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にっぽんスズメ散歩

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ポンプラボ、 出版  カンゼン
 身近なスズメたちが写真に生き生きとうつっています。
 驚くのは、そのスズメを固体識別として、名前までつけて観察していることです。
 よほどじっくり、そして長期間見ていないと、とても出来ませんよね。
 毎日観察していると、スズメの個性も見えてくる。
 オデキちゃんは、くちばしの上にオデキがある。性格は穏やかでなぜか高いところが好き。ケンカは苦手で、仲間たちの周りをいつも走り回っている。
 ゲンちゃんは元気一杯に生きている。右足の先に障害があり、いつもべたんと座っている。
 シロマユ君。左目の上に眉毛のように白い筋がある。いつも仲間を一緒で絶えず動き回っていて、カメラを向けていると、割り込んでまで写ろうとする。
 ボサくん。ボサボサの毛をしていた。臆病で仲間に食べ物をとられることが多い。
スズメを写真にとるとき、人の気配があると近くに来てくれないので、窓ガラスにマジックミラーフィルムを貼って、ことらの気配をさとられないようにする。
 スズメは聖書にも登場している。身近な鳥の代表選手だった。
 大きな公園のスズメは人間が来てもあまり怖がらず、むしろ人間を見ると近寄ってくるのもいる。なので、スズメをよく観察したいのなら公園に行くのは一番の近道。
 スズメのドアップで鮮明な写真がたっぷりみられる、楽しい写真集です。
 
(2017年7刊。1400円+税)

目立ちたがり屋の鳥たち

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者  江口 和洋 、 出版  東海大学出版部
 タイトルから想像される内容とは異なり、鳥について、多角的なアプローチがなされている本です。
 これまで鳥類は嗅覚が鋭敏ではないとされてきたが、ミズナギドリ類などの海鳥などでは、においが信号として重要な役目を果たしていることが最近わかった。ミズナギドリ類は、個体ごとに独特のにおいをもち、このにおいをもとに、視覚のきかない夜間でも、つがい相手のいる自分の巣穴の位置をつきとめることができる。
 地中海沿岸にいるクロサバクヒタキはスズメより小さい鳥。オスは巣の近くに多くの小石を運ぶ。多くの小石を運んだオスとつがいになったメスは早く産卵を開始し、産卵数が多い傾向があり、小石を運ぶ量の少ないオスのつがいより多くのヒナが巣立つ。つまり、メスはオスが運ぶ小石の量でオスの質を評価し、早く繁殖を始めて、より多くの卵を産むことで、つがい形成後の繁殖投資を高めている。また、小石を多く運ぶオスは、ヒナの誕生したあと、ヒナへの給餌回数が多い、良い父親でもある。
 ホシムクドリでは、長い歌をさえずるオスほど早くメスを獲得し、また、より多くのメスを獲得する。
 オオガラは、長い歌をさえずるオスは、つがい外交尾(浮気のこと)に成功することが多く、自身のつがいメスが、つがい外交尾をすることが少ない傾向にある。
 カラスはダチョウの卵の殻を割ることができない。そこで、殻を割っているハゲワシにつきまとい、殻が割れた瞬間に集団で攻撃し強奪する。いやはや、すごい知能犯集団です。
 ヨーロッパのカササギは、日本と同じく小枝をつかって大きな巣をつくる。少し異なるのは、日本のカササギは例外なく立派な屋根つきのドーム状の巣をつくるけれど、ヨーロッパのカササギは、屋根のない巣をつくるものもいる。屋根があると、捕食者のカラスが入りにくく、卵やヒナが捕食される危険を小さくできる。
 カササギは巣をつくるのに費やす時間が短く、早く巣をつくるオスのつがい相手のメスは多くの卵を産んだ。カササギのメスは、巣や造巣行動を手がかりに、オスの造巣能力、ひいてはオスの資質を評価して、能力の高いオスとつがった場合は、産卵数がふえる。
 闘争能力の高い個体は、冬期の餌の確保や繁殖期のなわばり占有を通じて適応度を高めている。これに対して闘争能力に劣る個体は、頭をつかって別の道を探る方向に進んでいる。
 鳥にもいろんな鳥がいて、それぞれ適応・発達していることがよく分かる本です。
(2017年4月刊。2800円+税)

戦国の軍隊

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 西股総生 、 出版  角川ソフィア文庫
 戦国時代の戦闘の実際を詳細に紹介していて、大変勉強になりました。
 当時、早朝から戦闘を開始するには合理的な理由があった。夜間に移動・展開をすませたほうが、自軍の行動や布陣状況を秘匿しやすいし、戦闘のために昼間の時間をできるだけ長く使うことができるから。
 戦国時代の軍事力構造を考えるうえでは、火力(鉄砲)の組織的運用と、個人のスタンドプレーという二つの要素が重要なカギとなる。
 江戸時代には、大小二本の刀を腰に差すのは武士に限られていたが、刀や脇差だけなら、庶民も普通に携行していた。中世にさかのぼると、一般庶民は刀だけでなく弓や槍(やり)も普通にもっていた。
武器を所有・使用する者が武士ということではない。武士とは、「武」を生業(なりわい)とする者のこと、ひらたく言えば、戦いや人殺しを生業とする家の者、戦いや人殺しのプロ、つまり職能戦士ということ。
 中世の戦場では、武士たちは、常に顔見知りの者たちと声をかけあって、互いに相手の戦功を証言できるようにしていた。
 戦国時代の日本では、軍隊が等間隔で整然と隊列を組んで行動する習慣はなかった。そうした行動をとる必要性がなかったからだ。
 足軽は、基本的に武士でない者、つまり主従性の原理が適用されない集団だった。彼らは金品で雇用され、軽装で戦場を疾駆し、放火や略奪に任じた。非武士身分によって構成される非正規部隊、これが傭兵的性格の強い集団としての足軽の本質だった。
 足軽大将のような指揮官クラスの者は、もともとが侍身分の出身か、もしくは侍身分として扱われ、騎乗して参戦していたのだろう。
 戦場での侍たちの主要な武器が持鑓(やり)になり、徒歩戦闘の頻度が高まった結果、侍たちは次第に馬上で抜刀する技術を失っていった。
 中世の軍隊は、兵糧(ひょうろう)自弁が原則だった。自分の領地から送金を受け、出入りの商人たちから、めいめい食糧や日用品等を購入して、陣内での生活を維持していた。
戦国時代の合戦の実相をめぐる論争に一石を投じた本だと思いますが、いかがでしょうか・・・。
(2017年6月刊。960円+税)

