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東大セツルメント法相の機関紙「歩む」 第7号 

カテゴリー:社会

川島武宜教授が巻頭言を書いています。戦前の東大ではセツルメントは白眼視されていた。医学部ではセツルメントに参加する医局生を「不逞(ふてい)のやから」視する風があった。これは戦後も同じで、法学部にも程度の差こそあれ存在していた。有力な人、権力者の側につくことはやさしいが、有力でない人、下積みの人、権力に支配される人の側につくには勇気がいる。しかし、まさにそれゆえに、セツルメントへの参加は、若い学生諸君にとって、良心をテストし良心をきたえる数少ない機会の一つとなるように思われる。
アイちゃんが所属していたのは古市場ハウスのセツル法相です。ここではセツルメント診療所を中心として保健部、栄養部、児童部そして青年部が連絡協議会をつくって、総合的なセツルメント活動をすすめていました。参加するセツラーは全体30人を超え、法相も16人と史上最高のメンバーでした。アイちゃんは2年生7人のうちの1人です。火曜日の定例相談日のほかに金曜日を生活相談日と設定して、家庭訪問を中心とする活動をすすめていったのです。
アイちゃんはセツル法相の文書に「ケース・ワークへの取り組み」という一文を載せています。セツルメント診療所で神経科特診日をもうけたところ、18人もの人がやってきた。その人たちがなぜ精神病になったのか、その背景、原因をアイちゃんは考えます。小さい頃から貧しかった。女工として重労働に耐えきれずに体をこわした。クビになってヤケ酒をあおるうちに神経が侵された。この現実を見ると、精神病が先天的なものであり、手のほどこしようのない、仕方のないものだという考えは捨てざるをえない。誰もがいつ精神病だと認定されるのかもしれないのだ。
これらの人たち一人ひとりを法相セツルのセツラーたちは受けもち、その背景をさぐり、何が彼らをこうしてしまったのかを突きとめようと考え行動をはじめました。この活動は、ハウスにやって来る人たちに法律的な手助けをしようという従来の法相の活動とは異なるものだ。
アイちゃんたちは、一軒一軒の家庭を訪れ、図々しくあがりこんで話を聞き出し、その生活環境や生い立ちを洗いざらい引き出し、その人を精神病に追いやった背景を探っていく。アイちゃんはこのような活動について、これは社会の現実の姿を掘り下げる第一歩であるが、法相という表看板が何ら用をなさない場合が多いとする。
「法律で精神病はなおせない」「法律は資本家のためにある。労働者の味方にはなってくれない」「法律でご飯を食べられるか」「オレたちがこうすりゃ法にひっかかる。ああすりゃポリに捕まる。結局、何もできねえ」…。
こんな声を聞くと、法とは何なのか、法を学び、法をつかって我々は何をしようとしているのか考え直さざるをえない、アイちゃんはこのように考えました。
法相が、「法律」を表看板にするのではなく、もう一度壁をつき破り、地域の諸問題と取り組むなかで、法律を有力な武器として使っていく、そのような方向を追及することが今後の法相の姿ではないか、こうアイちゃんは提起します。
ぼくらは、このころ川崎市の労働者居住地域である古市場でそれまでの児童部、青年部だけでなく、栄養部、保健部といった学生の専門を生かしながら相互に連携して地域の人々の多面的な要求にこたえられる綜合的セツルメント構想をすすめていました。アイちゃんは法相セツラーとして、この構想の具体化を考え実践していたのです。新しい法相が市民部的役割を生せるようになったら、素晴らしいことだと展望を語っています。
アイちゃんがこれを書いたのは、文中に「2月9日」とあるので、ぼくらが駒場にまだいた1969年(昭和44年)3月だと思います。東大闘争で、1月に安田講堂「攻防戦」があり、確認書が取りかわされ、学内が正常化しつあった時期です。まだ正規の授業はほとんどなかったので、ヒマをもてあました学生たちは古市場という地域に気軽に通うことができました。そろそろ法律を専門的に勉強しよう、でも、何のために法律を勉強しようというのか、アイちゃんは法学部に進学する前、真剣に考えて、模索していたことになります。
(昭和44年4月。非売品)

