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収容所のプルースト

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ジョセフ・チャプスキ 、 出版  共和国
第二次世界大戦のなかで、ポーランド軍の高級将校がごっそり行方不明となってしまいました。カチンの森虐殺事件です。ソ連はヒトラー・ナチス軍が犯人だと名指ししました。ヒトラーは逆にソ連軍こそ犯人だと反論し、欧米が静観したこともあって容易に決着がつきませんでした。今では、スターリンの指示によるポーランド知識層の抹殺を企図した大虐殺事件だったことが判明しています。スターリンはソ連国内で、大粛清をすすめましたが、ポーランドを思うままに支配するために、とんでもない虐殺を敢行したのです。悪虐な独裁者だというほかありません。
この本はカチンの森虐待事件の被害者になる寸前に助かったポーランド人の高級将校が、収容所内でプルーストの「失われた日を求めて」を講義していた事実を再現しています。実は、私もプルーストの「失われた日を求めて」に挑戦し、挫折してしまった者の一人です。なにしろ長文の小説です。「チボ―家の人々」はなんとか読破しましたが、「失われた日を求めて」は、読みはじめてまもなく投げだしてしまいました。
なぜ、明日をも知れぬ身に置かれながら、プルーストの小説についての講義を収容所内で受けていたのか・・・。それは、人間とは、いかなる存在なのか・・・という重要命題そのものなのです。
ハリコフに近い町の15ヘクタールほどの土地に4000人ものポーランド人将校が押し込められ、1939年10月から1940年春までを過ごした。精神の衰弱と絶望を乗りこえ、何もしないで頭脳がさびつくのを防ぐため、ポーランド人将校たちは知的作業に取りかかった。軍事、政治、文学について講義をし、語りあった。結局、この4000人のうち800人ほどしか生き残っていない。それでも人々は零下45度にまで達する寒さのなかで、労働のあと、疲れきった顔をしながら、自分たちの置かれた現実とはあまりにもかけ離れたテーマについて耳を傾けた。
プルーストは、出来事に対して、遅れて、そして複雑に反応する。
プルーストは、何らかに印象に触れた瞬間の感激をすぐに吐き出すのではなく、印象を深め、正確に見極め、その根源にまで至ることで、それを意識化することこそ、自分の義務だと考えていた。
匂いのしみついたマドレーヌとともに、この紅茶のカップから浮かび上がってきたのは、無意識的な喚起だった。マドレーヌの匂いによって喚起された記憶が立ち上がり、深まり、しだいにプルーストの生家やゴシック様式での古い教会や少年時代の田園風景のかたちをとり、年老いた伯母たちや料理人や家の常連といった、母や祖母が愛した人たちの顔が浮かび上がってくる。主人公は、自分の人生に関わった多くの知人・友人たちが、時の作用によって変貌し、老い、膨れあがり、あるいは、かさかさに乾いてしまったのを目撃した。
プルーストとは、顕微鏡で見た自然主義である。
スワンの魅力の本質は、このうえない自然さと、一貫して優しいエゴイズムにある。金も人脈も、それ自体が自然なのではなく、自分がいちばん自分らしくいられる場所へと導くための手段でしかない。
プルーストの作品には、いかなる絶対の探究もなく、あの長大な数千ページのなかに「神」という言葉は一度も出てこない。
収容所の講義に使われたノート、あるいは、講義を受けた人の書いたノートがカラーコピーで紹介されています。すごいものです。
人間が人間たる所以(ゆえん)は、こうやって死の迫る状況下でも、頭のなかは自由に物事の本質を深く交めたいという思い(衝動)なのだ。このことがよく分かる本でした。
精神的活動がなければ、日々はただ生存の連結にすぎなくなってしまう。精神の活動こそが、今日を昨日と区別し、わたしを他者と区別する。つまり、人間を人間たらしめてくれる。多くの収容者が必至で日記をつけようとするのも、このためである。読書の機会は、他にかけがえのないものとなる。
人間とは何かを改めてじっくりと考えさせてくれる、まれに見る良書でした。
(2018年1月刊。2500円+税)

