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写楽

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 渡辺 晃 、 出版 角川文庫
 ときは、寛政の改革で有名な松平定信が活躍したときより少しあとのこと。
 寛政6年5月に現われ、わずか10ヶ月したら姿を消した絵師、写楽。
 長らく写楽の正体は不明とされてきましたが、現在は四国は阿波国徳島藩の能役者・斎藤十郎兵衛だというのが有力説。
売り出し当時は、今ほど爆発的な人気はなかったようです。ところが、海外へ浮世絵が流出していくと、海外で写楽を高く評価する本が出て(明治43(1910)年)、その評価が日本に逆輸入され、写楽への評価が一変した。
 ふむふむ、よくある日本人の行動パターンですね、これって…。
 東洲斎写楽を押し出した版元(出版社)は、蔦屋(つたや)重三郎。背景に雲母をぜいたくに使った黒雲母(くろきら)摺(ずり)の役者大首絵で、大当たりをとった。
 寛政の改革のあと、江戸三座である中村座、市村座、森田座は、いずれも資金難に陥って休座した。その代わりを都座、桐座、河原崎座が興行した。
 写楽の大首絵には、ふてぶてしいまでの迫力を感じさせるもの。必死さ、緊張や恐怖の感情が看てとれる。顔を大きく描き、なおかつ身体の一部に動きをつけ、さらに縦長の構図に収めるのが写楽の大首絵。
 写楽は、二重まぶたや、まぶたの上のラインの描写を役者たちに施している。
 亡くなった役者を追悼して出される追善絵。これに対して、役者の死後すぐに出される絵を死絵という。
 蔦重は寛政の改革に際して、過料により身代半減という処罰を受けた。しかし、蔦重はめげることなく、逆に錦絵の分野でさまざまな趣向の作品を刊行していった。
 今も知られる一枚絵の名作は、むしろ写楽の処罰後のものが多い。蔦屋重三郎が亡くなったあとは、番頭の勇助が店を継承し、四代、幕末まで続いている。すごいですね。
 写楽の絵は、いつ見ても圧倒されて、思わず声が上がってしまいます。カラー図が楽しい写楽に関する文庫です。
(2024年9月刊。1340円+税)

ガザ紛争

カテゴリー:中近東

(霧山昴)
著者 鈴木 啓之 、 出版 東京大学出版会
 2023年10月7日、ハマースがイスラエルを越境攻撃したことから始まったイスラエルのガザ侵攻。いつまでたっても止まりません。本当に残念です。イスラエルの戦争は一刻も早く止めてほしいです。
10月7日のハマースの攻撃を予測できなかったことで、さすがのイスラエルの治安・国防体制も万全なものではないことを世界に証明してしまいました。
 イスラエルでは、9月半ばから3週間ほどは宗教上の理由から大型連休シーズンに入っていて、まさかパレスチナ人にこれほどの軍事攻撃をする意思と能力はないだろうと、ハマースを見くびっていたようです。
この10月7日には、3000人と推定されるパレスチナ人の武装戦闘員がイスラエル南部に流入し、キブツや駐屯地を襲った。これによるイスラエル人の死者1200人のうち、兵士や警察官は312人で、残3820人は民間人だった。また、240人もの人々が人質としてガザ地区に連行された。
 今もなお人員となった人々は全員が解放されてはいないようです。その安否が心配です。ハマースは一刻も早く解放すべきだと思います。
 ガザ地区へイスラエル軍の地上部隊が侵攻し、また空爆したことで、すでに4万人以上の人々が犠牲となっており、その半数は女性であり、子どもたちのようです。本当にひどい惨状です。
 ガザ地区の人口は220万人で住民の9割が避難を余儀なくされています。でも、ガザ地区って、イスラエルが完全に閉鎖しているのですよね。地区外へ脱出するのもままならないのです。
 ガザ地区にも富裕層はいるが、圧倒的多数の住民は難民を中心とする困窮家庭である。
 ガザ地区ではハマースが選挙で勝利し、対立するファタハ勢力を追放して単独内閣を形成している。今でもハマースによる支配は続いているのでしょうか…?
 住民の8割は人道的支援に頼って生活しているし、失業率は47%(2022年)、若者世代では64%(同)に達する。また、自殺率も急上昇している。
 イスラエルの政治は右傾化し、右翼のネタニヤフ首相が強権的な政治をすすめている。
 イスラエル最高裁は比較的中立的でリベラルな判断を示してきた。そこで、ネタニヤフ首相は「司法が左翼に独占されている」として、「司法改革」を進めていた。この動きは「10.7」のあと、どうなったのでしょうか…?
 「10.7」には、ハマースのほかイスラーム・ジハードなど、5つのパレスチナ武装勢力が参加したとのこと。事前の合同演習もしていて、イスラエルも、そこまでは把握していたのでした。
 イスラエル軍が早期警戒システムとして使用している観測気球7基のうち3基に不具合が発生していて、修理が必要だったのが先送りされていた。また軍事用ドローンや防御フェンスもあるのに、「10.7」を事前に予知できなかった。
 イスラエルの人々は、ガザ地区への広域の地上作戦を65%が支持している(反対は21%)。そして、イスラエル国防軍に対して「信頼している」というのが72%に達している。
 イスラエルにもパレスチナ系市民がいて、人口の2割を占めている。エルサレム市の人口の4割を35万人のパレスチナ人が占めている。パレスチナ人は居住権はあるが市民権はない。国政への参加は認められていない。
 イスラエルの軍事行動をもっとも強力に支えてきたのはアメリカ政府。アメリカはイスラエルの最大の軍事支援国であり、180億ドルも支出している。これはイスラエルの軍事費230億ドルの8割近い。
 国連のグテーレス事務総長は、国連憲章99条にもとづき、人道的な停戦の実現を安保する理事会に要請した。
 日本の岸田首相はハマースについて、当初こそ「テロ組織」と決めつけてなかったが、すぐに「テロ組織」と明言した。これは欧米の対ハマース強硬姿勢に追随するもの。
 日本政府は事態を打開するための積極的な外交努力を怠ったままである。私は、この最後のところがもっとも問題だと痛感しています。平和のため、日本政府は声を上げ、行動すべきです。
(2024年6月刊。1900円+税)

