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西郷隆盛

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 家近 良樹 、 出版  ミネルヴァ書房
2018年のNHKの大河ドラマで主人公として取り上げられる西郷隆盛の実像に迫った本です。なんと本文だけで550頁もある大著です。それだけの分量をもってしてもまだまだ十分に西郷隆盛なる偉人を十分に分析しきれていないのではないかという感想をもちました。
著者は本書の最後で、次のように西郷像をまとめています。
たしかに豪傑肌で、これ以上ない大役を与えられても見事に演じきれるだけの力量のある千両役者だったが、その反面、律義で繊細な神経の持ち主だった。そして、そのぶん、苦悩にみちた人生を歩み続け、最後は城山で悲惨な死を迎えざるをえなかった。
西郷は、多情多感ともいえるほど情感の豊かな人物で、人の好き嫌いも激しく、しばしば敵と味方を峻別し、敵を非常に憎むこともある人物だった。つまり、西郷は完全無欠な神のような人物ではなく、人間臭く親しみのもてる人物だった。西郷は人を激しく憎むことができるほど他人と深く関われたぶん、愛されることも多かった。
幕末の上野戦争、つまり上野での彰義隊との戦争で西郷は作戦の陣頭指揮をとった。事前に十分な準備をしていたことから大勝利を収めた。このとき、従軍看護婦が活躍したが、西郷はその処遇について細かく指示した。また、爆薬を運搬する臨時雇いの軍夫の給金を7日文ごとにきちんと支払うよう指示したり、こまごまと具体的に指示している。
このように西郷の実際は、のほほんとした無頓着な人物ではなかった。
それに続く戊辰(ぼしん)戦争において薩摩藩の仇敵ともいうべき庄内藩が降伏、開城したあと、西郷は残酷な仕返しを禁じ、寛大で平和的に処遇した。西郷は、相手が白旗を掲げれば許すという考え方の持ち主だった。
この寛大な処遇が西郷の指示によるものだと知った庄内藩の人々は、西郷に対して敬愛の念を抱き続けた。明治3年には、旧藩主が70人を連れて鹿児島に行き、数ヶ月間も兵学の実習を受け、西郷に教えを乞うた。
西郷隆盛は若いころは、180センチの長身だったが、やせてスマートでもあった。太ったのはストレスによるものだった。
西郷は、若いころ、はじめは赤裸々に自分の感情を相手にぶつけていたが、次第に本心を心の奥深くにしまって対応することが再上洛後は格段に多くなった。西郷は計算高い男だった。西郷は苦しい状況下になればなるほど、めげることなく強気の姿勢に徹した。
そして、冷静な現状分析から対策を講じた。西郷は策略家としての本性を発揮した。西郷は、事前に対策を綿密に立てるのがすこぶる好きな人物だった。そして、それは常識的な判断の下になされた。自分のところに集まってきた各種の情報を客観的に理詰めに分析し、そのうえで相手の意表に出るのを得意とした。
廃藩置県は日本史上でも指折りの転換点だったが、これも西郷の積極的な同意によって初めて実施が可能になったものである。
では、なぜ西郷は十分な準備もなく西南戦争を始めてしまったのか・・・。そして、途中で止めなかったのか・・・。大いに疑問です。
西郷隆盛には5人もの子どもがいたようです。その子孫は今も健在なのでしょうか・・・。弟の西郷従道のほうは子孫がいると思いますが、隆盛の直系の子孫がいるとは聞いたことがありません。どなたか教えてください。西郷隆盛の実像に迫った興味深い本です。
(2017年8月刊。4000円+税)