記者襲撃

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 樋田 毅 、 出版  岩波書店
アベ首相の朝日新聞バッシングは異常です。権力による言論弾圧としか言いようがありません。ウヨクによるアサヒ叩きも、同じように日本の言論の自由を制圧するものでしかありません。
今度の朝日の財務省の文書改ざんに関するスクープはまさしくクリーン・ヒットでした。さすがのアベ首相も朝日新聞は間違いだと言えず、3秒間だけ頭を下げて神妙な顔で申し訳ないと国民に対して謝罪せざるをえませんでした。
この本が問題にしたのは、今から31年前の1987年5月3日の朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)が散弾銃を持った目出し帽の若い男に襲われ、29歳の記者が亡くなり、42歳の記者が重傷を負ったという日本の言論史上かつてないテロ事件です。残念なことに「世界一優秀」であるはずの日本の警察は犯人を検挙できないまま時効となりました。
この事件を事件の前に阪神支局に勤めていた著者が執念深く追求していったのです。その真相究明の過程が詳しく語られています。
後半のところに勝共連合・統一教会も疑われていたこと、統一協会には秘密組織があったことも紹介されています。でも、私には「赤報隊」の声明と統一協会とは全然結びつきません。やっぱり、テロ至上主義の過激な日本人右翼が犯人だったとしか思えません。
朝日新聞については、私はそれなりの新聞だと評価しています。それは、今回の財務省の改ざんスクープでも証明されました。それでも、この本が問題としている役員応接室での右翼(野村秋介)の自殺における朝日新聞社の対応には疑問を感じます。自殺した右翼男性は2丁拳銃をもっていたのでした。1丁は朝日新聞の社長に、1丁は自分に・・・。しかし、実際には2丁とも自分に向かって発射し、朝日新聞の社長は無事だったのでした。さらに、このとき、朝日新聞社は社会部に知らせていなかったというのです。これも、おかしなことです。
アベ首相が朝日新聞を叩くとき、それに手を貸すようなマスコミがいるというのもまた信じられないことです。昔から、独裁権力は各個撃破するのが常套手段です。「明日は我が身」と考えるべきなのに、対岸の火事のようにぼおっと見過ごしているなんて、信じられないほどの感度の鈍さです。
マスコミ、言論の自由の確保は、私たち国民ひとり一人の自由に密接にかかわるものとして大切なことだと痛感させられる本でもありました。
(2018年2月刊。1900円+税)

昭和解体

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 牧 久、 出版  講談社
国鉄の分割・民営化はどうやって実現したのかを30年たって真相をたどった本です。読みすすめむにつれて、どんどん暗い気分になっていき、心が沈んでいきました。日本の民主主義は、こうやって破壊されていったんだな、それを思い知られていく本でもあるのです。
国鉄の分割・民営化を実現したことを自分たちの手柄としてトクトクと語る人々がいます。それは今のJR各社のトップにつらなる人たちです。でも、どうでしょう。JR九州の3月ダイヤ改正は見るも無残です。そこには、公共交通機関を支えているという理念はカケラもなく、純然たる民間会社として不採算部門(列車)を切り捨てて何が悪いのかという開き直った、むき出しの資本の論理があるだけです。過疎地に住む学生や年寄りといった人々の利便など、まったく視野のうちにありません。すべてはもうけ本位。いまJR各社は豪華なホテルを建て、ドラッグストアーを展開し、海外進出にいそしんでいます。
私が弁護士になって2年目の1975年(昭和50年)11月に1週間のスト権ストが打ち抜かれました。日本で最後のストライキと言えるでしょう。この闘争の敗北によってストライキが死語になり、日本の労働運動は衰退してしまいました。
労働者が労働基本権を主張すると、「変なヤツ」と見られる風潮が広がり、それは「カローシ」という国際的に通用する現象につながってしまいました。そしてやがて、「自己責任」というコトバが世の中にあふれました。さらに、貧乏なのは本人の努力が足りないからで、同情に価しないという冷たい心情をもつ人が増えてしまいました。
労働組合が頼りにならなくなり、あてにされないなかで、連帯とか団結という気持ちが人々に乏しくなってしまったのです。
目先の利益に追われ、軍事産業であっても仕事さえくれたら、食べられたらいいという人が増えてしまいました。
順法闘争が起きたとき、マスコミは人々の募った不便をことさらあおりたて、ついに人々は駅舎を襲うという暴動まで起こしたのでした。たしかにストライキが起きると、誰かが迷惑を受けます。でも、それが他の人々の権利行使だと分かったら、少々のことは我慢するしかありません。
たしかに、労働組合の暴走も現場にはあったのでしょう。だからといって、憲法に定められた労働基本権を無視するようなマスコミ報道は許されないはずです。
権力側は、戦後の日本の労働運動を中枢となって進めてきた国労をぶっつぶすことを目標として、あの手この手と周到に準備していたことがよく分かる本です。やはり情勢の正確な認識は難しいのです。
JR九州をふくめてJR各社が民間企業としてもうけを追及するのは当然です。でも、あわせて乗客の利便・安全性も忘れずに視野に入れておいてほしいと思います。九州新幹線のホームに見守る駅員がいないなんて、恐ろしすぎます。テロ対策どころではありません。JR各社には反省して是正してほしいです。
(2017年6月刊。2500円+税)