まだ見たきものあり

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 花伝社
 父の帝都東京日記というサブタイトルのついた本です。
 著者の父は17歳のとき単身上京しました。大学に入るためではありません。従兄弟(イトコ)の伝手で、どこかの官庁に採用してもらうことに望みをかけてのことです。つまり、就職先が決まっていたのではなかったのでした。大胆といえば大胆、無鉄砲な気もしますが、ともかく百姓の長男でありながら、百姓が嫌で、田舎(大川市)を逃げ出したのです。それでも運良く、逓信省にもぐりこむことが出来ました。昭和2年(1927年)のことです。それから1934年まで7年間、東京にいました。
 この7年間というのは、日本も世界もまさしく激動の日々でした。なんといっても、日本は着々と戦争へと突き進んでいったのです。
 満州の関東軍は独断専行を繰り返します。1928年6月、張作霖を爆殺してしまいます。田中義一首相(陸軍大将)が天皇に「日本軍は無関係」と嘘の報告をして、天皇に叱責され、辞職してまもなく失意のうちに死亡。
 1932年1月には上海事変が勃発。日本軍が中国軍をなめてかかっていたところ、ドイツ軍事顧問国のテコ入れもあり、中国軍は頑強に抵抗し、日本軍は大苦戦を余儀なくされた。
政府は1928年2月、普通選挙を実施すると同時に治安維持法を施行した。特高警察による違法・不当な検挙が横行し、拷問も至るところで野放し。
 そして、治安維持法に死刑が導入され、「目的遂行罪」なる、とんでもない条項が追加された。
 茂青年は、逓信省で働きながら法政大学に通うようになった。そして、休日は映画をみ、また銀座で銀ブラを楽しんだ。初めは無声映画なので「カツドー」と呼ばれ、徳川夢声のような活弁が活躍していた。やがてトーキーになった。銀座には百貨店があり、カフェーが続々オープンした。
 軍人の横暴がひどく、政府要人や経済人が次々に暗殺された。
 法政大学では夜間の国語・漢文科から、昼の法律学科に移り、我妻栄教授の講義を受け、ついに高文司法科試験を受験するに至った。NHK朝ドラ「虎に翼」の主人公のモデルとなった三淵嘉子が受験する3年前のこと。
 当時すでに「受験新報」のような受験雑誌があり、茂は大いに参考にした。
 地下鉄争議は成果を勝ちとり、紡績工場の大きなストライキは会社と警察によって切り崩されてしまった。ターキー(水の江瀧子)たちの劇団員たちもストライキに突入した。
 茂は司法科試験に合格したら検察官になるつもりだった。というのも、弁護士は法廷で共産党員の弁護をしただけで治安維持法の目的遂行罪で有罪とされた。そして、裁判官のなかには「赤化判事」がいて、逮捕された。残るのは検察官という消去法の選択だった。大学教授も捕まり、華族の子弟も次々に検挙されていく。
 毎日毎日、目まぐるしいほど世の中は動いていたのです。それを日記風に再現した本です。この本にはとても信じられないエピソードが2つ登場します。
その1は、特高刑事が賭博罪で捕まり裁判になったとき、穂積重遠教授が法廷傍聴にやってきたら、裁判官が判決言渡しと同時に被告人の釈放を命じたうえ、傍聴席に向かって、「先生、これでよろしいでしょうか?」とお伺いをたてたということ。
その2は、警察署の留置場で看守たちが見守るなか、布施辰治弁護士の盛大な歓迎会がもたれたということ。歌あり、モノマネあり、踊りありのにぎやかさで、さすがの布施辰治も感極まった。
戦前の暗黒政治・社会のなかにも、こんなことがあったのですね…。
ぜひ、みなさん手にとってご一読ください。
(2025年1月刊。1650円)