弁護士日記 タンポポ

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 四宮 章夫 、 出版  民事法研究会
倒産法の分野で高名な大阪の弁護士が日記を本にしたものです。これが3冊目です。
この本を読んで、著者が私と同じ年に生まれていることを知りました。私と違って、8年間の裁判官生活のあと、弁護士になっています。ですから私と同じ団塊世代です。
団塊世代について、「団塊の世代こそ、戦後の一時期、花開いた民主主義を満喫できた、幸せな時代を生きた世代であった」としています。なるほど、そうなのかもしれないと私も思いました。ただ、「幸せ時代」を団塊世代が独り占めしてはいけないとも考えます。やはり、後の世代になんとかして平和な時代を受け継がれるようにするのも団塊世代の義務ですよね。
その点、著者はこの日記のなかで、いくつも需要な指摘をしています。
日本は急激に貧困化している。日本の格差社会は国際金融資本から強制された構造改革がもたらしたもの。日本の富裕層が、グローバル資本の圧力を追い風として、自民党政府に対して構造改革の推進を迫り、積極的に自らの所得の拡大を図り、その結果、日本の格差は拡大した。
金持ち優遇税制は、所得税と住民税の最高税率が1986年に88%だったのが、1994年には65%、2006年からは50%というようにあらわれている。1億円以上の報酬を得ている会社役員が408人もいる。
新自由主義と呼ばれる経済運営の手法は、経済規模を拡大し、資本家を喜ばせるだけの政策にすぎず、もたらされる利益が労働者に還元されるというのは誇大宣伝にすぎない。
連合(日本労働組合総連合会)は、「高プロ」に同意するなど、全国の労働者を裏切っている。
以上のような著者の指摘に、私はまったく同感です。
ロータリークラブの会員が1997年に13万人だったのが、2015年に9万人にまで減っているというのを初めて知りました。これも日本の中小企業の衰退を反映しているのではないでしょうか・・・。
著者は、裁判所、調停委員に対して苦言を呈しています。この点も、私は同感するところがあります。裁判所は伝統的に権力と大金持ちに甘いですが、今も同じです。
家庭裁判所の裁判官の劣化は著しい。調停委員にしても、当事者の主張に十分に耳を傾けず、自分の意見を押しつけようとするばかりだ・・・。
著者は最高裁長官が司法権の独立を自ら踏みにじっていたことを厳しく批判しています。私も前に指摘している田中耕太郎のことです。
田中耕太郎は自衛隊違憲の判断をした伊達判決をひっくり返すためアメリカ大使と面談し、その指示を受けて、裁判官の評議内容まで全部もらしていたのです。この事件ではアメリカは実質的な当事者ですが、その一方当事者から判決内容についてことこまかく打合せ(実際には指示されていた)をしていたというわけです。こんな男が最高裁判官だったというのですから軽蔑するしかありません。まさに唾棄すべき男です。今からでも遅くありません。最高裁長官だったことを取り消すべく、何らかの措置を今の最高裁長官はとるべきです。そそて、国民に向かって謝罪すべきです。それは、ハンセン病患者の法廷を非公開でしていたことについて、その非を認めたのと同じ措置をとるべきだということです。やろうとすればやれないはずありません。なにしろアメリカ政府側の公文書公開によって明らかとなった事実なのですから。そのような措置をとらない限り、今の最高裁には司法権の独立を唱える資格はないということになります。
著者は6年前に電車に乗っていて脳梗塞の発作を起こしたとのことです。幸い後遺障害がないので、本書のように書くことも弁護士の仕事も出来ているとのこと。これからも健康に留意されて活躍されんことを心より祈念します。
(2017年10月刊。1300円+税)