これからの日本、これからの教育

カテゴリー:社会

著者 前川 喜平・寺脇 研  出版  ちくま新書
文部省の河野学校の門下生の二人が教育行政のあり方と日本の行方を議論している、味わい深い対話からなっています。
河野学校とは、惜しくも20年前に文部省の課長だった当時、47歳の若さで亡くなった河野愛さんの主宰していたサロンを名づけたものです。前川氏は6年先輩になる愛さんについて、筋の曲がったことが大嫌いで、誠意や理想を捨てない人だった、そのような河野さんの生き方が加計学園問題のときの発言にどこかで影響していたように思うと語っています。もう一人の寺脇氏も河野門下として、深い影響を受けているとし、前川氏とは兄弟子と弟弟子みたいな関係になるとのことです。
加計学園問題については、江戸時代に、将軍の威を借りた近臣が跋扈(ばっこ)したような側用人(そばようにん)政治に堕(だ)しているのが問題。それが、本当に国民のためになっているのか根本から考え直す必要があると激しく批判しています。
前川氏の考える、教育行政官として必要な心構えを三つの標語にしたら、こうなる。
一つ、教育行政とは、人間の、人間による、人間のための行政である。
二つ、教育行政は、助け、励まし、支える行政である。
三つ、教育行政とは、現場から出発して、現場に帰着する行政である。
いやあ実に素晴らしい標語ですね。さすがは、教育基本法(改正前)の前文を全部暗誦できるというだけあります。
変化が激しく、将来を見通すのが難しい現代社会では、生涯を通じて学びつづけることが必要だし、そのなかで学校教育は、知識を単に詰め込むのではなく、生涯にわたって学び続ける力をつけられるよう、その役割を大きく転換したはずだった・・・。
ところが、「教育の自由化」が叫ばれ、市場原理をそこに導入するという。株式会社が小中学校を営利事業として運営して何が悪い、こんな考え方が強くなってきた。
前川氏は、農業高校は残すべき、高校の必修科目から数学を外すべきだという考えです。数学が必修になっているせいで、ドロップアウトする子が少なくないからです。
寺脇氏は、四大反対勢力とたたかった。業者テスト廃止に反対。農業高校なんて、どうでもいい。家庭科の男女必修に反対。総合学科設置にも反対。
寺脇氏がすすめていた「ゆとり教育」については、私も誤解していました。本当の「ゆとり教育」は、個人の尊厳と個性の尊重、自由、自律という個性重視の原則にある。そうであるなら、賛成します。
学校っていうのは、勉強のできない人間のためにあるんだよ。
これは文部省のトップ事務次官をつとめた人の言葉だそうです。まさに卓見ですね。こんな人が上に立つと、下に働く人たちも仕事にやり甲斐を感じられますよね。
官僚のなかに、佐川国税庁長官のようにアベ政治をひたすら支える人ばかりではなく、気骨ある人たちがいることを知って、勇気が湧いてくる新書でした。ぜひあなたもご一読ください。
(2017年11月刊。860円+税)

世界は変形菌でいっぱいだ

カテゴリー:生物

著者 増井 真那 、 出版  朝日出版社
いやはや驚嘆しました。すごい少年がいます。藤井6段は15歳、中学生ですが、こちらも16歳です。変形菌と10年間いっしょに暮らしながら研究を続けています。
この研究は学会にも参加しているほど、本格的なものです。10年間の蓄積があり、写真でも紹介されていますが、見事なものです。ぜひ、あなたも、この本を買うか図書館で借りるかして、写真をじっくり眺めてみて下さい。変形菌の、たとえないようもない美しさに魅入られてしまうことでしょう。
著者は、変形菌の存在をにおいでも察知することができます。
土と水のにおいを足したような・・・。土から腐った感じを抜いて、キノコから酸っぱい感じを抜いて、混ぜたようなにおい・・・。とにかく、さわやかで、やさしいにおい。これって、本当にどんなにおいなんでしょうか、知りたいです。
著者の書斎の写真がありますが、まさに研究室です。理解ある両親の下で、研究一筋ということがよく分かります。なにしろ、この10年のあいだ、毎日欠かさず変形菌を育て、観察しているのです。
1日に2回チェックする。飼育するときの餌は、オートミール。添加物の一切入っていないもの。
変形体はキレイ好きなので、汚れたキッチンペーパーを取り替えてやる。キッチンペーパーは年間30ロールも使う。
変形体は温度に敏感で、急激な温度変化にさらさないようにする。
変形体とは、変形菌の一生のなかで、ネバネバのアメーバとして動き回る形態(段階)のこと。変形体は子実体(しじつたい)に変身する。もう餌は食べないし、自分から動くこともない。子実体の役割は、胞子を外の世界に飛ばして子孫を増やすこと。子実体一つひとつの中には無数の胞子が詰まっている。たくさんの子実体が並んでいる様子は見事です。
変形菌は世界で800種みつかっていて、そのうち半分の400種が日本でみつかっている。四季が豊かで、気候や風土のバリエーションが多く、そこに季節や台風が世界の胞子を運んでくるからだとみられている。