「原爆裁判」を現代に活かす

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版 日本評論社
 「原爆裁判」というものを、今の若い人がどれほど知っているのか、いささか不安があります。若い人が新聞を読まないばかりかテレビも見ないからです。
 これは、NHKの朝ドラ「虎に翼」(昨年4月から9月まで放映されていました)の主人公寅子のモデルとなった三淵嘉子が裁判官として関わった裁判です。
1955年、原爆の被害にあった市民5人が、アメリカの広島・長崎への原爆投下は国際法に違反するので、その受けた損害の賠償を日本政府に対して請求した裁判。
 1963年、東京地裁は原告の請求を棄却した。判決理由のなかで、アメリカの原爆投下をはっきり違法と認定し、同時に被爆者に対して支援しようとしない「政治の貧困」も指摘した。それによって、この判決は日本国内外に大きな影響を与えた。
 著者は、ドラマ化されるときに、手持ちの資料を提供したそうです。
 裁判を起こした原告5人の代理人は岡本尚一弁護士ですが、提訴して3年後に亡くなり、弁護士3年目の松井康浩弁護士が受け継ぎました。
 原爆を投下したのはアメリカなのに、なぜ被告をアメリカ政府ではなく、日本政府にしたのか…。アメリカの原爆投下は違法だ。その違法行為によって損害を受けたのだから、被爆者はアメリカに対する損害賠償請求権がある。日本政府は、その請求権を対日講和(平和)条約によって放棄してしまった。国民の財産権を放棄したのであれば、憲法29条3項によって、政府はそれを補償しなければならない。その補償をしないのは違法だから日本政府に対する国家賠償請求権がある、このような堂々たる論法です。
 日本の裁判所でアメリカ政府は裁けません。日本政府は、1945年8月10日の時点では原爆投下を「国際法違反」としていたのに、裁判になると「国際法違反ではない」と主張しました。国民に向かっては手の平を返したのです。
 アメリカは原爆投下は「戦争終結を早め、多くの人命が失われるのを防いだ」という原爆投下正当化論に立っていますが、日本政府も裁判で同じことを主張したのでした。まったくもって許せません。このような日本政府の姿勢は今も続いています。アメリカの「核の傘」にいたら安全であるかの幻想に浸り、また「核抑止力論」を振りかざすばかりです。
 判決は、広島と長崎への原爆投下を国際法違反と判断した。そのうえで、日本政府の責任について次のように述べた。
 「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ。しかも、その災害の甚大なことは、一般の災害の比ではない。被告が十分な救済策をとるべきことは多言を要しない。しかしながら、それは裁判所の職責ではなく国会や内閣の職責である。戦後十数年を経て、高度成長をとげたわが国においてこれが不可能であるとは考えられない。われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」
 この裁判に終始関わった三淵嘉子は、弁護士になったあと、日本婦人法律家協会の会長だったとき、池袋駅前に立って反核署名を集める活動もしていたとのことです。行動する人でもあったのですね。すばらしいことです。
 日本被団協(被爆者団体協議会)が長年にわたる反核・平和の取り組みに対してノーベル平和賞が授与されました。そのときの田中代表委員のスピーチは胸を打つものでしたが、そのなかで日本政府が被爆者に対して冷たい仕打をしてきた(している)ことを重ねて批判したことも忘れられません。
 この本には、1999年6月、イギリスの3人の女性がトライデント搭載潜水艦の関連施設に無断侵入し、家庭用ハンマーで機器類を壊して湖に投棄したという事件が紹介されています。私は知りませんでした。
 核兵器の使用等は大量殺人あるいはその準備であり、国際法違反。その違反行為のために存在するトライデント関連施設の破壊は、大きな犯罪行為を阻止する行為であり、こんな行為を処罰するのは、法のあるべき姿ではない。したがって私たちを無罪にすべきだと彼女らは主張しました。
 この裁判で、陪審員は女性3人の主張を真正面から受けとめ無罪評決を出し、裁判所も無罪としたのです。大きな違法行為を止める行為は処罰されるべきではない。犯罪的意図をもって行動していないから、無罪。いやあ、すっきり明快な無罪判決ですね。勇気ある3人のイギリス人女性に心から敬意を表したいと思います。
 本文150頁(別に資料が50頁)という、ほどよい厚さの本です。とても読みやすい解説文となっていますので、相談の合い間に読了しました。みなさんに一読をおすすめします。
 なお私は、原発(原子力発電所)がミサイル攻撃の対象にならないとも限らない現下の状況(ウクライナでは現実に起きました。日本海側に原発が何十基も立地しています)を大変心配していますが、著者がそのことについて一言も触れないのが不思議でなりません。
いつものように著者から贈呈を受けました。ありがとうございます。
(2024年12月刊。1870円)