読むパンダ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 黒柳 徹子・日本ペンクラブ 、 出版  白水社
はるか昔、上野動物園に来たばかりのパンダを見に行ったことがあります。遠くのほうにじっとしていて、ガッカリでした。少し前に和歌山(南紀白浜)のアドベンチャーワールドに行きましたが、ここは素晴らしいです。わざわざ行った甲斐がありました。パンダを真近で、じっくり観察し、楽しむことができます。ここでは中国と直結してパンダの繁殖に貢献していますが、すごいことだと思います。
この本は、日本にパンダが初めてやってきたときの苦労話から、つい先日のパンダの赤ちゃん誕生まで縦横無尽にパンダを語っています。写真もそれなりにあって楽しい、パンダ大好き人間にはたまらない本です。
パンダなんて、「女子供」がキャーキャー騒いでいるだけじゃないかという偏見をもっている人には、いちどパンダの実物をじっくり見てほしいと思います。もとは熊なのに竹を主食としてあの愛くるしい丸っこい形と白黒パンダ模様はたまりません。そして、動作だって、人間の赤ちゃんか幼児みたいに愛嬌たっぷりなので、見飽きることがありません。誰が、いったい、こんな形と色を考えたのでしょうね。
パンダは木のぼりが上手ですが、それでも落っこちます。ところが、木から落ちても平気な身体をしているのです。
パンダの身体は甘酸っぱい匂い、芽香がする。不快感を与えない。同じことは、パンダの糞についても言える。これは、要するにパンダの主食が竹(笹)によるものでしょうね。肉食だったら、猫の糞のように不快な臭いのはずです。
パンダは鳴く。クンクン、クンクン、クゥンクン。メスがオスを交尾相手として受け入れるときには「メエエエ」と羊鳴きをする。相性が悪いと、「ワン」と犬鳴きをして「近寄らないで」と警告する。
パンダも人間と同じで好き嫌いははっきりしているのです。ですから、パンダの繁殖は難しいのです。それでも日本の動物園で赤ちゃんを育てるのに成功しているのですから、すごいですよね。
パンダファンには絶対おすすめの一冊です。
(2018年3月刊。1400円+税)

ご用命とあらば、ゆりかごからお墓まで

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 真梨 幸子 、 出版  幻冬舎
デパート外商部で働く人々を主人公とする連続小説です。主人公が次々に入れ換わりますので感情移入は難しいのですが、多面的に多角的にデパートの内外で働く(うごめく)人々を描いていて、読みはじめたら最後まで目が離せませんでした。つまり、私の得意とする読み飛ばしは出来なかったということです。
ただし、しっとりとした情緒とか雰囲気を味わうというものでもありません。この人たちの人間関係は次にどう展開していくのだろうかと、関心が先へ先へ進んでいくのです。
いろんな略語が出てきます。そのひとつがトイチです。トイチっていったら、ヤミ金。10日で1割の高利金融のことかと思うと、さにあらず。トイチとは、上得意客をさす。上という漢字をバラすと、カタカナのトと漢数字の一になることから来るコトバ。
デパートの外商とは、店内の売場ではなく、直接、顧客のところへ出かけて行って販売すること。外商という部門は、もともと呉服屋のご用聞き制度がルーツ。店舗では、店員と客は、その場だけの関係だが、外商と顧客の関係は、それこそ一生もので、「ゆりかご」から「墓」までお世話するのが外商の仕事。ある意味で、執事または秘書とも言えるし、顧客の話し相手になったり、日々の相談に乗ったりするのも外商の仕事なので、コンパニオンとも言える。
外商は究極の営業職だ。なので、誰かれ構わず愛想を振りまいていては、いざというときにエネルギー不足になる。エネルギーは、大切なお客様のためにとっておかなければならない。だから、優秀な外商は、めったやたらに笑うことはないし、口数も少ない。
なるほど、そういう仕事なんだと納得させてくれるショート・ストーリーが次々に展開していきます。そして、そこに現代社会の怖い落とし穴まであるというわけです。
でも、デパート自体が落ち目ですよね。今は、どうなんでしょうか。今後も生きのびられるものなのでしょうか・・・。外商を支えてきた超富豪は日本でも増加する一方なので、恐らく生きのびてはいくのでしょうが・・・。
軽い読み物とは思えない、ホラーストーリーのおもむきもある本でした。
(2018年1月刊。1400円+税)

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