法律相談センター検索 弁護士検索

ゴリラと学ぶ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者  山極 寿一 ・ 蒲田 浩毅 、 出版  ミネルヴァ書房
知的刺激にみちあふれた面白い本です。ワクワクドキドキしながら、一気に読み終えました。
屋久島のサルの世界に入り浸り、ゴリラの森へ入っていく霊長類学研究者は今や京都大学の総長です。自薦でなったのではなく、むしろ後輩たちは総長にならないよう落選運動まで起きたのに当選してしまったというのですから、京大人の懐の深さはたいしたものです。京大の入学式(卒業式)での総長挨拶も読みましたが、社会との関わりで生き方を考えてほしいという格調の高さにはまさしく、脱帽しました。
昆虫採集は、殺して標本にするから嫌いだ。高校まで塾に行ったことはない。小学校では野球ばっかりしていた。公立中学校に行き、日記少年だった。成績は中の上、4と5が半々くらい。高校は都立の国立(くにたち)高校。大した受験勉強もせずに入った。京大入試では、数学・物理は大好きだったけれど、生物は得意でなく、入試科目でもなかった。京大に行ったのは、東京を離れたいという動機から。私自身は東京に行きたかったのでした。
大学ではフランス語を勉強し、ロシア語はなんとか単位をとったくらい。
野生のサルを観察した。感情をこめて同化しないとサルの顔は覚えられない。サルの顔が夢に出てくるようになったら大丈夫。
京大の良き伝統は、「あ、それオモシロイなあ、ほな、やってみなはれ」というもの。
屋久島ではサルが自然状態で暮らしている。それでサルの社会生活をじっくり観察した。
著者の新婚旅行はアフリカのナイロビへの旅です。これまたすごいですね。新婦の勇気に圧倒されます。
著者はケータイをもっていない。スマホも使わない。人に使われるのが嫌いだから。この点は、不肖、私と同じです。大学者と同じだと知って、うれしくなりました。
睡眠は8時間。寝ないとダメ。これも私と共通しています。ただし、著者は強烈な酒豪ですから、そこがまったく違います。
京大理学部は、学生に教授を先生と呼ばせない。あくまで「さん」。これはすばらしい。私も新しい弁護士仲間は「さん」と呼びますが、少し離れた関係だと無難に「先生」と呼びます。もう一つの本当の理由は、名前が出てこないことがしばしばあるからです。
著者は1980年6月にアフリカで有名なダイアン・フォッシーと会った。そのとき、ゴリラの挨拶音を出すよう求められた。
ゴリラの社会は、互いに見つめあうことを相手に求める。これは、サルやチンパンジーではありえないこと。
ゴリラは「凶暴な野獣」という誤ったレッテルが貼られている。しかし、本当は争わないのがゴリラ。むしろ平和好き。胸を叩くドラミングは、宣戦布告ではなく、お互いに離れて対等に共存しましょうと呼びかけているもの。
ゴリラは子育てをバトンタッチする。乳離れするまでは母親が、乳離れしたらオスが子どもを育てる。それが父親になること。
ゴリラの赤ちゃんは泣かない。なぜなら、ずっと母親に抱かれているから。ところが、人間の赤ちゃんは母親からときどき離されるので、泣いて自己主張をしなければいけない。
味わい深い本です。一読の価値が大いにあります。
(2018年2月刊。2200円+税)
連休中、例によって近くの小山にのぼった。雨上がりなので、斜面がすべりやすくて危ないかと心配したが、それほどでもなかった。かえって、みずみずしい青葉若葉のなかを歩けて気分良かった。途中で出会った農作業中の女性から蛇に気を付けてがんばってねと声をかけられたが、幸い蛇に遭遇することはなかった。久しぶりの山道だが、なんとかへたばることなく1時間ほどで338メートルの山頂にたどり着いた。珍しく子どもたちがいる。近ごろは野山をハイキングしているのは単独行のおじさんか、元気なおばさんばかり。ところが今回は若い女性2人組も歩いていた。
山頂そばの見晴らしのいいところにあるベンチに腰かけてお弁当開き。360度パノラマのように、有明海、雲仙岳そして青い空に白い小さな雲が千切れながらゆっくり漂っている。
ウグイスの鳴き声を聞き、緑したたるそよ風に頬をなでられながら梅干したっぷりのおにぎりをほおばる。至福のひととき。紅茶でノドをうるおしたあと、ベンチに横になり、下界のレジャー施設の渋滞を想像しながら昼寝をしばし楽しむ。赤紫のアザミがあちこちに咲いている。
ゴールデンウィークが過ぎると、2月にはじまった花粉症ともついにおさらば出来る。庭にはジャーマンアイリスに続いて黄しょうぶ。そしてアスパラガスが毎日のように採れて食卓にのぼり、ジャガイモの花が咲いているので、梅雨に入る前には収穫できる。待ち遠しい。やがて、ホタルが近くの小川で飛びかう。
庭の梅の実をちぎり、大きなザルに3枚もとれた。梅酒の材料を今年も確保できた。
風薫る五月は生命の息吹きをしっかり感じさせ、楽しませてくれる。ありがたい、感謝の日々を過ごしている。