蒙古襲来と神風

カテゴリー:日本史(鎌倉)

(霧山昴)
著者  服部 英雄 、 出版  中公新書
 文永の役(1274年)のときには台風は吹いていない。弘安の役のときには台風が来て、蒙古軍は手痛い打撃を受けた。しかし、それは全軍ではなく、江南軍(旧南宋軍)だけだった。
 台風が通過したあと、蒙古軍は日本軍と2度の海戦を展開したが、ともに日本が勝利した。その結果、戦争継続は困難だと判断した蒙古軍は退却を決めた。
中国や高麗に戻った将兵は、戦略ミスではなく、嵐のために帰国したといって敗戦の責任を逃れようとした。つまり、大風雨による被害を強調し、誇張して、自分たちを免責しようとしたのだった。
有名な竹崎季長(すえなが)が注文して絵師に描かせた絵巻『蒙古襲来絵詞(えことば)』には台風(神風)のシーンは、まったく描かれていない。
日本は、当時、中国で産出しない木材(ヒノキとスギ)、そして硫黄を輸出していた。中国大陸には火山がほとんどなかったので、硫黄を得ることは難しかった。硫黄は火薬の材料として欠かせない。
神風史観の骨格をなす、文永の役における嵐によって一夜で殲滅(せんめつ)なるものは、幻想・虚像にすぎない。
弘安の役は4ヶ月にも及んだ。蒙古軍は志賀島に上陸して水と草(馬の食料)を確保した。日本軍は、圧倒的に強力な敵を倒すために、ゲリラ戦や夜襲を多用した。蒙古軍が志賀島を占拠したので、日本側は壱岐を攻撃目標とした。志賀島に兵員や武器・食料を送り続ける兵站(へいたん)基地を襲い、対馬・壱岐からの補給ルートを断ち志賀島を孤立させる作戦だった。
当時の日本人には、武士をふくめて「神風」が吹くと考えたことはなかった。
著者の本は、いつも極めて明快で説得的です。
(2017年11月刊。860円+税)

裁判官、当職そこが知りたかったのです

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  岡口基一、中村真 、 出版  学陽書房
 弁護士のつっこみに裁判官がボケることなく、まともに応答していますので、なるほど、そうなのか…と、つい思うところが多々ありました。若手にかぎらず、ベテラン弁護士が読んでも面白く、役に立つ内容になっています。少なくとも買って読んで損をすることはありません。
 裁判官は忙しいので、訴状を読んでとりあえずの心証をとってしまう。裁判官は訴状の第一印象に、少なくともしばらくは拘束される。
たいした内容でもないのに、準備書面がやたら長いと、もうそれだけでダメ・・・。
 証拠説明書は重要。裁判官は、まず証拠説明書を読んでから証拠を見る。
当事者の陳述書は証拠価値はない。それは単なる尋問のためのツールでしかない。
証人尋問の前の練習しすぎもよくない、これは言わされているなと裁判官が思ってしまう。
 代理人に信頼されていない裁判官は、和解もなかなかできない。代理人とケンカしたら和解は無理。判決は書くのが大変なので、裁判官はできたら判決を書きたくない。和解のほうがいいのは裁判官の共通認識。
 昔は(15年前までは)裁判所内に飲みニケーション文化があり、ほとんど毎日のように飲み会があっていた。いまは、裁判官は孤独になっている。
上でひっくり返されないように意識するというのは裁判官全員の共通認識。
岡口判事は大分出身で行橋支部長もしていました。父親は牧師です。その「要件事実マニュアル」を私が利用するようになったのは、この数年のことです。それまでは若手弁護士が身近にいましたので、利用しなくてすみましたが、今はいませんので、必携です。そしてFB仲間として、その情報発信の恩恵を受けています。
(2018年1月刊。2600円+税)

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