PC遠隔操作事件

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 神保 哲生 、 出版  光文社
ひところ、大いにマスコミで騒がれた事件の詳細を明らかにした本です。
この本を読んで私が驚き、かつ怖いと思ったことが二つあります。その一は、インターネット上では簡単に他人になりすますことが出来ること、そして、警察だって簡単には見破れないということです。そして、その二は、やってもいないのに、自分が犯人だと「自白」してしまう人が、今もこんなに多いのか、また、警察は罪なき人を容易に「犯人」に仕立てあげるものなのだ、ということです。
なりすまし事件の犯人は、飛行機に爆弾を仕掛けたと脅しました。毎月のように飛行機に乗る私としては決して他人事(ひとごと)ではありません。世の中には言ってはならない「冗談」があるのです。
真犯人の母親は、一緒に住んでいて、本人がシラを切っているのに、ずっと疑っていたということです。さすがに母親の直観は鋭いですよね。
その生育過程には、いろいろあったようですが、真犯人は、いってしまえば、フツーの社会人でした。そんな人が社会への挑戦(リベンジ)のようにして、してはいけない「冗談」(許せないレベルです)をしてしまったのです。人を殺してないのだからいいだろうということで許せるものではありません。
550頁もの大作ですが、息を詰めて一気読みしてしまいました。
騙された弁護人は私と同世代の、大学生のとき以来よく知っている高名な刑事弁護のプロです。弁護人としては、本人の言うことを尊重しなければいけませんので、真犯人が告白したとき大変なストレスを抱えたものだと同情します。
自分のパソコンが何者かによって遠隔操作され、犯罪に利用される。そして、その「被害者」たちが、次々に警察に逮捕されたときに、やってもいない犯行を「自白」していった。そのうえ、何の落ち度もない一方的な「被害者」が、その実名を広く報道されたことによって多大な二次被害にあっていた。
いったん「犯人」(被疑者)として報道されると、あとで無実だと判明したとしても、その受けたダメージの回復は容易ではありません。
なぜ、やってもいない人が「自白」してしまうのか。その理由の一つとして、次のようなケースがありました。つまり、同棲中の女性が自分の知らないところで犯行したのだと思い込み、その彼女をかばうために警察の言いなりにウソの自白をしていたのでした。
うむむ・・、なんとも身につまされますよね。警察は、そんな「犯人」(実は無実の人)を逮捕したとしてマスコミに大きく報道させます。江戸時代の「市中ひきまわしの刑」のように、テレビカメラのライトにあて放映させるのです。たまったものではありません。
真犯人は、結局、懲役8年の実刑になりました。少年時代のいじめ、成人してからの刑務所での暴力的な仕打ちを受けたことが、社会への「報復」に走らせたようです。他人(ひと)に優しくすることが日本社会全般に乏しくなったことがその背景にあるような気がしてなりません。ネット社会の危険な落とし穴を明らかにする本だと思いました。
(2017年5月刊。2400円+税)

皇軍兵士、シベリア抑留、撫順戦犯管理所

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 絵鳩 毅 、 出版  花伝社
著者は28歳のとき補充兵として召集され、4年間の中国戦線での軍隊経験を経て、シベリアに5年間の抑留のあと、中国で戦犯管理所に6年間も収容されました。日本に帰国したのは、1956年9月、43歳のときでした。
その著者は東大でカントの道徳哲学を学び、文部省に入って検閲業務に嫌気がさして退職して高校教師になったのです。ところが、徴兵され兵士になって初年兵のときに受けた私的制裁(リンチ)はすさまじいものでした。
初年兵は、四六時中、私的制裁の恐怖にさらされていた。それに反抗できるのは脱走か自殺しかなかった。そして、それぞれ1人ずつ実行する初年兵がいた。
軍隊とは、人格を物体に変えようとする、あるいは人間を殺人鬼に変えようとする、無謀な軍需工場ではないのか・・・。初年兵は、次第に精神を荒廃させていった。
軍隊では要領が尊ばれる。「奴隷の仮面」をかぶって、相手の暴力をやわらげる。それは、自分が二重人格に落ちることを意味する。
苦力(中国人の労働者。クーリー)を横一線に並べ、その後を着剣した日本兵が追い立てる。八路軍の仕かけた地雷をいや応なしに自らの生死を賭けた「人間地雷探知機」にしたのだ。おかげで日本兵は一人も死傷者を出さず、中国人には死傷者が出たものの、そのまま放置して日本軍は前進した。
初年兵を迎え入れて、捕虜の「実的刺突」を実施した。生きた中国人を突き殺すのだ。30人ほどの中国人捕虜は、みな逃げ遅れた農民たちだった。
「戦争に非道はつきものだ」
「戦争だ、やむをえない」
このように自分に言いきかせて自己弁護した。
「これでお前たちもやっと一人前の兵隊になれたなあ、おめでとう」
と初年兵を励ました。
シベリアで食うや食わずの生活から中国の戦犯管理所に入ると、十分な食事が与えられ、著者たちは驚き、感謝するのでした。
管理所の職員が一日に2食の高梁飯(コーリャンメシ)しか食べていないのに、日本人戦犯は白米飯を一日3食とっていた。さらには、おはぎ、寿司、モチ、かまぼこまでも食べていた。人間の食事だった。そして、週に1回は、大きな湯舟で風呂に入ることができた。月に1回は理髪室で調髪してもらった。このように中国では日本人戦犯を人間として扱ってくれた。
部屋では連日の遊び合戦が展開された。囲碁・将棋・マージャン・トランプ・花札。
戦前、中国人をチャンコロと軽蔑し、殴る、蹴る、犯す、焼く、殺すと、非業の限りを尽くした日本人戦犯に対して、被害者の中国人は殴りもしなければ、声を荒げることさえしなかった。この一貫した中国当局の人道主義的待遇、管理所職員たちの人間的偉大さの前に、戦犯たちは、ついに頭を下げざるをえなかった。そして、反省と自己批判の立場に移ることができた。
これは決して洗脳ではありませんよね。人間的処遇のなかで十分な時間をかけて、到達した考えを「洗脳」なんて言葉で片付けてほしくはありません。
ところが、日本に帰った元日本兵に対して、日本社会は「中国帰り」として冷遇したのでした。
著者は97歳のときに講話をしたあとの質疑応答のとき、「もしもまた同じような状況になったら、どうしますか?」と問われ、「私はまた、同じようにするでしょう。皆さんだって、そうです。それが戦争です」と答えた。実に重たい答えです。じっくり考えさせられる、価値ある本です。
(2017年8月刊。2000円+税)