絶景本棚

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 本の雑誌社編集部 、 出版  本の雑誌社
愛読家にとって蔵書の収納場所をいかに確保するか、常に頭を悩ます大問題です。必ずしも世に広く知られた有名人だけではありませんが、本のコレクターとして書斎に何万冊も並べている光景が1冊の写真集になっています。
私も60歳台の前半までは、「本は一冊だって捨てられない」と高言していました。雑誌は捨てても単行本は捨てることができなかったのです。
しかし、60歳台も後半になって一大心境の変化が生まれ、まず、今後もう読むことはないと思う本を書斎から抜き出し、私の関係する団体の事務所に本棚ごと贈呈し、移動させました。それでもまだまだ本はあります。次に、主として警察小説と中心とする推理小説を知人の市会議員の個人事務所にそっくり寄贈しました。推理小説を2度読み返すことは、まずありませんので、読み手のいそうなところに引き取ってもらって、本のリユースを願ったのです。そして今、資料価値がなくなっていて、保存しておくことのないと思った本を大胆に捨てています。
私はこの20年ほど、毎年500冊の単行本を読了しています。買ったけれど読んでいない本が何冊かあります。ちなみに、私は本は買います。読んで光るところは赤エンピツで棒線を引きます。弁護士生活も40年以上となっていますので、私の所有する本は単純に数えても2万冊を下回ることは考えられません。自宅も事務所も本であふれています。
本は段ボールに入れてしまったら終わりです。死蔵ということは使わないことと同義。やはり、背表紙を見えるようにして、すぐにも手に取れるようにしておく必要があります。
この本に出てくる書斎は、本の高さと形に応じて、みんな苦労していることがよく分かります。私の事務所にはスライド式書棚がありますが、これは本の保管としては適さないと考えています。
本は背表紙を読んで、「えっ、こんなところにいたの・・・。」というつぶやきとともに、すぐに手を伸ばして胸にかかえこむべきものです。今度、そのうち買って読もう、なんて考えていても、そんなことはついつい、すぐに忘れ去ってしまいます。今、ここでの出会いを大切にして、フィーリングで購入することを表明して、いい本(いい書斎)にめぐりあえたことを高く評価します。ありがとうございました。
(2018年3月刊。2300円+税)