箱の中の宇宙

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 アンドリュー・ポンチェン 、 出版 ダイヤモンド社
 たまには夜空を眺めて、宇宙のことを考えてみたいものです。
 自分が死んだら、あのきらめく星と一体化して、宇宙をさまよっていくのかな…、そう思うと、宇宙の端(はて)がどうなっているのか、知りたくなりますよね…。
 宇宙は広大なだけでなく、非常に複雑である。
 銀河が回転しているという事実は、21世紀の初めから知られていた。銀河系の軌道上に星をつなぎ止めるのに十分な重力を及ぼすには、通常の物質の5倍も存在しなければならない。それがダークマター。今のところダークマターの正体は判明していないが、その正体は素粒子に違いないだろう。
宇宙は140億年前に誕生し、ほとんど大きさゼロから膨張し続けている。しかし、膨張によって銀河がランダムに散らばっているのではない。巨大なクモの巣のような、ほぼ空っぽの超空洞(ボイド)を挟(はさ)んだ、「宇宙の網の目」にそって銀河は結びついている。しかし、なぜ、どのようにして、銀河が網の上に並んだのか…、大きな謎だった。
 ニュートリノは、非常に軽い。水素原子の1億分の1ほどの質量しかない。
 今日、宇宙を押し広げているものは、すべてダークエネルギーと呼ばれている。銀河を引き寄せているダークマターと対(つい)をなしている。ダークエネルギーの影響は、太陽系や銀河系スケールでは測定可能なインパクトがないため、非常に弱いものに違いない。しかし、弱いダークエネルギーであっても、非常に大きなスケールでは重要な意味をもつ。
 今は、ダークマターが25%、ダークエネルギーが7%という宇宙像が描かれている。残る5%に、目に見える、私たちの星や銀河をつくっている原子や分子が存在している。
 すべての星は、銀河の中を漂うガスの雲から始まる。
 銀河は、大きさ、色、形、質量、化学組織、年齢、明るさ、自転速度など、想像しうる、あらゆる点で多様である。
 この10年間で、ブラックホールは合理的な疑いをこえて実在することが証明された。
 太陽の数百万倍の質量をもつ壮大なブラックホールが私たちの銀河系のど真ん中に鎮座している。天の川銀河の中心にはブラックホールがある。
 超大質量ブラックホールの半径は、親銀河の500億分の1しかないため、コンピュータがブラックホールを正しくとらえるのは至難の業(わざ)だ。
なんと壮大なスケールの話でしょうか。憂さばらしにはもってこいですよね。
(2024年7月刊。2200円+税)

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