兵農分離はあったのか

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 平井 上総 、 出版  平凡社
戦国時代、そして江戸時代、兵農分離した軍隊は、本当に強かったのか・・・。
江戸時代、儒学者の熊沢蕃山(ばんざん)は、兵農分離が兵の弱体化を招いたと考えていた。
武家奉公人の上層部分は、戦場での働きを期待される戦闘要員だった。この武家奉公人とは、武士に仕える従者であるが、二種類あって、長年主人に仕える譜代(ふだい)奉公人と、一年任期の年季(ねんき)奉公人がいた。
武田勝頼は、武田家の行く末を決める重要な戦争だからこそ、百姓を動員すると言った。これを逆に言えば、百姓の動員は恒常的にできていたのではなく、大名家の一大事に限っていたことを意味する。
戦国大名は、もともと百姓を戦闘員と見なしてはいなかった。武士と奉公人は給地をもらい、軍役を賦課されて戦闘員として働き、百姓は年貢を納めて非戦闘として陣夫役をつとめるという身分別の役割分担があった。
私はこの本を読むまで、士農工商というのは日本の江戸時代で身分の上下関係をあらわすコトバだと思っていました。ところが、実は、この士農工商というコトバは、紀元前の中国で人々のつく職業の総称として使われていて、身分の序列を表したものではなかった。うひゃあー・・・ちっとも知りませんでしたよ。
現在の日本史の教科書(山川出版社の『詳読日本史B』)でも、士農工商を江戸幕府がつくったコトバとは紹介していない。そして、江戸時代では、農工商は序列化されていなかった。
豊臣秀吉は身分法令を発したが、これは朝鮮半島へ侵略するにあたって武家奉公人の逃亡という現実的課題を早急に解決しなければならないと考えたからのこと。同じく、朝鮮への侵略のとき、加藤清正は、戦争のために奉公人を多く集めようとする一方で、逃亡や質の低下に悩まされていた。
中世後期の村では、外敵と戦うために百姓が武装することは普通だった。
江戸時代の村には、武士のもつ鉄砲より村にある鉄砲のほうが多かった。たとえば、信濃国上田藩では、村の鉄砲327挺に対して城付鉄砲は100挺だった。刀狩り政策によって民衆が武器を根こそぎ奪われたというのは間違いである。刀狩りは、すべての武器を根こそぎ奪うものではなく、戦闘できる身分としての武士・奉公人とそれ以外を区別する、帯刀権の設定をもたらす身分政策だった。
結論として、兵農分離状態の実現を目指した政策はほとんどなかったと言える。結果的には、兵農分離という状態は、近世のかなりの地域で生じたものではあったが・・・。
士農工商の実際、そして兵農分離の現実を深く掘り下げている本です。大変勉強になりました。
(2017年9月刊。1700円+税)

いわさきちひろ、子どもへの愛に生きて

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 松本 猛 、 出版  講談社
この本を読まない人は、人生で損をすると思います。まして、いわさきちひろの絵をまだ見たことがないという人がいたら、お気の毒としか言いようがありません。世の中に、こんなに素敵な子どもの絵があるなんて、信じられないほどの傑作ぞろいです。
それにしても、いわさきちひろ生誕100年というのには驚いてしまいました。ええつ、そんな前に亡くなっていたんですね・・・。55歳で亡くなっていますが、とても可愛いらしい笑顔の写真を私も見慣れていましたし、童女たちの絵を見るにつけ、いわさきちひろは今もまだ身近な存在だったので、生誕100年というのは驚きでしかありませんでした。
一人息子である著者による伝記です。戦争との関わりが、とても詳しく描かれています。
ちひろたちが満州に渡って大変な目にあったことを初めて知りました。ちひろの母親が満州に娘たちを送り出す組織の事務方をしていたのです。満州は日本での前宣伝とはまるで違った悲惨な現実に直面するのでした。そして、日本に戻ってからは空襲にあって焼け出されてしまいます。戦後、ちひろは戦争中の悲惨な現実を見て、戦争反対でがんばった共産党に魅かれていくのです。
いわさきちひろの絵は天性のものかと思っていましたが、もちろんそれもありますが、画家や書道家を師匠としてきちんと指導を受けているのですね。さらに、絵本をつくる過程では編集者の厳しい注文も受けとめていることを知りました。天才だから初めからうまい絵が描けたのではなくて、天分に努力を加えて、いまの私たちが感動する絵が生まれたのです。
著者は1951年生まれですから、団塊世代のすぐ下の世代です。私も身に覚えがありますが、中学生のころには親とほとんど話をしたことがありませんでした。今から思えばもったいないとは思いますが、それは誰でも親から自立する過程で必要なことですので仕方ありません。
東京のちひろ美術館には行ったことがありますが。長野はまだです。この本を読んで、ますます行きたいと思いました。よく調べてあります。いい本をありがとうございました。
                          (2017年10月刊。1800円+税)

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