松本清張「隠蔽と暴露」の作家

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 高橋 敏夫 、 出版  集英社新書
松本清張が死んだのは1992年8月なので、もう25年以上がたっている。しかし、その書いたものは今もそのまま通用している。何回となくテレビドラマ化されている文庫本がたくさん出ている。
松本清張は無類のカメラ好きで、旅行には何台化のカメラを携帯していた。そして、英会話ができて、海外では通訳なしで取材していた。さらに、考古学にも深い関心を寄せていて、日本古代史の知識は学者と対等に議論できるレベルだった。
清張の学歴は尋常高等小学校の卒業というだけ。ところが、そのあくなき勉強のおかげで、並の知識人は足元に近づけないほどのレベルに達したのです。やはり、勉強する人こそ強いと言えます。
そして、松本清張はプロレタリア文学仲間と交流していたことから、戦前、警察に検挙・勾留され、拷問も受けています。山村多喜二の虐殺のころです。そして、兵隊にとられ、衛生兵として朝鮮に送られました。
このように苦しい生活を過ごしたわけですが、父親は陽気で政治や歴史にやたら詳しく、母親は優しく、心配性だけど、へそくりして着物をつくってくれた。そのため、貧しいなかにも人間としての豊かな感性を失うことはなかったのですね。
ただ、上の学校に行けなかった清張は、「オレ、オマエ」でつきあえる友だちはいませんでした。それを大いに残念がっていたようです。私は、その点は大いに共感します。高校や大学で学ぶことの利点は、同じレベルの友人と出会い、世の中や社会のことを、心おきなく語りあえることです。それは、私にとっては、大学時代のセツルメントサークルのなかで得ることができました。これが私の原点であり、今も心の支えになっています。
松本清張の『黒地の絵』(1958年)は、朝鮮戦争まっさいちゅうの北九州で起きたアメリカ兵の集団脱走事件を素材にしています。全編、不気味な太鼓の音が鳴り響いています。黒人兵から妻を暴行された男が復讐するという暗い話です。一度よんだら忘れることができません。
そして、松本清張の得意分野のひとつが政財界を結んだ大々的な汚職事件です。小役人が追いつめられて自殺するというのは、モリトモ事件でも不幸なことに起きてしまいました。でも、下っ端はオドオド、ビクビクしているのに一番悪いやつが高笑いして、ぐっすり眠っているなんて、絶対におかしいです。清張は、そこに鋭く切り込んでいきます。
北九州にある松本清張記念館にまた行ってみたくなりました。まだ行ったことのない人は、ぜひとも行ってみてください。
(2018年1月刊。760円+税)

隠れナチを探し出せ

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 アンドリュー・ナゴルスキ 、 出版  亜紀書房
フリッツ・バウアー検事、アイヒマンなどが登場するナチ残党を探し出していく大変な仕事の苦労を紹介した本です。
アルゼンチンに潜伏していたアイヒマンを探し出す苦労については前に紹介しましたが、簡単にはいきませんでした。それでも、イスラエルのモサド長官ハルエルの陣頭指揮で成功したようです。
アイヒマンの裁判をイスラエルですすめるのも大変苦労したようですが、アイヒマン調書は貴重な資料になっています。有名なハンナ・アーレントの「怪物」ではなく、「殺人マシン」の一部にすぎないというレポートの反響も詳しく紹介されています。まるほど、アイヒマンを「怪物」に仕立てあげてしまえば、その他大勢のドイツ人は責任がなかったとして無罪放免になってしまいます。それも、いかがなものか・・・という気がします。
著者は、アイヒマンには相反する特性があったといいます。アイヒマンは全体主義体制のなかで上官を喜ばせるためなら何でもする出世主義者だった。同時に多くのユダヤ人を死に追いやることに無上の喜びを覚え、ナチの手を逃れようとする者は一人残さずつかまえる悪意に満ちた反ユダヤ主義者だった。そういうことなんですね。
アイヒマンは死刑判決が確定したら2時間もあけずに処刑された。なぜか・・・。アイヒマンのシンパが処刑を中止させるために、ユダヤ人の子どもを人質にとったりすることのないようにするためだった。なるほど、そういうことまで考えなければいけないのですね・・・。
ワルトハイム国連事務総長(元)がナチスの一員だったことを暴いた話は当時、私にとっても大変な驚きでした。戦前、ナチスの一員だったことを、そんなに簡単に隠せるものなのかという点と、そんな過去があるのに、そのことを隠したまま、反省することもなく国連事務総長という世界的要職に就いてバリバリ仕事をしていたことに大変な衝撃を受けました。
これには、オーストラリア人の心性が大きく関わっているようです。ヒトラーもオーストラリア出身の伍長だったと思いますが、オーストラリア人の多くが戦前・戦中はナチスの熱狂的支持者だったのです。ところが、戦後は一転して、オーストラリア人はナチスの第三帝国の被害者だったという強固なイメージをつくりあげ、世界に定着させていたことと関わっています。なるほど、微妙な問題なのですね。
ナチ・ハンター同士のいさかいもあったようです。世間には一般的に名高いジーモン・ヴィーゼンタールについては、口から出まかせ、人気とりに長けているという批判(非難)があるなかで、一定の功績はあるとされています。
本文480頁の、読み応え十分の本でした。
(2018年1月刊。3200円+税)