憲法学からみた最高裁判所裁判官

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 渡辺 康行・木下 智史・尾形 健 、 出版  日本評論社
法律時報の連載が一冊の本にまとめられていますが、田中耕太郎のところを読んで、正直いって、がっかりという以上に、あまりにひどいと、情なく思いました。田中耕太郎という男は(私は、この男を軽蔑していますから、呼び捨てします)、かの砂川事件の裁判で司法の独立をなげ捨て、実質的な裁判当事者であったアメリカに裁判の合議状況の秘密をもらしたうえ、その指示どおりに判決を書きあげたのです。にもかかわらず、評者(尾形健)は、そのことに知ってか知らずか(知らないはずはないでしょう。万一、知らなかったとしたら、学者としてあまりに恥ずかしいことです)。一言も触れず、「不世出の法律家」などと尊称をつけています。読んでいる私のほうが恥ずかしくなりました。やめてください。
私は田中耕太郎という恥ずべき裁判官が日本にいたことは日本の戦後司法の最大の汚点だと考えています。にもかかわらず、タイトルは「不撓の自然法論者」となっているのです。砂川事件判決の裏の事情が判明するまでなら許されたタイトルでしょうが、今では裁判官罷免事由に該当しますし、退職金の返納を命じ、もし肖像画が裁判所に掲げられているのなら、直ちに取り外すべきものです。
私は、このコーナーでは本の非難をしたことがありません(今後もするつもりはありません)が、最高裁判所の裁判官の一人に、法曹界に身を置くものとして絶対に許せない人物を無条件で評価する本を見てしまった以上、書かざるをえませんでした。
この田中耕太郎以外については、私も怒りを静めて読み、大変勉強になりました。
この本のなかで私の印象に残っている最高裁判事としては滝井繁男判事と泉徳治判事です。「過払い」バブルを生んだ滝井判事は、憲法の理念にそっていない法律はもっとあるのではないかと自戒をこめて指摘したとのことです。まったく同感です。
そして、泉徳治判事は、典型的なキャリア裁判官のエリートコースを自ら歩んでいながら、憲法の求める司法の役割を強調しました。このコーナーでも紹介しました『一歩前へ出る司法』には深い感銘を受けました。
最後にもう一回、繰り返します。学者には、最高裁判所のあり方を、もっと端的に遠慮なく批判してほしいと思います。アメリカの指示するとおりに書き上げた判決をあれこれ解釈するだけって、本当にむなしいことではありませんか・・・?
(2017年8月刊。4600円+税)

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