に広まった。
「八百善」には、将軍様まで立ち寄ったようです。
「八百善」は『料理通』という本を刊行していますが、当時の著名な文化人である、大田南畝(なんぽ)などが序文や挿画を寄せています。当時、ベストセラーになりました。
油揚げをつまんで口元に寄せると日向(ひなた)臭いような匂いがした。噛めば大豆の甘みがじわじわと口中にひろがって、善四郎(主人公です)は母親の懐に抱かれたようなほっこりした気分だ。干瓢(かんぴょう)の出汁は強い主張がなくとも、大豆のほのかな甘みを損なわずに、巧(うま)く引き立てている。
 どうですか、うまいですよね。ついつい美食のワールドに引きずり込まれてしまいます。
 江戸時代の食文化の極みがよく再現されていると、読みながら何度も驚嘆しながら大いに楽しませてもらいました。
(2016年12月刊。1600円+税)

シェイクスピア

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 河合 祥一郎 、 出版  中公新書
ヒトゴロシの芝居をイロイロ書いた。シェイクスピアが生まれたのは、1564年4月23日ころ、亡くなったのは1616年4月23日。52歳で死んだことになる。1616年は、徳川家康が死んだ年でもある。
シェイクスピアは、生涯にわたって王族のカリスマ性に圧倒され、それを舞台でも表現しようとした。
シェイクスピアは、20歳の若さで三児の父親だった。当時のイギリスでは、劇の作者が誰なのかは、あまり問題にされなかった。それは江戸時代初期の歌舞伎の狂言作者と同じだった。そして、当時の台本は、何人かの書き手が共同で一冊の台本を書き上げることが日常茶飯事だった。
世の中の大きな流れにくみせず、少数派の見方も否定しないのがシェイクスピアの書き方。『ヴェニスの商人』には、当時蔑視されていたユダヤ人の視点も取り入れ、キリスト教徒たちの偽善性が暴かれている。
シェイクスピアは1604年、薬屋を35シリング10ペンスの不払いと10シリングの賠償金を求めて裁判に訴えた。シェイクスピアは、金銭に細かい人物だった。そして、当時のイギリスは、こんなことでも裁判沙汰にするほど訴訟が日常茶飯事だった。
シェイクスピアは1616年4月23日に亡くなったが、死の3ヶ月前に遺書を書いている。したがって、病死したと考えるのが自然だ。
シェイクスピアの演劇に幕は必要なかった。大掛かりな舞台装置は使われず、いわゆる場面転換もなかったからである。
張り出し舞台で、平土間には客席がない。つまり、客は立って観劇していた。
シェイクスピアの舞台は狂言と同じで、幕のない張り出し舞台で、女優も登場しない。女役は少年俳優が演じた。
シェイクスピアの劇をはじめ、エリザベス朝の演劇では、変装が頻繁に用いられた。76%もの劇で変装が用いられている。ただし、変装は基本的に喜劇的な手法であるため、悲劇では、あまり用いられない。
日常生活ではロゴス(理性)に支配されることが多いが、演劇は理性と対立する感性の世界においてその力を発揮する、そして、そこでもっとも重要となるのは想像力だろう。それは、ときに新たな現実そのものをも生み出す力さえ持っている。
さまざまな人々の生きざまを描いてきたシェイクスピアが最後に到達したのは、「信じる力」の大切さだった。いかに生きるか、それが問題だ。
久しぶりにシェイクスピアを読んでみたくなりました。
(2016年6月刊。820円+税)

チェロと宮沢賢治

カテゴリー:日本史(大正)

(霧山昴)
著者 横田 庄一郎 、 出版  岩波現代文庫
花巻にある宮沢賢治記念館には何度か行きました。『注文の多い料理店』とか『銀河鉄道の夜』とか、味わい深いものが多いですよね。『セロ弾きのゴーシュ』もよく出来ていると思います。
この「セロ」というのは、チェロのことです。昔はチェロのことをセロと言っていたのが、いまの日本ではチェロのことをセロというのは、この『セロ弾きのゴーシュ』のみ。そうなんですね・・・、改めて知りました。
宮沢賢治にとって、チェロは身近な楽器だった。賢治のもっていたチェロの胴の中には、「1926、K、M」という署名が入っている。
賢治は、自分用にチェロを買った。そして、一生けん命チェロを弾いて練習した。
賢治は労農等のシンパだった。労農党の活動家から賢治はレーニンの『国家と革命』を教わった。勉強に疲れると、レコードを聞いたり、セロをかなでた。賢治は羅須地人協会時代において、まぎれもなく労農派のシンパであり、協会はその運動を実践するためのものだった。
宮沢賢治がレーニンの『国家と革命』を学んでいたとは初耳です。私も大学生のころ、一生けん命にレーニンの本を読み、深い感銘を受けました。
宮沢賢治が亡くなったのは1933年(昭和8年)9月21日、37歳だった。その葬儀には2000人の会葬者があった。二・二六事件(1936年)の3年前のことですね・・・。
賢治の弾くチェロを聞いた人は、下手だったと評します。
「ベーベー、ブーブーって、馬の屁みたいな音を出して・・・」「彼の演奏は、ぎいん、ぎいんの域から脱け出るけしきはなかった」
賢治は、なにしろ運動神経が鈍かった。しかし、賢治はチェロを弾きたかったのだ。
生涯独身だった賢治は、チェロを「俺のカガ(妻)」とも言っていた。
『セロ弾きのゴーシュ』のゴーシュとはフランス語。下器用な、下手な、ぎごちないという言葉だ。
賢治とチェロの関わり、そして、社会との関わりについて、いろいろ知ることが出来ました。花巻の賢治館は必見の場所です。まだ行ってない人は、ぜひ足を運んでみて下さい。
(2016年3月刊。1180円+税)

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