みかづき

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 森 絵都 、 出版  集英社
これは面白い本でした。本屋大賞2位、中央公論文芸賞受賞というのも素直に同感できます。教育とは何か、家族って、どういう存在なのか、よくよく考えられた人物描写とストーリーです。私は朝から電車のなかで読みはじめると、たちまち車内放送が耳に入らなくなり、裁判の合い間にも手放さず、帰りの車中でついに読了してしまいました。読了したとき、あまりの満足感に、深い溜め息のようなものを、思わずついてしまったほどです。
先日、娘二人を女子プロレスの選手として育てあげ、国際試合でチャンピオンになったというインド映画『ダンガル』を天神で観ましたが、そのときと同じ充実感、満ち足りた思いがあり、やっぱり人生って、こんな感動にたまには浸りたいよねと思ったものでした。
この本のメインストリームは学校教育ではなく、塾あるいは予備校です。あとでは津田沼戦争と呼ばれた予備校同士の熾烈な競争も下敷きにしています。が、出発点は、あくまで補習塾です。四谷大塚とか浜学園のような英才塾ではありません。
どんな子であれ、親がすべきことは一つ。人生は生きる価値があるっていうことを、自分の人生をもって教えるだけ。
塾の教師の役目は、その気になれば、いくらでも伸びていく子どもたちの火付け役になること。つまり、マッチ。頭をこすって、最後は自分が燃え尽きて灰になったとしても、縁あって出会った子どもたちのなかに意義ある炎を残すことが出来たら、それはすばらしく価値のある人生なのではないか・・・。
常に何かが欠けている三日月(クレセント)。教育も、それと同じ、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑚を積むのかもしれない。
勉強が苦手な子は、基本、集中力がない。はじめのうちは10分間も勉強したら、5分間は雑談して休ませ、さらに10分間の勉強をさせる。それに慣れたら、15分、20分間と集中の時間をのばしていく。
子どもを教えるとき、教える側が口を挟みすぎないこと。つきっきりで勉強をみていて、つい口を出してしまうと、子どもは、その場では分かったような気になっても、それでは基礎学力が身につかない。
国語も数学も英語も、子どもたちの挫折のもとをたどると文章力不足に行きつく傾向が目立つ。ゲームやメールは打てても、長い文章は書けないし、読めない。そんな子には、文章を組み立てる訓練に時間をさいてやるといい。そうなんです。英語を身につけるためにも、国語の文章力が基本なのです。
親と似た性格を嫌がる子ども、おとなしそうでいて、実は忍従しているふりをしているだけ、明るく快活だと思っていると、それは仮面をかぶっているだけの子ども・・・。
いろんな子どもがいて、親と対決し、議論し、乗りこえていこうといいます。そして、親と同じ道を歩んだり、親と正反対のまま進んでいったり・・・。
人生とは、かくも複雑・怪奇なものなのだ・・・。そんな思いに浸ることのできた半日でした。
(2017年4月刊。1850円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.